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アメリカ ルート66を巡る旅 01 シカゴ

アメリカを東西に横断する大動脈、「ルート66」。この名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。あるいはアメリカ文学の傑作「怒りの葡萄」や映画「カーズ」、ドラマ「ルート66」、ジャズの定番「ルート66」などから、この道をイメージする方もいるかもしれません。

私は1995年から現在に至るまで、今は廃道となった旧ルート66を複数回、実際に走ってみて、さまざまな体験をし、感動し、人生の喜びを感じることができました。初めてのルート66の旅では、全行程を紹介する書籍やガイドを探しても意外と少なく、英語の州毎に発行されているガイドやネットの情報を拾いながら、なんとかシカゴからサンタモニカまでを走破しました。その後もルート66を走った時に頂いた冊子や住民からの情報をつなぎ合わせてルート66を旅してきました。
この記事では、始発点であるシカゴから終点のサンタモニカまで、私が自分の力で集めた情報を元に東から西に向かってルート66の魅力を記していきます。実際にルート66を走ってみようと思う方々への旅の手助けになればと思います。


ルート66について

ルート66とはどんな道なのかご存知の方も多いと思いますが、簡単におさらいします。1923年に、モータリゼーションの盛り上がりと共にアメリカ全土に国道を張り巡らそうという活動がはじまりました。セントルイスからスプリングフィールドにあった道を東西に拡張することでできた道路は、イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまで東西3,755kmを走る国道66号線(ルート66)として1926年に認定されました。
アメリカを横断するこのルート66は、60年という長きに渡りアメリカ史に影響を与えましたが、高速道路の発展により次第に衰退していきます。そして1985年にその役目を終えました。
その後、1990年代に古き良きアメリカが取り残されたルート66の町を復興するという運動が起こり、時代に取り残されたこの国道が次第に観光客に注目されていきます。現在では、ルート66が通る8つの州にルート66協会が設立され、今も残る古き良きアメリカの田舎町を保存する活動をしています。この道を旅する観光客は年々増加傾向にありますが、実際にルート66を完全走破できるわけではなく、ある場所は高速道路に塗りつぶされ、ルート上のある町はゴーストタウンになって廃墟と化していたりします。観光客は、切れ切れになって残るこの旧道をかつての地図に頼って辿っているのです。
そして、全ルートを走り切るには、早くて5日、ゆっくり見て回ると1ヶ月くらいかかる長い道のりです。

小説「怒りの葡萄」では、砂嵐で農業を続けられなくなった貧困層が、西海岸の幸せな生活を夢見てルート66を西に向かいました。この小説の始まりはアーカンソー州あたりです。セントルイスからは、ルート66を通りながら人のいない荒れ果てた土地を西に向かうのです。
その手前、起点のシカゴからセントルイスまでは、人々が住み、農業が行われていて、延々と麦畑が続きます。夏から秋にかけては麦の穂が揺れてとても美しいアメリカの田舎の景色を楽しめます。そう、ルート66は、セントルイスの東と西で景色が異なります。この辺りの歴史も追って説明していこうと思います。

このシリーズでは、多くのアメリカ人が西を目指して旅をしたように、東端のシカゴから西端のサンタモニカに向かいます。

ルート66の旅、スタート

それでは、ルート66の旅に出かけましょう!
今回は起点の街・シカゴをルート66沿いに走りながら、シカゴ郊外のウィローブルックまで走ってみましょう。
アメリカには時差があります。ルート66では、中部時間帯(CTZ, Central Time Zone)、山岳時間帯(MTZ, Mountain Time Zone)、太平洋時間帯(PTZ, Pasific Time Zone)という3つの時間帯を通るので2回時計の時間を変更することになります。シカゴからテキサス州までは中部時間帯ですので、テキサスまでは同じ時間です。テキサス州を終えニューメキシコ州に入ると時間は1時間巻き戻ります。

Chicago

シカゴは現在、アメリカ第3の都市として繁栄しています。五大湖のひとつであるミシガン湖畔に位置していて、アメリカの農産物、工業、交通の要として発展してきました。そしてアメリカで初めて摩天楼が作られ、町は発展しました。そしてシカゴ・マフィアが暗躍した時代もありました。

