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人の欲

学生時代 好きな人ができるとか、トキメキとか、もっと近くに寄りたいとか
そんな人間としての欲。(これも神が人間を作ったなら神から備わったものなはず)
それを全て「不道徳」として母からみられていました。嫌らしいもの。
汚らわしい。
だから、男子の話も憚られるものでした。男子と2人きりで会う?そんなの不道徳。もちろん、好きな人の話諸々できるわけもなく。
必然的に隠す。そして、罪悪感が湧く。嘘に嘘を重ねるようになる。
本当は成長過程に見られる当たり前に感情なはずなのに。

もちろん、父もわたしに聞いてくることなく、むしろそんなことすらも考えなかったんじゃないだろうか。ちょうど、新しい仕事を始めたばかりで支店を作るのに躍起になってる時代だった。

わたしは、この変な家で暮らす歪みがどんどん出て、彼氏とかにすごい依存するようになり、それこそ「病んでる」と見えていたであろうメンヘラ女子でした。

嘘がバレた時「言わないあなたが悪い」「そんなに嘘をついてママが知らないとでも思ってたの?」たくさん責められて。「エホバに恥ずかしいと思わないの?」と言われてその後何日か無視される。

異性との関係は恥ずかしくて、罪なこと。
ねぇ。ママはそんなに完璧なの?みんなそんなに綺麗に暮らしてるの?
ねぇ。人を好きになることってそんなにダメなの?なら、エホバの証人だったら良かったの?

そら、イエスはまさにコウノトリが運んできたようにマリアの中に入ったよね。
でも、人間が生まれるってまじのコウノトリが運んでくるわけじゃないよね。
そんなに汚らわしいことなの?

なぜ、あんなに責められなければいけなかったのだろう。

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