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「ルーカス!」

 4年の新学期、オレのクラスに隣町からブラジル人のルーカスが転校してきた。サッカーが一番うまいと思ってるオレは、体育の時間や休み時間にサッカーをしようとしないルーカスが気になってしかたがない。ある日オレとルーカスが公園で子どもたちとサッカーをすることになった時、オレはルーカスのすごいテクニックを見せつけられた・・・。心に秘めた思いを抱えながら、出会い、ぶつかり、次第に気持ちを通わせていく少年二人。約束を交わしたサッカーで光る、汗と涙と友情の物語。


      1

 あたりのさくらは満開で、たくさんの花びらが風にまい散っている三月最後の日曜日、夕方のスーパーは買い物客でとてもこんでいた。バラ、ロース、ヒレ・・・。肉にもいろいろあるんだと思いながら、健人はガラスの向こうにそれぞれこんもりとなっている肉のかたまりを見ていた。
 「よし、健人。肉はうまいところをゲットしたぞ。あとは、とうふにしらたき、ネギだ!」
健人の頭の上で、肉の包みを持った父、淳一郎が声をあげた。
肉をカゴに入れて歩き出しながら健人が淳一郎に聞いた。
「ね、グツグツしてる?」
「なんだ、グツグツって?」
「お父さんの頭の中で、スキヤキが、グツグツしてる?」
「おー、そうか!してるしてる、湯気とおいしいにおいで、グツグツしてるぞ!」
 わらった口のまわりにそっていないヒゲが黒くぷつぷつしてる淳一郎は医者だ。せん門は内科で、市のそう合病院につとめている。淳一郎は本当に仕事にいっしょうけんめいで、いろんな人の病気をなおそうと働いている。おかげで月曜から金曜、時々土曜まで、健人はほとんど淳一郎と話をすることができない。顔をあわせることだってない日があったりもする。だから健人も淳一郎も、日曜日はよほどのことがないかぎり、おたがいいっしょにいようと思っている。この夕食の買い出しもそうだ。
「とうふは、もめんか、やきか・・・。やきどうふでいいよな」
「あとはお父さんにまかせるよ。おれ、お菓子見てくる」
「ああ、分かった。買いたいものあったら言って」
健人は下にならべれたとうふを選んでる淳一郎にカゴをわたし、お菓子コーナーへとむかった。
 健人が食べたいお菓子は決まっていた。それはバナナとかメロンとか5種類くらいの味が入っているグミ。このグミはグミどうし組み合わせて形が星になるものがあって、二つの味をいっしょに食べるとちがう味になって楽しめる。
 健人がたなにならんだお菓子からそのお目あてのグミを見つけ、手にとって行こうとすると、コーナーの一番向こうの方に小さな女の子が立っているのが目に入った。赤いTシャツにデニム、後ろで結んだかみはせなかまである。手にしているのはフクロものがつながったパックで、女の子はそれをじっと見ていた。
 ふと、女の子がこっちを見た。黒い目がとても大きい。ブラジルの子だと健人は思った。
 健人の住む日進市のとなりの豊田市は、ブラジル人がとても多い。豊田市には車を作る大きな工場がいくつもあって、そこで働くために多くのブラジル人が家族で豊田市に来て住んでいるからだった。でも日進市の方にはブラジル人がほとんどいないから、小さな女の子はここにいるだけで目立つ。
 女の子はつるされたものから手をはなしたかと思うと、通路を左の方にかけていってしまった。
 健人はグミを手にしてから通路に出てみたが、女の子はいなかった。健人は女の子が見ていたフクロものに目をやった。それにはボーロ、あげせん、コーンにラムネといろいろあって、女の子がどれを手にとったのかまではわからなかった。

 

 オーブントースターからパンを取り出した淳一郎が大声で健人を呼んだ。
「健人、おくれるぞ!」
部屋から飛び出してきた健人はテーブルの上の食パンを一枚取って口にくわえた。
「ちゃんと食べていかないと!」
「おううり(もうムリ)!」
「何言ってんだ、それじゃ頭も体も動かないぞ!」
「じあんあいし(時間ないし)!」
健人はランドセルをせおった左手でネグセがついて立ったかみにこん色の校ぼうをかぶり、口からパンをはなして言った。
「お父さんもおくれるよ!」
「いや、おれはおくれるわけにはいかないんだ。今朝も待ってる人がたくさんいる」
「おれだって今日初日!」
「おう、かんばれよ!」
 健人はものすごい足音を立ててろうかを走り、げん関でズックをつっかけてドアを開け、外へ飛び出していった。

 日進小4年2組の黒板には、進級おめでとう〟という文字が白と赤のチョークで大きく書かれていた。その前に立つクリーム色のジャケットを着た女の先生、中村先生は、その高くてきれいな声で、出席ぼと生徒一人一人の顔を見合わせながら名前をよんでいた。
「吉田健人くん」
「はい」
「また、よろしくね」
笑顔の中村先生に、健人はほんの少しだけ頭を下げた。
 健人のみょう字、吉田の順番はたいてい出席ぼの最後かその前くらいになる。新しいクラスでもやっぱり最後になった。新しいといっても、三年からクラスがえはなくそのまま上がっていて、担任も中村先生のままだった。中村先生はとてもやさしい先生で、なにが起きてもめったにおこらない。おこってもまったくこわくないのが問題といえば問題の先生だ。健人は先生の高い声が頭にきんきんとひびくときがあるくらいで、別にきらいではない。きらいな先生は他にいる。
 中村先生は健人で最後の名前の読み上げが終わっても、まだ黒い出席ぼをとじなかった。
「えー、もう一人、今日からこのクラスに新しい友だちが入ります。ルーカスくん」
中村先生によばれた、さっきから黒板の横のすみの方に立っていた明らかに日本人じゃない男の子が一歩二歩前に出た。みんな見て見ぬふりをしていたが、中村先生がよんだので、いっせいに男の子に注目した。先生は自分とせが同じくらいの男の子を見ながら、あらためて名前を読んだ。
「ルーカス・シウバ・オリベイラくんです。ルーカスくん、みんなにあいさつしてください」
 教室はいきなりざわついた。ルーカス?ルーカス、何だって?何人だ?アメリカ人?ブラジルじゃねーの?しっかし、せが高いな!かっこよくない?イケメンじゃない!
 みんないっせいに横やうしろを向いて顔を見合わせ、目の前の日本人じゃない男の子について思いついたままを口にし出した。
 ルーカスなんとかとよばれた子は、まき毛の黒い髪が首までのびていて、目は茶色くて少したれ目、鼻すじがすっと通っている。白と赤の横じまのTシャツにジーンズをはいていて、せが高く手足も長い。5年か、いや6年に見えてもおかしくない。健人はじろじろ見続けるのはよくないと思い、まどの外に目をむけた。
 するとルーカスが、ざわついてるみんなにかまわず、あいさつをした。
「ルーカスです。よろしくお願いします」
つっ立ったままぼそっとした声で言ったルーカスに、あいさつなんだから頭くらいさげろと健人は思った。
「ルーカス・シウバ・オリベイラくん、お国は、南米のブラジルです」
 やっぱ、ブラジルだ!ブラジル人ならサッカーうまいんじゃないの、グランパスのジョーか?なわけないだろ!男の子たちから声が上がった。
「フルネームではちょっと長いので、ルーカスくん、でいいそうです。ね、ルーカスくん」
ルーカスは先生の言葉に何も言わず、だまっていた。
「じゃあ、ルーカスくん。あのまどがわの一番後ろの友だちの横、あそこのあいている席にすわってください。健人くん、ルーカスくんをよろしくね」
「え」
 ブラジル人ならサッカーがうまい、と言うことばが気になっていた健人は、とつぜん自分の名前がよばれたことにおどろいた。そして教室を見まわすと、席があいているのは健人の横だけだった。
 ルーカスは先生にうながされて健人の席まで歩き、体をおるようにして健人の横にすわった。
 健人はルーカスを見上げる感じになって言った。
「おれ、吉田健人。よろしく」
ルーカスは健人をちらりと見てあごを引いただけで、なにも言わなかった。
「わたし、水野加奈って言います。よろしくね」
前の席からいきなりふりむいてきた水野加奈が、ルーカスにあいさつした。ルーカスは少しだけうなずいて何も言わなかった。
「なんだよ、加奈。おれとかわって、ここにくれば」
健人が加奈に言うと、加奈はあごのところでそろっているかみを横にふった。
「ダメだよ、先生が健人のとなりって決めたんだから」
「決めてなけりゃ、すわりたいってことか」
「なに言ってんの!」
加奈はマユをしかめて前に向きなおった。
 健人はふん、と鼻をならしてルーカスに聞いた。
「どこの小学校から来た?」
「・・・保見西」
ルーカスが健人に初めて口を開いた。ブラジルだから、やっぱりかと健人は思った。保見はここ日進市のとなりの豊田市の町で、そこにはブラジル人がおおぜい住んでいる。でも日進市にはブラジル人はほとんどいない。
 健人はそのあとのルーカスのことばを待ったが、ルーカスは口を開かなかった。健人はしかたなくまた聞いた。
「なんで、こっちに来た?」
ルーカスはだまったまま、何も答えなかった。
 「はーい、それじゃみなさん、新しいクラスのルールです・・・」
中村先生が高い声をあげて話し始めた。
 ルーカスとの話は、こっちからのたったふたつのしつ問と、ルーカスのぶっきらぼうな答えがひとつかえってきただけで終わった。


      2

 次の日、じゅ業は朝からふつうに始まった。健人はま新しい国語の教科書を開く。めくったページの紙のにおいを鼻で感じながら、また勉強の毎日が続くのかと思い、健人はため息をついた。
 中村先生の高い声が教室にひびいた。
「えー、今日からこのお話を読んでいきます。その前にある〝はじめに〟というところを読んでください。それじゃあ、さっそくルーカスくん、読んでください」
ルーカスは教科書を持ってのそっと立ち上がったが、 口は開かなかった。
 先生が最初のことばを読んだ。
「登場人物の」
「とうじょう・・・」
ルーカスは先生の読んだ通りに読もうとしたが、すぐにとまった」
「人物の」
先生が読んだ後をルーカスがおって読んだ。
「じんぶつの・・・」
しかし、その後は続かなかったので、先生が読んだ。
「行動や・・・、その次の字もむずかしいですか。それは、様子、ようすです」
「・・・」
「気持ちをあらわす言葉や・・・、ルーカス君、漢字、むずかしいですか?」
ルーカスを見かねて、加奈が手をあげた。
「先生」
先生は加奈を指して言った。
「じゃあ、水野さん、読んでください」
「登場人物の行動や様子、気持ちをあらわす言葉や・・・」
加奈はスラスラと〝はじめに〟の文を読み終わった。
 「加奈さん、ありがとう。ルーカスくん、漢字だけど、これから読めるように練習していきましょうね」
先生は加奈に言ったあと、ルーカスに目をうつして、やさしく言った。ルーカスは教科書に目を落としてだまっていた。
 4時間目は体育で、みんな校庭のグラウンドに出て、整列とはいえないならび方で、スポーツがりの岸本先生を前に集まっていた。
「まあ、今日は初日だし、体ならしにサッカーでもするか」
先生がこしに手を当てて言った。
「先生、初日はきのうでした」
誰かが言うと先生は低くて太い声で言った。
「うるさい。体育のじゅ業は今日が初日だ。君たちとは初めてだが、今日からこの岸本が体育を教えるから」
「こわー」
また誰かが言った。
「その通りだ」
先生はうでを組み、太いまゆをあげてニヤリと笑った。
「先生、女子もいっしょですか」
すぐに男子からしつ問が出た。
「あたりまえだ。女子もいっしょ、世の中男女平等。だから男子は考えて、やれ」
「えーっ、女子うざいー!」
「やだー!」
男子からの声に、女子からも不満の声があがった。
「先生!先生が考えて、と言っているのに、考えない男子が多すぎます」
加奈が、ふてくされている健人を見て言うと、岸本先生は少し口のはしをあげて言った。
「まあ、そうだな。じゃあ、女子の方も、考えてやるように」
「えーっ!」
女子がいっせいに声をあげた。
 生徒は男子女子全員で一列にならび、2ばんめ、4ばんめ、6ばんめとぐう数の子は左に出て、残ったき数の生徒と二列になった。健人と加奈はぐう数のチームになった。
「はい、こっちがぐう数、赤チーム、こっちがき数の青チーム。はい、わかれてわかれて!」
 それぞれのチームで男子は女子と対面パスをするようにと先生の指示がでると、男子がまたいっせいにブツブツもんくを言ったが、歩き回る岸本先生のまゆをしかめたこわい顔に、みんなしたがうしかなかった。

 「ヘイ、こっち!」
健人のサッカーのうまさはみんながみとめるところだった。健人は、パスをもらっていきなりドリブルで男の子を三人ぬきをしてゴールにせまった。右サイドにルーカスが立っているのが見えた。
 ブラジル人ならサッカーがうまいのか?健人はルーカスがどれくらいできるのかためそうと、ルーカスめがけて強いボールをけり出して、ゴールに向かって走り出した。ボールはルーカスにまっすぐ向かったが、ルーカスのすぐ前をだれかが横切った。ルーカスが見えなくなったと思ったしゅんかん、ボールがはね返って出てきて、走る健人の前の方にころがってきた。
 いい、タイミングだ!健人はボールに走りこみ、そのまま右足でシュートした!キーパーの子は動けず、ボールはゴールの左すみに決まった。
「ゴール!」
「健人、すごい!」
「さすが、健人!」
みんなはゴールを決めた健人に声をあげた。
 健人はルーカスをちらりと見たが、ルーカスはさっきからそこに立っているだけだった。
 ぐう然か、それとも・・・。前を横切ったやつがいたせいでよく見えなかったが、健人の前に来たボールは、シュートをするのに最高のタイミングのパスになった。
 健人はまたルーカスを見た。ルーカスは、校しゃの方を見て、ただ立っているだけだった。

 「とぉーっ!」
健人が歩道の小さな石をけってさけんだ。石は車が走っていない車道をななめによぎってころがっていった。
「やめなさいよ!」
健人の横を歩く加奈がみけんにシワをよせて言った。健人は加奈の注意をムシして大声で言った。
「しっかし、学校初日から塾って、どうなんだ?」
「どうなんだって、今日は塾があるんだから、行くの」
「そんなに勉強して、どうなんだ」
「勉強しなけりゃならないんだから、するの」
「すげえな、加奈は」
「すごくないよ。どうなんだとか言って、けっきょく、健人だって勉強してるじゃない」
「おれは、サッカーがしたいから。勉強しないと、サッカーやらせてもらえないから・・・」
もう一度小石をけろうとする健人に加奈がきつく言った。
「やめて」
健人は小石をズックに当てず、からぶりをしてみせた。
「そういえば・・・。ルーカスくん、体育の時サッカーぜんぜん参加しなかったよね」
「ああ、ルーカスね」
「ルーカスくん、ブラジル人だけど、サッカーがすごくうまいってわけじゃないのかな」
健人は、いっしゅん、あのときのあのパスのことを話そうかとも思ったが、すぐに、加奈に言ってもしょうがないと思ってだまっていた。
 「ね、サッカーでブラジルは世界何位?」
加奈はブラジルのことを健人に聞いた。
「今、3位、かな」
「そう。で、日本は?」
健人は日本の順位を知ってはいたが、レベルのちがいを言うようで、答えるのをやめた。
「信号、変わるぞ」
健人は信号に目をやり横断歩道をわたろうと、ランドセルのかたベルトをにぎって走り出した。
「え、ちょっと、待ってよ」
加奈もあわてて手にしていたバッグをむねにかかえて、健人の後をおった。

 「陽ちゃん、あのさ」
健人は、キッチンで夕食のしたくをしている陽ちゃんに声をかけた。
「こんど転校してきた、ルーカスってやつなんだけどさ」
「ルーカス?ルーカスといえば、ジョージ・ルーカス!スター・ウオーズじゃない!」
陽ちゃんがいきなり、♪ダダダ、ダン、ダーン!と曲を口ずさんだ。
「何それ、わかんないけど」
 今年64才になるけどまだまだおばあちゃんには見えない陽ちゃんが、太い体をかるくひねり、健人に顔を向けて言った。
「え、スター・ウオーズ知らないの?今時のわかいもんと来たら」
「わかいもんじゃないよ、おれは子どもだよ」
「そっか。小学4年の9才じゃ、スター・ウオーズ知らないか」
 陽ちゃんこと田川陽子さんは、健人が通っていた保育園の副園長だった。その時陽ちゃんは健人のお母さんと親しくしていたが、健人のお母さんは健人が3才の時病気でなくなった。その後、陽ちゃんが定年になり仕事をやめた後、お父さんがぜひ、とたのみこんで、健人が小学校にあがる時から週2、3回夕食作りに来てもらっている。
 陽ちゃんは健人との長年のつきあいで気心が知れていて、健人のいい話し相手になってくれる数少ないおとなのひとりだ。
 陽ちゃんはオレンジ色のエプロンで手をふきながら健人に聞いた。
「で、何人なの、ルーカスくんは」
「ブラジル人」
「へー、ブラジル人!そりゃ、サッカーがうまいんじゃない?」
「いや・・・」
「そう、ブラジル人ならみんなうまいってわけ、ないか」
「いや・・・」
「なによ」
「いや・・・」
いや、しか言わない健人に、陽ちゃんがつっこんだ。
「なんなの?健人くんが答えないってことは、答えるのがいやだから?それはすなわち、その子が健人くんよりうまいってこと?」
「いや、わからない。体育の時間にちょっとやっただけだから」
「ちょっとやれば、わかるんじゃないの」
「わからないよ。わかるはずがない。まあでも・・・」
「なんか、うまそうだって、感じ?」
「ああ、いや・・・、っていうか」
「ていうか、健人くん」
田川さんが健人の顔を見て言った。
「もし、その子ができるとか、うまいとか感じたら、すなおにその子をみとめるってことって大事だよ。リスペクトってやつ。ツッパって、自分の方がうまいのになんて思っちゃだめ。ねえ、健人くんももう4年なんだから・・・」
陽ちゃんのせっきょうが始まりそうになって、健人は話を変えた。
「そうだよ、おれは4年になったから、ぜってートレセンに入る!」
「トレセン?トレセンって、トレーニングセンターのこと?」
「そうだけど、サッカーがちょーうまいやつが、選ばれて行くところ」
「そうか、トレセンはしょうらいの日本代表につながってるってことだね!それじゃあ健人くんも、ふつうの努力をしてちゃダメ。人の2倍も、3倍も、ものすっごく、がんばらなくっちゃ・・・」
健人はまたせっきょうかと、話を変えた。
「めし、なに?」
「うん?ああ、とり。とりにした!」
「おー、とりのからあげ?やったぜ!」
「ざんねんでした。とりの、チキンソテー!」
「ソテーって、なに?なんでからあげじゃ・・・」
「からあげの味になれない方がいいの。子どもでもヘルシーに行かなくちゃ。あとは、サラダね!ほら、ちょっと、そっちに運んでください、健人おぼっちゃま!」
「なんでからあげじゃないんだ・・・」
健人はブツブツ言いながら、イスから立ち上がった。

 夜、ベッドに入った健人はなかなかねられなかった。お父さんがまだ帰ってきていないが、仕事でおそいのはいつものことで気になってはいない。ねるときに時々思ってしまうお母さんのことでもなかった。
 お母さんがいなくなったのは健人がまだ3才で、いろいろおぼえているとか、思い出がたくさんあるとかいうわけじゃない。でもお母さんはいつもそばにいてくれたという感じがすごく強くて、そのお母さんが今はいないということが、ものすごいさびしさになって健人のむねのおくを暗くすることがある。
 でも今、健人の頭の中からはなれないのはお母さんのことじゃなかった。それは今日の体育のサッカーで健人の足もとに来た、ルーカスからのボールのことだった。
 ゴールへ向かって走る自分の前に、あのボールは、最高のタイミングで来た・・・。
 健人は思い出す。自分がルーカスをためすために強く出したボールは、だれかが横切ってよく見えなかったが、たしかにルーカスの足もとではね返って出たはずだ。それは、ただルーカスの足に当たって、ぐうぜんいいコースのパスになったのか?それとも、ルーカスがゴールに向かって走ったおれの前に出るように、考えて送り出したパスだったのか?
 あの時、ルーカスはボールを止めなかったのはたしかだ。ボールはルーカスの足もとからいきなり角度を変えてころがって来た。つまり、ルーカスはボールをけり出さなかった。じゃあ、足の向きだけで?ボールが当たる足の角度を作っただけで、思う方向にはね返らせたのか?だとしたら、その時のルーカスの足はどっちで、その向きはどうだった?右足のインサイド?それとも、左足の、アウトサイド・・・?
 ルーカスが立っているすがた、だれかが横切って見えなくなったルーカスの足もと。そこから出てきた最高のパス・・・。あの時のことが頭の中にうずまき、健人はふとんを頭からかぶった。


      3

 今日の算数の時間、昨日の国語とはちがう意味で、ルーカスは目立った。
 中村先生が黒板の二つの大きな三角じょうぎを一つずつあてて、みんなに聞いた。
「こっちの三角形、ここ90度。60度、30度。もう一つ、こっちの三角形、ここ90度、ここは同じ角度が二つ。一つは何度?」
「45度!」
みんな手をあげながら、いっせいに声をあげて答えた。
「それではこの二つの三角形を使って、他の角度を作ってみましょう。75度は、どうやって作りますか?」
健人が手も上げずにすぐ答えた。
「その30度に、こっちの45度を合わせると75度が作れます!」
あ、ほんとだ!そうだね!とあちこちから声が聞こえた。
「はい、正解!この30度に、こっちの45度で、75度でした。じゃ15度はどうやって作る?」
「えーっ、15度・・・?」
中村先生の次のしつ問に、みんな静かになった。さすがの健人も、すぐには答えることができなかった。15度・・・。みんな自分で持っている二つの三角じょうぎに目をやったまま、だまりこんだ。
 健人が、こうかな、と思ったその時、横にすわってるルーカスの白と赤のソデがあがっているのに気づいた。先生はルーカスを指した。
「はい、ルーカスくん」
「ここと、ここをを使えば」
ルーカスは自分の持っている二枚の三角じょうぎの45度と30度のところををかさねてみせた。
「え、どういうこと?」
「45度と30度、そのあいだが15度ってことか!」
「おお!」
「ほんとだ!」
かさねた見方がわかった子から声が上がり、その子がまわりにやり方を教えていった。
 みんながたしかめている中、先生が高い声で言った。
「じつは、もう一つあります」
「えーっ、もう一つあるの?」
教室がまたしんとなった。
「ルーカスくん、わかりますか?」
え、と健人がルーカスを見た。
「ここと、ここで」
ルーカスはすぐに三角じょうぎの60度と45度のところをかさねてみせた。
「正かい!60度と45度を重ねる、それで、15度ですね!」
先生の高い声がいちだんと高くなった。でもルーカスの表情は変わらなかった。
「ルーカス、すげえ!」
だれかが声をあげた。
「すごいね、ルーカスくん!」
前にすわってる加奈もふり向いてルーカスをほめた。
 健人は、おもしろくなかった。いつも一番に答えてみんなの注目を集めるのに、今いきなりルーカスに持っていかれた。コイツ、漢字がぜんぜん読めないくせに、算数はよくわかるっていうのか。
 健人は両手に持っていた三角じょうぎをつくえの上にほうり出し、横のルーカスに集まるみんなの目と声をさけるように、まどの方に顔を向けた。

 学校が終わって、健人はサッカークラブ、リトルファルコンの練習グランドに行く。月曜、水曜と今日、一週おきの金曜、そして土曜日がファルコンの練習日だ。
 トレシャツ、パンツに着がえたみんなが、グランドのはじで話したり、じゃれあったり、追いかけごっこをして遊んでいた。
 青のVネックのトレシャツを着たがっしりした体の6年、井出康介が健人に声をかけてきた。
「おう、健人。サッカーはうまくなったか」
「康介くんは?」
「グランパスから、入ってくれませんかってきたぞ」
「おめでとうございます!」
同じ6年で、かみが長くて目にかかってる宮田亮が、康介の首にうでをまわして言った。
「健人さんも調子が良さそうで!」
「亮くんのおかげです!」
ノリで返した健人は、6年の中でこの二人だけはサッカーがうまいとみとめていた。
 新入りの1年生6人がコーチにつれられてやってきた。みんな体が小さくて、着てるものがブカブカだ。
「おれたちも、あんな時があったんだ」
 健人の横に来た、バルサのトレシャツを着たぼうず頭の裕太が、健人の肩に手をかけて言った。
「おたがい、大きくなったねえ!」
 谷川裕太は、学校のクラスは1組で違うけど同じ4年で、保育園の時からいっしょにサッカーをやってきた気心が知れた友だちだ。
 健人はドリブル、裕太はパスと、二人はおたがいのとく意なところをみとめ合っている。ただ健人は3年の後半から、いろんな場面での裕太のはんだんが今ひとつのところがあると感じ始めていた。仲がいいと言ってもそのことを裕太に面とむかって言うのはむずかしく、レベルが上がるこの時になんとかしてつたえようと健人は思っていた。

