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23.11.07 「解決できない」を経験させる

・子どものトラブルに大人が介入すること
大人が子の話を聞き、どうしてこうなったのか、何が悪かったのか、次はどうしたらいいのか、白黒はっきりさせる
子は気持ちを全部話して、すっきり
謝って、許して、きっちり清算
そうやって丁寧に介入することを、あんまり小さなことにまでひとつひとつやりすぎるとよくないんじゃないかと、最近思う
(いじめとか大きなトラブルのときには絶対必要だけど)

・遊びの中で、「今のはアウトだ」「いやセーフだ」と、いつまでも言い合う子
適当に「じゃあじゃんけんで決めよう」とか、「そんなに言うならもうセーフでいいよ」と流して遊びを再開すればいいのに、白黒はっきりするまでいつまでも立ち止まって進めない
ちょっとぶつかったようなささいなことを、いちいち「謝ってもらってない」と引きずる子
「僕は嫌な思いをさせられたんだから、僕がすっきりした気持ちになれるように誰か解決してよ!」という思想になっている子

こういう子たちは、私が子どものころは今ほどいなかったように感じる
こういう態度は、大人がいちいち介入しすぎることが原因ではないか

・すぐに大人の力ですっきり解決するんじゃなくて、もっと子ども自身の力で試行錯誤する経験が必要だ
そうするとうまく解決できないことも当然出てきて、もやもやを抱えたまま過ごすとか、友達と絶交して遊び相手がいなくなって退屈するとか、自分の気持ちを言えなくて泣き寝入りするような経験もするだろう
それはとても苦しいけれど、とても大事な経験だと思う
身をもってつらい思いを経験したからこそ、他人事、人任せではなく自分事として、次からはこうしようと自分で学び、上手な解決方法を身につけていくのではないかと思う

その試行錯誤の中で、直接解決(謝る-許す、気持ちを言う)以外にも、受け流すとか、白黒はっきりさせずあいまいなままで受け容れるとか、解決してないけど気持ちを切り替えてすませるとか、別のことで昇華させるといった選択肢が出てくる
そうやってトラブルに区切りをつけるやり方も覚えていくのではないかと思う
(前述の子どもたちを見ていると、むしろそういう「あいまいで終わらせる力」の方が大事だよなぁなんて思ったりする)

・そもそも、直接謝ったり許したりしなくても、気づいたら仲直りして遊んでいる、子どもってそういうもんじゃなかったか
それでいいじゃないか
そういう子ども同士の世界を大事にしたいなぁと思う

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