日本からはシカゴに直行便が出ているのですが、シカゴ便に乗るお客さんの多くはシカゴ・オヘア空港でトランジットして、アメリカの他の都市に行ってしまうので、シカゴ自体を訪れる日本人観光客はニューヨークやロサンゼルスと比べると少ないです。でも、シカゴピザを食べたりシカゴ博物館を見たり、ホワイトソックスの試合を見たり、建築を見学したりと観光都市としても多彩な面を持っている町です。

ルート66の起点

ルート66はアメリカ交通の要であるシカゴを出発点としています。
ルート66の起点は、East Adams St.とMichigan Ave.の交差点にあります。この地には「RT66 Begin」と記された道路標識があるのでわかりやすいです。かつてMichigan Ave.より東はミシガン湖でした。現在は埋め立てられてミレニアム・パークやシカゴ美術がある公園になっていますが、かつてはアメリカを貫くルート66が正に始まる場所だったのです。
現在は、この辺りには多くの観光スポットがありますが、道路ができた頃は、まさにダウンタウンの東端。目の前には巨大なミシガン湖が広がっていました。イリノイ州南部、カンザス州で取れた作物は陸路ルート66北上し、ここシカゴに運ばれて加工され消費されていたのです。裏を見ると「End」と表記されています。湖の方からルート66の看板を見ると「Begin」と記されており、ルート66ができた当時は、ここから人生の再起をかけてスタートする人、アメリカ中西部から仕事を求めシカゴにやってきた人が、この看板を見たのだと思います。

✳︎看板はよく盗難されるそうで、今掲げられている看板は当時のものとは異なります。また盗難直後だと、看板がない可能性もあります。

E. Adams Stは西向きに1方通行となっています。ルート66をこれから旅する人にはピッタリです。では、早速西に向かって走りましょう。スタートしてからしばらくはシカゴのループ地区を横切ります。この辺りはシカゴの古い街並みが残っていて、アメリカ初の摩天楼の面影が残っています。ループと呼ばれる高架鉄道もシカゴらしさを演出しています。
この地区ではかつてアル・カポネ率いるシカゴ・アウトフィッターが根城にしていたので、ギャング映画で見た景色です。現在もマフィアが集っていたナイトクラブやステーキ店が営業を続けていたりして、そういった店に行くと「アンタッチャブル」の世界を感じることができます。

スタート地点から2ブロック行くと、ストリート名がWest Adams St.に変わります。そして、シカゴ川を渡ります。このあたりには建築の町・シカゴを代表する建物がたくさん見えてきます。橋を渡る手前、南側には、長らくアメリカで1番高いビルだったシアーズ・タワー。現座はウィリス・タワーと名称が変わっています。
橋を渡った川の北側には、有名な150 North Riversideビル、南側にはユニオン・ステーションが見えます。
ユニオン・ステーションは、アメリカ鉄道の起点となっている駅です。アメリカ全土の鉄道網が載っている地図を見ると、道路網と同様にここユニオン・ステーションを中心に自転車のスポークのように各都市が繋がっていることが分かります。ここからは、ボストン、ニューヨークなどの東海岸、ニューオリンズなどアメリカ南部、シカゴやサンフランシスコなど西海岸の街々と線路で結ばれています。
ルート66と並行しても鉄道は存在し、アムトラックのサウスウエスト・チーフ号が走っています。
駅は重厚な石造で建築を見るだけでも見事です。映画「アンタッチャブル」の有名な階段のシーンはこの駅で撮影されました。

<Lou Mitchell’s>
ルート66を観光する人に人気のあるダイナーがLou Mitchell’sです。ここは、アメリカらしいダイナーで朝早くから営業しています。
ダイナーとは、アメリカの庶民的な食堂です。パンケーキやピザ、サラダなどのアメリカ料理を食べることができ、アメリカらしさを感じられます。このレストランには気さくな定員さんが多く、地元の常連さんだけでなく我々観光客にも話かけてくれます。ルート66を旅してると話すとガイド本をくれたりアドバイスをしてくれたりしますので、是非積極的にコミュニケーションを試みてください。味は美味しく量も多いですので、注文しすぎない方がいいと思います。朝はコーヒーとスクイーズ・オレンジジュースを忘れずに!