 せがすごく高いヘッドコーチの加賀さんが、白いキャップのつばに手をやって声をあげた。
「はい、みんな集まって!」
 5、6年のかけ足につられて下の学年も走り、全員が加賀コーチと若いコーチ二人の前に集まった。
「今日から、新しい編成のクラスで練習します。新しく入った1年生と、2年になった子たちがいっしょね。2年生は1年生のめんどうを見てあげてください。それから3年、4年がいっしょ。で、5、6年だ。それぞれ学年が上がったところでやっていきます。レベルも上がるということでそのつもりで。では今から言うそれぞれのレベルコーチのところに分かれて集まりましょう」
 健人の3、4年チームにはヘッドの加賀さんがつくと説明があった。加賀さんの前に集まったのは、健人と裕太、あと他の4人の4年で6人、3年には新入りも何人かいて8人、ぜんぶで14人だ。
 健人は最初から5、6年のレベルに入ってやりたかった。だがクラブで決められたことなので今はしょうがない。健人は、スタートで思い切りがんばってすぐにコーチに実力をみとめてもらい、5、6年のクラスでやらせてほしいと願い出ようと思っていた。
 加賀コーチが話を始めた。
 「さあ、3、4年。このクラスでの大事なことを一つだけ言うよ。このクラスでは、まわりが見えるようになる、っていうことを目標にします。いいですか。まわりが見えるようになるってこと。言葉で言うのはかんたんだけど、やるのはほんとうにむずかしい」
健人は家のドアの上くらいせの高い加賀コーチを見上げて、話をよく聞いた。
「ボールだけを見ない。仲間を見る。相手を見る。そしてまわりは今どうなっているかを見る。次は、どうするか。どういうアクションをおこすか。決めるまで時間はない。でも、決める。ドリブル?パス?シュート?すべてはまわりを考えてやって行く。さあ、みんなできるかな」
「はい!」
みんなが大きな声で返事をした。はなれた左の方の5、6年の集まりからは太い声が、右の方からは1、2年のかん高い声が聞こえてきた。
 健人は、これから自分がめざすのはトレセンなんだ、とあらためて自分に言い聞かせた。
 サッカーを高いレベルでやっていくには、トレセンに入ることが必要だ。それにはまず地区の選ばつテストがあって、合かくすると地区トレセンに入る。その次は県トレセン、全国を9地いきにわけた地いきトレセン、そして全国選ばつのナショナルトレセンへと、せまくけわしい道のりが上をめざして続いている。その先の一番上は、Uー12日本代表で、世界と戦う大きな夢が広がっている。
 でもこのリトルファルコンからは、健人がうまいと思っている康介、亮の6年の二人でもトレセンには選ばれていない。それを考えると夢は夢でしかないかもしれないけど、かのうせいは0ってわけじゃない。健人は自分に気合いを入れるためその場でなんども足をふみこんだ。

 さっそくグランドをドリブルしてまわるアップが始まった。健人は一周目はただ前にボールをけり出す軽いドリブルでまわり、二周目からはボールをまたいだり、横にステップしてボールの上を足うらでころがしたりしながらまわった。裕太もすぐ後ろで健人のやる通りにしてついてきた。
「いいぞ、健人くん、裕太くん!みんなもただドリブルするんじゃなくて、それぞれ自分で工夫してやっていこう!」
 加賀コーチの声がグラウンドにひびいた。健人はそれにこたえるように、ドリブルのスピードを少し上げた。

 ベッドの健人は、また今夜もねむれないでいた。それは今日のクラブの練習のことじゃない。それはまた、ルーカスのことだった。
 健人の頭の中には、ルーカスの白と赤のソデが、何度も何度もくり返し出てきた。自分は最初に出された三角形の問題をだれよりも先に答えた。でもそのあとの問題をルーカスに答えられ、みんなの注目を持っていかれた。自分だって考え方はすぐにわかったのに、これでいいんだよなとちょっと時間をおいてしまい、そこをルーカスに出しぬかれてしまった・・・。
 自分に向いていたみんなの目が、明日からはルーカスにいってしまうかもしれない。それに、もしかしたら、もしかしたら、サッカーでも、そうなってしまうかも・・・。
 不安は大きくなり頭の中をぐるぐるめぐった。健人はねる向きを何度もかえた。

 ガチャ、とげん関のカギが開く音が聞こえた。つくえの時計を見ると10時15分、お父さんがかえってきた。ろうかを歩いてくる足音がドアの前で止まり、ドアが静かに、少しだけ開いた。そこから光がもれて、かげになった顔がのぞいた。
 健人が体をおこした。
「なんだ、おこしちゃったか」
「おかえり」
「仕事が長びいた」
「手じゅつ?」
「それは来週。そのじゅんびとか、他に出さなきゃいけない書類とか、いろいろあってさ」
「そう」
「サッカーはどうだった。レベル、上がったんだろ」
「別に。3、4年だから。5、6年といっしょにやりたかったんだけど、きまりだからむり。今はね」
「まあ、これからだ。明日、土曜日だから、ちょっと見に行くかな。午前中に仕事終わらせて」
「いいよ、そっちの方がむり」
「むりじゃない。見たいんだよ、ほんとうに」
「そう」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみ」
健人が横になるとドアが静かにしまり、部屋は暗くなった。
 健人はふとんを首まで引き上げた。さっきまでの不安が消えて気持ちがおちついた健人は、静かにねむりについた。


      4

 次の日の土曜、練習グランドに、淳一郎は来なかった。
 健人はパス&ゴーの練習をしながら、お父さんはこれからおくれて来るかもしれないと少しだけ思ったが、すぐに、そんなことはあったことがないと思い直した。
 加賀コーチの声がグランドにひびいた。
「ようし、じゃあまず1対1やります!どちらかがボールを取って相手のエリアに入れたら、次は相手が一人ふえて1対2になるよ!次は2対2、その次は2対3と一人ずつえていく!」
 健人は早さををかえるドリブルと、ボールをうまくコントロールして相手をぬくのがとく意だった。左右の足の間でボールを続けて行き来させたり、ボールを大きくまたいだり、足うらでボールを横や前にころがしたりするその足ワザは、クラブのみんなもみとめていた。
 最初の1対1は、3年生相手であっという間に勝って、次は相手に裕太が加わり1対2になった。
 健人の前に裕太がはりつく。
「さあ、健人!おれが取ってやる!」
「取れるもんなら、取ってみろ!」
3年生が一人そばにいるのに、二人はまるで1対1のようだ。健人は右に左にとく意のまたぎでフェイントをしかけるが、裕太はだまされずボールだけを見ている。健人は右足をボールに乗せ止まると見せかけて、いっしゅんでボールを左足の後ろから出し、いきなりダッシュした。
「よっしゃー!」
健人が声をあげてボールをドリブル、エリアに飛びこむと、後ろを追った裕太が止まって両手をヒザにつき、声をあげた。
「チキショー!」

 最後に3、4年いっしょの試合形式で、せめと守りを決めて行う練習が始まった。
 健人と裕太は同じチームに分けられ、もう一人の4年、光太郎とも話して、二人のツートップで行こうと決めた。3年の4人は後ろにつくようにと裕太が言った。
 じゃんけんでボールを取った健人が裕太を見る。
「裕太、行くぞ!」
「オッケーでございましゅる!」
健人の声かけに裕太はこしをふっておどけて答えた。
「ふざけんな!」
そう言いながら健人も4年になってやっとフォワードのポジションにつけて、裕太と同じようにテンションが上がっていた。
 ホイッスルが鳴り、健人の出したボールを裕太はすぐに健人に返し、左サイドに出た。
「さあ、おたがい相手とまわりをよく見て!」
加賀コーチの声がグランドにひびいた。
 二人の前に新入りの3年がそれぞれ一人ずつついてきた。健人はよゆうでその一人を左右のフェイントでかわしドリブルで進もうとするが、すぐに4年の弘也が前に出てきた。弘也もまあまあうまいほうだが、へばるのが早く、ダッシュ練習にはついてこれずに苦労している。
 左サイドでは裕太が新入りの3年をかわし前へ出た。裕太の動きを見て健人は早い横パスを出す。裕太はそのパスを受け、次に出て来た相手3年の純平を、体をターンさせながらするりとかわし前へボールを送り出す。抜かれた純平と3年の新入り二人がすぐに裕太の横に来ると、裕太はバックステップでボールをもどし、右サイドの健人にパスを出した。
 健人は、自分についていた弘也をぬいてボールを受け、ドリブルしながら前の龍之介を目に入れた。龍之介は3年なのに体が大きくてけっこう体力もある。ディフェンスにはもってこいだけど、今の健人にはまったくもってうざいカベだ。
 左サイドの裕太を見ると、純平ともう一人が横についていて、その前にもう一人、3年の直樹がいた。直樹はとにかくすばしっこくて、ボールに食らいつく根性もある。でもボールさばきがまだヘタで、それがうまくなると戦力になると健人は思っている。
 健人は後ろの方でフリーの光太郎にいったんボールをもどした。光太郎は裕太を見たが、へたなパスは直樹に取られると思ったのかボールを止めている。
 健人は、ヘイ!と光太郎をよんだ。そこで健人は、光太郎から出たパスと同時に、裕太、マークをぬけ出しておれのパスを受けろ!と思ったが、裕太は動かない。健人は光太郎のパスを足もとに止めた。
 よし、ここはゴール前の龍之介をなんとかしてシュートを、と思ったその時、龍之介がすごいいきおいで前に出てきた。あせった健人が後ろに目をやると弘也がいるのが分かった。これは、前をぬくしかない!健人はすぐに気持ちをきりかえた。
 健人は右左のフェイントからすばやくボールを右サイドラインに出した。龍之介が前のめりになりながらついてきた。ふさがれる前に!健人は右にたおれこみながらゴールめがけてシュートをけりこんだ。
 しかしそのボールは龍之介のこしの横を通りぬけ、ゴール前でかまえていたキーパー、4年の春馬が楽々とボールをはたき落としてボールをかかえた。
 ピピピ、とホイッスルがなった。加賀コーチがたおれている健人のところへ来て、立つようにうながした。
「健人くん、今のはセンタリングか、シュートか」
センタリング・・・?そんな考えはまったくなかったが、健人は、シュートでした、とはすぐに言えなかった。あそこから打ってもゴールがムリなことは分かっていた健人の頭の中に、考えとはとうてい言えない言いわけがうかんだ。龍之介にあたったり、春馬がはじいたりすれば、と思ったんです・・・。
 加賀コーチが少し間をおいて話し出した。
「あのコーナー手前からではゴールに対して角度がないから、シュートは打っても入らない。でも、入らないのに打ったのが問題じゃないんだ。問題なのは、そこへボールを持っていってしまったことだ」
加賀コーチはまた少し間をおいて言った。
「今年のテーマは何か。それは、まわりを見ること、と言ったね。いいか、健人くん。君のドリブルがうまいのはわかっている。だけど、これからは、ただごういんに持って行くんじゃなくて、よくまわりを見て、次にどうすることが一番のプレイか、ということをよく考えてほしい」
加賀コーチは、今の健人のプレイの問題点を上げた。
「みんなも、いいかな。これは、健人くんの問題だけじゃなくて、みんなの問題なんだ」

 せめと守りの交代で、歩き出した健人に、裕太が声をかけた。
「健人、ドンマイ!次、守るぞ!」
健人は思った。裕太、ドンマイじゃないんだよ。お前はあの時いいところに動かなかったじゃないか。だからおれは、あそこに持っていくしかなくて、それでシュートを・・・。
 だれか、もう一人。サッカーがうまくて、気持ちの通じるやつが、もう一人いれば・・・。
 健人はそう思ったが、すぐに、そんなやつはいないと思い直した。

  

 健人は練習帰りにスーパーによった。ケータイにお父さんからあやまりのメールが入っていて、5時に待ち合わせることになり、それまで時間があるからおかしを買って公園で食べていようと思った。
 健人がおかしのコーナーに行くと、たなの向こうはじに、黄緑のTシャツにむねあてのついたデニムを着た女の子が立っていた。前に見た、女の子だ。
 その女の子の横に、もっと小さな女の子がいた。よく見ると、もっと小さな女の子は、たなのおかしを小さな手でつかみだそうとしていた。女の子はそれを見て、手のひらを向け、首を横にふった。小さな女の子は顔を上げて女の子を見たが、そのままおかしを手にして行こうとした。女の子が小さな女の子の前に立った。すると小さい女の子は、わーん!と声を上げて泣き出した。
 そこに白いセーターにベージュのスカートの女の人がやって来た。
「あら、あやなちゃん、どうしたの」
たぶん泣いている小さな女の子のお母さんだろう。そのお母さんの言葉に、小さな女の子は横に立っている女の子を指差した。お母さんは女の子をにらんだ。
 女の子が首をかしげて小さな女の子を見ると、お母さんが言った。
「やめてちょうだい」
その子のお母さんのひと言に、女の子が大きな目をもっと大きくした。
「小さい子をいじめないで」
これはただ見ているわけにはいかないと思った健人が、かけよった。
「ちがうんです。この子がおかしを手にとって行こうとしたんで、注意したんです」
そこに、通路の方から来る赤いTシャツが目に入った。健人はびっくりして声をあげた。
「ルーカス・・・!?」
「あ、健人・・・?」
ルーカスは健人を見てから、目線を下げてそこに立っている女の子に言った。
「どうした、ルイーザ」

 健人は自転車をおしながら、ルーカスの前を歩く女の子に言った。
「君はルーカスの妹だったんだね」
女の子はふり向き、大きな目で健人を見上げた。
「こっちの町が見たいっていうからつれてきた。ルイーザ、あいさつ」
ルイーザとよばれた女の子は、あいさつじゃなく、少しほほえんで健人にお礼を言った。
「ありがとう」
「ああ、ルイーザちゃん。あれはご解だから、気にしないで。あのお母さん、自分の子どもがまちがったことをしたなんて少しも思っちゃいない。いるよね、ああいう人」
そう言った健人をルイーザはじっと見ているだけだった。
「あ、ごめん。日本語、わかる?」
ルイーザは健人のしつ問に答えないで言った。
「いいよ、別に。わたしのママも、ルイーザはぜーんぜん悪くないって思ってるから」
「日本語OKだね!そっか、ママもそうなんだ」
 先の横断歩道の信号が青に変わった。
「そこわたって、公園に行こう」
健人が言うと、ルイーザは小走りで横断歩道をわたり、道路の向こうの公園に入っていった。

 健人とルーカスはベンチにすわった。ルーカスがジャングルジムで遊ぶルイーザに目をやって言った。
「ルイーザは日本で生まれたんだ」
「日本で、生まれた?」
健人が聞き返した。
「そう。おれたちが日本に来た時、ちょうど生まれた」
「ルイーザちゃん、今、保育園?」
「そう、5才」
「ていうことは、ルーカスは・・・」
「おれは日本に来た時5才。それで保育園に入った」
「そうか。ルーカスは、その時、日本語は?」
「ぜんぜん。コニチハ、だけ」
「話せなかったの?」
「ああ、でも保育園に入って2、3ヶ月もしたら、ふつうの会話はだいたいOKだった」
「すごいな!」
「だけど漢字はだめ。書けない」
「どうして?話せるようになって、漢字を習うのは小学校に入ってからなのに」
「だろ?それなのに書けない。自分でもふしぎだけど、なんでか、わかんない」
「そっか」
健人は国語の時間のルーカスを思い出して、話をかえた。
「どうして日本に来た?」
「パパの仕事で。車の」
「ああ、車か。ブラジル人、多いもんな。みんな車の仕事だ」
健人はまた話をかえた。
「学校は、どうしてこっちに?」
「いろいろあって」
「いろいろって?」
 その時、広場の方からサッカーボールがころがってきた。ルーカスがすわったままジーンズの長い足をのばして、足のうらでボールをぴたりと止めた。見ると1、2年くらいの子どもたち六人がこっちを見ていた。
 ルーカスはベンチから立ち上がり、ボールを軽くけり上げてヒザの上でリフティングを始めた。3回、5回、10回・・・。健人が、やるなと思っていたら、ルーカスはボールをぽんと高く上げて、落ちてくるところを首の後ろで受けとめた。
「すげー!」
見ていた子どもたちから声が上がった。
 ルーカスはボールを地面に落とし、子どもたちに向かってけり返した。ボールを受けとめた子どもの一人が言った。
「ねえ、いっしょにやってよ」
ルーカスはうで組みをして考えこむポーズをした。
「うーん・・・」
「やってよ!」
「ちゃんとお願いされてないから・・・」
ルーカスは首をかしげて言った。子どもたちが大きな声で頭を下げた。
「お願いしまーす!」
「オーケー!」
ルーカスは思いっきり笑顔になって、広場に走り出した。
「よし、4対4にしたいから、もうひとり入れるよ。健人、そっちに入って!」
ルーカスがチーム分けをしながら、手をふって健人をよんだ。
「よおし!こっちは日本代表!」
健人が声をあげて走り出すと、ルーカスがボールをけりあげた。子どもたちが、うわあ、と声をあげながら、青い空にものすごく高く上がったボールを見上げた。
 ルーカスは落ちてきたボールのバウンドするところを足うらで押さえつけ、すぐにみかたの子どもにけり出した。パスを受けた子どもがドリブルで走り出す。すぐに子どもがボールを取りにかけよる。
「持っていけ、持っていけ!」
せりあいでボールは健人のチームの子どもが取り、大きくけり出した。健人がそれを受け、ドリブルで走り出す。
「ゴール前、ゴール前!」
健人が前にいた子どもに指示を飛ばす。健人は走り出したその子にボールをパスして、向こうの方にある植えこみのえん石のあいだ、ゴールにしたところに向かって走り出した。
「さあ、シュートだ!」
健人の声に子どもがけったボールはゴールに向かわず、健人の方にころがってきた。まあいい、ここでシュートだ、と思った健人の前に、いきなりルーカスがあらわれた!いつの間に、と思った健人はあわててボールに足をのばすが、ボールはルーカスの右足のアウトサイドで押し出された。健人ボールをはすぐに取り返そうと体を入れようとするが、ルーカスはすぐにひらりと体を返して健人に向き、バックステップしながら左右の足でピンボールのようにボールをすばやく行ったり来たりさせた。追う健人にルーカスはくるりと体をターンさせ、そのまま大きくボールを向こうにいるみかたの子どもに向けてけり出した。
「行け、行けー!」
 ボールのバウンドにうまく合わせた子どもが、向こうのえん石のあいだのゴールのにシュートをけりこんだ。
「ゴール!」
チームの三人は飛び上がってよろこび、シュートを決めた子どもはルーカスに走りより、飛び上がってハイタッチした。
「しょうがない、次、次!」
そう言って健人はうなだれる日本代表チームの3人のかたをたたいた。
 ボールを広場のセンターに置きながら健人は思った。
やっぱりルーカスは、ただものじゃなかった。
 声を聞いたのか、また数人の子どもがやってきたので、健人とルーカスは、みんなプレイに加わるように声をかけた。
 健人がけり出したボールを受けて、子どもがドリブルしていく。パス、パスというまわりの声も聞かずその子はゴールに向かおうとする。その前にルーカスが立った。
ルーカスはボールを取るふりをして、その子のドリブルが右に左に出ていかないように、後ろへ、バックステップでさがっていく。最後、子どもがけったシュートに、ルーカスはまたをパッと大きく開いてボールを通した。
「ゴール!」
「やられたー!」
ルーカスが空を見上げてさけんだ。
 健人チームは大よろこび!健人は、子どもにやらせてあげるルーカスがほんとにうまい、と思った。
 次のスタートは、ルーカスがボールを受けて、健人チームの子どもをどんどんぬいていく。一人目はまるで足でやる手品のようにボールを前後左右に動かし、最後は体を左右にターンさせてかわした。
 二人目はボールをすごいはやさで右に左にまたいだり、ぴたりと止まったりするフェイントで、子どもが足を出すとひょいとボールをけりあげ、子どもの頭をこしていった。
 三人目はどうするのかと思ったしゅんかん、ルーカスはその子の足のあいだにボールをけってマタぬき、ゴール前にいた子どもにシュートをけらせた。
「ゴール!」
「ずるいー!」
今度は健人チームの三人からブーイングの声があがった。
 ルーカスのボールさばきはまるでその長い足の先にボールがすいついているようで、それに止まったり動いたりのスピードの変化がすごくて、なんだか動きのすばやい動物のようだと健人は思った。
 ようし、やってやる!
健人は子どもからパスを受け、とく意のドリブルでルーカスにしかけていった。ルーカスは長い手をだらりとさげて、健人の横についてきた。健人はルーカスをだしぬこうと、ボールを前後左右にまわしたりダッシュのフェイントをかけたりするが、軽いステップをふんでついてくるルーカスをなかなかぬけない。
 どうする、と健人が思ったしゅんかん、ルーカスがいきなり体をたおして健人のボールを長い足ではらった!てんてんところがったボールを、ルーカスチームの子どもがゴールめがけてけりだした。
 ルーカスはすぐに立ち上がり、長い足をのばして走っていく。やられたと思いながら、健人もルーカスのあとをけんめいに走っていった。
 ゴール前、子どもたちがボールにむらがってる中へ入ったルーカスは、ボールをひょいと軽く上にけりあげた。ゴールにせなかを向けていたルーカスは、そのけりあげたボールをそのままもう一度、頭ごしにけった。空中に、ポーンと上がったボールは、そのままえん石の間に落ちてはずんだ。
「ゴール!」
ルーカスチームが声をあげると、健人チームがもっと大きな声をあげた。
「入ってない、入ってない!、ゴールの上!」
ゴールわくがないから、入った入らないはみんなで決めるしかない。
「ノーゴール!ノーゴール!」
健人チームの声が強くて、ルーカスのゴールはとりけされた。ルーカスが頭をかかえてその場にしゃがむと、子どもたちみんなが大声で笑った。
 そんな中、健人はひとりでルーカスが見せためずらしいワザにおどろいていた。頭ごしの、山なりシュート・・・。そんなの、アリか・・・。 

 二人はベンチにどさっとすわって息をはいた。
「ふう、やっぱり」
「え?」
「さすが、ブラジル!」
「こんなのふつう。ブラジルじゃ、ふ、つ、う」
ルーカスは一つずつ言葉をくぎって言った。
「これがふつうなら、おれはもっともっと、ルーカスのすごいサッカーが見たい」
健人がまじめな顔で言うと、ルーカスが首をすくめた。
「健人、うしろ、おして!」
 向こうのブランコのところにいるルイーザが、健人を大きな声でよんだ。
「ルイーザ、もう帰るぞ!」
ルーカスが声をあげた横で、健人はルイーザに向かって手をふりながら、ルーカスに言った。
「ルーカス、おれ、サッカークラブに入っているんだ。リトルファルコンっていうんだけど、今度ルーカスも練習に参加してみない?」
「いいよ」
ルーカスの答えは、OKのいいよ、じゃなくて、NOの方だった。それでも健人はかまわず続けた。
「おれからコーチに言っとくから。来週、すぐの月曜じゃなくて・・・、水曜!水曜とあとは土曜が練習なんだけど・・・」
またルイーザから声が上がった。
「健人、おしてって!」
「ルイーザ、帰るぞって!」
ルイーザをよぶルーカスに、立ち上がった健人はもう一度言った。
「水曜、学校帰りに行こう。ルーカスさ、お父さん、お母さんに言っておいてよ。おれといっしょにサッカークラブ見に行くって」
「だから、おれは・・・」
「ルイーザが、おれのこと健人ってよんでる。おれの名前、教えたっけ」
ルーカスの言葉をさえぎって、健人はルイーザのところへ走り出した。そして、健人は思った。ルーカスとなら、自分がやりたいサッカーが、やれる・・・!
 健人は、ルーカスがもし自分よりうまかったら、と思っていたことをわすれることにした。ルーカスはうまいんじゃない。ルーカスは、ほんとうに、すごいんだ!


