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自分の思う"マイノリティ"という位置づけは正しいのか_中編

前回「自分の思う"マイノリティ"という位置づけは正しいのか_前編」では、手話について取り上げた。

・2011年に障害者基本法の改正があり、手話が言語であると規定された
・国際的には2006年国連総会で「手話は言語である」と定義した障害者権利条約が採択された
・全国の自治体で手話言語条例制定の動きがある

といった法的な背景を記した。今回は最初にそれまでの経緯について簡単に触れるところから始めたい。

なお聴覚障がい者にはろう・難聴・中途失聴が含まれており、皆が皆手話が判るわけではない。前回紹介したような、講演での字幕への文字おこしと手話が同時に提供されていたのは、個々の事情に配慮したものである。

「手話」が言語として認められるまで

聴覚障害教育としてろう学校の始まりは古い。全国聾学校長会のウェブサイトによれば次のように記載されている。

明治8年(1875)京都に学級が開設され、明治11年(1878)に、京都盲唖院の創設によって、はじめて学校体制ができた。
全国聾学校長会「概要と歴代校長」

【注】2007年度に盲学校、ろう学校、養護学校が一本化され、今、特別支援学校となっている。
文部科学省のウェブサイトには特別支援教育に関する資料掲載があるので、この機にあわせてリンクを紹介しておく。

文部科学省 特別支援教育資料(平成28年度)

さて、日本の手話は京都盲唖院から始まった。手話による教育が昭和の始め頃まで続いていたし、手話教育はろう学校で行われていたように錯覚しがちだが、ろう学校では手話は禁止で口話法という言語指導法が行われた。

1880年にミラノで行われた第2回ろう教育者会議で、手話法は口話法より劣っていると口話法が採択されたことにより、世界のろう学校で手話が禁止され始めたことによる。
日本の多くのろう学校でも手話は禁止となり、手話を使うと目が手の方に行き集中して口を見なくなる事を懸念して、学校で手話を使っていると先生に見とがめられたという話も聞いている。

なので前回紹介したような、手話が言語であると規定されたことは大きな意義を持つ。

「手話」の文法と日本語の文法

手話には次の2種類がある。

・日本語対応手話
・日本手話

手話の知識がない私からすると日本語と手話はそれぞれ対応していると思っていたが、実は日本語に合わせて単語を並べているのは前者の「日本語対応手話」。文法がない。
後者の「日本手話」はろう者の人が使用しているもので、文法に加えて視線、眉、頬、口、舌、首の傾きと振り、あごの出し引きといったものが重要となるそうだ。

みちこの手話ちゃんねる」というブログによると「日本語対応手話」と「日本手話」は異なるのがわかる。1つだけ例を引用させて頂くと

例 晩ごはんを食べましたか?
「日本語対応手話」‥「夜/ごはん/を/食べる/した/か
「日本手話」‥「夜/ごはん/か

といった具合になるのだそうだ。詳しい説明は元のブログをご覧いただきたい。

私は手話を使う人と接触する機会が殆どなく、ウェブアクセシビリティに関わる前はイメージや思い込みで対応をしがちだったと思う。その点自分でも反省しきりなのだが、仮に積極的に手話を学べば、私は手話を使う人たちに寄り添う事ができるのであろうか。
それでも理解するのは到底難しいままなのだろうか。

身近な「少数派」

ここまで社会の中でマイノリティとされる障がい者のうち、手話を使う人について見てきた。
次に、身近な「少数派」について考えてみたい。

皆さんは右利き? 左利き? 右利きだとしたら、身近に左利きのかたはどのくらいいるだろうか。

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[義弟]

私の義弟は左利きだ。小さい頃は様々なことがやり難かった、と聞いた。
今は左利き用の道具が販売されているが、義弟の学生時代は製品数も少なく取り扱っている店舗も限られていた。
現在は左利き雑貨専門のオンラインショップなどもあるが、当時はインターネットで検索して購入、とはいかない。
大人になり設計関係の仕事でパソコンを使っていてもそれほど不便は感じておらず、マウスは左利き設定もせずに使っているとのことだった。

[母]

