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いのちの期限

命の期限を区切られたら、多分わたしは絶望する。なぜこんなことになったのかと、自分を呪う。

老いた母は、幾度となく命の期限を突きつけられ、そのたびに手術をして乗り越えてきた。わたしには想像できないほどの痛みと傷みがあったはずだ。

何度目かの手術の後には抗がん剤の点滴投与があった。1週間の点滴治療の後、3〜4週間かけて体力を戻す。その後また1週間かけて点滴をする。吐き気と発熱と身体のしんどさにのたうちまわり、味覚は薄れ、口内炎がひどくなり、何を食べても美味しくない。その時はかなりの八つ当たりもされた。ようやく体力が戻ると再び点滴をしなければならず、「もうやりたくない」と泣く母を見るのが辛かった。

その後も何度か開腹手術をした。その度に母は「こんなことではへこたれない。また元気になって頑張らないと」と、まるで自分を鼓舞する様に言っていた。

「なにくそ‼︎ と思って頑張らないと」

それが母の口癖だった。歯を食いしばって頑張ってきた母。そしてまた、医者は母に手術を迫る。

今の母には「なにくそ‼︎ こんなことに負けてたまるか‼︎」という気力がない。どこからそんなパワーが湧いてくるのか不思議で仕方なかった、生への執着がない。それなのに、医者は手術を迫る。それが医者の仕事だとは理解するが、医者というものは、患者の何を見て診察し、診断し、医療計画を立てるのだろうか。

医者は、目の前の患者の何をみているのだろうか。病だけを見ているのか?

わたしはわたしで、手術をやめようよ、と言えない。言ったら、母の命を諦めていると言っているように聞こえないだろうか… そう思うと、怖さが先に立って、言いたいことが言えない。

母の寿命がどれだけかはわからないが、人生の終わりは、少しでも健やかさとともに過ごしてほしい、と心から願う。そうでなければ、母の人生はなんだったのかと思うからだ。

自分の命の期限を聞き、命を伸ばすために手術を勧められた母。手術はやめて今できることをたくさんして過ごしたいと願う母に、医者が手術をすれば命が伸びると囁けば気持ちは揺れる。医者とはなんなのか…

やっぱり、母とちゃんと話そう。今の時間が楽しくなれば、きっと腫瘍も流れてなくなるよ。病気と戦うのはもうやめようよ。今度はわたしが助けるよ。だから、今の身体で生きようよ。

そう、伝えてみようと思う。


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