      5

 月曜日、健人は教室に入って来たルーカスに、飛びつくように聞いた。
「ルーカス、水曜、どうだった?」
「ああ、パパに話したら水曜じゃなくて、土曜日に」
「土曜日ならオーケー?」
「うちに来てって」
「え、ルーカスの、うちに・・・!?」
ルーカスの思いもしない言葉に、健人はたじろいた。
「パパが、ルイーザのお礼を言いたいんで、ぜひうちに来てくださいって」
「あれは、そんなんじゃなくて・・・」
「土曜日、サッカーの練習のあと、よろしく」
「あ、いや・・・」
 中村先生が入ってきて、みんなバタバタと席についた。健人は、ルーカスが算数の教科書やノートを出すのを、ただぼうぜんと見ているしかなかった。

 昼休みの校庭はいろんな学年が入りまじって、オニごっこやなわとびなど好きなことをして遊んでいる。サッカーも広くはできないので、あちこちで数人ずつのグループがパスまわしをやっていた。
 健人もクラスの友だち四人と輪になってボールをけりあっていたが、健人の出した強いボールをひとりが止められず、ボールが輪から出ていきおいよくころがっていった。健人は向こうにルーカスがいるのを見つけた。
「ルーカス!」
健人は大声でよんだが、ルーカスがふりむいた時にはもうボールは足もとをすぎて、もっと向こうへとへころがっていた。
 ボールは、その先にいた男子三人の一人の足にあたり止まった。健人はその三人を見て、悪さをしているとうわさの6年だとわかった。三人は下の学年の子からゲームカードを取ったり、店へ行かせてまんびきしてくるように命令したりしてると言われていた。
 その6年のGジャンを着ているやつがボールの来た方を向くと、そこに立っていたルーカスと目があった。Gジャンはボールを横の方にけり出して、ルーカスに向かって言った。
「おれの足に当たって、あっちに飛んでったぞ」
ルーカスは何も言わずGジャンを見ていた。
 グレーのパーカーを着た体の大きいやつが、ルーカスをにらんで言った。
「人の足に当てといて、なんか言えよ」
もう一人、赤いジャージのボウズ頭が声をあげた。
「ヘタなサッカーやってんじゃねえぞ!なんだおまえ、見たことないな。5年か?」
グレーのパーカーもルーカスをのぞくようにして言った。
「こいつ、日本人じゃない。何人だ?」
健人がルーカスの後ろにかけよって言った。
「かまうな、ルーカス、行こう」
赤いジャージがおどけて言った。
「ルーカス?こいつルーカスっていうんだ」
「ルーカスさあ。何人だか知らねーけど、ここ、日本だから。おまえはおまえの国に帰れよ!」
Gジャンがはき出すように言った。
 健人はルーカスのかたに手をやり歩き出そうとしたが、ルーカスはすぐには動こうとはしなかった。

 「いるよね、そういうこと言うやつって」
塾に行く道で、健人は加奈に昼休みにあったことを言った。
「ルーカスも、そいつをにらんで動かないんだ」
「でも、よかった。大変なことにならなくて。健人が相手しないようにって言ったからだね」
「加奈もさ、ちょっとおれをアシストしてくんない?」
「え、アシストって?」
加奈は健人が言ったサッカー用語がわからなくて首をかしげた。
「おれ、土曜日、ルーカスの家によばれたんだ」
「なんで?」
健人は土曜のスーパーであったことをを加奈に話した。
「そういうことで一人で行くのもなんなんで、加奈、アシストたのむよ」
「うーん・・」

 健人は、9時すぎに帰って来た淳一郎が缶ビールをひと飲みし、リモコンでテレビのチャンネルを変えたところで話を切り出した。
「お父さん、今度の土曜、サッカーのあと、友だちの家に行っていい?」
「サッカーの友だちか」
「いや、学校のクラスの」
「うちはどこ」
「ん?えっと、駅の方」
「ああ、おそくならなきゃな」
「ならないよ」
「こないだの土曜は悪かった。この土曜は仕事でちょっとおそくなると思うから・・・、食事は田川さんにたのんで金曜に作っておいてもらおう。6時には帰って来るんだよ」
「わかった」
「その子、名前は」
「え、名前は・・・、るかわ、流川だよ」
「流川?変わった名前だな。昔の有名なマンガにそう言うやつがいたけど」
「そうなの」
淳一郎はそのマンガの話をしはじめた。
 健人は名前を聞かれて、どうしてちゃんと、ルーカス、と言わずにごまかしたのか、自分でもわからかった。

 健人と加奈は、とてもきょ大な、まどだらけのカベのような建物を見あげた。その建物はいくつもならんで、ずっと向こうの方まで続いていた。
「なんだか、すごいね。こんなに近くで見るの、初めて」
「ああ、帰るところをまちがえそうだ」
 ここは保見団地といって、ブラジル人をはじめとする中南米の家族が多く住んでいる有名な団地で、二人はその入り口のあたりに立っていた。
 そこに健人を呼ぶ女の子の声がした。
「健人、健人!」
見ると向こうからルイーザが走って来て、ルーカスがその後ろの方から歩いてきた。
 ルイーザはそのまま走りこんで、健人にだきついた。
「やあ、ルイーザちゃん!元気だった?こっちは加奈」
「初めまして、ルイーザちゃん、加奈です」
ルイーザは加奈を大きな目で見あげて、こくりとうなずいた。
 加奈はやって来たルーカスに手をふり、またきょ大な団地を見あげて言った。
「ねえ、ルーカス!ほんと、すっごい団地だね!わたし、こんな近くで見るの初めてなの」
ルーカスは健人と目を合わせたあと、加奈に言った。
「ぜんぶで六十七あるって」
「六十、七!?今、健人が言ってたんだけど、自分のうち、どこだかわからなくなっちゃいそう」
「オレはだいじょうぶだけど、パパがまちがえたことがある」
「え、お父さんが?」
加奈がルーカスを二度見した。
「ちょっとお酒によってて、階をまちがえたらしい」
「そうか。大人もあるんだ」
健人がみょうななっとくをしていると、ルイーザが健人の手を引いて歩き出した。まだ団地を見ていた加奈は、ルーカスにうながされ、四人は向こうにずらりとならんでいる団地の方へと歩いていった。

「ママ、健人!」
ドアを開けたルイーザが大きな声で言った。
 はーい、と返事しながら出て来たエプロン姿のルイーザのママは、ルイーザと同じ大きな目で健人を見て、笑顔であいさつした。
「初めまして、健人くん!ルイーザがおせわになりました!」
「いえ、そんな・・・」
ルイーザのママが加奈に顔を向けた。
「そちらは・・・」
「同じクラスの加奈」
二人の後ろでズックをぬいでいたルーカスが言った。
「加奈ちゃんね、はじめまして」
「はじめまして、水野加奈です!今日は健人について来ちゃいました!」
「いいですよ、もう大かんげいです!」
「いいから早く上がって。広い玄関がこみこみだ」
ルーカスが二人をうながした。
「そうね、さあ、入って入って!」
「おじゃまします!」
後ろで一つにした長い髪をふってろうかを行くママに、健人と加奈がついていった。
 二人がとおされたダイニングには、とても体の大きな男の人がテーブルについて手にしたスマホを見ていた。
「パパ!ルーカスのお友だち!」
ママがよぶと、すぐにスマホを置いてルーカスのパパが立ち上がった。健人と加奈は天じょうにつきそうな感じがするくらいせが高いパパを見上げた。鼻の下とあごにヒゲがあるパパは、そのヒゲが思いきり横にのびた笑顔になって、健人の前に手をさし出した。
「やあ、よく来たね!」
「吉田健人です」
健人はルーカスのパパとあく手をした。その手はほんとうに大きくてかたい感じがした。
「よしだ・・・?」
「はい、吉田、健人です」
「そうか、健人くん、よろしく!」
パパは横の加奈ともあく手をした。
「水野加奈です。すいません、今日は健人について来ちゃいました!」
「加奈ちゃん、ルーカスが、お世話になっています」
パパのあいさつに、加奈はすぐに話し出した。
「いえ、こちらこそ。あたし、ルーカスくんには二度びっくりしました!まず背が高いことです。もう六年生なんじゃじゃないかって思ったくらいです。でもお父さんを見てナットクです」
せのびをする感じで言った加奈に、パパが笑った。
「それからルーカスくん、算数の時間、図形の応用問題をすぐに、かんたんに答えちゃうんです。これでまたびっくりでした!」
 はじめて会うルーカスのパパに、すぐに言葉がすらすらと出る加奈を見て、健人はやっぱり加奈をつれて来てよかったと思った。
「そうか、よかったな、ルーカス。加奈ちゃんはおまえのことをみとめてくれてるぞ」
ルーカスは何も言わずかたをちょっとすくめた。
 パパは健人に体を向けて言った。
「健人くん。スーパーで、ルイーザを助けてくれてありがとう。ムイト・オブリガード!」
「ムイト、オブ・・・?」
「ムイト・オブリガード。ポルトガル語で、ありがとうっていう意味」
ルーカスが健人に教えた。
「女の人は、オブリガーダ!」
ルイーザが加奈に言った。加奈はすぐに言って返した。
「わかった。ムイト・オブリガーダ!」
「あの、いや、助けたなんて、そんな。ぼくはあの時、小さな子どものお母さんが、自分の子どものいうことだけを聞いて、ルイーザちゃんのことを悪く言っちゃいけないって・・・」
「私も父親として、ルイーザを信じてる。だから、そのお母さんが悪いと、一方的には言いきれない」
「そうですね、親とかおとな、先生にだってご解はよくあります」
パパが加奈の言葉に大きくうなずいた。健人はまたいいところで言ってくれた加奈を、あらためて自分よりおとなだと思った。
 ルーカスのパパがむねの前でくんだ太いうでをおろして言った。
「今日は夕食をいっしょに、と思って来てもらった」
「すみません」
健人がちょっと頭を下げて言うと、すぐにルーカスのパパが首を横にふった。
「いやいや、あやまることはないよ、健人くん」
「あ、あやまるっていうか、健人が言ったのは、ありがとうございますっていう意味なんです」
「わかってるって」
加奈の説明に、すぐにつっこんだルーカスの一言が、みんなの笑いをさそった。
 「さあ、イザベラ!」
ルーカスのパパがママをよぶと、ママはにっこり笑ってキッチンから肉や野菜がのったトレイを持ってきた。
「これは、シュラスコ!」
パパが言った言葉に、健人と加奈が首をかしげ顔を見合わせた。
「シュラ、スコ?」
ママがすぐに説明をくわえた。
「ブラジルの料理なの。日本だと、まあバーベキューね。」
「バーベキュー!」
健人と加奈の声が同時に出た。
「ほんとは火の上で焼くけど、今日は家の中だから電気プレートね。あと、日本とブラジルでは、ちょっと食材もちがうから、バーベキューと同じとは言えないかな。これは牛肉だけど、ピッカーニャっていってね・・・」
ママが二人に説明しだすと、ルイーザがママのこしのあたりをたたいた。
「ママ、いいから早く。おなかすいた!」
ルイーザのひと言に、またみんながいっせいに笑った。

 「どうだ、健人くん、加奈ちゃん」
パパが二人の顔を見て言った。健人が口に肉をほうばりながら言った。
「もいいいえす(おいしいです)!」
「うん、すごく柔らかくて食べやすくて、味もおいしいです!」
加奈は口の中のものをちゃんと飲みこんでから言った。
「そう、良かった。どんどん食べてね!野菜もね!」
ルーカスのママが、トングというつかみバサミで肉や野菜を鉄板にのせながら言った。
「本当はね、大きな肉にこんな長いクシをさして、こうやって火の上で焼くんだ。それをこう、スライスして食べるんだよ」
ルーカスのパパがクシをまわして肉を手でそぐ感じの手つきをしながら言った。
「そうか、これがそのスライスした形なんですね。あとひとつ聞いていいですか。これ、焼いてるのに、ぜんぜんけむりが出ないんですけど」
加奈が言うと、パパが両手を差し出して言った。
「そう、この電気プレート、いいだろう!けむりがほとんど出ないんだ。日本はこういうものを作るからすごい。昔はそこのベランダでやってけむりが出て、日本人からもんくが出たんだ」
「昔は?」
どういうことかと思った加奈が聞いた。
「ああ、私は二十年前、2000年のころ、日本にいたんだよ」
「えっ、そうなんですか!」
二人はおどろいて声をあげた。
「車の仕事で、ここにね。ちょっといろいろあって、国へ、ブラジルへ帰ったんだ」
「へえ」
「でも、それで帰ったから、イザベラに会えたんだよ」
パパがママをみると、ママがまゆをあげた。パパは話を続けた。
「イザベラと結こんして、ルーカスが生まれて・・・。それで私はまた日本に来たくなったんだ。私は日本が大好きだし、車の仕事も安定してるしね、そしてルーカスにも日本がいいと思ったんだ。それでイザベラに私の思いを、いっしょに日本に行こうって話したんだ」
ママが首を横にふりながら言った。
「聞いたときは、びっくりしちゃった。私の国では日本はとてもすかれている国なんだけど、行くとなるとあまりにも遠い。地球ぎを見たら、日本てブラジルの反対がわなのよ!そのうえ、そこに住むだなんて・・・。ほんとうに不安だった。言葉もぜんぜんわからないし」
「えー、日本語、じょうずじゃないですか」
加奈が言った。
「今はね、ふだんの会話はなんとかできるようになったけど、漢字とか、むずかしい言葉はわからない。それより何より、ルイーザがおなかにいたの!」
「えーっ、そうだったんですか!」
加奈は横で肉をほうばっているルイーザを見た。
「それでルイーザは、ここ、日本生まれさ」
ルーカスが言うと、ルイーザがなんとか口をあけて言った。
「ブラジルに行ってみたい。まだ行ったことがないから」
「ルイーザ、ちゃんと食べてからお話しして」
「OK、今度みんなで行こう、ルイーザ!」
ママの注意に、パパが体を乗り出してルイーザに言った。
 パパの言葉に健人が言った。
「ぼくも行ってみたいな。やっぱブラジルはサッカーがすごいから!」
「そうか、健人くんもいっしょに行ってみるか」
健人は、ルーカスのパパの笑顔を見て、話を切り出した。
「お父さん、ぼくは今、町のサッカークラブに入っています。それでルーカスにもクラブに入ってもらえないかって思ってるんです」
パパの笑顔が止まった。返事はすぐにかえってこなかった。
「うーん・・・」
健人はもっと思いを伝えようと、話を続けた。
「こないだ、公園でルーカスとサッカーをちょっとやりました。ちょっとでも、ぼくはわかったんです。ルーカスはものすごくサッカーがうまいって。だから、今ぼくの入っているクラブに、ルーカスも入ってやってくれれば、クラブでルーカスが思いきりやってくれれば、クラブもぜったいに強くなるって・・・」
 パパはフォークを取り皿の上に置いて、大きな体を健人に向けて言った。
「健人くん、ルーカスをみとめてくれてありがとう。でも、それにはちょっと、問題がある、と思っている」
「問題・・・?」
パパの意外な言葉に、健人は首をかしげた。
「ルーカスは本当に小さいころからサッカーをよくやってきた。でもそれはブラジルでのことだ。ここはブラジルじゃない。日本だ」
ここはブラジルじゃない。日本だ・・・。健人はパパにすかさず聞いた。
「ブラジルと日本じゃレベルがちがいすぎるとか、ですか」
「いや、そんなことはない。日本はすごくがんばっている。それから何と言ってもきみたちが、これからの日本のために、がんばってるからね」
うでを組んでしばらく考えたパパは、ルーカスに顔を向けて言った。
「ルーカス、どうだ」
「・・・」
ルーカスはテーブルのかどの方を見たまま、答えなかった。
 パパが言った。
「せっかく健人くんが言ってくれたんだ。ルーカス、まずは考えてみるといい。それでおまえが考えたことに、パパは相だんに乗ることにするよ」
パパの言葉を聞いて、健人は、パパがルーカスのクラブ入りを半分ゆるしてくれた、と思った。
「じゃあ、ルーカス、まずクラブを見学してみて。答えはそれからでもいいから。いやならしょうがない」
健人がルーカスに言った。
 ルーカスがやっと口を開いた。
「ああ」
「よっしゃー!」
健人はこぶしをにぎり、ガッツポーズをとった。
「よかったね、健人!これで可のう性が広がった!」
加奈が健人に言った。
「おお、すごい可のう性だ!ルーカス、よろしく!」
 健人はほんとうにうれしくなり、ルーカスのパパが、ここは日本だと言ったこと、そしてルーカスがこれから考えることなど、すっかり頭から消えていた。
 男たちのやりとりを聞いていたママが、鉄板の上につぎの一品をのせながら言った。
「さあ、健人くん、加奈ちゃん、これも食べて!」
「え、これ・・・」
「パイナップルよ」
「パイナップル!?」
加奈が大きな声を出した。
「肉と合うのよ。焼くとまたうまいの!」
 加奈は、ママが表面を少し焼いてくれたパイナップルをフォークにさし、口にはこんだ。
「うっまーっ!」
「でしょ、でしょ!」
ルイーザのイマドキの女子みたいな言い方に、みんながいっせいに笑った。

 健人と加奈は家へ帰るのに豊田線の電車に乗った。土曜の夕方6時の名古屋方面に向かう車内はすいていて、二人はならんで席にすわった。
「いやー、まだハラいっぱいだ」
「わたしも!こんなに食べたの生まれて初めてかも!」
「そんなことないだろ」
「なんてこというの!」
「でも、うまかったな!」
「うん!ルーカスのママ、食べなさい食べなさいって言うから、もうダメですってなかなか言えなかった。でもママはほんとやさしくって、いい人ね!オブリガード、じゃなくって女子はオブリガーダ、ルーカスママ!」
「ああ。ルーカスのパパは、今度は本当のシュラスコ、外でやろうって」
「いやー、わたしは、当分いいわ」
「そうか、ルーカスに言っておこう。シュラスコなんて当分いいわって加奈が言ってたって」
「やめてよ!そうやって人を落とし入れるの!」
加奈がぷいと顔をそむけた。
 加奈がそのまま電車のまど外のけしきを見ながら、健人に言った。
「ね、ルーカスはこの電車で学校に通ってるって言ってたよね。どうして電車に乗ってまで、うちらの学校に来るようになったのかな」
「ああ、こないだ聞いたけど、いろいろって言ってた」
「いろいろ・・・?」
「まあなんでもいいや。ルーカスがうちのクラブに入ってくれれば」
加奈がまじめな顔で健人に言った。
「ルーカスのパパが、ルーカスがサッカーするには問題があるって。ここはブラジルじゃなくて日本だって。やっぱ何かあったんだよ。ルーカス、こないだ6年の男子にも言われていたでしょ」
「あれは差別だろ」
健人がふうと息をはいて続けた。
「ルーカスがいろいろって言ったんだから、前の学校とか、あそこの団地であったことなのか、まあ、どこかで問題があったんだとは思うよ。ただこっちはブラジル人がいなくて、そこにルーカスが来たら、そりゃ目立つでしょ。もう、差別だって」
加奈は健人の話をくちをへの字にして聞いていた。
「それはそうだけど・・・」
「おれたちは日本人で、差別されないからわからないけどさ」
 その時ふいに、健人の頭の中に、片親、という言葉が浮かんだ。それは健人が1年か2年の時お父さんと親せきの人が話しているところで聞こえてきた言葉で、父親か母親のどちらかがいないことをそう言うのが、すぐにわかった。それから健人は片親と言う言葉を聞くとすぐに、自分はふつうの子どもとはちがう、差別されている、と感じるようになった。
 お母さんがいなくてかわいそうね。お父さん、本当に大変でしょうね。父親一人じゃ。やっぱり子育ては母親じゃないと・・・。
 健人は首をふった。健人は、とにかくルーカスがファルコンに入ってくれさえすればいいんだとあらためて思いながら、暗くなり始めたまど外のけしきに目をやった。


      6

 月曜日の二時間目の休み時間、健人はトイレに行くルーカスのあとをおってろうかに出た。となりにすわっているのだからすぐ聞けばいいのに、それをしなかったのは、ことわられたらどうしようということと、そのことを前の席の加奈に知られたくないという気持ちがあったからだった。
 健人は歩きながら、首一つ高いルーカスの顔をのぞいた。
「ルーカス、今日クラブの練習、見にくるよね」
「ああ」
 健人は、ルーカスのあまりにそっけない、それも願い続けたOKの返事で、今までの不安がぱっと消えてなくなりいきなりうれしくなった。
「おお、オブリガード、ルーカス!」
 トイレはしたくなかったが、健人はそのままルーカスについていった。

 休み時間でみんながわいわいしている中、加奈が、赤いジャージを着たボウズ頭の6年生が前のドアから教室の中を見ているのに気づいた。
「なんですか」
「ここに、ブラジル人って、いますか」
赤ジャージに、加奈がこたえた。
「ブラジル人って、ルーカスのこと?」
「ああ、そいつ」
「今、いません」
「あっそう。まあ、いいんだけど」
赤ジャージは教室を一度見まわしてから顔を引っこめ、ろうかを歩いていった。
 そのあと、健人とルーカスが教室にもどってきた。加奈が健人にかけよった。
「健人、6年生が、ルーカスはいるかって来た」
「どんなやつ?」
「赤いジャージで、ボウズ頭の」
「こないだの、校庭にいたやつだ。おれのボールがころがっていっただけなのに、ルーカスのことを・・・」
「先生に言おうか」
「女子はすぐそれだ」
健人が言うと、加奈のほおがふくれた。
 健人が席にすわったルーカスに言った。
「ルーカス、また6年が何か言ってくるかもしれないから、昼休みは校庭に出ないほうがいい」
 ルーカスは何も言わず、体を横にたおしてつくえの中の教科書とノートをひっぱり出した。

 昼休み、健人は校庭に出た。休み時間に来たという赤いジャージの6年がいるかどうか、たくさんの子どもが遊ぶ校庭を見まわしたけれど、その姿はなかった。

 授業が終わり、健人は1組の教室から出て来た裕太に、ルーカスをしょうかいした。
「裕太、ルーカス」
「せ、高いよね!ブラジルなんでしょ」
裕太は健人より少しせが高いが、ルーカスを見上げて言った。ルーカスはうんと言ったか言わないか、ほんの少し頭を動かした。
「今日、練習見てもらうんで、いっしょに行く」
「それはそれは!サッカー、めっちゃうまいんだろうな!健人、いっしょにやったことあるんだろ?」
健人と裕太が話しながら歩き出した後をルーカスがついていった。
 三人が校門を出ようとすると、外に赤いジャージの6年が立っているのが見えた。その後ろにはあの時いっしょにいた二人もいた。健人は裕太とルーカスをうながして、三人組の前を通りすぎようとした。
 Gジャンを着た、あのときボールをけり出した一人が、横に流した長い前がみの下からのぞくようにしてルーカスに言った。
「よお、おまえ、ブラジル人なんだってな」
健人は三人に聞こえないように、小さな声でルーカスに言った。
「かまわないで、行こう」
「ちょっとまてよ」
健人と行こうとするルーカスにGジャンが言った。
「ブラジルといえば、保見だろう。おまえ、なんでこっちにいるんだ?」
健人がルーカスの前に出ながら、三人に言った。
「おれたち、練習があるから」
 Gジャンの横のグレーのパーカーを着た大きな体をしたやつが、ちゃかすように言った。
「ん、サッカーか?世界のブラジルが、日本で練習したってしょうがねえだろ」
 ルーカスが足を止めた。教室を見に来た赤ジャージが、大声ですごんだ。
「お、やんのか、ブラジル!日本をなめんなよ!」
 健人はルーカスのせなかに手をまわし、体を押して歩かせようとした。先に歩き出した裕太もふりむいたが、ルーカスは動かなかった。
 「そこで何やってるの、先生に言うよ!」
健人がふりむくと、そこには加奈がうでを組んで立っていた。
「お、なんか、こわいのが来た。おれたち話をしてただけでーす」
三人組がふざけて笑いながら歩いていった。
 
 「なんなの、あいつら!ルーカス、ちょう発にのっちゃだめだよ!」
加奈がまゆをしかめてルーカスに言った。
「ほんとに、いやなやつらだ。日本には日本人しかいちゃいけないってのか」
「そんな国のきまり、だれが作った?サッカーでもなんでも、世界から外国人が日本に来て、みんなやってるっつーの!」
いかりがおさまらない健人と裕太を加奈がおさえるようにしてルーカスに言った。
「とにかく、あいつらの言うこと聞いちゃだめ」
ルーカスはだまったままだった。
 「加奈、もういいから。早く行かないと練習におくれる」
「なに、その言い方。まるであたしがおくらせてるみたいじゃない」
「ちがうって。じゃあな」
 健人は加奈に手を上げ、裕太に行くぞと言い、ルーカスのせなかを押して歩き出した。

「ルーカス?6年か?え、4年って・・・、せ、高いな!」
「何人なの?え、ブラジルかあ!」
 健人はグランドの集合場所で、6年の井出康介と宮田亮にルーカスを会わせた。
「練習見てもらって、気に入れば入ってもらおうと思って」
「わがファルコンにも、いよいよ助っ人登場か!」
「亮、ルーカスは4年だって。なんでおれたち6年が4年に助けてもらうの?」
康介が亮につっこんだ。すかさず5年の島本晴紀がおどけた。
「あの、5年のお助けマンならおれですけど!」
「ああ、晴紀さん、失礼しました!」
亮がうけてあやまると、みんなが笑った。
 健人は高学年の3人がルーカスをきらってはいないようなので気持ちが軽くなった。

 白いキャップをかぶった加賀コーチがやってきた。健人はコーチにルーカスをしょうかいした。
「あの、コーチ、学校の友だちのルーカスです」
加賀コーチは赤いTシャツにジーンズのルーカスを見ると白いキャップをとってあいさつをした。
「ルーカスくん、こんにちは!」
「こんにちは」
「4年?大きいね!」
「はい。よく言われます」
いつもは返事などしないルーカスが、しっかりあいさつをしたのに健人はちょっとおどろいた。
「コーチ、ルーカスが練習の見学しても、いいですか」
「ああ、どうぞ。このへんにいてくれれば。じゃ、始めるか」
加賀コーチはルーカスが何人かとか、なにも聞かなかった。健人はルーカスに目であいずして、集まり始めたみんなの中に入っていった。

 健人の3、4年レベルは、いつも通りのアップをして、ドリブルからパスの練習をした。ルーカスが見ていると思うと、健人は自分が少しきんちょうしているのがわかった。コンビを組んで練習する裕太を見ると、いつも通りリラックスしてやっている。健人は、おれには目的があるんだ、だからしっかりやらなくちゃ、とあらためて自分に言い聞かせた。
 パス&ゴーを終えて、次の練習にうつる時、健人は体育ずわりをしてこっちを向いてるルーカスを見た。よしルーカス、ここからだ、と健人は気合を入れた。
 次は1対1から人がふえていく練習になった。健人の最初の相手は3年の龍之介で、始まってすぐ、健人は左右にボールを動かして龍之介を軽くかわした。
 次は龍之介に春馬が加わって1対2になったが、健人はあっという間に春馬と龍之介のあいだをぬいた。
 次は、こっちに光太郎、向こうは春馬と純平になって2対2。光太郎との軽いパスのやりとりから健人がドリブルダッシュして勝つ。
 相手に弘也が入って2対3。健人はさすがに息が上がってきたが、ここでがんばっていいところを見せようとルーカスの方を見た。
 すると、さっきまですわっていたルーカスがいなくなっていた。健人があわててまわりを見ると、赤いTシャツのルーカスは、5、6年の練習の方にいた。5、6年はPKをやっていて、康介と亮の大きな声が聞こえてきた。
 ルーカスはどうして5、6年の方に・・・。こっちはつまらなくて、むこうの方がおもしろいってこと?ひょっとしておれが、たいしたことないってことなのか・・・?健人はいきなり気分がおちこんだ。
 2対3で健人はいきなり弘也にボールをうばわれ、裕太とかわった。健人はすぐにルーカスを見たが、ルーカスは5、6年のPKも見ずに、ただすわって下を向いていた。
 
