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【アニメかんそうぶん】超空のギンガイアン 宇宙の果ての見どころガイド

※この記事は、ハッシュタグ「#オタクはすぐ幻覚を見る」を
念頭においた上でご覧ください

超空のギンガイアンを君は見たか。

「超空のギンガイアン」。

かつて放送された宇宙とロボットと少年の覚悟を描く名作アニメだ。

その名作スペースオペラが、今度ミュージカルになる。すげぇな、ミュージカルだよ。

なので、今日はみんなでアニメ第一期(12話)と映画を改めて振り返ろうって寸法だ。

すげぇな奴姐さん

ギンガイアンってどんな作品?

舞台は宇宙!世界は…圧政!
「四獣神」によって無感情を強いられた社会で隠れ潜んでいた一族…その生き残りの少年とレジスタンスの…銀河を巡る旅
星が煌めきロボットが躍動する!刃切り結び…絆もまた…結ばれる!
別れ…出逢い…成長…欠落……そして…覚悟へ。

壮大な宇宙と繊細な少年の心を描く物語を、監督・山木寛太郎、キャラクターデザイン・すしお、制作会社G-NACKの鉄壁の布陣で描く。
主人公「ソレイユ」に七瀬美悠さんソレイユの生き別れの妹「サン」に林原めぐみさんと、声優陣も豪華にして鉄板。脇を固める大人たちは艦長「シンヤ」に高木渉さん、エース「聖也」に伊礼彼方さんという鉄板のメンバーに、救護班のお姉さん「伊吹」には主題歌を歌唱する椿鬼奴さんという挑戦的な抜擢。まさに隙のない布陣だ。

主題歌名曲だから聴こうね。

始動・初公開は1999年、2期放送は2005年。2009年には劇場アニメ、2014年には実写映画化。そして2019年7月、ミュージカル
20年もの間求められた宇宙の果て、ギンガイアンへの旅路。その魅力は未だ衰えることがない。
第一期当時ソレイユに共感していた視聴者が、今見直せば聖也に没入する、なんて話もよく聞きますね。

詳しくはこれをみてくれ。

第1話:シアの一族~苦しみと共に物語は始まる~

みどころ:とにかく重苦しい空気

この作品の大いなる敵「四獣神」の方針「感情を無くすべし」を体現するかのように、世界が酷く苦しく、冷たく描かれる。それは、感情を表に出せる幸せなシアの一族の隠れ里においてもどこか残っていた。

第一話の演出は「(監視による精神的な/隠れ里としての物理的な)抑圧」において徹底しており、ソレイユが「外の世界」を見た瞬間の「解放」に繋がるわけですね。
ただ哀しいかな、これは「敵に追われた末の脱出」であり、「解放」は「喜び」ではなく「自分を護る壁(規範や郷のシステム)を失った心細さ」を際立たせるんですよね…。だからこそ、外の世界の全景カット(=ソレイユの視界)は涙で歪んでいて、そしてだからこそ、伊吹の台詞が刺さるんですよ。

「泣くなよ、男の子だろう?」

第2話:君が選べ~少年の旅立ち~

みどころ:聖也と伊吹がカッコいい

恐るべき敵がまたやってきたという絶望と、その絶望を砕くエースパイロット郡司聖也とクレッセント・コバルトという希望。巨大ロボットの交戦に――絶望と対等な戦いが「小さな少年」の目線と「戦場のエース」の目線を切り替えながら展開される。広い世界!熱い躍動!!

燃えるよなぁ!!

ボロボロで訳のわからぬまま震える少年に通信越しにかけられた「少年。心細いか?怖いか?……それでも、神頼みなんてするな、俺頼みでいけ」という力強い言葉は聖也の自信と、神を名乗る仇敵に抗う男の強さを示す名シーン。

頼れる男と道標を得た少年の前に広がる大いなる宇宙は、暗澹としていても涙で歪んではなかった――。

第3話:クレッセントという暴力~力の使い道~

みどころ:少年としてのソレイユ

クレッセント・ゴールドを駆って活躍したソレイユ。真っ直ぐな少年の勝利は、別の少年に陰を落とす。

コルトは、平和な隠れ里ともベオグラードの大人とも違う、明確な嫉妬や対抗心を剥き出しにする存在だ。ソレイユにとって初めて向けられる『無垢な敵意』

「やった!」「みんなも喜んでいる」中で向けられる敵意に困惑するソレイユ。それでも真っ直ぐコルトと向き合うソレイユ。余計な世話を焼かず見守る大人たち。ベオグラード・ザッハという「家族」。戦場における不和を、それでも暖かく「感情ある人間」として描く美しさ…。

ソレイユの「どうしてそんな事するの?」は、あまりにも純粋(公式サイトキャラクター紹介より)

戦場での和解も青臭くて最高なんだよな!

