ペコさん(藤本晴美さん)との思い出
私が初めてヨウジヤマモト青山店に足を踏み入れたのは、19歳の時でした。
その時展開されていたコレクションのスカートとストールをその日に父親が買ってくれたのですが、何年間かは着こなすことが出来ないまま、けれど時々身に纏ってみる日々でした。
服は不思議なもので、すぐにしっくり来るものもあれば、ヨウジヤマモトが私にとってそうであった様に、自分が「着られた!」と感じるまでに何年間も掛かるお洋服も沢山あります。
どちらがいいということはないですが、私の個人的な体験から、若い頃は少し背伸びをして、着こなせないお洋服に出会うのもとても良いことだと感じます。
初めてヨウジヤマモト青山店を訪れてから数年後、私はペコさんこと故藤本晴美さんに青山店で声を掛けて戴きました。
私の人生において忘れられない特別な出来事でしたので、ここでペコさんとの思い出を綴らせて戴きます。
急に声を掛けられて戸惑った時のこと
ペコさんが私に初めて声を掛けてくださった時、私はヨウジの青山店でカーディガンを試着していました。
ペコさんも完全にプライベートでいらっしゃっていて、試着していた私がペコさんの目に留まったらしく、声を掛けてくださいました。
「似合う〜〜〜!」
第一声が、「似合う〜〜〜!」でした。
正直、店員さんではない方から急に声を掛けられて、少し戸惑ったのですが、ペコさんのお姿から昔からのお客様であることは一目瞭然だったので、そのままペコさんに身を任せてやり取りを続けました。
「これもヨウジなの?」と、私が試着のカーディガンの下に着ていたTシャツについて聞かれ、「これは違うブランドなんです」と答えると、「中も黒だともっといいね」と楽しそうに話し掛けてくださいました。
ペコさんと初めて会話をした時のことはよく覚えているのですが、会話を全部覚えている訳ではないです。
何しろ、急なことで緊張していました。
「靴も可愛い!」
私がファッション通信の懸賞で戴いて愛用していたTOPSHOPのブーツも褒めてくださいました。
「私はこれを買って行くの」
ペコさんはさっとヨウジの四角いパターンが印象的なジャケットを羽織って、さっとお会計をされて青山店を後にされました。
ペコさんが帰られてから、いつも可愛がってくださる青山店のベテランの店員さんからペコさんのニックネームや本名、お仕事や耀司さんとの関わりなど沢山伺うことが出来ました。
藤本晴美さん
ペコさんこと藤本晴美さんのご職業は照明デザイナーとのことでした。
それも、大変有名な方で、山本耀司さんとも大親友とのことでした。
耀司さんが2010年に東京・国立代々木競技場第二体育館で学生さんを多く呼び寄せて開催されたYohji Yamamoto POUR HOMMEのコレクションの際にも、ペコさんが照明を手掛けたと教えて戴きました。
モデルに俳優さんを使ったりと、とても話題を呼んだショーで、私も開催された時のことをよく覚えていました。
それから何年もして、ペコさんが亡くなられた後に、ファッション通信のある日の再放送で、私はその日のペコさんの姿を拝見することが出来ました。
コレクションの準備をしていらっしゃる耀司さんのすぐ横に、懐かしい藤本晴美さんの姿を画面越しに見付けました。
ペコさんは、耀司さんとのお仕事以外にも本当に沢山の素晴らしいお仕事をされたとのことで、私が知る範囲では東大寺の大仏の照明や、東京のホテルオークラの照明などがあります。
東大寺の大仏の照明に関しては、ペコさんが手掛けられた際、余りにも仏像のお顔が綺麗に見えるようになり、パンフレットのお写真も変えた程だったと伺いました。
フランスに留学された経験があり、英語もフランス語も堪能だと伺いました。
私は、耀司さんとお仕事されている偉い方から声を掛けられた、というよりも、初めて声を掛けて戴いた時何よりもペコさんのお人柄に感銘を受けました。
媚びるところがなく、とても楽しく話し掛けてくださいました。
そして、頭の回転がとても速いのが、ペコさんの話し方や仕草から見て取れました。
日本人離れした方だと、確かに私も咄嗟に話し掛けて戴いた際、感じました。
ペコさんとの再会
私がペコさんと再会を果たしたのは又偶然のことで、GINZA SIXの内覧会の際にたまたまお会い出来た時でした。