 練習が終わって、健人はルーカスをよんで加賀コーチのところへ行った。コーチはルーカスに笑顔を向けた。
「見学、どうだった?」
ルーカスは小さくうなずいたあと、頭をさげた。
「ありがとうございました」
お礼の言葉だけ言ったルーカスに健人は少しあわてた。
「コーチ、見学させてもらってありがとうございまた」
健人も加賀コーチにあいさつをしてリュックをせおい、ルーカスをつれてグランドを出た。

 健人は歩きながら、できるだけ軽い感じでルーカスに聞いた。
「ルーカス、どうだった?」
「ん?」
「練習、どうだったかって」
「ああ、みんながんばってる」
「そう。今日は休んでるのもいたけど、まあこんなところ。じゃあさ、クラブに、入ってくれる?」
「いや」
 そうじゃないかとは思っていた。でもほんとうにそのひとことを言われるとショックは大きかった。健人はうろたえた。
「どうして・・・?」
「練習を見に来ただけだから」
ぶっきらぼうに言うルーカスに、健人はもう一度聞いた。
「ルーカス、どうして・・・」
「健人、おれ、やっぱりクラブには入れないよ」
ルーカスが道に目を落としたまま言った。
「おもしろくなさそう?おれたち、へただから?」
「いや、そんなんじゃない。みんながんばってる」
「じゃ、なんで」
「ごめん・・・」
ルーカスは首を横にふり、ぼそりとあやまった。
 そのあと、ルーカスは口を開かなかった。健人も、ルーカスに何も言えなかった。

 ルーカスと駅でわかれる時、健人は言った。
「じゃ、ルーカス。また、考えて」
また、は、いつかということじゃない。今夜にも、という意味だった。
 ルーカスはちょっとだけ手をあげた。それは、わかった、という意味じゃないことが健人にはわかった。
 健人は駅に入っていくルーカスのうしろすがたを見て、ため息をついた。


      7

 あとはおフロね、と言って陽ちゃんが帰っていった。
健人は陽ちゃんの作った八宝菜大もりでおなかいっぱいになったけど、陽ちゃんにそうだんしようと思ってたルーカスのことは、言えなかった・・・。
 ルーカスはやっぱりサッカーがすごくうまいんだ。おれはルーカスといっしょにサッカーがしたくて、それでクラブに入れたくて、それでルーカスに練習を見に来てもらったけど、ルーカスはやっぱり入らないって言うんだ。ルーカスにどうしても入ってほしいおれは、いったいどうすればいいか、って、どうしておれはすなおに言えないんだ?それは、健人くんのクラブが弱そうだし、それに何と言っても健人くん、ルーカスよりヘタって言うかもうヘタすぎて、いっしょにはやれないと思ったから、ルーカスは入らないことにしたんじゃない?なんて、陽ちゃんにはっきり言われるかもしれないから・・・。
 健人はそんなことを思う自分がいやになったが、すぐにぶるぶると首を横にふり、これからどうするかは、ちゃんと自分で考える、と思い直した。まるでテスト中に、書いた答えのまちがいを見つけ、あわてて消しゴムで消して正しい答えを書きこむように。

 健人はおフロでルーカスのことをどうしたらいいか考えようと思った。でもバスタブのお湯につかると、頭がぼーっとしてしまい、なにも考えられなかった。
 健人はおフロからあがりバスタオルを首にかけ、冷ぞう庫からサイダーを出してぐびぐび飲んだ。それでイスにこしかけ、ふうとひと息ついた。
 どうしておれはルーカスをクラブに入れたいかって?それはルーカスのサッカーが、やっぱりすごかったから。公園の小さな子ども相手だったけど、おれにはわかった。ルーカスとサッカーができれば、おれはきっとうまくいく。クラブのチームの中でルーカスと組めば、自分のいいところがどんどん出せる。それでチームも強くなる。そうすれば、あのチームにいいのがいるってうわさになり、それがトレセンに届いて、声がかかって、地区代表になって、そして・・・。健人の思いはいいことばかりでふくらんだ。
 そのためには、やっぱりルーカスだ。じゃあ、どうすればいい?健人はふと、ルーカスの家でルーカスのパパがいっていたことを思い出した。
〝ルーカスがサッカーするには、問題がある〟
そうか、パパか?ルーカスはほんとうはサッカーがしたいのに、自分のむすこはブラジルサッカーだから日本ではうまくやれない、とパパが思っているのかもしれない。それでルーカスはパパに気がねしてるんだ。それじゃあまず、パパのゆるしが出ないとだめだ。ルーカスのパパにわかってもらうためには・・・。
 健人は、思いついた。
向こうがパパなら、こちらもお父さんに。ルーカスのパパには、お父さんから話をしてもらえばいい。ルーカスにサッカーをさせてあげてくださいって!     
 健人はいいアイデアが思いついてうれしくなった。よし、お父さんに言ってもらうのに何てお願いすればいいか、帰ってくる前に考えよう!
 健人はバスタオルで頭をがしがしふき、手にしていたサイダーをぐびぐび飲んだ。

 時計は8時半、帰ってきた淳一郎が部屋着のトレーナーに着がえて洗面に行った。健人は読むふりをしていたマンガを置いてそのうしろについていった。
「病院、いそがしい?」
「いやー、今日はそうでも。まあでもだからって、ひまなわけじゃないけどな。そっちも大変だろ、学校」
「ああ、勉強はそうでもない。でも新しい子が来た」
「新しい・・・、転校生か?なんていう子?」
淳一郎が手を洗いながら健人に聞いた。
「ルーカス」
「ルーカス!?アメリカ人か?」
「いや」
「ルーカスといえば、ジョージ・ルーカス!あのスターウォーズの・・・」
言い出しながら淳一郎がバシャバシャと顔を洗う。
「陽ちゃんと同じこと言ってる。エピソードいくつとか言って、話が止まらない」
「お父さんも、止まらないぞ。教えようか、アロングタイムアゴー、イナギャラクシーファー・・・」
タオルで顔をふきながら淳一郎が言い出した英語を、健人がさえぎって言った。
「ルーカスはブラジル人だよ」
「ブラジル人?」
「サッカーがすっごくうまいんだ」
「セレソンか」
「セレソンではない、ファルコンに入ってもらいたいんだけど」
「そうか、ルーカスをファルコン号、じゃない、リトルファルコンにな!そんなにうまい子なら、チームが強くなる」
淳一郎がそう言いながらキッチンに入って、陽ちゃんの作った八宝菜をレンジに入れた。健人はテーブルのまわりをうろうろしながら言った。
「それで、ルーカスに練習を見学してもらったんだ」
「そうか、ルーカスくんは、なんて?」
「入らないって」
「なんで?」
「わからない。たぶんルーカスに、ルーカスのパパが、チームに入るのはむずかしいって言ってるらしい」
「どうして?」
「わからない。問題があるって」
「問題・・・?いただきます」
淳一郎がテーブルにつき、八宝菜のたけのこを口に入れた。かしゅかしゅと音が聞こえる。
「聞いても、言わない。何も言わないんだ」
「それじゃ、どうしようもないな」
「それで、お父さん」
「うん?」
「お父さんから、聞いてくれない?ルーカスのパパに」
ベビーコーンをはさんだ淳一郎のはしが止まった。
「ルーカスのパパにって・・・、オレが?なんで?」
「お父さんどうしなら」
「そんな、ルーカスのパパ、ぜんぜん知らないのに」
淳一郎はベビーコーンと、続けてぶた肉も口に入れた。
 健人は〝知らない〟という言葉に、つい〝知ってる〟ことを言ってしまった。
「ルーカスのパパはやさしいよ。ルーカスに妹がいてさ、スーパーで、ちょっとしたことがあって知り合ったんだ。それでルーカスのパパが、どうもありがとうって。ルーカスのママもめっちゃやさしいし・・・」
口の中のぶた肉をかみ終わり、飲み込んだ淳一郎が、健人に言った。
「どうして知ってる」
「え」
「会ったのか。ルーカスくんの家族に」
淳一郎のいきなりのしつ問に健人はあせった。
「う、うん、家は、保見団地、なんだ」
「保見・・・。保見団地まで行ったのか」
「え」
「行ったのか」
しまった・・・!淳一郎の静かな声は健人の耳に重くひびいた。健人はもう本当のことを言うしかなかった。
「うん・・・」
「行ったなら、行ったって、ちゃんと言えよ」
健人はむねが苦しくなり、言うつもりなんかなかった言葉が口をついて出てしまった。
「シュラスコ・・・」
「なに?」
「シュラスコ、食べた」
「シュラスコって、ブラジルの・・・、おまえ、ごはんもごちそうになったのか!なんで言わないんだ!ご両親にお礼を言わなくちゃ・・・、あ」
淳一郎が、大きく口をあけた。
「健人。おまえこないだ、友だちの家に行ったって言ったな。たしか流川、るかわ・・・?」
「ごめんなさい・・・」
「流川って、ルーカスのことか!?」
「ごめんなさい!」
健人がヒザに手をつき頭を下げた。
「子どものこと、何も知らない親だって言われるんだぞ!しつけがなってないって!だからこういうことはちゃんと言わないとといつも言ってるだろ!どうして・・・」
「だから、ごめんなさいって!」
おこる淳一郎に健人が顔を上げ大声で言った。健人にはこれしかあやまりようがなかった。
 淳一郎は鼻から息を出して、ゆっくり首を横にふった。そして少しだまったあと、口を開いた。
「こんどその、ルーカスくんを、家につれておいで」
 淳一郎は健人に、今度の土曜日はどうか、とルーカスに聞いてくるように言い、それとルーカスに何を食べてもらうといいかを聞いた。誕生日とかにやってる手まきずしがいいという健人の案に淳一郎もOKして、陽ちゃんに言っておくことにした。

 純一郎が病院のレストランのドアを開けると、おくのテーブルに座っていたオレンジのニットセーターの陽ちゃんが、淳一郎に向かって手をあげた。
「おいそがしいところ!」
「何を言ってるんですか、田川さん。こちらこそ出向いていただいて」
 淳一郎は陽ちゃんの前にすわるなり頭をさげた。淳一郎が陽ちゃんと顔を合わせた時は、田川さんとよんでいる。
 陽ちゃんがテーブルに体を乗り出して言った。
「ね、健人くんが友だちよんでパーティーするなんて、いつぶり?」
「いつぶり、でしたっけ」
「保育園の時の誕生日、だったかなあ」
「そっか、5歳の時、かな」
「そうだ、わたし、その時来てた女の子に、この人、健人くんのママ?なんて言われちゃったんだ」
「そうでしたか」
紅茶を一口飲んだ田川さんが、淳一郎にちょっと手をふって言った。
「でも、あなたもがんばってきたわよね。いや、今もがんばってるけど」
「田川さんに、おんぶにだっこです」
「薫ちゃんが健人くんつれて保育園に来た時からの長いつきあいだからね」
 田川さんは、淳一郎の妻、薫が健人をあずけた保育園の副園長だった。薫ががんでなくくなったのちに、田川さんは保育園を定年退職、その後は淳一郎のたっての願いを聞きいれ、週2、3回健人の夕食を作りに家に来てくれている。健人を一番そばで見守ってくれている人だ。
「健人くんもほんと、日に日に成長してる。4年になって、陽ちゃん、おれはぜったいトレセンに入る!って言ってるよ」
「そう、そのサッカーつながりなんです。よんだ友だちがブラジルの子で」
「あ、そうなの!ひょっとして、ルーカス?」
「そう、ルーカスくんです!」
「言ってた言ってた。そうなんだあ」
「で、手まきずし、なんですけど」
「まかせといて。金曜日準備しておく。今回はからあげ作らないと、健人くんにゆるしてもらえないな。いつもは健康考えてソテーにしてるんだけど」
「すいません、田川さん。よろしくお願いします」
淳一郎はひざに手をつき、田川さんに深く頭をさげた。


      8

「お父さん、ルーカス!あと、加奈」
ドアを開けながら健人が大声をあげた。白と赤の横じまのTシャツのルーカスがげんかんに入ると、その後ろにいた加奈が顔をのぞかせて言った。
「あと、加奈って、つけたしみたいに言わないでよ!あ、お父さん、お久しぶりです!私も来ちゃいました」
「おう、加奈ちゃん、ちょっと久しぶり!またかわいくなったね!」
「お父さん、うますぎです!」
淳一郎は水色のブラウスを着た加奈をほめてから、スニーカーをぬいでいるルーカスにあいさつをした。
「はじめまして、ルーカスくん!」
「こんにちは」
体を起こしたルーカスに、淳一郎はちょっとおどろいた。
「お、大きいね!」
「150センチ!ルーカスはクラスで一番うしろだよ。なあ!」
ろうかに上がった健人が、ふり向いてルーカスに言うと、ルーカスは、せの話はもういいと言う感じで少しだけうなずいた。
「さあ、あがってあがって!健人、お二人さんに手をあらってもらって」
「おれはいいの?」
「いいわけがない」
健人のボケを受け流しながら淳一郎はキッチンに入った。
「オッケー、ルーカス、手あらうのこっち」
「あたしも!」
「あれ、加奈、いたの?」
「なに、それ!来てくれって言ったのだれ!」
うるさい二人の後に、ルーカスが首を横にふりながらついていった。

 テーブルの上を見た加奈が声をあげた。
「わあ、おいしそー、手まきずし!」
二まいの丸い大皿それぞれに、細く切られた色とりどりの具が中心から外に向かってきれいに並べられていた。
 淳一郎が両手を広げて言った。
「はい、みんなすわって!ノリか、うす焼き玉子の上にすめし、そこになんでも好きな具をのせて、まいて食べるんだ。ルーカスくんは、何が好きかな?」
「これ、なんですか」
ルーカスが初めて言葉らしい言葉をしゃべった。
「それは、しぐれに、牛肉だよ。しぐれにはこのサラダ菜にまくといい」
ルーカスはサラダ菜を一まい手に取り、はしでしぐれにをうまく乗せてまいた。
「あたしは、やっぱマグロから、いきまーす!」
「おれは、からあげ!陽ちゃん、いつもは作ってくれないのに今日はしっかりあるぜ!」
「加奈ちゃんはノリにすめし、健人はサラダ菜」
からあげをそのまま指でつまんだ健人に、ほら、と淳一郎がサラダ菜をわたした。
「いっただきまーす!」
みんないっせいに手まきを口にほおばると、声が上がった。
「うっまー!」
「めっちゃ、おいしー!」
「も、い、いー!(おいしー)」
「健人、言葉になってない!」
健人に加奈がツッコむと、みんなの笑い声があがった。

「ルーカスくんは何才の時日本に来たの」
淳一郎のしつ問に、コーラの入ったグラスから口をはなしてルーカスが言った。
「5才です」
「5才かあ。日本語、どうだった?大変だったでしょ」
「いや、そうでも」
ルーカスが言うと、加奈が淳一郎に顔をつき出して言った。
「そう!子どもはおぼえが早いんです!」
「大人はだめなの?」
淳一郎が加奈に聞いた。
「大人は考えちゃうんです。いつもしゃべってる自分の言葉と、どこがちがうかを考えちゃう」
「子どもは考えない?」
「子どもは、考えないで、感じます。相手が何を言ってるのか、そのまま感じるんです」
「さすが英語教室に通ってる加奈先生!」
「うるさい!サッカーだっていっしょでしょ!」
加奈が健人に言い返すと、健人はうなずいた。
「まあ、感じるっていうのはサッカーもそうかな。試合中に、いちいちおたがいどうするなんてそうだんしてる場合じゃないから。なあ、ルーカス!」
「まあ」
ルーカスがそっけなく言うと、加奈が顔をルーカスにつき出して言った。
「ルーカスは、サッカーの国ブラジルから来たんだから、日本人とはとーぜん感じ方がちがうよね!」
淳一郎がお茶を一口飲んで言った。
「ボールに対して体がどう反のうするか、体がボールをどうとらえて、それをどうあつかうか、その感覚が、日本人とちがうんだと思うよ」
「感覚・・・。その感覚がほしい!」
健人がせもたれにのけぞって言った。
「言葉とか運動、スポーツとかも同じだけど、頭でわかることと、身につけて、表現できるかどうかは、まったくちがうからね」
「英語の発音もそうなんです。あたしの先生アメリカ人なんだけど、サンキュー、だってぜんぜんちがうもん。サ、じゃないのね、セ、歯の下にしたが、セ・・・、センキューって、ほんとむずかしい」
加奈がため息まじりに言った。
 健人が体をおこし、ルーカスに向かって体を乗り出した。
「だからルーカス!おれはルーカスに、クラブに、リトルファルコンに入ってほしいんだ!」
「え」
健人のいきなりの話にルーカスの手が止まった。
「おれが入ってるクラブに、ルーカスが入ってくれれば、おれといっしょにやってくれれば、ほんとにうれしいって思ってる。ルーカス、こないだはNOだったけど、あらためておれの願いを聞いてほしい」
健人の二度目の願いに、ルーカスはコーラのグラスに目を落とした。
「ルーカスくんは、今サッカーしていないんだって」
淳一郎がルーカスに聞いた。ルーカスが小さな声で返事をした。
「はい」
「どうして?」
純一郎がルーカスの返事を待ったので、部屋が静かになった。
 ルーカスが首をかしげながら言った。
「いや、あまり、したくないっていうか」
「どうして?」
淳一郎がさらにルーカスに聞いた。
「・・・」
ルーカスはだまった。
「ルーカスのパパは、問題があるって言ってたけど」
淳一郎は健人が言い出したのを手で止めて、あらためてルーカスに聞いた。
「お父さんは、何か言っているの?」
「・・・」
ルーカスのだまっている時間が長くなった。淳一郎はそれ以上ルーカスに聞きことはしなかった。
 部屋に、淳一郎の声がやさしくひびいた。
「こないだ、健人がお世話になってしまって、わたしとしてはお返しがしたくて、ルーカスくんにこうして家まで来てもらった。加奈ちゃんにもつき合ってもらっちゃって」
「いえ、あたし、健人くんのお父さんにも、こんなごちそうになるなんて」
淳一郎が、だいじょうぶと加奈に手をふり、ルーカスに話を続けた。
「あと、ルーカスくんのお父さんお母さんに、健人がお世話になったお礼のあいさつがしたいと思ってるんだ。いいかな?」
「はい・・・」
「こちらから電話したいので、できればお父さんの電話番号を教えてくれないか」
淳一郎は横のたなからボールペンとメモを取って、ルーカスの言う電話番号を書き取った。
「お父さんの名前は?」
「ミゲウです」
「ミゲウ・・・?」
淳一郎の手が止まった。
「はい、ミゲウ・シウバ・オリベイラ」
淳一郎がゆっくりうなずいた。
「ルーカスくん、ありがとう。お父さんに、健人の父、淳一郎、吉田淳一郎です、と言ってください。あと、このメモを渡してもらえれば」
 淳一郎がルーカスに渡したメモには、漢字で書いた名前と電話番号の下に、ローマ字で書かれた〝Jun〟という文字があった。
「たぶん、パパはびっくりすると思います」
ルーカスはメモの字をじっと見た。健人と加奈は顔を見合わせて首をひねった。
 淳一郎がみんなを見て言った。
「ああ、ごめんごめん、みんなもっと食べて!」
健人が右手にホイッスル、左手を高くあげたポーズで声をあげた。
「ハーフタイム終わり、手まきずし、後半スタート!」


      9

 淳一郎は駅前のコーヒー店のおく、二人がけの席にすわりスマホを見ていた。入り口の自動ドアが開いたのに気づいて目をあげると、赤いキャップをかぶりグレーのパーカーを着た体の大きい男が入って来た。目じりが下がっていて口もとにヒゲをはやした、あきらかに日本人じゃない大きな男は、立ち止まって店内を見わたした。
 まちがいない。淳一郎が手をあげると男はすぐに気づき、大きくうなずいて歩いて来た。
 淳一郎は席から立ち上がり、男の名前をよんだ。
「ミゲウ!」
男はキャップを取り手を差し出しながら、淳一郎の名をよんだ。
「ジュン!」
淳一郎とミゲウは力強いあくしゅをして、二十年ぶりの再会をはたした。
「健人くんの名字を聞いて、もしかして、と思った」
「こっちも、ルーカスくんにパパの名前を聞いた時、まさかと思ったよ」
「これは、キセキか」
「人生のキセキ、だな」
二人がにぎり合った手は、なかなかはなれなかった。

 「いつ、日本に来た?」
淳一郎が聞くと、ホットコーヒーをひと口すすってミゲウが答えた。
「もう5年になる」
「ルーカスくんが言っていた。5才の時に来たって」
「そう、ルーカスのためにもと思ったんだ」
淳一郎がうなずいて言った。
「ルーカスくん、むすこと同い年なのに、ずいぶんせが高いな。父親ににたか」
「そうかもしれない」
 まゆをあげたミゲウに、淳一郎は頭を下げて言った。
「先に、お礼を言っておかないと。健人がおたくにおじゃまして、ごちそうにまでなってしまった」
「いや、それは、こちらこそ!」
ミゲウも頭を下げた。
「下の子が健人くんにせわになったんだ。女の子でルイーザという。日本生まれの、今5才だ」
「日本生まれ!?そうか!」
淳一郎が声をあげた。
「ああ、家族で日本に着いた時、ルイーザが生まれたんだ。イザベラは大変だったと思う。ああ、イザベラは妻だ。オレにとっては最高の妻で、子どもたちとっては最高にいい母親だ」
 ケータイの家族写真を淳一郎に見せたあと、ミゲウは言った。
「健人くん、明るくていい子だな。おくさんは?」
淳一郎がうなずいてから言った。
「妻は、健人が3才の時に、死んだ。がんだった」
ミゲウがみけんにしわをよせ、首を横にふった。
「そうだったのか・・・」
 淳一郎が表情を明るくしてミゲウに言った。
「父親としておれがしっかりしなくちゃいけないのに、健人が友だちのところへ行くと言ったことを、ただ聞いてしまったよ」
「ブラジル人のところへ行くとは言いづらかったんじゃないか」
淳一郎はミゲウの言葉に取り合わず話した。
「健人は、サッカーがものすごくうまいルーカスくんと、クラブでいっしょにサッカーがしたいと言っている」
ミゲウが太いうでを組み、下を向いて言った。
「保見にはブラジルの子どもたちだけでやってるサッカーチームもいろいろある。でもおれは、ルーカスには日本の子どもたちといっしょにサッカーをしてほしいと思ったたんだ。それでルーカスはあるクラブに入っていた。でも、ことは思った通りにいかないものだ」
ミゲウが顔を上げて淳一郎に言った。
「ジュン、健人くんが入っているクラブにルーカスをさそってくれたのはうれしいが、それは、むずかしいことだ」
「どうして。何か、あるのか」
「ルーカスは、問題を起こしたんだ」
「問題?どんな・・・?」
淳一郎が首をかしげ、ミゲウに聞いた。
ミゲウは、ふう、と息をはいて言った。
「父親と同じ、問題だ」

 コーヒー店を出て、ミゲウとわかれた淳一郎は、商店街の通りを歩きながら、昔のことを思い出した。
 今から三十年前の1990年に日本の法律が変わって、ブラジル人をはじめとする中南米の人々が多く来るようになり、日本で仕事をして生活するようになった。愛知県の豊田市もブラジル人が多く来て、車の工場で働き、その家族の多くが近くの保見団地などに住んだ。それからというもの、団地の日本人との間で言葉や文化のちがいによるさまざまな問題が起き、そのうちに口ケンカも始まり、ついには団地内やそのまわりでの対立がはげしくなった。
 2000年ころ、ブラジル人たちは同じ思いの仲間が集まって大きなさわぎをおこそうとした。そのグループの中に、ミゲウはいた。その時23才だったミゲウは、はじめは国や人種がちがっても同じ人間、仲良くしようと働きかけていたが、外国人の言い分をまったく聞こうとしない日本人にはらを立てたミゲウは、グループの先頭に立って活動するようになっていた。
 その時ミゲウにはベアトリスという恋人がいた。ベアトリスは大学にりゅう学していて、そのサークル活動で、ちがう大学の学生だった淳一郎と知り合い、ミゲウとベアトリス、淳一郎はよくいっしょにいるようになっていた。
ベアトリスはミゲウがしようとしていることはあぶないと思い、淳一郎に相談を持ちかけた。それを知ったミゲウは、ベアトリスと淳一郎の仲をご解しておこった。
 そのすぐ後、ミゲウはブラジル人をきらう集まりの中の日本人をなぐる事けんをおこしてしまった。そのつみをつぐなった後、ミゲウはベアトリスをつれてブラジルへ帰っていった。

 ミゲウはその後のことを、コーヒーを飲みながら淳一郎に話していた。
 ベアトリスとはしばらくいっしょにくらしていたが、ある時ささいなことから言いあらそいになり、大げんかになった。ベアトリスは、あのまま日本にいたかったといい、そのあとも仲はもどらず、けっきょくミゲウはベアトリスとそのまま別れてしまった。
 ミゲウは、あれから二十年、すべては昔のことだ、と言った。ベアトリスのことも、あの事けんのことも。
 
 たしかに、あれから二十年。時はたち、世の中も変わった。だけど人が人を思う気持ちは変わっていない。そしてざんねんながら、人が人を差別する気持ちも、変わっていない。
 淳一郎は、ミゲウが話したルーカスの〝問題〟のことを思った。

