【蒼混記】あの瞬間を目指して /「ニンジャスレイヤー」「映画大好きポンポさん2」より

物語には「魅せ場」というものが基本的にあるもので、それは時として「それ単体」で降って来たり、湧いて出たり、光り輝いたりする。

創作を生業とする/したい僕らは、そういう断片をキャッチして、「それ」へ辿り着こうとする。「それ」を形にしたくて、一瞬の瞬きを求めて、手探りで荒野あるいは大海はたまた天空を彷徨う。

そうして出来上がった作品は、時に「これが”それ”か」と、絶対的な説得力を以て読者、観客に感動を伝える力を持つ。強すぎる情念。

僕自身、基本的にワンアイディア勝負タイプなんだけど、明確に「クライマックス」が見えるような形できらめきが視えたのは最近あんまりない気がする。

たとえばまゆのP適性とか([新人P]佐久間まゆ)、三ノ輪銀の帰還(「咲いた紅鬼」)、内在人格と外在後輩のオーバーラップ(「アゲハ蝶は夢から醒めた夢を見るか?」)など……物語のギミックやコアを閃いて、そこから練り練りする方が最近は多い。

じゃあ逆にクライマックスが見えたとこから書いたものは、って言うと……「鬼はそこ、福のうち。」とかかなぁ。クライマックスを見出しても、そこまで書けてないというのが正確だ。

そう。

あの日見た光<クライマックス>まで書けにゃ意味がないのだ!

ここで「映画大好きポンポさん2」の話をするんですけど(ここからが本題だ!)、「1」の創作讃歌、狂気万歳に比べてめちゃくちゃビターな、物作りと現実の相食む苦しみをより濃く描いてて、読んでて面白かったけどしんどかったな…って。

その中でも「作品を作り上げるまで」の苦しみがじっくり、じっくり苦みの最期の一滴まで抽出されてて、自分の喉を絞める厳しさがあった。僕自身、全然書けていないから「生活もプライドも命も捨てて作品を追求する」姿がどす黒く眩しかったんだなぁ。一つの理想形だからなぁ…創作で食っていくのと同じくらい、創作に死ぬのは理想だ。

「全力」に対するコンプレックスはまたの機会に。

色々グチグチ言ってはみたけれど、結局書くしかないんだよな。

今のところ合同誌に参加したり(「さくまどろっぷす」)、逆噴射パルプ小説賞に心惹かれたりしているわけで。どちらも大長編じゃないにしろ、書き上げねば話にならぬ。

歩みを止めるな。とにかく進め。光がそこに見えたなら。

今日のひとこと:ポンポさんほんとお勧めだから皆よもう。


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