<Lou Malnati’s Pizzeria>
シカゴピザ発祥のダイナーです。シカゴピザは、厚く小さく、一般的なナポリピザともアメリカのピザとも違うのですが、これが美味しいのです。深い底のフライパンにピザの生地をしき、具を乗せます。そしてチーズをたっぷりと乗せてオーブンで焼くのです。この不思議なピザは、この店で考案され代々、家族がそのレシピを維持しています。いつも混んでいますが、シカゴに行ったのですから是非食べて見ることをお勧めします。
このシカゴピザ、最近は日本のレストランでも目にしますが、見た目は似ていても味が全然違います。日本でシカゴピザを食べて美味しくないと思わないでください。本物は生地も含め大変美味しく地元のビールと共に楽しめるのです。

ルート66を旅する観光客は、各街でダイナーに入る機会があると思います。ダイナーは個人経営なので、その街らしさを感じられるのでおすすめです。特に朝食が美味しいです。パンケーキや卵料理、ソーセージ、ハッシュブラウンなど、量が多いのですが満足できます。このダイナー、アメリカでは徐々に数を減らしています。世界規模のチェーン店の台頭で個人で経営しているダイナーの経営が立ち行かなくなっているのだそう。ただルート66沿いにはまだまだ元気なダイナーが多く点在しています。今後もルート66にある名物ダイナーを紹介していきますのでお楽しみに。

Historic U.S.66
West Adams St.を西に向かうとHistoric U.S.66という表示が出てきます。Histric U.S.66の正式名はOgden Ave.です。この標識に従い左折します。ここからInterstate55に乗るまでしばらくはHistric U.S.66をひた走ります。
段々と大都市を抜け、郊外の景色になってきます。イリノイ大学病院、FBIシカゴ支局を左に見ながら進むと同じく左に大きな鉄道の操車場が見えてきます。ユニオン・ステーションを出発する鉄道がここで分岐されアメリカ各地に向かいます。同様にアメリカ各地から到着した穀物などが入ったコンテナがここで行き先別に選別されるのです。車を止めてひっきりなしに到着や出発をする鉄道車両を見ているとアメリカの規模の大きさを実感すると同時に、それぞれの車両に乗る様々な人々のドラマを想像してしまします。
操車場をあとにすると、ルート66は、段々と寂しい倉庫地帯に入っていきます。

Cicero

シカゴの大都会を後方に見ながらU.S.66を走るとCiceroという街に辿り着きす。付近は倉庫地帯で裕福とは程遠い寂れた町です。ここはマフィアのボス、アル・カポネが牛耳っていた町で、彼はここからシカゴ南部にテリトリーを広げ、やがてシカゴ全体を支配するのです。カポネのお膝元は今でも治安が良くないのですが、ここを通ると今でもカポネが若い頃ここで自分の組織を作り上げたんだな、と感じることができます。
現在、この地区は麻薬の温床となっているので、車を降りて観光する場所ではありません。昼間に車で通り抜けるのには問題がありませんが、夜間この地に行くのはお勧めできません。

<Henry's>
アル・カポネが支配していたシセロにあるホットドック店。シカゴから伸びるHistric U.S.66(Ogden Ave.)の道沿いに店はあります。特徴的なサインがあるので見落とすことはないと思います。ここのホットドックは面白く、なんとパンにソーセージとフレンチ・フライが挟まっているのです。ちょっと食べにくいですが独特の味は忘れられません。
この店にも人懐っこい店員さんがいました。私たちはオープン時間より少し早く到着してしまいましたが、店の中からもう少し待ってくれという合図が。すると大急ぎで準備を始め店をオープンしてくれました。結局オープン時間は、通常通りだったのですが、客が来なかったらもっとゆっくりと準備をしていたのでしょう。そんな適当な営業時間のお店です。味は大味で巨大なホットドックですが、どこか懐かしい味でした。