 ベンチにすわっている健人が空を見た。まぶしく光る太陽はさっきからそのい場所を大きく変えていた。健人は公園の入口の方に目をやった。すると、淳一郎がやっとあらわれこっちに向かって歩いて来た。公園の時計は4時20分をさしていて、淳一郎がルーカスのパパと待ち合わせたのが3時だから、会って1時間以上話していたんだと健人は思った。
 淳一郎がベンチにすわるなり、健人が聞いた。
「どうだった?」
「いやあ、ほんとうに二十年ぶりなんだけど、すぐに分かったよ。ああ、ミゲウだって」
「そう。で、ルーカスのことは?」
健人は父親どうしのことより、ルーカスのことが早く聞きたかった。
 淳一郎は一度ゆっくりうなずいてから口を開いた。
「ルーカスは、問題を起こしたんだ」
「問題って、何を?」
「ルーカスは、人をなぐってしまった」
「なぐった?ルーカスが?」
「去年の12月、サッカークラブの練習中に、高学年の子を」
「高学年・・・」
健人はまったく思いもしなかったことを聞かされ、おどろいた。
「何があったと聞いても、ルーカスは理由を言わないって、ミゲウが、ルーカスのパパが言っていた」
「なんでだろう」
「何があったか話してくれないからこまったと、パパが言っていた」
「クラブのコーチは?」
「コーチの方でも、ルーカスに何があったのかクラブのみんなに聞き取りをしたが、何もなかったということをパパに連らくしてきたそうだ」
「何もなかった・・・?」
「パパはとにかくその子にあやまろうとしたが、その子は会ってくれなかった。パパはご両親にもあやまろうと、コーチに聞いてその子の家まで言ったんだが、ご両親にも会ってもらえなかったそうだ」
「それで?」
「それで、ルーカスはクラブをやめた」
「・・・」
「それからルーカスは団地の広場でもサッカーをしなくなって、学校でもほとんど話をしなくなったらしい。年が明けた3学期、たんにんの先生から元気のないルーカスを心配してパパに相談があった。それでルーカスのパパは見かねて、学年が上がるタイミングで思い切ってルーカスを転校させることにしたんだ」
「それでこっちに・・・」
健人は表情一つ変えなかったルーカスの転校初日を思い出した。
 淳一郎が昔のミゲウとのことを話し出した。
「ルーカスのパパ、ミゲウは二十五年くらい前に日本に来て、保見に住んでいた。その時お父さんはミゲウと知り合ったんだ。でも、保見の日本人とブラジル人たちが、言葉や文化のちがいから対立して、これが社会的に大きな問題となってしまった。ミゲウ自身にも色々あって、けっきょくブラジルに帰っていった」
「言葉や文化のちがい・・・?」
「そう。漢字はやっぱり外国人にはむずかしい。漢字で書かれたものはけっこう勉強しないと読めないからね。あと、車の止め方、ゴミの出し方、パーティーのやり方とか、いろんな点で。ここは日本でブラジルじゃない。それをブラジルと同じようにやれば、それは問題もおきてしまうよ。それが文化のちがいってことだ」
 健人が淳一郎に聞いた。
「それで、今は?」
「問題をかい決するための日本の方の努力もあって、また外国人が住めるようなかんきょうがだんだん作られてきたんだ。それでミゲウも、日本のじょうほうを見聞きして、やっぱり日本がいい、子どもたちのためにも日本に住みたいと思って、ミゲウは今度は家族をつれて、また日本に来たんだ」
 健人は何度か小さくうなずいて言った。
「まわりにブラジル人が少なかったら目立って、いじめもあるかもしれないけど・・・。あと、ルーカスも漢字が読めないんだけど、それは平気みたい。こんな字、わかんないよって。だから、そういうことで何か言われたっていうんじゃないと思う」
健人が淳一郎に体を向けて話し出した。
「それになんたってルーカスは、サッカー王国のブラジルから来て、サッカーがめちゃくちゃうまいんだよ。サッカーのことで何か言われるわけがない。ルーカスがおこったこと、なぐったことには、ぜったいに他の理由があると思うんだ。きっとそれは、サッカーのレベルっていうか、ルーカスは思ったように動けないことでイライラしちゃって・・・。そうだ、その高学年の子のパスがヘタとかで、ルーカスが頭にきたのかもしれない。ゴール前で、いてほしいところに、そいつがいなかったりしたのかもしれない。ルーカスはうますぎて、ふつうのやつじゃあいつのやりたいことがわからないないんだ」
健人がルーカスを守ろうとして話し続けているを、淳一郎のひと言が止めた。
「健人、チームスポーツはチームのみんなでやるもんだよ」
「そうだけど・・・」
「もしも、もしもルーカスが健人のいうようなことが理由だったのなら、それはよくない理由だ」
「・・・」
「自分勝手なわがままだよ。思うようにいかない、思い通りにならないからといってやってしまうのは」
健人は淳一郎に言い返す言葉がなかった。
「人はおとなでも子どもでも、みんなの中で生きていくのに、なんでも思ったようにはいかない。いや、思ったようにいくことなんてほとんどないんだ。それはそうだろう。みんなだっていろんなことを思ってる。ああしたい、こうしたいって、一人一人思ってるんだ。でもそれがなかなかできない中で、人は、どうするか、どうしたらいいかを考える。いっしょうけんめい、考えるんだ」
淳一郎の言葉に、健人は下を向いてだまった。
 淳一郎が公園で遊ぶ子どもたちに目をやって、健人に聞いた。
「健人はどうしてルーカスとサッカーがしたいんだ?」
健人は下を向いたまま話し出した。
「ルーカスとここでちょっとサッカーをやった。遊びだったのに、ルーカスのサッカーは、ほんとうにすごいんだ!それでルーカスとサッカーができれば、自分ももっとうまくなれるって思ったんだ。だからルーカスにチームに入ってもらいたいって・・・」
「わかった。健人は、健人にとってのいいことを考えたんだ。じゃあ、ルーカスは?ルーカスはどんな考えでいると思う?」
「それは、だって・・・、ルーカスが何を考えてるのか、ぼくには・・・」
 淳一郎が、続けて健人に聞いた。
「サッカーをやめたルーカスが、遊びでも、おまえとサッカーをしたのはどうしてだと思う?」
「それは・・・」
そういえば、そうだ。サッカーをやめたルーカスが、どうして自分と・・・。健人にはわからなかった。
 淳一郎が健人に顔を向けて聞いた。
「健人、ルーカスのことがよくわからないんだったら、どうすればいい?」
健人は答えられなかった。淳一郎が言った。
「ルーカスに、聞くんだ。ルーカスも健人と同じくらい、いろんなことを思ったり考えたりしてる。だから健人は、ルーカスの思いや考えをよく聞いて、ルーカスのことをもっとわかってあげるんだ。それが友だちっていうものだ」
淳一郎は健人の目を見て言った。
「ルーカスがまたサッカーをするかどうかは、それからだよ」
下を向いた健人が、少しして顔をあげてうなずいた。
「わかった」

 西の空にかたむいた太陽に向かって、淳一郎がのびをしながら言った。
「うーん、夜めし、何か食べていこうか。何がいいかな。パスタか、たまには焼肉か・・・」
考えながらベンチを立ち上がった淳一郎に、健人が言った。
「ルーカスのうちに行った時、シュラスコ死ぬほど食べた」
「そうか」
「だってルーカスのママが、どんどん焼いてくれるんだ」
「ああ、おくさんのイザベラだね。ミゲウから聞いた」
 二人は公園の出口に向かって歩き出した。
「ルーカスのママ、ほんとにやさしいんだけど、こっちはもうおなかいっぱいなのに、もっと食べて、もっと食べてって」
「たいへんだったな」
淳一郎が笑って言った。
 横断歩道の信号待ちで健人が言った。
「ルーカスはさ、サッカーがうまいだけじゃなくて」
「うん?」
「やさしいママがいる」
「ああ・・・」
「ぼくにはお母さんがいない」
健人は、言ってしまったと思った。言うつもりはなかったのに。
 淳一郎がうなずいて言った。
「そうだな、お母さんは、いない」
目の前を車が二台通った。
「でも、お母さんは、いる」
淳一郎が横の健人を見た。健人も淳一郎を見上げた。淳一郎は健人のむねに自分の手のひらをあてた。
「お母さんは、ここに、いる」
それから淳一郎は、その手のひらで自分のむねを軽くたたいた。
「お母さんは、お父さんのここにもいる。声をかければ、こたえてくれる」
淳一郎は少しほほえんで健人に言った。
「お母さんは、いつも健人のことを見ている」
健人は前を見てうなずいた。
「わかった」
 歩行者の信号が青にかわり、二人は西日のあたった横断歩道をわたった。


      10

 パスが来てもすぐに動き出せない、ドリブルは足につかなくて相手に取られる、シュートはゴールのわくをはずしてしまう・・・。今日の健人は練習にならなかった。健人は、明日の練習の後、団地の方で会うことにしたルーカスのことが頭からはなれなかった。
 ルーカスが考えていることを、とにかく聞くんだ。それからルーカスのことを、おれが、いっしょになって考えるんだ。そして・・・。
 健人には、そして、の先がぜんぜん思いうかばなかった。

 健人が帰りじたくをしていると、加賀コーチの声がかかった。
「健人くん、ちょっと」
健人は、はいと返事をして加賀コーチのところへ行った。
「どうした」
「え」
「学校で、何かあったか」
「いえ、何も」
「そうか、元気が今ひとつって感じに見えたから」
「そうですか」
「こないだの、ルーカスくんは、どうした」
加賀コーチが見学したルーカスのその後のことを聞いてくるのはあたりまえだけど、まさか、自分がルーカスのことをずっと考えているのが伝わってしまったんだろうかと健人は思った。健人はほんとうのことを言わないようにした。
「まだ、考え中って、言ってます」
「そうか」
加賀コーチはかぶっていた白いキャップを取り、夕焼けで赤くなり始めた空を見ながら言った。
「健人くんはブラジルのサッカーをどう思う?」
健人はルーカスのことを聞かれると思ったが、加賀コーチのしつ問はちがった。健人はすぐにこたえることができた。
「すごいです。みんなサッカーの天才です」
「そうだな。ブラジルのサッカーは、個人のサッカーだ。一人一人がそれぞれの才能で戦う。チーム全体のコンビネーションで戦う日本とは正反対、と言っていい。それにはフィジカル、体の能力だけじゃなくメンタル、心が関係している。彼らはほんとうに自分をよくアピールする。自分はこう思う。自分はこうしたい。それにくわえて感情のアップダウンがはげしい。時にはチームの中でも言いあらそいになったりもする。でもそれは彼らにとって悪いことじゃない。そうやっておたがいの思いを、その時その場でぶつけ合いながらやっていくのがブラジルなんだ」
 健人がブラジルの選手を言おうとしたら、加賀コーチが話を続けた。
「今グランパスでやっているブラジルの選手も、がんばってるね。あと、日本に帰化、といって日本人になってサッカーをする選手もいた。ラモス、ロペス、トゥーリオ。みんな日本が大好きで、帰化して日本代表になってプレーした。かれらは日本人より日本人らしいと言われていたんだ。日本とブラジルはとても仲がいい。120年前、日本から移民といって、ブラジルへ仕事、生活をしにいった人たちがたくさんいたんだ。それから国どうし、今までとても親しくしてきたんだよ」
健人は、加賀コーチがルーカスのことを気にかけてくれていると思った。
 コーチが健人に顔を向けて言った。
「健人くん、ルーカスくんは、いい友だちか」
「はい」
「そうか。いっしょにやれるといいな」
「はい!」
健人はコーチに大きな声で返事をした。
 健人がリュックを持ってあいさつをしようとしたら、加賀コーチがふり向いて言った。
「健人、サッカーは楽しいな!」
くんづけじゃなく、笑顔で。
「サッカーする人たちはみんな、サッカーでワザをきそって、サッカーで一つになれるから」
そう言って、コーチは白いキャップをかぶり手をあげた。
「すまん、話が長くなった。気をつけて帰れよ」
「コーチ、ありがとうございました!」
健人は加賀コーチにきちんと頭を下げてあいさつをした。
 西の空はものすごい夕焼けで、一面がまっ赤になっていた。

 保見団地の入り口に向かって歩いていた健人は、案内板のところに立っているルーカスを見つけ、かけ足でいった。
 「あれ、ルイーザちゃんは?」
「ママと買い物。健人が来ることは言っていない」
「そうか」
「いると健人もうざいだろ」
「そんなことないけど」
 健人は案内板の団地の見取り図を見た。団地は六十七あると聞いていたが、何人住んでいるのかルーカスに聞くと、住人は九千人、そのうち半分がブラジル人や他の外国人だと言った。
 団地の手前の広場では、保育園に通うくらいの、ブラジルの小さな子どもたちがサッカーをしていた。子どもたちはあっちへこっちへところがるボールをけんめいに追いかけていた。まわりでは親たちがバモス、バモス!と声をあげていた。
 健人がルーカスに聞いた。
「なんて言ってるんだ?」
「ヴァーモス。ポルトガル語で、行け、っていう意味だ」
そう言ったルーカスが広場に目をやった。
「どんなにすごいセレソンも、小さい時からヴァーモス!って声かけられて始まるんだ」
「こういう広場で?」
「いや、道でも、どこでも」
「道でも?」
「平気さ。大人もみんなそうしてきたから」
「そうなんだ」
 二人は子どもたちのサッカーを見ながら広場の向こうの方にあるベンチにこしかけた。
 健人がルーカスに言った。
「ルーカス」
「ん?」
「聞いたよ」
「何を?」
「サッカーやらないわけ」
ルーカスがだまった。
 健人は続けて言った。
「クラブの高学年、なぐったんだって?」
ルーカスはだまったまま、何もこたえなかった。
 健人はルーカスの顔を見た。
「何があった?」
ルーカスが表情を変えずに言った。
「べつに」
 広場から外に出てしまったボールを子どもたちが追いかけた。一番早くボールに追いついた子と、まわりのみんながまたいっしょに走って広場にもどった。
 健人が言った。
「ルーカス、おれのお父さん、ルーカスのパパを昔から知ってたんだって」
「パパから聞いた」
「子どもどうしが同じクラスで出会って、その親どうしが二十年ぶりに再会できたなんて、すごいと思わない?それもそっちは、ブラジルから、地球の反対がわから来てるんだよ?」
 広場の子どもたちに目をやったまま、ルーカスが言った。
「ブラジル人は日本にいちゃだめか」
「え?」
「ブラジル人は、日本にいちゃ、だめか」
ルーカスが健人を見て、言葉をくぎって聞いた。ルーカスはさらに続けた。
「みんな思ってんだろ。日本には日本人しか、いちゃだめなんだって」
「そんなことないよ。サッカー見てみろ。ヴィッセル神戸にはイニエスタとか来て、グランパスには、ブラジルの、ブラジルのジョーがいるじゃないか」
「いいのはスター選手だけだ。日本人は有名人に弱い。そうじゃない、ふつうの人たちは、いちゃだめなんだって言ってるんだ」
「そんなことないって。ルーカスだって今日本にいるじゃないか」
ルーカスがふうと息をはいて言った。
「日本はいい国だ。どこへ行っても便利だし、きれいだし、安全だし。ブラジルを見てみろ。ブラジルなんて・・・」
健人はルーカスに体を向けた。
「何言ってるんだ、ブラジルにはサッカーがあるじゃないか。いつも世界のトップクラスで、すごい選手がいっぱいいて・・・」
ルーカスが首を横にふって声をあらげた。
「ブラジルにはサッカーとサンバしかない!あとはほんとに、ダメ!」
 健人が下を向いて、少しして顔を上げた。
「ルーカス、何が言いたいんだ。サッカーがうますぎて、だれかにバカにされたのか。うますぎてバカにされる、そんなの、聞いたことがないけど」
健人の言葉に、ルーカスがだまってうつむいた。少しして、ルーカスがぼそっと言った。
「出かせぎ野郎」
「え?」
「出かせぎ野郎の子どもが、日本でへらへらサッカーなんてやってんじゃねえよ」
「だれか、そう言ったのか」
「おまえの父親は、日本の金がほしいブラジル出かせぎ野郎だ!」
ルーカスがはきすてるように言って顔をゆがめた。

 十二月に入り、外は冷たい風が吹いていた。保見レオーネFCの練習に集まったのは、カゼで休みの子も多く15人だった。6年は中学受験とかでもう来ていなくて、高学年は5年が3人、4年が6人、低学年は3年のルーカスのほか5人だった。
 いつものパス練習が終わったところでコーチが声をあげた。
「よし、高学年5人5人で試合形式、やろう。低学年は見て勉強だ。学年でA、Bに分かれてチームになる。フォーメーションは、キーパーに、3・1でも2・2でもいいからチームで話しあって決めるように。あと、一人足りないから、ルーカス入って」
「コーチ、3年入れるんですか」
5年の一人、遠藤蓮が言った。コーチは低学年の集まりで一人背が高いルーカスを見て言った。
「いいじゃないか。ルーカス、入るんだ」
5年の木内雄星と古田朝日が言った。
「なんで入れなきゃいけないんだ」
「見てりゃいいんだよ」
コーチは二人のもんくを聞かずに手を左右に広げた。
「はい、A、Bに分かれて!」

 ルーカスは、5年が蓮のBチームになった。その蓮がポジションを決めた。
「おれがフォワード。あと4年二人で右、左。キーパーも4年な。あとはどっかにいろ」
あとは、としか言われなかったルーカスは、キーパーの前に立った。
 ホイッスルと同時に蓮が一度4年に送ったボールの返しをもらうと、軽いドリブルで右に開き、4年の一人に前へ出るように顔を動かした。蓮の出したパスを4年がまた蓮へ返そうとした時、雄星と朝日が同時につめより、ボールをうばった。残っていたもう一人の4年がつくが、雄星と朝日は早いパスこうかんをしながら前へ出てきた。 蓮が急いでもどり朝日につこうとするが、朝日はすぐに右サイドに開いた雄星とキーパーの間に早いパスを出し、そこに雄星がシュートのタイミングで飛びこんできた。その時、雄星の足がボールにとどくより先にルーカスが足を出し、パスをカットした。
「ざけんじゃねーよ!」
雄星がルーカスにもんくをつけるとコーチから声が飛んだ。
「きたない言葉はダメ!」
 ルーカスはカットしたボールをけり出し、ドリブルで左サイドを上がっていく。
「こら、こっちよこせ!」
センターのあたりで蓮が声を上げた。その後ろに朝日がついているのが見えた。ルーカスのすぐ後ろには雄星が来たのがわかった。ルーカスは体をひるがえし、横にいた4年をかわして中へとボールを持ち出す。蓮がたてに動き出してくれればパスをと思ったが、蓮はルーカスによって来た。ルーカスが蓮の足もとにボールを出すと、蓮はそのボールを受けながら、ルーカスの顔を見て言った。
「出かせぎ野郎」
 蓮は左サイドにボールを持ち出し、4年の一人に上がるように手をふった。ルーカスが右に行こうとした時、朝日が横についてきて小さな声で言った。
「サッカーならブラジルに帰ってやれば」
 蓮が左サイドから中へ切りこんでいって、ごういんにシュートを打ったが、キーパーの正面で取られ、ボールはセンターにいる雄星にわたった。雄星はドリブルで正面をつき、そのままシュートしたが、前にいた4年にあたり、ボールが右にころがった。
 蓮はボールを止めたかと思うと、すぐにドリブルで前の4年をかんたんにかわしゴール前に上がった。そしてすぐさまけったシュートは、ゴールポスト右ギリギリに決まった。
 蓮はこぶしをにぎりガッツポーズ、4年二人とハイタッチをしたあと、ルーカスにちかより小さな声で言った。
「出かせぎ野郎の子どもが、日本でへらへらサッカーなんてやってんじゃねえよ」
ルーカスの顔が熱くなった。さっきは何かバカにされたと思っただけだった。今度は、子どもというのが自分だと分かった。だから出かせぎ野郎というのは・・・。ルーカスはゴール前に立ちつくした。
 ホイッスルがなり、センターで雄星が朝日からの返しを持って出てきた。雄星が蓮との1対1をいどむ。雄星の何度とない左右のフェイントにも蓮がついてくるので、雄星は朝日にパスを出した。朝日はそのボールを止めずに前に出す。あわててよせる4年をふりきりゴール前へ、ルーカスは朝日のシュートにも動かないで、ただそこに立ったままだった。
 朝日のシュートはゴール左すみに決まった。朝日と雄星がハイタッチでもどる。蓮がルーカスに大声をあげて近づいた。
「おいおい、たのんますよ!」
そして蓮はルーカスに顔をよせ小さな声で言った。
「おまえのパパは、日本の金がほしい、ブラジル出かせぎ野郎だ」
そのしゅん間、ルーカスの右手がこぶしになって蓮の顔めがけて飛んだ・・・。

 広場の子どもたちはボールを追いかけ続けていた。
 ルーカスが顔を上げて健人に言った。
「おれはパパに言われていた。ここは日本だ、みんなとうまくやれって。何かあってもがまんしろ。自分の言いたいことは、まず、言わないほうがいい。出すぎたことはするな。調子に乗っちゃいけないって」
 広場では一人の子どもがドリブルを続け、ずっと走って行くのをみんなが追いかけていた。
 ルーカスは続けた。
「おれはパパの言いつけを守っていた。サッカーする時も・・・。でもあいつは、パパのことを・・・」
ルーカスの手がジーンズの横をつかんでいた。
 健人はとにかく何か、何か言葉をルーカスにかけようと思った。
「ルーカス、変なことを言うやつは、どこにだっている。ルーカスに言ったやつも、サッカーでルーカスにかなわなくって、ルーカスのことがうらやましくて、なんか言うしかなくて、なんか言ってやれと思って、ルーカスのパパのことを悪く言うしかなかったんじゃないか」

健人は広場の方に顔を向け、続けて言った。
「見ろよ、みんなサッカーを楽しんでる。そうすりゃだれだってもっとうまくなりたいって思うだろ。日本人だって同じだ。でもブラジル人はすごくうまいから、日本人は・・・」
「ブラジル人は来ちゃいけないのか」
ルーカスがぼそりと言った。
「え?」
「健人、ブラジル人は日本に来ちゃいけないのか。ブラジル人は日本に住んじゃいけないのか。ブラジル人は日本で勉強したり、仕事をしたりしちゃいけないのか。じゃあ中国人は?韓国人は?ベトナム人は?みんな、みんな、日本人じゃない外国人は、日本に来て生活しちゃいけないのか?」
ルーカスが健人にくってかかった。健人が首を強く横にふった。
「そんなことないよ!」
 ルーカスが健人から顔をそむけた。
「それに」
健人はルーカスに顔を近づけた。
「もしおれのお父さんがバカにされたら、おれだって、やる!相手がなに人でも!どこの国のやつでも!」
 ルーカスは、強く言い切った健人に顔を向けた。そして自分を見つめてる健人の目を見た。

 小さな子どもたちがあちこちへけりだすボールを追いながら、健人がルーカスに言った。
「こないださ、ルーカスの家に行った時、やっぱ、家族っていいなって思ったよ。ルイーザがいて、パパがいて、それにすっごくやさしいママがいる」
「ぜんぜん!ママはこわい時は、すっげーこわい」
首をふったルーカスに、健人が言った。
「おれにはママが、お母さんがいないから」
「え?」
健人の言葉にルーカスがとまどった。
「おれにはお母さんがいない。3才の時、病気で死んだんだ」
「そうだったのか・・・」
ルーカスが地面に目を落とした。
「だからルーカス。ルーカスにはあんなやさしいママがいるのが、おれはほんとにうらやましい。おれ、サッカーはこれからたくさん練習すればうまくなれるかもしれないけど、お母さんは、さ・・・」
ルーカスは健人になんと言っていいかわからなかった。
 健人が続けて言った。
「おれさ、片親って言われることがあるんだ。それは父親か母親のどっちかがいないって意味。一番言われるのは、かわいそうに。あと、やっぱり子どもは母親がいないととか、父親一人で子どもがちゃんと育つのかとか言われる。でもさ、お父さんは、がんばってる。仕事しながら、おれのためにすっごくがんばってくれてるんだ。だからお父さんをバカにするやつがいたら、おれはゆるさない」
 健人がルーカスを見て言った。
「おれ、お父さんに言われてる。お母さんはいつも、ここにいるって」
健人が手のひらで左のむねをおさえた。
「つらい時とか、苦しい時とか、おれがよべば、お母さんはこたえてくれるって」
「健人・・・」
ルーカスが健人を見つめた。

 健人とルーカスがベンチから立ち上がった。健人はルーカスの前に立ち、首一つ高いルーカスを見上げて言った。
「ルーカス」
「うん?」
「おれと、サッカー、しようよ」
ルーカスはだまっていた。健人は続けて言った。
「おれの入ってるクラブで、おれとサッカー、いっしょにしようよ」
ルーカスは、まだ、だまっていた。
「おれはルーカスとサッカーがしたい。ルーカスと組んで、すごいサッカーをやってみたいんだ!」
健人がルーカスに顔を近づけて強く言った。
「もし、おれたちがサッカーするのに、変なじゃまをするやつがいたら、おれがゆるさない」
ルーカスが、やっと口を開いた。
「パパに、言ってみる」
健人がルーカスの肩に手をやった。
「ありがとう、ルーカス!オブリ、ガード!」
 健人の笑顔に、ちょっと下を向いたルーカスの口のはしが上がった。