Ground Yの店舗だったと思うのですが、内覧会の日に、沢山店員さんに話し掛けて、ペコさんのことをご存知ない店員さんを少し困らせていらっしゃった様子のその困らせていた方がペコさんでした。
「ペコさん!」
とこの日は緊張もせずに私から話し掛けさせて戴きました。
「似合う人!」
ペコさんもすぐに私だと気付いてくださいました。
私はペコさんがGINZA SIXの照明を手掛けられたかどうかは今も全く知らないのですが、その日
「ペコさんは今回照明を手掛けられたのですか?」
という様な質問をした際、
「昨日もセレモニーで青い光がぴかぴかしたりして、面白かったよ」
などと教えて戴いた記憶があります。
ペコさんが店員さんに
「これもヨウジなの、これもヨウジ!」
とご自身のお洋服を説明されていたので、私が謎に割って入って
「ペコさん、バッグに付いているビジューはどこのものですか?」
と伺いました。
「ヴィンテージ。」
ビジューはブランドで見付けたものではなく、ご自身のセンスで選ばれたものでした。
黒いバッグだったと思いますが、そこに大粒の変則的なビジューが本当に美しく飾られていて、正直その日のペコさんのスタイリングで私は1番そこが素敵だと感じました。
「いいでしょ、これ。」
とヴィンテージのビジューについてペコさんがおっしゃるので、私も本当に素敵だとお伝えしました。
その日私はヨウジヤマモトで全身揃えていなかったのですが、スカートがばっちりヨウジのものだったので、ペコさんに
「このスカート、ヨウジです!」
とお伝えすると
「いいねえ」
とスカートの生地に少し触れながらしげしげと見てくださいました。
調子に乗ってお写真を撮ってもいいか伺ったところ、
「ダメ〜〜〜、私、写真キライ!」
と言って戴きました。
確かに、インターネットで藤本晴美さんと検索しても、出て来るには出て来るのですが、余り沢山のペコさんのお写真は見付からない気がします。
そして、写真いいですか、なんて言った後で何だよ、という感じですが、ペコさんは写真に撮らなくても一度で私も鮮明に姿を覚えました。
大きな特徴は、個性的なのにきっちりされた短い髪型でした。
また、小柄でいらっしゃるのに、存在として大きく感じさせるものがありました。
ペコさんが今の私に残してくださったもの
ペコさんの訃報を伺ったのは、ペコさんが亡くなられて大分経ってから、やはりヨウジヤマモト青山店ででした。
その後少しして、コロナウイルスで世界中大騒ぎになりますが、私の心の中に、別に辛い時でなくとも思い出されるのが藤本晴美さんでした。
言われた訳ではなく、私が想像の中でペコさんを思い出す度に思う言葉があって、それは
「あなたはまだ若いんだから、美しく生きなさい。」
というものです。
ペコさんは私の前に風の様にぱっと現れて、幸運にも二度も交流させて戴きました。
でも、もっと、チャーミングなペコさんとお喋りする機会を持ちたかったですし、二度拝見した元気いっぱいなお姿から、別れが早いことは想像されませんでした。
私は何故かペコさんに話し掛けて戴き、顔を覚えて戴いて、可愛らしく知的なお人柄に触れることが出来ました。
あの年齢でフランスに留学されることは、今の若者がフランスに留学するのとは違う高いハードルがあったはずですが、留学についてのお話しはご本人からは直接伺うことはありませんでした。
私が残して戴いたのは
「似合う人」
というニックネームです。
あんなに着こなせなかったヨウジヤマモトのお洋服を、「似合う」と言って戴けたことは、私の永遠の財産です。
またヨウジヤマモト青山で、ペコさんを思い出しながらお買い物出来る日が楽しみです。
終わりに
忘れられない人というのは、本当に人生の中でいるのだと感じた出来事でした。
それはペコさんが私を褒めてくださったからだけではなく、飄々として周りを巻き込みながら楽しくヨウジの店舗で振る舞われる自由な日本人離れした立ち居振る舞いからもでした。
ペコさんのお人柄に触れられたことは、これからの私が必ず生かすべき経験だと思っています。
ペコさんも、遠い空の上から応援してくださっていると、勝手に思っています。
最後まで読んで戴き、ありがとうございました。
ペコさんは、これからも私の指針となる方です。
友子
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