私の実母は左利きだ。
義弟よりさらに昔の人だから、躾として右利きに強制させられる時代だ。裁縫が得意だったが、家庭科の先生が厳しく左手で運針しているのが見つかると物差しでバシッと叩かれたこともあったらしい。
ただ本人全く気にしておらず、右から縫って行って端まで縫ったら普通は布を裏返すところを、今度は左手に針を持ち替えて縫っていたらしい。
「だから皆より縫うのが早かったのよ」
と得意げな表情をして話してくれた。なお、箸を持つ手や筆記は右手だ。華道の先生をしていて、通常鋏は右手を使っていたが、力を込めて切らねばならないときは、左手に持ち替えて切っていた記憶がある。

[友人]

大学時代の同級生にも左利きの人がいた。本人曰く「家族皆右利きの中でずっと生活していたから生活のしづらさには慣れっこ」で、自分なりに上手くやっていたようだ。
一緒にいて彼女がやり難そうにしているシーンは見た記憶がない。
ただ一度だけ、初めて一緒に二人並んで昼食をとることがあり、私が何も考えずに彼女の左側に座った時に
「私、そっちに座っていい? 肘が当たると悪いから」
と言われて場所を交代しただけで、その後特に不便さを感じている節は感じられなかった。
国文科だったので習字の時間があり、彼女は上手に書いていた。たまに小筆を左手に持ち替えて書いていた。左手の字はすぐ判るけどね、と言っていた。

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皆さんの近くにいる左利きさんはいかがだろうか?

左利きの割合、そして悩み

さて、世界に左利きはどのくらいいるのだろうか。

TEDx(海外)
左利きが存在するのはなぜ? 人類の進化の歴史からわかること

によると世界の人口の10%が左利きであるといわれているそうだ。しかも考古学的な証拠によると、50万年もの間この状態が続いているとのこと。

私のnoteを読んでくださっているかたの中にも、左利きのかたが含まれていることだろう。

右利きの私から見ると、左利きのかたは時折両手も使い分けるなどし器用に作業をしているように見える。それはものすごく勝手なイメージなのだろうと思うし、実際は世の中の道具類が右利き用が主でありその不便さを、左利きのかたは生活の中で自分なりにこなしてこられたからだろう。
(と拝察いたしますが、実際左利きのかたとしてはいかがなのでしょうか?)

動作により利き手を使い分けることを「クロスドミナンス」というが、お箸や鉛筆を右手で持つけど、左手でボールを投げるなどといったこともよく見聞きする。

2016年4月7日にゼブラ株式会社がリリースした左利きの悩みの実態について調査実施がある。

意外に身近なマイノリティ「左利き」は損か得か?
左利き100人に聞いてみた!

左利きで良かったこともあるが、調査結果を見ると毎日のように使う「文房具」に多くの左利きが不便を感じていると答えている。
例えば左利きの2人に1人が「ペンで書くときに手が汚れる」ことに悩んでいて、インクで手や文字が汚れないよう持ち方を工夫しているとのことで様々な持ち方が紹介されている。

ただ、年代別に見ると50代では左利きの矯正をさせられたと回答した人が18%いたのに対し、40代は12%・30代10%・20代13%と矯正させられた人は減っている。調査では、左利きは「個性」としてとらえられてきたのが理由と見ていた。

昭和29年~昭和30年当時の左利きの子供たちを調査した論文「左利きの研究」(原田富士子:1960年、リンク先はPDF)では人前だけでは右手で作業をしたり、矯正の努力をしている姿が垣間見られる。
その当時は右手用の道具が当たり前だったろうから、現代よりも苦労したのではなかろうか。

このように私たちの友人知人の中に、もしくは自分自身が社会的少数派に属していることは決して少なくない。(私にもある。)
そして社会的少数派であることが起因で日常で生活のしづらさを感じていることが周囲に伝われば ― 例えば私の大学時代の友人のように左側に人が来ない席にその友人が望めば最優先で座るとか ― 何かしら周囲も協力できそうだ。これも合理的配慮と言えるのではないだろうか。

どうやら少数派の生活のしづらさの解決を、コミュニケーションを通じてできそうに思えてきた。
さて、次回は自然界の中でのマイノリティは不利なのか?考えてみたい。

(次回「自分の思う"マイノリティ"という位置づけは正しいのか_後編」へ続きます)

ヘッダー写真 撮影地 ニュージーランド ワナカ ©moya

最後までご覧いただきありがとうございます! 現在放送大学でPDFのアクセシビリティを卒業研究中。noteはそのメモを兼ねてます。ヘッダー写真はnzで私が撮影しました。 【ご寄付のお願い】有料noteの売上やサポートはnzクライストチャーチ地震の復興支援に使わせて頂いております。