第4話:非日常における日常~たのしいぜ!フィフスゴッド!~

みどころ:ベオグラードメンバーのイキイキ演技
「1話からずっと参加してたけど、ずっとガヤだったので。やっと『アー』と『ユー』として参加できたという感動がまずありましたね」

双子姉妹役の黄堂明音さんが語っていたように、このエピソードはキャラクターがどっと増える。

アー、ユー、ランランの救護ガールズチーム。寡黙な万能仕事人、弥勒。頼れるバーのマスターゴーシュと奥さんのカナハ。温かな時間、抑圧なきよろこび…。他にも後々出てくるキャラクターが背景でわちゃわちゃしてたり、ガヤの中で会話してたり、楽しい挿入歌「Galactic Galapagos」が流れたりした。

みんな楽しく生きてるんだ!

試聴動画がなかったので、みんなアルバム「IVKI」を買って聴こう!1999年には早すぎる歌詞で、作詞家未来人説も出た。詳しいアルバム情報は → ここ

弥勒の過去も語られ、シリアスな部分も見え隠れしつつ、それでも前に進んでいく。その先にある希望を信じて。

第5話:家族はここにいる~喜び、そして~

みどころ:たのしいおまつり。と、最後2分

フェスティバル回。とにかく楽しいお祭りでしたね。普段はシリアスかましてる聖也も、たまには安全に楽しんでるんですよ。エースパイロットのあほ側面がさわやかに描かれるの最高では?

このエピソードで家族の、人の温かみをしっかり描くことで、広い広い宇宙の星空が「頼るもののない広大な世界」じゃあなく、「仲間たちと進む希望の未来」として輝きが強調されるんですよね。

そして、その光を翳らせる「真実」…。これまで倒してきた敵兵がシアの一族をはじめとした被支配・侵攻民族の生き残りであり、ソレイユは今まで洗脳されていた「四獣神の被害者」を倒していたことを知ってしまう。

クレッセント・ゴールドの刃が振り下ろされるとき、星々の明かりを遮って「闇」を作っていくのが印象的でしたね。

アーとユーのフェスティバル・ポップの音源化まだですか?

第6話:未来のために汚れる手~血みどろの中を歩く~

みどころ:大人たちの名演

ソレイユの挫折。伊吹の過去。シンヤ艦長の過去。段々と心の奥が語られ、それぞれの傷が明らかになり、物語の味わいがぐんと深まる回。

心の傷を癒やせない私は、救護班失格ね…(伊吹・レッドスター)


伊吹やシンヤの過去が語られるのと同時に、挫折したソレイユの部屋の前でそっと語り掛ける弥勒さんの優しみが深くていいんだよね…。

この話での弥勒の会話で、繊細な演技に気付いた人も多いはず。4話の語り以外でもさりげなく皆を気遣ってたり、感情が滲んでたりするのがいいんだよね…。

そして立ち上がる少年!熱い!

第7話:運命、その先に~たいせつなひと~

みどころ:受け継がれる希望

ソレイユとサン。聖也と清奈。引き裂かれたふたりたちは、片や戦場で、片や取り戻した記憶で再会する。

「大切な人を護る」。絶対の、己に課した誓いを胸に飛び立つコバルトとゴールドの二機が迷いなく飛び立つ姿の勇壮さ!贅沢に使われる出撃バンク!最高ですよ!!

サンがソレイユの呼びかけに応じず、淡々と帰っていく軌跡を見て、一筋の涙を零す伊吹の、震える声。そこからすぐに涙を拭い、気丈に振る舞う伊吹。大泣きじゃない難しい演技をしてみせた椿鬼奴さんも陰のMVPだったりする。

第8話:血~全員で掴む勝利~

みどころ:人間の団結!

記憶を取り戻した聖也。最愛の妹を再び前にしたソレイユ。いぶし銀なサポートをする弥勒とコルト。彼らはもちろんのこと、彼ら前線が戦えるようにサポートするオペレーターやメカニックの奮闘も同時に描かれる名回。

皮肉屋のリチャードがソレイユを信頼して託した速度偏重ブースター。流れ弾一つ漏らさないサポートメンバー。ソレイユを信じ見守るベオグラードメンバー。

「血」はソレイユとサンの血縁と絆でもあり、「人間のつながり、感情と想いの積み重ねの勝利」という四獣神には持ちえない大いなる力も示しているんですね。

「全員の勝利」という意味では、演者、脚本、作画、音響のすべてが見事に噛み合った回でもある。オンとオフを見事に切り替えて、美しく演出する。ウム…!!