 イザベラとルイーザが買い物から帰ってきた。ルーカスはげん関まで出た。
 大きなスーパーの大きなふくろ二つを上がり口にどさりと置いたイザベラが、体をおこしてふうと息をついた。
「ママ」
「なに、ルーカス」
「ちょっと、話したいことがある」
 うしろでルイーザがイザベラをよんだ。
「ママ、はなちゃんと遊んできていい?」
「いいけど、下の広場でね。はなちゃんのおうちへ行かないで」
「わかった」
 イザベラがキッチンで買ってきたものをふくろから取り出しながらルーカスに聞いた。
「話したいことって、なに?ルーカス」
ダイニングのイスにすわったルーカスが少しだまってから口を開いた。
「サッカーが、したい」
「え?」
「健人が、どうしても、いっしょにって。だから、サッカーがしたい」
イザベラが手を止めて、テーブルについた。
「ルーカス、その気持ちが出てきたのは、ママ、とってもいいことだと思う。でも、パパはこないだ健人くんの話を聞いて、むずかしいって言っていたでしょう」
ルーカスが下を向いて言った。
「もうしない」
イザベラはテーブルに体をのり出して言った。
「ルーカス。サッカーだってなんだって、自分勝手はゆるされないわ」
イザベラはルーカスに続けて言った。
「自分の思い通りにならないからって、そのためには何してもいいってわけじゃない」
ルーカスはだまっていた。
「ルーカス、あなたがあんなことをしたのは、何か理由があるんだと思う。でもあなたは何も言わない」
ルーカスは下を向いてだまり続けた。
 イザベラが首を少しかしげ、ルーカスの顔をのぞくようにして言った。
「健人くんは、いい友だちね」
ルーカスがこくりとうなずいた。
「あんなにいい日本の友だちができて、よかった」
「ママ」
「うん?」
「健人には、ママがいないんだ」
「え?」
「健人のママは、健人が小さいころ、死んだんだって」
イザベラの顔からほほえみが消えた。
「そうだったの・・・。でも健人くん、あんなに明るくて」
イザベラがルーカスに顔を向けた。
「ルーカス、あなたのことを思ってくれてる健人くんのためにも、また、サッカー、やりたいね」
ルーカスがまた、こくりとうなずいた。イザベラがルーカスに言った。
「信じてる」
ルーカスが顔をあげた。イザベラはルーカスを見つめていた。イザベラは手をのばし、ルーカスの手をとった。
「ママは、あなたを、信じてるから」
「ママ・・・」
目になみだがうかんだルーカスに、イザベラがほほえんでうなずいた。
「パパにはわたしから言ってみる」


      11

 朝、教室で、加奈は健人がニコニコしているのに気がついた。
「なによ健人、何かいいことあったの?」
「ルーカスに、OKが出た」
「OK?」
加奈は健人の横にすわってるルーカスを見たが、ルーカスは国語の教科書を出して開いていた。健人が立ち上がり、加奈に顔を近づけて言った。
「ルーカスがクラブに、ファルコンに入る」
「そうなの?やったね!ルーカス、パパがいいって?」
ルーカスが開いたページを見たまま、ちょっとだけうなずいた。
「明日ルーカスのパパが入会手続きしてくれるっていうから、あさって祝日で休みの水曜、ルーカスは練習に来れるってわけだ!」
健人の声が大きくなった時、教室に中村先生が入ってきた。加奈は、国語の教科書から顔を上げないルーカスの顔をのぞきこんでから自分の席についた。

 国語のじゅ業が終わって、健人がルーカスに言った。
「ルーカス、そこまで漢字が読めないの、ちょっとやばいんじゃないの」
「うるさい」
ルーカスがぶっきらぼうに返すと、前の席の加奈がふりかえって言った。
「ねえ、ルーカス。ほんと、少しおぼえた方がいいって。かんたんなのだけでも・・・」
「加奈もうるさい」
ルーカスはいきなり席を立って、大またで歩いていった。
「まてよ、ルーカス、おれもトイレ!」
健人もあわてて後ろからルーカスについて教室を出ていった。
 加奈が次の社会の教科書を出していると、教室の前のとびらからまたあの赤ジャージが顔をのぞかせた。
「ブラジル人、いますか」
加奈が立ち上がって大声で言った。
「今いません。もう先生に言いますから!」
「どうもスイマセーン!」
赤ジャージは加奈におどけた顔をして出ていった。
 加奈はいそぎ足でしょく員室に行き、中村先生をよんでもらった。
「先生、ちょっとお話が」
「なに、加奈ちゃん」
「今、6年生の男子が、ブラジル人いますかーってルーカスをバカにしに来たんです。ルーカスはトイレに行ってていなかったんですけど、こないだなんか3人で校門のところで待ってたりして」
「なんて言ってくるの?」
「ブラジルへ帰れ」
中村先生はため息をついた。
「ほんとにしょうがないわね。わかりました。6年の先生に言っておくわ」
 加奈は中村先生に、ボウズ頭の赤ジャージとあと二人の見た目を伝えた。
「先生、人はどうして、外国の人だからってきらったりするんですか」
「自分たちとちがうものが来たって、い場所を守ろうとする気持ちがはたらくのね」
「ちがうものって、同じ人間じゃないですか。いっしょにやっていこうって思わないんですか」
「むずかしい問題ね。世界でもおこってることだけど、アメリカ、イギリス、フランスとかで、ちがう国から生活しに来る人を入れるなって言ったりする人も多くなってるの」
「サイテー」
「でもちがう国から来た人が多くなりすぎると、もともとの国の人が、こまることはあるでしょう?おたがい文化がちがうんだから」
「文化・・・」
「私が好きなものでも、加奈ちゃんが好きとはかぎらない。私はいつもこうしてるからって言っても、加奈ちゃんはそんなことはぜんぜんしていない、とか。いつもすることや好みを国の人たちにまで広げたものが、国民性とか、その国の習かんや文化って言うのね。加奈ちゃんは、他の国から来た人たちが集まって、その国のじゃなくて自分たちの習かんや文化で生活するのは、いいと思う?よくないと思う?」
「うーん、よくないと、思います・・・」
「じゃあ、どうすればいいですか」
加奈が考えこむと、先生がうで時計を見て言った。
「あ、次のじゅ業始まっちゃう。加奈ちゃん、6年の担任の先生には言っておきます。この話はまたね」
中村先生は加奈に少しほほえんで席にもどっていった。
 加奈はろうかを歩きながら、わたしが知ってるブラジルの文化は、シュラスコとムイト・オブリガーダ・・・、とつぶやきながら教室にもどった。


 夜7時、ドクタールームにもどった淳一郎のスマホに、ミゲウからるす電が入っていた。淳一郎はすぐにミゲウに電話した。
「もしもし、ミゲウです」
「ああ、ミゲウ。ジュンです。電話に出れなくてすいませんでした」
「いや、いそがしいところすまない、ジュン。今日、リトルファルコンの入会手続きすませてきた」
「そうか」
「すごくせの高いコーチ、名前をなんといったか」
「加賀コーチだ。あの人は信らいできる」
「ああ、そう思った。その加賀コーチが書類の住所を見て、どうして保見の方からルーカスくんをこのクラブにって聞かれたので、いい友だち、健人くんがいるからって言ったよ」
「うん」
「それで、前のクラブのことは言わなかった」
「いいんじゃないか。いつも、そのことがあったって見られるより」
「ルーカスと、やくそくをした。同じまちがいはくり返さないって」
「それが大事だ」
「父親もやってしまったのに、えらそうだけどな」
「いや、まちがいはだれにでもある。それを次にどうするか、なんだ」
「健人くんにも、ルーカスをよろしくたのむと言っておいてくれ」
「わかった。しっかり言っておく。健人には、ルーカスくんとサッカーがしたくて、ルーカスくんをクラブにしょうかいしたことへのせきにんがあるんだ」
「ジュン、ほんとにありがとう、ムイト・オブリガード!」
「ミゲウ、今度いっしょに練習を見にいこう」
「OK!チャオ!」
「チャオ!」
淳一郎がケータイを切ると、若い女性のかんごしが入ってきて、ちょっと笑って言った。
「先生、めずらしいですね、チャオですか」
「ああ、おつかれさま!おそくまで、オブリガード!」
淳一郎は笑顔とポルトガル語でかんごしに答えた。


 ゴールデンウイーク最初の祝日、空はよく晴れて日ざしが強く、夏のような暑さになった。
 午後一時半、リトルファルコンが練習するグランドの入り口横で、加賀コーチが赤いトレシャツを着たルーカスにクラブ最初の話をした。
「ルーカスくん。きみがブラジル人でも、クラブには特別なことはなにもない。このリトルファルコンは、みんなほんとうにサッカーがうまくなりたいと思っていて、いっしょにがんばっていこうというクラブだ。だからといってただのなかよしクラブじゃない。自分の考えやプレーをどんどん出して、気がねなく、思いっきりぶつかり合いながらやっていく。いいかな?」
「はい」
「じゃあ、みんなといっしょに、やっていこう!」
加賀コーチはルーカスの肩を手で軽くたたいて、みんなのところへつれていった。
 「みんな、今度うちに入った、4年のルーカスくんです」
「ルーカスです。よろしくお願いします」
後ろで組んだ手をほどいて、ルーカスがちょこんと頭を下げると、みんながはく手をした。
「おお、ルーカス、やっと助っ人が来てくれた!」
「だから、亮。6年が4年に助けてもらってどうするんだって!」
亮と康介のボケ、ツッコミが始まりみんなが笑った。
 健人も笑いながら、今からルーカスとのサッカーが始まることにむねが高鳴っていた。

 5、6年に続き、3、4年のグループのアップがスタート、健人は裕太とルーカスに声をかけ走り出した。グランドを2周したあと、ボールをドリブルしながら2周、ルーカスはふつうにけっていたかと思うと、足やヒザでの軽いリフティングを時々入れながらまわった。それを見た裕太が、ルーカス、軽いねー、と声をかけた。
 パス練で健人はルーカスと組んだ。インサイド、アウトサイド、トウとひと通りやり取りをすると、ルーカスはボールをうかせてよこしたり、強いボールをけり出したりした。健人もそれを受けてボールを返した。こんなパス一つでも、ルーカスとやると楽しい、と健人の気持ちは上がっていった。
 パス&ゴーをなんどもくり返しやった後、加賀コーチが手を高く上げた。
「はい、みんな聞いて。今日は3対3で、キーパーなし。ルールは自分のチームの3人がみんなゴールを決めた方が勝ちだ」
みんながアセをふき水分をとる中、5年の晴紀が聞いた。
「コーチ、一人で3本入れてもいいですか」
「3人それぞれ一本づつで、3本だ」
「えーっ」
おい、だれと組む?それが問題でしょ、などとみんなから声が上がった。
 チームはくじで決まった。今日の参加は4年7人、3年5人の12人、AからDの4チームができた。健人はくじ運良くルーカスと、あと3年の龍之介とでチームAになった。相手はチームB、光太郎、春馬、3年の直樹の3人だ。
 健人がルーカスに龍之介を紹介してから、チームBの3人の特長を言おうとすると、ルーカスは首をふって、それはいらない、覚えられないから、と言った。
 じゃんけんでボールを選んでゲームスタート、健人はすぐに左の方に開いていったルーカスを見て、長いパスを送った。ルーカスが足もとでボールを止めたと思ったその時、ルーカスはその長い足でボールをゴールに向かってけり上げた!ボールはそのままゴール右に飛びこんだ。
 「ワン、ゴール!」
加賀コーチが指を一本立てた。ルーカスのいきなりのロングシュートに、光太郎、春馬、直樹はただあっけに取られて立っていた。
 何ごともなかったようにルーカスがサイドにもどってきた。相手チームと同じように、健人もおどろくしかなかった。だれもがボールを受けて相手の様子を見てから動き出すと思っているのに・・・。健人はむねがふるえた。やっぱり、ルーカスはちがう!やっぱりルーカスは、すごい!
 相手ボールで光太郎がけり出す。右の直樹が受けて、龍之介の横を行こうとけしかける。直樹がまだあまりボールさばきがうまくないことを知っている健人は、すぐに直樹と龍之介の横に行き、ゴールへの進路をふさいだ。その時、ルーカスの声がした。
「りゅう!」
ルーカスは龍之介に走るよう手をふった。龍之介は言われたままに直樹からはなれ、左サイドラインを走っていく。健人は同時に直樹のボールを取りにかかった。直樹はフェイントをかけようとボールを動かしたが、健人はそこをねらってボールをけり出した。その先にいたルーカスはそのボールを受け止め、ゴール前に上がった龍之介にロングパスを出した。龍之介がインサイドで軽くボールをゴールに入れると、加賀コーチの声がひびいた。
「ツー、ゴール!」
 ルーカス、龍之介とゴールを決め、これであとは健人だけになった。相手は今度は春馬スタートで、光太郎がなんとかしようとボールを受けた。その前にルーカスが立つが、ルーカスは何もかまえず、ただ立っているだけだった。直樹がボールをもらおうと動くがルーカスはかまわず光太郎に近づいた。光太郎は直樹にパスを出せず、前へ出ようとした時、ルーカスの長い足が光太郎の足もとのボールをはらった。ルーカスはそのボールをすぐに止め健人を見た。健人はすぐに思い切りダッシュすると、ルーカスのけったボールが光太郎と直樹のあいだをぬけ、そのまま健人の前に出た。健人はボールに足を合わせるだけで、楽々とゴールに送りこんだ。
「スリー、ゴール!ゲームセット!」
加賀コーチが指三本を立てて上げた。
 6年の康介と亮が、自分たちの練習のインターバルにこの様子を見ていて声をあげた。
「おお、さすが!」
「いいねー、ルーカス!」
 チームAはものの5分でBをくだし、続く弘也のチームC、最後に裕太のチームDにも勝ってゲームを終えた。

 加賀コーチがみんなを集めて話をした。
「みんなも感じたと思うが、ルーカスくんはボールをあつかうぎじゅつがあって、それにサッカーは相手がいるということをとてもよく考えて、工夫している。この工夫は試合をしていく上でとても大事なことだ。技術は体でおぼえる。工夫、考えることは、もちろん、ここだね」
加賀コーチは自分の白いキャップを指差した。

「ルーカス、やっぱすげえよ」
練習が終わってあがる時、裕太が前を歩くルーカスに言った。顔をちょっとだけ後ろに向けてルーカスがこたえた。
「べつにすごくない」
「これですごくなかったら、すごいってのはどうなっちゃうんだ?」
裕太はおどけて目をむいた顔をした。
「上には上がいる」
ルーカスがそっけなく言った。
 ほんとうにそうだ、と健人は思った。ルーカスはたしかにすごい。みんなもルーカスのプレイを初めて見ておどろいているだろう。でも、自分はもうおどろいてる場合じゃない。自分自身のプレーのレベルがもっと上がっていかないと。そうじゃなきゃ、トレセンはムリだ。健人は気を引きしめた。ここにルーカスがいてくれてほんとうによかったと健人はあらためて思った。

 ゴールデンウイーク中はさわやかな天気が続き、クラブの練習も集中してできたが、その後天気は下り坂になり、週末の土曜日は空がはい色の雲でおおわれたむし暑さの中での練習となった。
 前半の練習を終えてアセだくのみんなが水分を取っている時、加賀コーチが言った。
「よし、3、4年と1、2年のグループに、高学年が一人入ってチーム作って対戦しよう」
「よし、ここでへばってらんないな。おれがひとりで10点くらい入れちゃうよ!」
タオルで顔をがしがしふいていた亮が声をあげると、5年の晴紀が飲んでいたボトルを口からふりおろして言った。
「いやいや、いくら亮くんでも、このむし暑さじゃムリでしょ!」
 一チーム4人、キーパーなし。ゲームは10分、スローインやコーナーキックは手ではころがして入れるなどの加賀コーチのルール説明があった。
 チーム決めで、健人とルーカスは3、4年の二つのチームにそれぞれわかれ、健人の方には6年の亮が、ルーカスの方には同じく康介が入った。
 亮が健人と同じチームになった純平、弘也を呼んで、ポジションを決めた。亮と健人が前、淳平が真ん中、弘也は後ろでゴール前のディフェンスとしたあと、亮が健人に小声で言った。
「ルーカスにかまうな。点を入れることだけ考えろ」
 向こうでは康介が、ルーカス、裕太、光太郎に話していた。
 じゃんけんに勝った亮チームのボールでゲームスタート、センターで健人が亮にけり出す。亮にはすぐ康介がついた。亮は上がってきた淳平に、淳平は右サイドの健人にボールをまわす。健人がドリブルで中へ入ろうとするが、裕太がついてくる。亮が康介をぬいてダッシュ、健人が早いパスを出すが亮に合わず、ボールは外に出た。
 康介がサイドラインからボールを手でころがしてルーカスに送る。ルーカスが上がり、光太郎の前で軽いフェイントから康介に早いパスを出した。康介がそのボールをいきなりシュートするが、コースに入った亮が足を出してカットした。
 ルーカスがコーナーから手で入れ、裕太がドリブルで上がる。健人が前をふさぐと、裕太はすぐ後ろの亮へパス。亮がいきなりスピードを上げ左へ、康介がついてくるところを、左足で切り返し、右足でシュート!ゴール前にいた光太郎が体をはってはじいた。

 どちらも点が入らないまま、すぐに5分がすぎた。その後もルーカスは右サイドを上がったり下がったりしながら守りがちにプレイして、ゴール前は康介にまかせ、自分でシュートまで持っていこうとはしなかった。
 亮と健人は、それぞれドリブルで切りこんだり、おたがい早いパスをゴール前に送り出してしかけるが、ゴールはうばえない。
 8分がすぎて、亮が健人に言った。
「こりゃ、一本入れた方が勝ちだな。行くぞ、健人!」
亮がこしの後ろに手をやり、指を一本、二本と出した。ワンツーと見た健人はすぐに走り出し、亮の出したボールを裕太の前で止めずにななめ前へ送り出した。走り出していた亮がそのボールを受け、前へ出てきた光太郎にかまわずシュート、と見せかけフェイント、ボールを左に出した。そこに走りこんでいた健人が右足をふり抜く!決まったと思ったそのしゅん間、ゴール前にルーカスがスライディングで飛びこんでいた。シュートはその長い足に当たり、ボールは大きくはじかれ外に出た。
「くそっ、ルーカス、足なげえ!」
亮が空をあおいでさけんだ。
 残り時間あと1分、コーナーから淳平が健人に出そうとしたボールが手からこぼれ、ころがった。そのしゅん間に裕太がダッシュ、ボールをドリブルしながら上がった。裕太はすぐにゴール前に走り込んでいた康介めがけて長いパスを出した。
「弘也、守れーっ!」
亮が声をあげながらファルコン一のスピードでサイドにもどり、健人もけんめいに走った。康介はパスを受け、出てきた弘也をターンでかわして右足をふり上げた!シュートはギリギリで飛びこんだ亮の足にあたり、地面にバウンドした。
 ゴール前にこぼれたボールはルーカスと健人の間にころがった。ルーカスはゴールに対して半身、ターンしなければ右足でシュートは打てないととっさに思った健人はルーカスにつめよった。その時、ルーカスはその半身のままころがったボールを左足でかきよせ、右足のかかとを軽くあてた。ころがったボールはそのままゴールに静かに入った。
 ホイッスルが鳴った。あっけないゴールに、みんな口があいたままになった。そのあとすぐゲームセットのホイッスルが鳴った。
「よーし、ルーカス!よくやった!」
康介がルーカスにだきつき、巻き毛のかみを手でくしゃくしゃにした。

 ゲームが終わって、加賀コーチがみんなを集めて言った。
「みんな、いいチャレンジはできたかな。上の学年が入るとサッカーがガラリと変わるだろう。これで、個人のレベルを上げることがどれだけ大事か、またチームにとってどれだけ必要か、よくわかったと思います」
加賀コーチは足を広げ、白いキャップに手をやって話を続けた。
「6月にはトレセンの選抜テストもあります」
その言葉に健人のむねが高鳴った。
「それで力をためす意味でも、来週の土曜、高学年はほかのクラブチームと練習試合をしようと思ってます。低学年は今回は見学してください。またちがう日に試合を組む予定です」
「おお、試合か!」
高学年から声が上がった。健人は大声でさけびそうになるのをがまんした。
「相手チームは、今スケジュールを合わせていて週明けの月曜日には決まるので、見学したいというお父さんお母さんがいましたら、、5月16日の土曜日午後とスケジュール伝えてください」

 みんなが帰りじたくをしている時、康介がルーカスに聞いた。
「なあ、ルーカス。コーチはさ、ルーカスがプレイを工夫してるって言うけど、ほんとのところどうなの」
「工夫っていうか・・・、相手が考えないことをしようって」
「考えないこと?」
「みんな1対1でフェイントするけど、その時だけじゃなくて、いつもする」
「そうか、いつでもウラをかくってことだな」
「ブラジル、すご!っていうか、ずる!」
裕太が言って、みんなが笑った。
 健人はみんながルーカスをほめるので、少しいじわるを言ってみた。
「でもルーカスは、ウラはかけても、漢字は書けないんだ」
「健人、うるさい」
ルーカスが大きく口を開けて言った。
「そっかー、ルーカス漢字はダメかー、って健人、サッカーに漢字、関係ないだろ!」
亮が健人にノリツッコミして、またみんなが笑った。
「じゃあな、ルーカス、健人。今度の試合はおまえらも出ると思うから、がんばろうぜ。あ、裕太もか」
「わすれんなよよ、おれもだよ!」
裕太が地面を思い切りふむかっこうをしたのを見て、みんなが笑いながら帰り道についた。

 健人が自転車を押しながら、ルーカス、裕太と三人で歩いた。裕太が後ろ歩きをして二人に言った。
「練習試合、相手はどこになるかな」
「どこでもいい。おれはトレセンのテストのためにやる!」
健人が言うと、ルーカスが聞いた。
「トレセンて、何?」
「うーん、日本代表をめざすために、最初に入るところ、かな」
「ふーん」
「ルーカスはしょうらいブラジル代表をめざすか、おれたちと日本代表をめざすか、どっちにする?」
ルーカスに聞いた裕太に、健人が言った。
「日本代表なら、ルーカスは日本人にならなきゃいけない」
「どう、ルーカス?」
「わかんない」
「今まで、いたよ、ブラジル人で日本人になった選手。トゥーリオとか」
「まだわかんないよ」
からになったコーラのペットボトルを投げてはキャッチしてるルーカスに、健人が顔をつき出して言った。
「おれは、日本代表じゃなくて、バルサへ行くけどね」
「えー、健人、バルサ行っちゃうのお!じゃおれ、マンUに行くよ!」
裕太も健人のノリに合わせたところで、ルーカスが言った。
「わかった。おれは宇宙リーグに行って、宇宙人と戦う地球代表になる!」
健人と裕太が目をまるくしてルーカスを見た。いつも口数が少ないルーカスが、自分から、それもおもしろいことを言ったからだった。
「すげーな、それ!宇宙人とサッカーすんの!」
「さすがルーカス、人が考えないことを言うねー!」
三人の笑い声に、通りを歩いていた人がふり向いたが、三人はかまわず笑い続けた。


 9時ころ帰ってきた淳一郎が、陽ちゃんの作っていったロールキャベツをレンジに入れて、健人に聞いた。
「で、ルーカスくんはどうだ?」
手にしていたゲームをやらないでいた健人が、待ってましたとばかりに話し出した。
「ルーカス、やっぱすごいよ。6年も入って試合みたいにしてやったんだけど、最後に決めたの、ルーカス。それもヒールで」
「ヒールで?そりゃ、すごいな」
「お父さん、加賀コーチが今度よそのチームと練習試合するって言ってた。どことやるかまだわかんないけど、スケジュールは5月16日の土曜だって」
「えーっと、来週の土曜日ね。こないだのリベンジで、今度こそ見に行こう!」
淳一郎が冷ぞう庫の横のカベにかけてあるカレンダーに、ペンで星マークを入れた。
「何、リベンジって。でも5、6年中心で、出られるかわかんない」
「練習試合なら出られるよ。お父さんがコーチならぜったいそうする。ルーカスのサッカーも見られるな!ミゲウ、ルーカスのパパといっしょに行こう」
 チン、となったレンジから淳一郎がロールキャベツを出して、テーブルに置いた。
 健人はサイダーをコップについで言った。
「ルーカスに、ブラジル代表と日本代表、どっちをめざすかって聞いたら、わかんないって」
「そりゃまだ、そうだろう。日本代表は日本人にならないといけないし」
「まあそれで、地球代表になって宇宙人とサッカーするって、マンガみたいなこと言ってた」
「それはすごい!国をこえた地球代表チームか!」
「そうなると、選手はみんなヨーロッパと南米になって、アジアからはムリかな」
「アフリカはどうだ?」
「アフリカですごい選手は、みんなヨーロッパでプレーしてるから・・・」
 淳一郎が健人に冷ぞう庫から麦茶を持ってくるようにたのんだ。
「健人、グレートジャーニーって知ってるか?」
「グレート、ジャーニー?」
「10万年くらい前、人間ははじめてアフリカを出て、世界各地に散らばっていったんだ」
「そうなの?」
「アフリカから出た人間は、ヨーロッパの方へ行くのと、アジアの南の方、それからアジアの北の方へ行く者たちにわかれた。アジアの北の方へ向かった者たちはシベリアへ行き、1万5千年前にはアラスカへわたって北米大陸に入った。それから南へ南へと進んでいって、最後は南米大陸の南のはしまで行った。この人間の大い動をグレートジャニーって言うんだ。今地球上にいるのは、最初にアフリカから出た人間、ホモ・サピエンスという一種類の人間しかいないんだよ」
健人が目を丸くした。
「えー、みんなおんなじなの?はだとかかみの色とか、目の色もちがうじゃない」
「それはその土地土地の自然の中で生きているうちに変わっていったのさ」
「そうなんだ。人間はほんとうに、みんな兄弟なんだね」
「ああ。それで世界中で生活するようになった人間が、その土地土地でそれぞれの文化を生み出したんだ」
「じゃあさ、人間が宇宙へグレートジャーニーに行くようになる?」
「なる!SFじゃなくて、ほんとうに!」
「そしたら人間は、ほんとにサッカー地球代表チームを作るようになるかも!」
「そうだな!」
「でも相手の宇宙人に会わないと」
「そうか、相手チームがまだ見つかっていないか」
淳一郎と健人が笑った。 
 「サッカーする人たちは、サッカーできそって、サッカーで気持ちが一つになれるって。だからサッカーはいいんだって、加賀コーチが言ってた」
「ほんとうに、そうだな」
健人の言葉に淳一郎はうなずいた。二人はコップの麦茶とサイダーをごくりと飲んだ。



