あおぞらの日記

徒然なるままに、毎日の想いを綴っています。 こころのつぶやき日記です。

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最近の記事

夫婦

夫婦のことは夫婦にしかわからない 子どもの頃から両親の喧嘩の仲裁をしてきた。 両親が老いてきても、わたしの役目は変わらない。 子どもの頃は、両親の仲睦まじい姿が見たくて仕方なかったが、今では争い合うのもまた愛情表現の一つかも、と思い直すようになった。 母の体調は今のところ大きな変化はない。 そればかりか医師から提案された手術を拒否して、今を楽しく生きると決めてからは、表情が良くなって生き生きしてきた。「これまでの人生は、夫のため、子どものために生きてきたから、これからは自

    • いのちの期限

      命の期限を区切られたら、多分わたしは絶望する。なぜこんなことになったのかと、自分を呪う。 老いた母は、幾度となく命の期限を突きつけられ、そのたびに手術をして乗り越えてきた。わたしには想像できないほどの痛みと傷みがあったはずだ。 何度目かの手術の後には抗がん剤の点滴投与があった。1週間の点滴治療の後、3〜4週間かけて体力を戻す。その後また1週間かけて点滴をする。吐き気と発熱と身体のしんどさにのたうちまわり、味覚は薄れ、口内炎がひどくなり、何を食べても美味しくない。その時はか

      • タイムマシン

        今、この瞬間を生き生きと生きている人はどのくらいいるのだろう。 少なくとも母は過去を生きている。健やかさを感じる瞬間がほとんどない身体で、過去を生きている。その時の登場人物の多くはすでにこの世には存在しないのに、彼らと交わしたことばや、その時に抱いた感情が、今まさにありありと体験されて甦る。その度に怒りで身体を震わせて、悲しみで身体を包み込み、身体はここにあるにもかかわらず、心だけが過去に飛んでいく。 それはわたしが子どもの頃から幾度となく繰り返されている母の時間旅行だ。

        • 老いを愛でる

          人は一生のうちに何度開腹手術というものを体験するのだろうか。 母の人生の半分は、開腹手術して体力つけて元気になってきたらまた開腹手術を受けての繰り返し。だから当然人よりも内臓の量がかなり少ない。 そしてまた、腫瘍ができた。 それは子どもの体重ですか?くらいの重さしかなく、骨と皮になってしまっている老婆に、医者はまたもや開腹手術を勧める。手術をすれば寿命が伸びるよ、と。 人生の半分以上を病気と共に生きている母にとって、自分の身体に健やかさが感じられていた時は殆どない。手

          親の介護が始まった⁈

          ある夜突然に鳴った携帯電話から始まった⁈かもしれない親の介護の記録を書いてみようと思う。 電話の向こうでは、驚愕のあまり声にならない上ずった声で「お母さんが倒れて〜 頭打って、血が出てる〜」という父の声。 いつものしっかりした父とはかけ離れた話し方に「とりあえず今すぐ行く」とだけ答えて、部屋着のまま貴重品をその辺にあった紙袋に入れて飛び出した。 事故を起こさないようにと、ただ車を運転することだけに集中をして実家に着くと停まっている救急車のフロントガラス越しにいつもの父の姿

          親の介護が始まった⁈