第9話備忘録~女たちの安らぎ~

みどころ:サンかわいい

いわゆる一つの総集編。

戦場を見守った伊吹なりの視点は本編であまりフィーチャーされてないから新鮮なんだよな。

フェスティバルに興味津々のサン、ふんすふんすしてカワイイ。アーとユーの着せ替え人形になるのかわいい。

第10話:But the world is beautiful~兄と妹~

みどころ:贖罪と再起

サンはこれまで敵エースとして多くのダメージをベオグラード・ザッハに与えてきた。洗脳があったとはいえ、罪は罪…残るしこり…。

洗脳の影響で大人びたサンを、それでも兄として護ろうとするソレイユ。己のこれまでと、「長の息子」ではなく「一人のメンバー」としての今までと違う兄を見つめて踏み出すサン。

二人は、少しだけ違う形ながら再び兄妹としての時を刻み始める…泣ける。

第11話:決戦~最後の鍵が開くとき~

みどころ:すべては終焉へ

最後の謎が解かれた。

最後の戦端は近い。

ビリビリした空気が30分続き、それぞれがそれぞれの傷と希望と最後の対話をする回。

アクション的には大きな動きはないけど、その分内面描写が克明で、かつ抽象的な部分もあり、「内面という宇宙」を描く演出の妙味を感じられる。もちろん「役」として円熟した演技も心を伝えてくれる。

悔いなく最後の戦に臨めるように。

第12話:超空のギンガイアン~壮大なるオペラの終演~

みどころ:全て

ロボット戦闘!世界の秘密!G-NACKが誇る演出力を全て注ぎ込んだメカ浪漫とファンタジー浪漫両面の芸術!

「だって、世紀末ですよ?これくらいやらなきゃ、ファンの皆さんに、作品に、宇宙に失礼ってものです」(当時の監督インタビューより)

そんな狂気めいた監督に応えるように吼える戦士!轟く鬨の声!呑み込む謎!躍動する大敵!音響!演技!エフェクト!光と闇と心の光!!20世紀最後にして最高の幕引き!!!これはもう文章で説明するだけ野暮だ!!観てくれ!映画館で見せてくれ!!

細かいところ取り上げると、ギンガイアン探査メンバーが弥勒とコルトだったんですよね。ソレイユを切っ掛けに皆と深く関わるようになった弥勒と、ソレイユと切磋琢磨して一人前になったコルト。ふたりが最後にして最重要任務を任される…ソレイユがいなければ起きなかったこと…!

その人物が動いたことで物語が進む」は主人公の定義のひとつだけれど、ソレイユの「主人公性」が結実したシーンなんですよね。

劇場版超空のギンガイアン:~人間と人間~

みどころ:本当の「敵」は何だったのか。
四獣神を打倒し、宇宙に平和が戻った後の話。フィフスゴッドは四獣神以外にも不当な支配を行っている輩がいないか、宇宙を冒険しながら探っていた。
そんな中辿り着いたひとつの星。そこで待ち受ける出逢いと、騒動とは。

四獣神は人の感情を制限し、フィフスゴッドはそれに反発して果たして人間を解放せしめた。これがテレビアニメの筋書きだった。

しかし、劇場版では「人間同士の争い」「感情ある故の憎悪や嫉妬、疑心暗鬼」に直面することになる。

明確な敵なき争い。不信による食らい合い。その中突如現れてしまった「暴力」フィフスゴッド。巻き込まれるメンバー。

「本当に感情があることは正しいの?」

「恐怖に勝つと書いて、男と読む。それは、どんなときも同じだ。敵が、敵でも、己でもだ」

「私は…私は!伊吹・レッドスターよ!」

迷い、傷つき、それでも平和を目指してもがく彼らの内面宇宙と希望の星がスペクタクルし、劇場版クオリティで我々に問うてくる。
この繊細な演出力と、真逆に豪快な宇宙アクションの表現力の二面性余さずテーマを伝え問いかける脚本と演技は一期放送から10年を経てさらに磨かれており、学術的な価値さえ認められたという。

本当に人は感情を持っていいのか?四獣神は間違っていたのか?その回答への航路はひとつじゃない。

いじょうだ。

「超空のギンガイアン」を観たことがある人も、ない人も、楽しんでくれたなら嬉しい。

観たことがない人が、これを機にアニメ観てくれるともっと嬉しい。1999年放送とか20周年とかでハードル高く感じるかもだけど気にすんな!!

実際僕がこの作品に出逢ったのもアニワラってアニメ×お笑いイベントに、「ギンガイアン」から椿鬼奴さんが出演してたのが切っ掛けだし。

壮大で真っ直ぐなスペースオペラ、青春ロードムービー、ロボットアクション、少年の成長、ほろ苦いドラマと、観る度に輝きが変わる「超空のギンガイアン」を、これからも好きでいてくれるとうれしい。

では。

(※ご注意)
この記事中に出てきた「超空のギンガイアン」は架空のアニメであり、実在しません。
でも主題歌アルバム「IVKI」は存在するので、ぜひ聴きましょう。

追記

ヒトシさんがファンブック「ベオグラード・アニュアルレポート」を発掘して見どころ語りをしてくれました。併せて読もう!
実を言うとプレミアツキまくりでマーケットに出ることすらない本なので、僕も読めてないんですよね。ありがてぇ…!


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