      12

 加賀コーチが手にしていたバインダーを見て、集まってるみんなに言った。
「練習試合の相手が決まったから知らせます。保見レオーネFCです」
集まっていたみんなが顔を見合わせ声をあげた。
「保見レオーネだってよ」
「強いのかな」
「保見はブラジル人多いから、ブラジルチームか?」
「それはない!」
「ルーカス、保見だろ」
みんながルーカスを見たが、加賀コーチが話を続けた。
「今週末の5月16日土曜日、2時から運動公園でおこないます。試合は8人制ルールです」
「何分ですか」
康介が聞いた。
「前後半20分、休けいは5分。当日は1時30分集合、帰りにも言うけどご両親に連絡してください。さあ、今日の練習始めよう!」
 学年グループにわかれる時に康介と亮がルーカスに聞いた。
「ルーカス、保見レオーネって知ってるか」
ルーカスが表情も変えずにこたえた。
「そこにいたことがある」
「え、ルーカス、そこにいたの?」
二人がルーカスに顔をつき出しておどろいた。
「これは情報ゲットだ!」
「作戦が立てられるぞ!」
二人は声をあげながら走っていった。
 裕太がルーカスに顔を近づけて言った。
「ルーカス、保見のこと、あとで教えろよ」
アップが始まり、健人はルーカスの横にならび顔を見た。ルーカスが小声で言った。
「うそは言えない」
「ああ」
そのあと二人はだまってグランドを走った。

 練習の帰り、歩きながら裕太が言った。
「ルーカスのじょうほうがあれば、もう勝ったも同じだな」
チリーン、と自転車のベルを鳴らして、健人が裕太に言った。
「そううまくはいかないよ。知ってれば勝つってもんじゃないだろ」
「でも、向こうはこっちを一つも知らないんだぜ。あ、ルーカスのことだけは知ってるけど。じゃあな!」
裕太は二人に手を上げ、横の道を走っていった。
 健人がルーカスに言った。
「どうする」
ルーカスが言った。
「みんなにうそを言ってもしょうがないと思った」
「ああ、それはいい。土曜日、向こうとはどうしたって会うんだから」
「ちくしょう」
ルーカスがいらついた言葉をはき、地面に目を落とした。 
 駅前の横断歩道をわたりながら、健人がルーカスに言った。
「ルーカス、おれ夜考えるから、相手チームが保見に決まったこと、ルーカスのパパに言うのちょっと待って」
 ルーカスは少しだけ手をあげて背中を向け、駅の中に入っていった。


 健人はうちに帰ると、陽ちゃんがキッチンで晩ごはんを作っていた。
「健人くん、聞いた。土曜日試合なんだって」
「ただの練習試合だよ」
「私も見に行こうかと思って」
健人はオー・マイ・ゴッド!とつぶやき、天じょうを見上げた。
「来なくていいよ、陽ちゃん。4年なんて出られるかどうかわかんないから」
「練習試合はコーチがみんな出られるようにするはずだからって、お父さんが言ってたわ」
 健人はお父さんに言うのが早すぎたと、くやんだ。

 ルーカスのことをどうすればいいか、健人はおフロに入ってゆっくり考えようと思ったが、また何も考えられずにおフロから出てきた。どうもおフロは考え事に向かないと思いながら、健人はバスタオルで体をふいた。
 健人は冷蔵庫からサイダーの大きなペットボトルを取り出してダイニングのイスにすわり、コップに入れてゴクゴクと飲んだ。そして健人はふーっと息をはいた。
 ルーカスが保見レオーネにいたことをみんなに言ったのはまちがっていない。試合の時にわかれば、ルーカスはうそつきになってしまうから。向こうでルーカスが何をしたか、それまでみんなに言う必要はあるか?いや、言う必要はないと思う。
 保見の連中が来て、ルーカスを見たらなんて言う?うらぎり者がいるぞ!って言うだろうか。でもチームをうつることなんかどこにだってある。ルーカスは学校も転校してるし、だから平気な顔をしていればいい。
 問題は、ルーカスを、ルーカスのパパをバカにしたやつ。そいつがルーカスに会えば、またルーカスだけに言うに決まってる。そうしたら・・・。
 ルーカスは何を言われてもがまんする。でもそいつはずーっと言い続ける。おまえの父親は・・・。おまえの父親ってのは・・・!そしたら、がまんしていたルーカスも、最後はおさえきれなくなって、また・・・。
 じゃあ試合の日、ルーカスは休めばいいか?だめだ。その時はいいが、あとからルーカスがリトルファルコンにいたことがわかったら。その日休んだことがわかったら・・。
 ルーカスがずっとベンチにいれば、そいつはルーカスに言うことができない?いや、試合は8人制で交代自由なのに、どうして加賀コーチがルーカスだけを試合に出さないでいる・・・?
 健人は思った。にげちゃダメだ。試合に出ないと。相手と戦わないと。こわがる必要なんかない。ルーカスは、むねをはって、ルーカスのサッカーをすればいいんだ!ルーカスが気をつけることはただ一つ、何を言われても手を上げないこと。おれがしなければいけないことは、ルーカスの手を上げさせないってことだ!
 健人は気持ちをかためた。お父さんにはまだ話さない。まず、ルーカスと話す。二人だけで、話す・・・!
 ふろあがりのサイダーは、いい考えがうかぶのかな、と健人が思った時、ガチャ、と玄関のドアがあく音がした。ただいま、という淳一郎の声が聞こえた。たなの時計は9時35分をさしていた。


 ルーカスは、となりのベッドでルイーザがねてるので、電気スタンドの向きを変えてベッドに横になっていた。
 土曜日、試合で自分はあいつに会う。その時、自分は、どうすればいいのか・・・。ルーカスの頭の中は、いろんな考えがぐるぐるとめぐっていた。
 あいつはぜったい言ってくる。
「なんだルーカス、そっちへにげたのか」
でも、何を言われても、相手にしない。
「前の仲間にあいさつもしないのか。まったく、ブラジル人てやつは」
そうやって、あいつはしつこく言ってくる。
「親子そろって日本へにげてきやがって!」
うるさい!だまれ!
「ブラジルへ帰れ!この出かせぎ親子!」
 あいつの声が何度も頭の中にひびいてくる。その中でルーカスは自分に言い聞かせた。おちつけ!手を出すな!深く息をすって、それから、それから・・・。
 ルーカスは何も考えられなくなり、タオルケットを顔までひきよせてくるまった。
 その時、となりのベッドでねているはずのルイーザの声がした。
「おにいちゃん」
ルーカスがふりむくと、ルイーザが大きな目をあけていた。
「なんだルイーザ、ねたんじゃないのか」
「おにいちゃんも、ごろごろしてないで、ねなさい」
「うるさい」
「でも、おにいちゃん、またサッカーできてよかったね。あたし、バモスって言うから!健人にもぜったい言うよ、健人、バモスって!」
「ルイーザ、バモスじゃない。ヴァーモスだ」
「バモス!」
発音が変わらないルイーザに、ルーカスはちょっとにが笑いして言った。
「でもおまえ、ほんと健人が好きだな」
「うん、だってかわいいから」
かわいいって、健人はおれと同じ、ルイーザより5才も上なのに。
 ルーカスは健人のことを思った。健人はいいやつだ。おれがサッカーをまた始めたのは、健人がどうしてもおれとサッカーがしたいって言ったから。おれといっしょに、すごいサッカーがやりたいって言ったから。
 おれが、だれにも話していないパパの悪口のことを健人に言ったら、健人はお母さんがいない話をしてくれた。いやなこと言ってくるやつはいるけどって言いながら、健人はなんとかやっている。  
 じゃあ、おれは?おれは、遠藤蓮、あいつのひどい言葉に、今度はがまんするのか?それをがまんすれば、ほんとうにすむのか?あいつは同じ保見レオーネにいたおれに、あんないやなことを言ってきた。今度はおれがちがうクラブに入ったんだから、あいつはきっと、もっとひどいことを言ってくる・・・。
いや、待てよ。ルーカスはそこで、ふと思った。
 おれは今、日進リトルファルコンにいる。あいつは相手チーム、保見レオーネの選手だ。今度の試合であいつとは、戦うてきどうし・・・。ルーカスはひらめいた。
 そうか、サッカーで勝てばいいのか!
戦って、保見レオーネに、あいつに勝てばいいんだ!サッカーであいつに勝てば、あいつの悪口なんてただの負けおしみになる!そうだ、サッカーで、勝つ!サッカーで、思いっきり、あいつに勝つんだ!
 ルーカスは、自分の考えになっとくできた。そしてルーカスは、頭の中がすっきりするのを感じて、ふう、と大きく息をついた。
 ルーカスは横のルイーザを見た。
「ルイーザ」
よんでもルイーザの返事はなかった。ルーカスはベッドから手をのばしスタンドの電気を消した。
 


 学校を出た健人とルーカスは、話をするためにいつもの公園によった。二人は公園の広場の方ではなく、小さな子とお母さんたちが遊んでいるブランコやすべり台がある方のベンチにすわった。それは広場の方へ行って前に会った1、2年の子たちと会ったら、またいっしょにサッカーしようと言ってくると思ったからだった。
 カチャ、カチャと、横に置いたランドセルのマグネットをとめなおしたあと、健人が言った。
「ルーカス、おれ、考えたんだ」
ルーカスが、にぎった手で軽く太ももをたたきながら言った。
「おれも、考えた」
「そうか」
健人がルーカスに聞いた。
「おれから言っていいか」
「ああ」
うなずいたルーカスに、健人は顔を向けた。
「ルーカス、戦おう」
健人は体もルーカスに向けて、言った。
「おれたち、試合に出たら、保見レオーネと思いっきり戦おう!」
ルーカスが背もたれから体を起こして健人に言った。
「おれも言っていいか」
「ああ」
「保見に、サッカーで、勝つ!」
そう言って、ルーカスは健人を見た。健人はルーカスの強い目を見てうなずいた。
「気持ちは同じだな」
二人は背もたれに体をあずけて、空を見上げた。青い空には小さな雲が二つうかんでいた。ルーカスがもう一度言った。
「サッカーで、勝つ」
「わかった、ルーカス。サッカーで勝とう!」
健人が手をにぎって出したグーに、ルーカスがグーを合わせた。
 人の気はいに気づいたルーカスが、体を起こし後ろを見た。健人も後ろを見ると、そこには加奈が立っていた。
「ごめん」
下を向いた加奈に、体を向けた健人が言った。
「ストーカーか」
「ちがう」
「じゃあ、なんだ」
「塾は休むからって言っておいてって、それでサッカーの日じゃないのにルーカスと学校出ていったから、気になって・・・。まさか、あの6年たちと、何かあるんじゃないかって思って・・・」
健人が首をふって言った。
「あんなやつら、どうでもいい」
加奈が、ふう、と息をついた。
「よかった」
加奈は健人とルーカスを見て言った。
「二人とも、試合、がんばって」
健人が言った。
「ただの練習試合だって」
ルーカスがうなずいて言った。
「オブリガード、加奈」
二人の言葉に加奈は少し笑顔を見せて、せなかの水色のランドセルをゆらせて走っていった。


 ルーカスのパパ、ミゲウは、ダイニングテーブルでルイーザとテレビを見ていた。
 テーブルについたルーカスが、ミゲウに言った。
「土曜日の練習試合だけど」
「ああ、見に行くぞ。ジュンと、健人のパパと話した」
「相手は、保見レオーネ」
「保見・・・?」
そう言ったまま、ミゲウがだまった。
 ミゲウはルイーザの頭をなでて、リモコンでテレビを消した。イザベラがキッチンから来て、ミゲウの横に立った。ミゲウは両手の指を組んで言った。
「ルーカス、パパはおまえと約束した」
ルーカスはうなずいた。
「もう、やらない」
「ぜったいにやらない自信があるか」
「はい」
ルーカスはしっかり返事をした。
「どうして相手が保見なの?」
そう聞きながら心配そうな顔をしたイザベラが続けた。
「ルーカス、試合の日、休んでもいいのよ」
ルーカスがきっぱり言った。
「ママ、これは健人と話して決めたことなんだ。サッカーで、保見に、勝つって」
しばらくだまったミゲウが、ルーカスを見て言った。
「わかった。ルーカス。パパとママは、おまえを信じる」
「ありがとう、パパ、ママ」
「おにいちゃん、健人と、バモースだね!」
ルイーザが、手をふりあげて言った。


 健人は、洗面から出てきた淳一郎に言った。
「土曜日の相手、保見レオーネに決まった」
「保見、レオーネ?」
「うん。ルーカスが、前にいたところ」
「え!?それじゃ・・・」
淳一郎はダイニングのテーブルにつき、健人に言った。
「ルーカスは、どうするんだ?」
「うん、どうするか、ルーカスと話した」
健人が淳一郎の向かいにすわって言った。
「サッカーで、戦おうって。試合に出たら、サッカーで思いっきり戦おうって。ルーカスは、ぜったいにぼう力はふるわないし、それに、おれがそばにいるから」
淳一郎が深くうなずいた。
「わかった。でも、よく二人で話して、決めたな」
「うん」
ほめられた健人は笑顔でこたえた。
 淳一郎が指を組んで言った。
「健人、一つだけ教えてほしい」
「何?」
「ルーカスは、なぜ相手をなぐったんだ?」
健人は言葉につまった。そしてすぐに、それを言うわけにはいかないと思った。
「それは、わからない。ルーカスが言わないから」
「そうか・・・」
 淳一郎が少しだまって、組んだ指をはずして言った。
「健人、成功の反対は何だと思う」
「成功の、反対?それは失敗でしょ?」
淳一郎が首を横にふった。
「成功の反対は失敗じゃない。何もしないことだ」
「何も、しないこと・・・?」
「人間はよく失敗する。必ず失敗する。失敗しないなんてありえない。問題はそこからだ。失敗したからといって、次にもう何もしなかったら、それで終わりだ。 失敗したら、次、どうすればいいか考える。考えて、考えて、そしてまたやってみる。それが大事なんだ。そして何度もやってみたその先に、やっと成功が、あるんだ」
「わかった、お父さん」
うなずいた健人に、淳一郎が笑顔で言った。
「二人で、がんばれ」


      13

 5月16日の土曜日の空は白い雲が多く、時々太陽が顔を見せる天気で、気温は25度とそう高くなってはいなかった。
 日清運動公園の広いグランドに赤いユニフォームを着た保見レオーネの子どもたちたちが入ってきた。グランドの左がわには白いラインの引かれたサッカーフィールドがあり、その手前でリュックやチームの荷物を置いた子どもたちは、すでにフィールドの奥の方に集まっている青いユニフォームの子どもたちの方に目をやった。リトルファルコンだ、とみんなから声が上がる中、古田朝日が前に出て目をこらして言った。
「おい、あれ、ルーカスじゃないか?」
朝日は、巻き毛でせの高いルーカスを見つけて指差した。
「あれ、ほんとだ。蓮、見ろよ、ルーカスだ!」
木内雄星も声をあげてルーカスを指差すと、遠藤蓮が顔を向けた。
「おい、まじか」
蓮は小さな声でつぶやいた。
「あんなところにいて、ふざけたやつだ」

 いつもの白いキャップをかぶった加賀コーチが、集まっているみんなの前で話をした。
「今日は練習試合です。でもサッカーで大事なことは、練習だろうと本番だろうとかわりません。それは相手をそんけいする。リスペクトすることです。試合でわざをきそいあって戦う。それは相手がいるからこそ、できることです。リトルファルコンは、ルールを守ってフェアプレーでいきます。そうすれば今日の相手レオーネもかならずこたえてくれます。それから試合をジャッジしてくれるしんぱんにもリスペクト!みんな、いいですか!」
「はい!」
みんなの声が一つになってグランドにひびいた。
 健人は横のルーカスを見た。いつも赤いTシャツを着ているルーカスが、青いユニフォームを着ているのが、
ちょっと変だった。それから健人は向こうに集まっている保見レオーネの方に目を向けた。
 加賀コーチは続けてこの練習試合のルールの説明をした。選手は8人制で選手の交代は自由。タイムは前半20分、インターバルは5分ののち後半20分。得点が同点で終わった場合は引き分け。えん長、PKはなし。
 そこでみんなが、引き分けで終わり?PKなしかあ、と声をあげて顔を見合わせた。
 その間に健人がルーカスに小さな声で聞いた。
「こっちを見てる、あのかみがとんがってるやつ?」
ルーカスが小さくうなずいた。名前は遠藤蓮。あいつがルーカスを、ルーカスのパパをバカにした。でも今あいつをにくむ必要はない。おれたちは、サッカーで勝つ。ルーカスといっしょにせいせいどうどう、サッカーであいつにに勝つんだ。
 健人はルーカスを見た。ルーカスをずっとなやませ続けたやつが、今向こうにいる。でもルーカスの表情は変わっていない。だいじょうぶ、いける。健人はそう思った。
 康介と亮がルーカスに聞いてきた。
「ルーカスが言ってたこうげきトリオって、ずっとこっち見てるあの3人か?」

 グランドの入り口のところにいた加奈が二人に気づき手をふった。
「お父さん、こっちです!」
「ああ、加奈ちゃん!」
淳一郎が手をあげ、オレンジ色のトレーナーの陽ちゃんといっしょにやって来た。
「加奈ちゃん、こちら、いつも健人が世話になってる田川さん」
「健人から聞いてます。陽ちゃんですね」
「こんにちは、加奈ちゃん。あなたのことも健人くんからよく聞いているわ」
加奈があわてて水色のパーカーのフードに手をやって、かぶるポーズをして聞いた。
「え、え?何か変なこと言ってませんでしたか」
「だいじょうぶ、いいことばかりよ!」
田川さんが加奈のうでに手をやり、明るく笑った。
 向こうからミゲウ一家が来たのを見て、加奈は手をふってルイーザをよんだ。
「ルイーザ!みんな、こっちです!」
青いTシャツを着たルイーザが加奈のところに走って来て、加奈を見上げて言った。
「加奈、今日はバモスだよ」
「バモス?」
「ポルトガル語で、行け!っていう意味」
「わかった。ルーカス、健人、バモス!こうね!」
 ミゲウは淳一郎にイザベラをしょうかいした。イザベラは淳一郎に深く頭をさげた。
「ルーカスが、ほんとうに、お世話になっています」
「いえ、こちらこそ、健人が」
淳一郎も頭をさげると、イザベラの後ろからルイーザが顔を出して言った。
「健人、大好き」
「オブリガード、ルイーザ。健人が言ってた通りだ。かわいいね!」
淳一郎が手を差し出すと、ルイーザがぱちんと手を合わせた。
 淳一郎はミゲウたちに陽ちゃんを紹介した。
「こんにちは、ボアタージ!」
陽ちゃんのあいさつに、ミゲウとイザベラが目を丸くした。
「おお、ボアタージ、こんにちは!オブリガード!」
ポルトガル語でわきあいあいとなったみんなが中へと入った。

 サッカーフィールドを前にした観客ベンチにみんなが上がる。奥の方にはファルコンの青いユニフォームを着た低学年の子どもたちと、フィールドにいる選手たちの親が10人くらいすわっていた。
 ミゲウはすぐにグランドへ入って、加賀コーチのところへ行ってあいさつをした。それからミゲウは健人に声をかけ、ルーカスのところへ行った。ミゲウは向こうサイドに集まっている保見レオーネの方を見て、ルーカスの肩をたたき、みんながいる観客ベンチのところへもどって来た。
 ミゲウは淳一郎の横に来て、保見レオーネの選手たちの方に目を動かして小さな声で言った。
「あのかみを立てた子だ」
 淳一郎がレオーネの選手たちの中に、かみが立っている子を見つけた。ミゲウに名前を聞くと、遠藤蓮と言った。ルーカスはあの子を・・・。その理由はわからないままだが、今日この試合であの子に向き合わなければならなくなったルーカスの気持ちを、そして父親であるミゲウの気持ちを、淳一郎はあらためて思った。

 前半20分は、5、6年で組まれたメンバー8人で戦う。キャプテンは康介、フォワードはツートップで左に康介と右に5年の晴紀、後ろのセンターには亮、サイドは右に日向、左に湊、バックの二人は右に浩二、左に5年の旬、キーパーは大和というポジションだ。
 加賀コーチは、康介と亮に二人のコンビプレーのほかに、晴紀のスピードをうまく使うように指示を出した。
 5年の晴紀がフォワードに選ばれたのは、健人にはおどろきだった。たぶん加賀コーチは、晴紀をこれからのチームの新しい力にしようと考えているのだろう。それとディフェンスに入った5年の旬。1対1でも何でもあきらめずに最後までくいさがる旬のねばりを、コーチはみとめたんだと健人は思った。
 健人はルーカス、裕太、それにほかの4年のみんなと、サイドラインから数メートルなれたひかえのエリアにすわった。

 センターラインをはさんで、青いユニフォームのリトルファルコンと赤いユニフォームのレオーネの選手たちがならんだ。しんぱんのかけ声で両チームがあいさつをかわす。キャプテンじゃんけんで康介がボールを取り、遠藤蓮がエンドを取った。
 選手がポジションにつく。亮が康介にかけよって話す。
「まん中の8番、右の7番、左の6番。前の3人がルーカスの言ってた、こうげきトリオだな」
「せった時のボールぎわが強いらしいから、気をつけよう」
「ああ、負けらんねえ」
 ホイッスルがなり、キックオフ。康介から亮がボールを受け前へ出ていく。せ番号8番の蓮、そして右の7番、木内雄星と左の6番、古田朝日は動かない。亮は康介にボールを送る。朝日が前につく。康介が軽くボールを動かすが、朝日は取りに来ない。康介が亮にボールをもどすと、亮はさっそく晴紀にパスを送った。晴紀に雄星がついてきた。晴紀がボールを前に出していくが、雄星が少しはなれて平行についていく。晴紀は右へ動いた亮に、ボールをもどした。どこでしかけようかと亮が考えた時、蓮が間をつめて来た。亮がすばやく左へ動く。蓮はピッタリついてくる。同時に康介が中へ入っていった。亮はその康介の足もとにパスを出したが、朝日が足を出しボールを取った。すると、雄星がいきなり右サイドをかけ上がってきた。晴紀もすぐについていく。朝日は蓮にパスを出し、蓮がゆっくり上がっていった。
 康介と亮はすぐに左サイドとセンターにもどり、守りの形を作った。右コーナーに向かった雄星が、ヘイ!と声をあげて動いた。それに晴紀がついていくのを見て、蓮は右サイドにボールを持っていった。右サイドの日向が蓮につくが、蓮はくるりとターンしながらセンターに入った朝日にボールを出した。朝日は左サイドにボールを持っていき、中に入った雄星めがけてクロスをけりあげたが、その前に入った康介の体にボールが当たりラインを出た。
 蓮はスローインで左コーナーに入った朝日めがけて入れると見せかけ、センターの雄星へボールを入れる。そして蓮は雄星からのパスを受け右サイドへ走り、そのまま右コーナーへ上がっていく。日向が前につき、ディフェンスの浩二がゴール右に動いたのを見て、蓮は右コーナーで体を回してセンタリングを上げた。ゴール前に左のディフェンス旬が出るが、その後ろから朝日がつっこんできた!朝日が頭で合わせたシュートはキーパー大和の足もとに飛んだが、大和はとっさに体をたおしボールをうでとむねでおさえこんだ。
 健人がひかえエリアで声をあげた。
「キーパー、ナイス!」
ルーカスがピッチを見つめて言った。
「あいつら、これからゴール前にどんどん来る」

 観客ベンチではミゲウが前かがみになって試合を見ていた。
「レオーネのあの子はチャンスを作るのがうまい。左右の二人もよく使っている」
「ああ、たしかに。しかけは8番だね」
淳一郎も、遠藤蓮のすばやいプレーを見てすぐにそう思った。

 両チーム最初のシュートに、試合は大きく動き出した。亮は右サイドの晴紀に何度かはやいパスを送り、シュートチャンスを作ろうとした。そのたびに雄星が晴紀のせ番号、8番、8番!と声を上げながら動き、コーナーまで上がる晴紀の前をふさいだ。
 亮はまた晴紀にパスを出すと見せかけ、すばやく自分で中へ切りこんだ。前に蓮がついて亮のせ番号、4番!と声を出す。亮はすぐ左の康介に出すと、蓮は、康介のせ番号、5番!と言ってついてくる。レオーネははそうやって相手を背番号でよび、チームのみんなにわからせていた。
 康介は中へ入っていくと見せかけ、左に開いた亮にパスして中へ動いた。受けた亮が前に来た朝日と蓮の間をぬく早いパスを出した。康介そのパスに合わせ、体をひねりながらそのままシュートした!ボールは相手ディフェンスにあたり右にころがった。
「おしい!」
ひかえエリアで健人が声を上げた。
 外に出そうになったボールを右のディフェンスが止めて、右サイドの雄星に送った。雄星はボールを前に出しながら声をあげた。
「上がれ!」
すると朝日がいきなり左サイドをかけあがって来た。それをファルコンで一番足のはやい亮が追いかけ、ディフェンスの湊に向かって朝日の背番号をさけんだ。
「湊、旬、6番をおさえろ!」
 雄星がけり出したロングボールを朝日がヒザで受けた。朝日は前に来た湊をフェイントでかわしたが、次の旬は朝日をぬかせなかった。旬は朝日に食らいつき、その間にもどってきた亮がゴール前に入ろうとした。それに気づいた朝日は、シュート!と見せかけ、走りこんできた蓮に横パスを出した。
「こっちか!」
 亮が体をひるがえしたが、蓮は朝日のパスを止めずにそのままシュートした!ボールは体を投げ出した亮の右足にあたって角度が変わり、ファルコンゴールの左すみにつきささった。キーパー大和はまったく動けなかった。
 ホイッスルがなった。
「ゴール!」
前半13分、亮のオウンゴールで、保見レオーネに1点が入った。
 ひかえエリアで健人が、ルーカスが、裕太が、みんなが頭をかかえた。
 シュートを打った蓮に朝日、雄星が飛びついた。
「4番に当たらなくても入ったって」
「まあな」
「楽勝!」
 康介に手を引いてもらい、やっと立ち上がった亮があやまった。
「ごめん」
「何言ってんだ、亮。次、いくぞ!」
 健人がひかえエリアから亮に向かってさけんだ。
「ドンマイ、亮!ナイスファイト!」