Historic U.S.66
Ciceroの街を超えるとルート66は無くなってしまいますので、ちょっと気をつけてください。Histroic U.S.66(Ogden Ave.)を進むと43号線と交差します。ここを左折し南下します。そして直ぐ公園に沿ってJoliet Rd.を右折です。ここにもHistric U.S.66という看板があるので安心してください。
この先、Jolietという街までは、本来はルート66が真っ直ぐに走っているのですが、廃道となりこの辺りでルート66は途絶えてしまいます。実はルート66は残っているのですが、車では走ることができません。Joliet Rd.は55th Street.と名称が変わります。55th St.が45号線と交差したら45号線を左に南下します。するとまたJoliet Rd.があるので、そこを右折しJoliet Rd.に戻ることができるのです。その後、Histric U.S.66(Joliet Rd.)を走ると、今度は巨大な高速道路のジャンクションとぶつかります。かつてはここを真っ直ぐにJoliet Rd.が走っていたのですが、ここは迂回をする必要があります。Wolf Rd.を左折し南下してから83rd St.を右折(西へ)、83号線に乗るというちょっと複雑なルートをたどります。面倒なら高速55号線(West)から83(South)に乗ってしまうと早いです。
このようにもともとは真っ直ぐに走っていたルート66は、新たにできた公園や高速道路に分断されたり廃道になっていたり、歩行者専用道路になっていたりします。我々ルート66を辿る観光客は、分断された部分を乗り越えこの先も旅していくことになります。

<Dell Rhea’s Chicken Basket>
ルート66が分断される場所に昔から観光客に愛されているダイナーがありますので紹介しましょう。ルート66はWillowbrookという町に出ます。しかしルート66は、上記のようにこのあたりで州間高速に塗り潰されてしまいます。この直前、ジャンクションの手前に、今もポツンと残る地元の味を維持しているレストラン。店には暖炉があり、暖かい炎が見えます。そんな温かい雰囲気の店で自家製のチキンをいただくのです。この店でチキンを丁寧に調理して作ってくれる料理は、心がこもっておりなんだか懐かしくなります。残念なのは、ここはかつての主要道沿いにあったはずなのに、今はたどり着くのにかなり複雑な道を走らなければ行けないことです。運悪いことに旧ルート66が途切れる場所とインターチェンジの場所が重なっているため、店は見えるのですが迂回をしないと近づけないのです。こんな辺鄙な場所でよく営業を続けているなあと思いますが、きっと地元の住人とルート66を旅する人が通いつめているのでしょう。いつまでもここにあってほしいレストランです。

そしてイリノイ州へ

今回はルート66のスタート地点からシカゴの街と郊外を紹介しました。ここからはいよいよルート66の大陸横断が始まります。次回はイリノイ州を南下してリンカーン大統領の生まれ故郷や麦畑の広がるアメリカの田舎を紹介していきます。

*コラム*

何年か前、私は1冊の本に出会います。「ルート66をゆく アメリカの「保守」を訪ねて」(松尾理也著)というルート66を扱った新書です。タイトルに惹かれて何気なく購入したこの本には、とても興味深いことが書かれていました。最近話題になるアメリカの保守層は、ルート66が走る中西部に固まっています。私はアメリカの田舎者が、進歩的な考え方についてこられないだけだと思っていたのですが、近年のアメリカ大統領選挙や進化論否定論議などのニュースを見ていると、保守層が米国国民の半数、もしかしたらそれ以上いるのではないかと思えるようになってきました。何故、それほどまでに保守的な人々がアメリカにおおいのか訳が分からなかったのですが、この本を読むととてもわかりやすく理由が書いてあったのです。それは分断ではなく、生きるための考え方の違いです。詳しくは本を読んで欲しいのですが、このアメリカ保守の王国を貫いているルート66にまた興味を抱いてしまいました。子供の頃から気になっていたルート66を多面的に見て、日本には入ってこないアメリカ保守の地である中西部という場所を旅してみて、事実を知りたい、そんな動機でルート66を何度も走ってみました。そこには心優しい人々、美しい景色、様々な考え、美味しい食べ物があり、豊かな文化が育まれていました。彼らは対立すべき人々ではないのです。
皆さんも日本のニュースやネットからの情報に頼らず、自分自身でルート66を走ってみてください。そこには私たちの知らない世界、我々こそが間違って認識していた人々がありました。

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