 観客ベンチでは加奈が顔を両手でおさえていた。
「え、どういうこと?」
「自分で自分のゴールに入れてしまったんだ。オウンゴールといって、サッカーではよくある不運だよ」
ミゲウが加奈に説明した。
「そんなのって・・・」
落ちこむ加奈にルイーザが言った。
「加奈、しょうがない、次!」

 前半残り7分も、ファルコンはレオーネの3人に続けてせめられ、引いて守るのがせいいっぱいになった。ただ雄星と朝日に打たれた2本のシュートも康介と亮のがんばりで点にはならず、失点はなんとか1のままで前半を終えた。

 ハーフタイムで水分を取る選手たちに加賀コーチが言った。
「せめが向こうに読まれてしまっているね。晴紀くんを生かすためにも、日向くん、湊くんがもっとあがっていった方がよかったと思う。たしかに向こうの押しは強いけど、それにひるんでただ守りに入っちゃいけない。後半は選手入れかえて、そこをしゅう正していこう!」
 亮があせでぬれたかみを手でかき上げながら言った。
「いやー悪い、後半もっとがんばるから」
「何言ってんだ。亮のおかげでなんとか1点止まりだ。後半はみんなでもっとせめるぞ!」
康介が気合を入れると、みんながいっせいに、おーっ、と声をあげた。

 トイレに行った淳一郎は、けいじ板の横で選手の母親らしい二人が話す声を聞いた。
「遠藤さん、来てないわよね」
「かわいそうね、蓮くんも。あんなにサッカーがんばってるのに少しも見てくれないんじゃ」
「中学受験の方はものすごく熱心だけど」
「ご主人が海外じゃ、遠藤さんもせきにん重大なんでしょう」
「ご主人、仕事先はアフリカなんだって」
「え、アフリカなの?」
「世界トップの車の会社のエリートでも、出世するのって大変なのね」
「蓮くん、お父さんいなくて、さびしいと思うわ」
 淳一郎は二人の前を通ったが、二人はかまわず話し続けていた。

 後半に向けて、せ番号11番をつけた健人と12番の裕太が加賀コーチによばれスタメンに入った。
 ポジションは日向にかわって健人が右サイド、湊にかわって裕太が左サイドで、センターの亮からボールを受けてフォワードの二人とつながる作戦で、もっとクロスも使ってサイドの切りかえをよくするように、という加賀コーチの指示があった。

「ルイーザ、健人が出るよ!」
「健人、バモース!」
加奈とルイーザが声えんを送った。
「健人くん、がんばれー!」
陽ちゃんのよく通る声がグランドにひびいた。
「さすが、もと保育園!声がちがいますね」
おどろく淳一郎に陽ちゃんがうなずいて言った。
「そりゃそうよ。まだよくわからないちっちゃな子どもたち相手に、ほんとにいろいろやってきたんだから。健人くん、バモース!」

 後半のキックオフはレオーネで、蓮が右の雄星に出し、雄星がゆっくり上がってきた。晴紀がすぐにつき、健人はその後ろで少しはなれていた。雄星は蓮にボールをもどし、蓮は左の朝日にボールを送った。
 そこで康介が朝日にぴったりはりつき、ボールをうばいに行った。朝日は左に左にボールを送ろうとするが、そこへ康介が体を入れた。今度は右に逃げようとする朝日のボールに康介の足がかかった。ボールははじき出され、康介がそのボールを取り、すぐに左サイドを上がる裕太にパスを出した。そこへ蓮が、12番、と言いながらからんでくる。裕太はサイドを上がろうとするが、きんちょうからかすぐに蓮にボールを外へけりだされる。
 その時健人がちらりと亮を見ると、亮が小さくうなずいた。裕太のスローインを亮が受けたしゅんかん、健人は右から中へ切れこんでいった。ようし、やってやる!亮がワンタッチで健人にボールを出した。健人が右足でそのボールを前に出そうとすると、そこに蓮がついてきた。健人は左右にフェイントをかけ、蓮を出しぬこうとするが、蓮の目はボールからはなれない。すると右から雄星も来た。
「小せえな、11番!、こいつ、4年か?」
「かわいいいもんだ」
二人は健人を見ながらよゆうの言葉をかわした。健人はそこでむりをせず、右の晴紀にボールを送った。晴紀は右サイドをかけ上がり、ついて来た雄星の向こうに入った康介を見た。相手ディフェンスも晴紀に向かって出てきた時、康介がペナルティエリアに走りこんだ。晴紀が体をターンさせながら右足であげたボールは、ヘディングで飛び上がった康介の頭の上をさらにこしてサイドラインをわった。
「悪い、康介」
「OK、晴紀」
二人は声をかけあいながらもどる。
「いいよ、ボールを動かして、動かして」
加賀コーチの声がひびいた。
 蓮がボールを軽くけり出しながら上がってくる。両サイドの雄星、朝日も上がり、蓮は二人にかわるがわるボールを送っては、せめのタイミングをはかっていた。康介がみんなに声をかける。
「気をつけろ、来るぞ」
そのしゅんかん、蓮のボールを受けた左の朝日がいきなりダッシュした。そのスピードに裕太が少しおくれ、ついていけない。裕太はそのままぬかれ、朝日はそのまま切りこんできた。旬がゴール前につき、亮が朝日の前に飛びこむ。朝日はシュートと見せかけ、走りこむ蓮にパス、中央からのシュートかと思わせた蓮は、右の雄星にパスを送った。雄星がいきおいをつけてシュートをしようとしたしゅんかん、健人が足を投げ出した。ボールは二人の足の間にはさまってはじき出され、雄星はいきおいのまま地面にころがった。
「11番が足をけった!反則だ、フリーキック!」
蓮が大声で健人を指さす。しんぱんは首を横にふった。
「ボールにいってる、ボールにいってる!」
「健人、いいぞ!」
康介と亮が健人に声をかけた。
「ちきしょう、くそガキが!」
立ち上がる雄星の声が聞こえたしんぱんは、雄星に向かって人差し指を横にふった。
 
 「すいません」
左サイドをぬかれた裕太が、気落ちした顔で言った。
「何言ってんだ、裕太!」
康介が裕太のかたをたたき、健人も声をかけた。
「裕太、ドンマイ!」
 裕太は手をあげたが、その表情に笑顔はもどっていなかった。

「よし、いくぞ、ルーカスくん!」
加賀コーチが、ひかえエリアのルーカスをよんだ。
「裕太くんのポジション、左サイドだ。向こうのディフェンスは大きいから、センタリング一本より中へ入れて康介くんや亮くんとやり取りしたほうがいい」
ルーカスが加賀コーチの指示にうなずいた。加賀コーチが裕太に向けて高く手を上げた。
「いいよ、裕太くん。ルーカスくんとかわって」
せ番号17番のルーカスが、裕太とタッチしてフィールドに入った。
「ルーカス、たのむ」
「OK」
残り時間、あと10分。

 淳一郎がミゲウに言った。
「いよいよ、ルーカスだ」
ミゲウがうなずいて言った。
「ためされる時が来た」
ルイーザと加奈が、いっしょにありったけの声を出した。
「バモース、ルーカス!」

 「お、やっと来たぜ、ルーカスちゃん」
「久しぶりだな。で、ルーカス、なんでそっちにいるんだ?」
雄星と朝日がルーカスにいやみを言った。蓮はルーカスにちらりと目をやっただけで何も言わなかった。
 左サイドにつくルーカスに、康介が言った。
「よし、ルーカス。亮とうまくやって、左から中へ入っていけ。そこでおれによこしてもいいし、自分で決めにいってもいい」
右についた健人に亮が言った。
「健人、とく意のドリブルでしかけていいからな」
健人はルーカスと目を合わせた。健人は自分の気持ちのギアがトップに入ったのを感じた。

 エンドラインを割ったボールをレオーネのキーパーが右に向けてけった。ボールを受けた雄星が、ボールをおさえまわりを見た。晴紀がつこうとするが、雄星はすぐに左に動き、蓮と入れかわりボールをわたす。蓮はすぐにはやいドリブルで右に動き、健人の前に切りこんできた。健人は蓮の動かすボールをよく見て、蓮がいきなり出ようとしたしゅんかんに足を出した。すると蓮の足と健人の足にボールがはさまり、蓮はいきおいで前にたおれた。
「反則じゃねーの、11番!さっきから!」
蓮がしんぱんにアピールするが、しんぱんは首を横にふった。こぼれてころがったボールをキーパーの大和がひろいあげ、どこに出すか前を見た。
 左サイドのルーカスが大和を見ながら後ろ向きに走っている。大和はルーカスめがけて高いボールをけった。朝日がルーカスに体を合わせてくる。二人が同時にジャンプ!朝日の前に体を入れたルーカスがむねでボールをとらえた。朝日が着地でよろけた。ルーカスは4年なのに、せが高いだけでなく体も強かった。
 ルーカスは足もとに落としたボールを、体をターンさせながら前にけり出した。ルーカスはすぐさまそのボールに走りこみ、長い足で思い切りけった!ボールはすごいスピードでゴールの左上に飛んで行き、バーにあたって後ろへ大きく飛び出していった。
 ルーカスの、いきなりの強れつなシュートに、いっしゅんフィールドがしんとなった。
 健人はルーカスの本気のシュートを初めて見た。同じ4年とは思えない、ものすごいシュート!ルーカスは、やっぱり、すごい!
 くやしがりもせずすぐポジションにもどるルーカスに、康介が手をたたいて言った。
「OK、ルーカス、ナイスシュート!次、行くぞ!」
 蓮もレオーネのみんなに言った。
「はずれ、はずれ!向こうは、まだ0点だ!」
「そうだそうだ、0点、0点!ずっと0点だ!」
朝日と雄星が大声をあげ、レオーネのみんながポジションにもどった。

 レオーネのキーパーがけり出したボールを蓮が受け、まわりを見まわす。今度は右か、左かと健人が思っていると、蓮はドリブルで真ん中へ進み出した。康介が体を低くしてそなえる。蓮は右へ左へボールをころがし、すきをつこうとするが、康介がぴたりとついてはなれない。蓮がごういんに前へ出で、康介にせなかを向けて左に体をターンさせながら康介の前に出る。
 そこにルーカスが立った。蓮がルーカスを見ないでドリブルし出そうとするが、ルーカスは長い足をのばして前をふさいだ。蓮はすぐにボールを足うらで止め、左へ動きながら小さな声でルーカスに言った。
「ぼうりょく、反対」
始まった、とルーカスは思った。ルーカスは蓮の足もとのボールだけを追った。蓮は右に動きを切りかえながらまた言った。
「出かせぎ、反対」
ルーカスは耳をかさずについていく。すると蓮がボールを止めて、ルーカスをにらんで言った。
「さっさと出て行け、ブラジル野郎!」
ボールから顔を上げたルーカスが蓮を見返した。それを見た健人がさけんだ。
「ルーカス!」
 その時、蓮がダッシュして、いっしゅんでルーカスをぬいた。しまった!健人はとっさにゴール前へ飛びこむ!蓮がそのままシュートをはなった!ボールはスライディングした健人の足先にあたり、外へはじき出た。
 いきおいで蓮が健人の上にたおれこんだ。
「ちっ、じゃまなんだよ!」
言葉をはきながら立ち上がった蓮に、健人は思い切り足をふまれた。
 健人は痛みをこらえながら立ち上がりルーカスを見ると、ルーカスは健人に向けて親指を立てて走っていった。
 健人は、今自分がよく守れているのは、ぜったいにルーカスを守るという気持ちが、そうさせてるんじゃないかと思った。
 その時、加賀コーチの大きな声が聞こえてきた。
「残り、あと5分!」

 左サイドから蓮がスローイン、朝日が受けてセンターへ持ち出す。そこへルーカスがつくと、朝日がルーカスに向かって口を開いた。
「おまえなんか・・・!」
そのしゅんかん、ルーカスは体をたおし朝日の足もとのボールをはらった。
「くそっ」
あわてて朝日がふり向くと、左にころがったボールを康介がおさえた。
「いいぞ、ルーカス!」
 立ち上がったルーカスが、ちらりと後ろをふりかえり健人を見た。そしてルーカスはレオーネサイドに走っていった。
 よし、おれも!健人はルーカスのあとを追って上がっていった。

 康介ははげしくからんで来た蓮にボールをうばわれないよう、しのいでいた。亮が左へまわり康介をよんだ。
康介は蓮にせなかを向け、亮にボールを出した。ルーカスはボールにかまわずペナルティエリアの前へと入っていった。
 ボールをもらった亮は上がってきた健人にパスを出した。健人はそこからドリブルでつき進む!右から追ってきた雄星をふり切り、左からきたサイドのやつをすばやいフェイントでおきざりにすると、さらに健人はつっこんで来た右サイドのやつをターンでかわし、足をねらってきた朝日のスライディングを、ボールをうかせてかわした!健人が顔を上げ前を見る。レオーネのディフェンスと体の入れ合いをしていたルーカスが、ターンして体を健人に向けた。わかった、ルーカス!健人はルーカスにボールを出そうとした。
 するといきなり左から蓮が来て健人の前をふさいだ!どうする!いっしゅんひらめいた健人は、蓮の両足の間にボールを通した!あわててふり返る蓮の左に健人が走りこむ。ルーカスから来る返しを、シュートだ・・・!
 しかしルーカスからボールは出なかった。ルーカスは健人から受けたボールを、自分のむねの前に軽く上へけりあげた。そしてルーカスはそのうかしたボールを、そのままもう一度後ろにけった。ボールは、ポーンと山なりに上がり、レオーネディフェンスの二人の上をこえ、ゴールキーパーが飛び上がってのばした手とゴールバーの間をよぎり、ゴールの中に落ちてバウンドした。
 いっしゅん、フィールドがしずまり、そしてホイッスルが鳴った。
「ゴール!」
健人がまっ先にルーカスにだきついた!
「やった、ルーカス!」
 康介と亮が飛んできて、ルーカスの巻き毛を手でくしゃくしゃにした。
「なんてシュートだ、ルーカス!」
「やっぱ、工夫がきいてるぜ!」
ルーカスをまん中に、ファルコンのみんなが青いかたまりになった。
 レオーネの選手たちは、その場にぼうぜんと立っていた。蓮が口をまげ、思い切り地面をけり上げた。蓮はまいあがった土けむりとよろこんでいるファルコンから顔をそむけた。

 「やった、やった!ルーカスがやった!」
観客ベンチではルイーザと加奈がさけびながら手を取り合ってよろこび、なみだぐむイザベラを陽ちゃんがだきよせ、立ち上がった淳一郎とミゲウが、大きなはくしゅをしながら言った。
「すごいな!ルーカスのアイデアは!」
「いや、ジュン、その前の健人のドリブルがきいたんだ」

 健人は、いっしょにサイドにもどるルーカスのはれやかな顔を見た。健人の頭の中には、公園で子どもたちとやったサッカーのシーンがよみがえっていた。あの時遊びで見せたシュートを、今ここでやるなんて・・・。ほんとにびっくりだよ、ルーカス!

 残り1分。雄星がごういんに右サイドから打ったシュートが、ファルコンゴールの上をこえていって、ホイッスルがなった。
 試合終りょう。えん長もPKもなし、リトルファルコンとレオーネの練習試合は、1対1の同点で終わった。

 観客ベンチでミゲウが立ち上がり、淳一郎に言った。
「ちょっと、行ってくる」
 ミゲウは引き分けにわいているファルコンチームのところへ行き、加賀コーチに頭をさげ、ルーカスをよんで歩き出した。向かったのは保見レオーネのサイドだった。ミゲウはレオーネのコーチに、蓮とちょっとでいいから話をさせてほしいとたのみ、ゆるしをもらった。
 「遠藤蓮くん」
名前をよばれた蓮が、ミゲウを見た。雄星と朝日が、そしてレオーネのみんながミゲウをいっせいに見た。そしてミゲウの横に立っているルーカスを見た。ミゲウが蓮に言った。
「わたしはルーカスの父です。あの時きみに、むすこがしたことをあやまります。ほんとうにすみませんでした。ごめんなさい」
ミゲウは深々と蓮に頭を下げた。その横でルーカスも頭を下げた。蓮は、親子二人に何も言わなかった。
 頭を上げたミゲウは蓮に聞いた。
「お父さん、お母さんは来ていますか」
蓮はリュックにタオルを入れながら言った。
「いません」
「そうですか。お会いしてあやまりたいのですが」
蓮はミゲウを見て言った。
「いいです。もう」
ルーカスはずっと蓮の目を見ていたが、蓮は一度もルーカスと目を合わせなかった
 蓮は二人にせなかを向け、リュックをせおった。
 
 健人はその様子をずっと見ていた。リトルファルコンのみんなも。康介や亮が、何があったのか加賀コーチに聞くと、コーチがうなずいて言った。
「前に、チームの中にできてしまったわだかまりが、今なくなったところだ」
 もどってきたミゲウに加賀コーチが話した。
「ルーカスくんのことは、保見レオーネと連絡を取った時に入っていました。でもリトルファルコンではそのことを問題にするようなことはしませんでした。ルーカスくんは、親友の健人くんといっしょにサッカーがやりたくて、ファルコンに入りたいと言ってきてくれたんですから」
ミゲウが頭をさげて言った。
「コーチ、ムイト・オブリガード!」
「サッカーでいちばん大事なのは、リスペクトの心です」
加賀コーチの言葉に、ミゲウはコーチの手を取り、しっかりあくしゅをした。


 ミゲウがみんなに言った。
「さあ、駅前でちょっと何か飲んで行こうか」
「パパ、ビールでしょ?」
すぐにルイーザが言った。
「ルイーザ、よくわかるね!」
加奈が感心すると、ルイーザが言った。
「だっていつもだもん」
みんなが笑った。
 イザベラがミゲウに言った。
「あなた、わたしが運転するけど、いっぱい飲まなくてもいいから」
「え、パパ、一ぱいも飲んじゃダメなんだって」
すぐに陽ちゃんが言うと、ミゲウが頭をかかえた。
「いっぱいと、一ぱい、日本語はむずかしい!」
またみんなが笑った。

 みんな駐車場へ歩きながら、加奈はルイーザと、陽ちゃんはイザベラと話をしていた。
 淳一郎はミゲウに、けい示板のそばで聞こえてきた遠藤蓮の家の話をした。蓮の父親は、ミゲウが働く車工場の本社のエリートで海外での仕事が長く、母親は蓮の進学に頭がいっぱいでサッカーにはまったく関心がない。それで蓮はさびしい思いをしているらしいと。
 ミゲウが、ふう、と息をはいて言った。
「そうか。父親は仕事で、海外か・・・」
ミゲウが少し首をふって言った。
「あの子も、問題をかかえてる」
淳一郎がうなずいて言った。
「そうだな。人はみんな、それぞれの問題をかかえて生きている。ブラジル人も、日本人も。大人も、子どもも、みんなだ」

 健人とルーカスはみんなのいちばんうしろを歩いた。
健人がルーカスに言った。
「サッカーで、勝ったな!」
ルーカスがうなずいて言った。
「ああ。サッカーで、勝った」
「でもさ」
「うん?」
健人が急に声をひそめて言った。
「あそこでシュート、けりたかったぁ!」
ルーカスが健人に言った。
「左に出して健人がけったら、その角度じゃ向こうのディフェンスのやつに当たるか、キーパーに取られるって思ったんだ」
「角度・・・?そうだったのか」
健人は思った。ルーカスはあのしゅんかんも、しっかり考えていたんだ。まるで算数の時間に角度の問題をとくように。
 ルーカスが健人の顔をのぞきこんで言った。
「じゃあさ、二人で引き分け試合の決着つける勝負する?」
「え、決着つける勝負って?」
健人が聞き返すと、ルーカスは声を出さずに、口の形ををアルファベット二文字にしてみせた。



      14

 六時間目が終わり先生とのあいさつがすむと、健人とルーカスはいそいでランドセルをせおい、教室を一番に出ていった。
 二人について行こうとした加奈を中村先生がよびとめた。
「加奈ちゃん、ちょっと」
「はい、先生」
「これ読んでみない?」
先生は一さつの本を加奈に見せた。
「小学生にもわかる、世界・・・」
タイトルを読もうとした加奈のあとを先生が続けた。
「世界人権宣言。人には、どんな人にも、ちがうことで差別を受けることのない、人権というものがあるんだっていうことが書かれてあるの。人種のこと、文化のことから、お金があるとかないとか、子どもとか老人とか、障害を持った人だとか、それぞれちがいを持ったぜんぶの人に、人権はあるんだって」
「人権・・・」
 加奈は人権という初めて聞く言葉を口に出してみた。
「先生、読んでみます!えっと、いつまで・・・」
「読んだらでいいわ。その時、感想聞かせてね」
中村先生は教たくの上をかたづけながら笑顔で言った。
 加奈は先生から借りた本をわきにかかえ、二人はきっとまた公園、と思い、学校をいそいで出て走った。

 加奈が公園に着くと、広場の方から子どもたちの声が聞こえてきた。思った通り、健人とルーカスがそこにいた。
 加奈が声をかけた。
「サッカーの練習、さぼり?」
加奈に気づいた健人が、足もとのボールを動かしながら言った。
「何言ってんだ。コーチが研修で今日は練習休み!」
「何してるの?」
「見りゃわかるだろ、PK!」
「PKって、ナニ?」
健人が首を横にふって言った。
「試合で引き分けたから、決着つけるのさ」
「え、健人とルーカス、同じチームじゃない」
「いいんだよ、勝負、勝負!」
「意味わかんない。何なの、ルーカス」
加奈は首をかしげてルーカスに聞いたが、ルーカスは何も答えずに、こいピンクのツツジがたくさん咲いている植えこみのえん石とえん石の間に立った。
 まわりで見ている1、2年くらいの子どもたちのひと
りが、加奈に言った。
「5本けって、多く入れた方が勝ちだよ。今3対3」
 そう、多く入れた方、と加奈がうなずくと、子どもたちが声をあげ始めた。
「入れろ、入れろ!」
「止めろ、止めろ!」
健人が、地面に足でつけたばつ印にボールをセットして顔をあげた。
「よし行くぞ、4本目!」
後ろへ下がった健人が、ボールに向かって走り出す。ルーカスがこしを落としてかまえる。健人、シュート!ボールは右に動いたルーカスと反対の左に飛んで、バウンドしてえん石の内がわを通った。
「よっしゃー!」
健人のガッツポーズに、おうえんしている子どもたちが声をあげた。
「やったー!4点目!」
 今度はルーカスがける。ボールをセットしたルーカスはそのままゆっくり5歩さがり、えん石の間でかまえている健人を見た。子どもたちが声を上げた。
「入れろ、入れろ!」
「止めろ、止めろ!」
ルーカスがふみ出す。一歩、二歩・・・。今度はどっちだ?健人はギリギリまでボールを見る。三歩、四歩、ルーカスが足をふりおろす!健人がこっちだ!と右に動いた時、ルーカスはふりおろした足を止め、インサイドで軽くボールを送り出した。地面をころがっていったボールは、右に飛んだ健人と反対の、左のえん石の内がわをころころと通った。ルーカスは声を出さずに、こぶしをにぎった。
「やったー!」
子どもたちの声に、健人がさけんだ。
「ちくしょーっ!今ので同点、4対4!次、ラスト5本目!」
 健人がボールをセットしてルーカスを見て、左右のえん石を見た。どっちへけるか。健人は決めずにボールに向かってふみ出した。健人は左に向けた体を最後にまわし、右へけり出した!シュート!ルーカスは左に動いた。健人のボールは右に飛んだ。よし!と健人が思ったしゅんかん、ボールは右のえん石の角に当たって、木の間を大きく後ろへ飛んでいった。
「しまった!」
健人が頭をかかえ、子どもたちが声をあげた。
「はずれ、はずれ!」
加奈が子どもたちに聞いた。
「えーっ、これで、どうなるの?」
「次、あっちの人が入れたら勝ちだよ」
子どもがルーカスを指差した。加奈が口の横に手をあてルーカスに声をかけた。
「ルーカス、バモス!」
健人がボールに足を乗せ、加奈に向かって言った。
「なんだよ、ルーカスの応えんか!」
加奈が笑顔で、健人にも声をかけた。
「健人も、バモス!」
 健人はルーカスに向かって指をさし、声をあげた。
「こうなったら、ぜったい止めるぞ、ルーカス!」
ルーカスは何も言わずにボールを地面のばつ印にセットする。名前がわかった子どもたちがいっせいに声をあげた。
「ルーカス!、ルーカス!、ルーカス!、ルーカス!」
 ルーカスはセットしたボールからゆっくりと五歩下がり、健人をじっと見た。
 健人はこしを落としてかまえ、白と赤の横しまのTシャツにジーパンの長い足を開いて立つルーカスを見つめた。
 ずっとだまっていたルーカスが口を開いた。
「最後、いくぞ」
「まだ最後かどうか、わからないって!」
 健人がルーカスに向かって声をあげた。
そして健人は心の中でも声をあげた。
 さあ、いったいどんなシュートを見せてくれるんだ?ルーカス!
ルーカスが、ボールに向かってゆっくり一歩目をふみ出した。

 5月の青い空の下、公園に子どもたちのひときわ大きなかん声が上がった。

                         (終わり)

 

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