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書評02 芥川龍之介「蜘蛛の糸」

序.
 「蜘蛛の糸」は1918年7月、児童向け文芸雑誌『赤い鳥』に発表された、芥川龍之介にとって初の児童文学作品である。そのような経緯を踏まえても、この作品が子どもたちに向けた寓話的内容を含んでいることは明らかであるが、本稿においてはあえてそのようなバックグラウンドを一旦切り離し<物語自体>を読み解いていきたい。芥川龍之介及び『赤い鳥』の編集に携わった人々の意図は積極的には汲まずに、現存する史料との因果関係は一旦伏せた上で、<物語>に、テキストのみに焦点を絞って解釈を進めたい。つまり、テクスト論によりこの「蜘蛛の糸」という作品を読解したいと思う。よって度々考察される物語の寓話性、あるいは作品発表当時の日本における仏教の変容などについては触れずにこの稿を進めることを初めにご了承いただきたい。

 物語の主要な登場人物は二人、「お釈迦様」と「犍陀多」である。「お釈迦様」はガウタマ・シッダールタその人ではなく、穏やかな極楽で過ごす神や仏のような存在として描かれている。それに対し犍陀多は謂わば極悪非道の罪人、生前は「人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大どろぼう」であったらしい。その男が今、地獄の底へと落とされ、苦痛に嘆いている。この二人の様子を、もう一人の登場人物である<語り手>が述べていくという形式だ。
 ある日の「極楽」の朝、「ひとりでぶらぶらとお歩きになっていらっしゃ」った釈迦が「蓮池のふち」から地獄の様子を「ご覧になっ」たところ、犍陀多の姿が偶然「お眼に止ま」った場面から物語は始まる。


1.釈迦と犍陀多
 釈迦は「極楽の蓮池のふち」を「ひとりでぶらぶらと」歩いていた。特に目的などは記されていない。「池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないよいにおいが、絶間なくあたりへあふれて」いる。そんな美しい世界で、とりわけ目的も持たずにふらりと散歩でもしているかのような描写──語り口──だ。
 そのような折に、釈迦はふと蓮池の中を覗き込んだ。この蓮池の下にはちょうど地獄が広がっており、「水晶のような水を透きとおして」三途の河や針の山など、罪人たちがもがき苦しむ様子を眺めることが出来るのである。
 すると、ある男の姿が釈迦の眼に止まった。それが先述の犍陀多である。釈迦は犍陀多が生前犯した多くの罪を認識していたが、それらに加えて彼のとある行動を覚えていた。彼は極悪非道なその人生においてたった一度だけ、小さな蜘蛛の命を助けたことがあるのだ。
「これも小さいながら、命あるものに違いない。その命をむやみにとるということは、いくらなんでもかわいそうだ」
 蜘蛛を始末しようとした間際、犍陀多はそう思い返して踏みとどまった。そして結局その蜘蛛を逃してやった。人を殺めたり家に火をつけたりしていた大悪人・犍陀多が、小さな命を助けたのである。 
 犍陀多のその行動を釈迦は覚えていたので、「それだけのよいことをした報には、できるなら、この男を地獄から救い出してやろう」と考えるに至った。そして物語の中核となる「蜘蛛の糸」を極楽から地獄の犍陀多のもとへと垂らすのだが、ここで読者である我々は一つの疑問を抱く。
 はたして、犍陀多だけが「よいこと」をしたのだろうか?
 地獄の底に落とされた罪人たちは皆生前何かしら悪事を働いている。しかし、犍陀多以外の彼らはその生涯において、「よいこと」を一つたりともなさなかったのだろうか。犍陀多にしても、釈迦の言う「よいこと」とは蜘蛛一匹の命を助けたという、それだけである。勿論「小さいながら、命あるものに違いない」という彼の思考は一般的には称賛されて然るべきものであろう。しかし彼は、そのような感覚を抱きながらも、あるときには人を殺めているのだ。<小さい/大きい>は問題でなく、ひとつの生命をその手で奪ってしまっている。犍陀多以外の罪人たちも地獄へ落とされるほどであるから、何かしら眉を顰めてしまうような悪事を働いたのだと想像出来るが、彼らが生前に蜘蛛を一匹逃すようなことすら一つもなしていないとは考えにくい。ある者は、花の茎が折れてしまわないように避けて歩を進めたかもしれない。ある者は、誰かが落とした荷物を拾って届けてやったかもしれない。勿論、それらは全て<もしかしたら>の空想に過ぎない。しかし重要な点は、<もしかしたら>という想像の余地が残されているということなのだ。そもそもこの物語は、犍陀多の生涯及び他の罪人たちの生涯の詳細には一切言及しない。釈迦も語り手も犍陀多の悪事と「よいこと」を並列させるだけで、それらの起因については一切触れないのである。


2.犍陀多は特別な存在であったか
 物語を素直に読み進めれば、犍陀多は確かに生前悪事を働いたが、一匹の蜘蛛を助けてやるという「よいこと」もなしていたので、釈迦はその行動を認めて救いの手を差し伸べたかのように思える。実際、テキストにはそう書かれている。しかし彼が<特別な存在>であったということは記されていない。<記されていないこと>は、時に<記されていること>と同じように意味を持つ。この物語においては<記されていないこと>が、他の罪人たちも犍陀多と同じように、悪事を働いた生涯の中でも何かひとつ称賛されて然るべき行動を取っていたかもしれない、という可能性を生じさせる。だが、釈迦はその可能性には一切触れない。何故だろうか。私には、それは釈迦自身の行動原理に由来するのではなかろうかと思えてならない。
 そもそも釈迦は物語冒頭で「極楽の蓮池のふちを、ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃ」っただけであり、何とはなしに「ふと」蓮池の下に広がる地獄の「ようすをご覧にな」っただけなのだ。大きな理由などない。謂わば、朝の穏やかな時間における散歩の途中、気紛れに地獄の様子を眺めてみただけである。そして、<偶然>犍陀多の姿を見つけた。
 もしもこのとき、犍陀多が釈迦の目にとまっていなければ、物語はどのように進んでいたであろうか。おそらく犍陀多は地獄の底に落ち、苦痛に嘆き続けたであろう。しかし、それだけで済んだはずだ。一条の希望とも言える「蜘蛛の糸」を頭上に見つけなければ、釈迦の気紛れによる救済の糸を見つけなければ、必死に縋るかのように「蜘蛛の糸」を登り続ける必要はなかった。「けんめいに上へ上へとたぐりのぼり」、一息吐いたところで地獄から己以外の罪人たちが次から次へと登って来る様子に気づき恐怖を覚えることもなかった。その恐ろしさのあまり、「大きな声を出して、『こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちはいったい誰に尋いて、のぼって来た。おりろ。おりろ』とわめ」くこともなかった。その喚き声を合図とでも言わんばかりに不意に「蜘蛛の糸」が途切れ、再び地獄の底へ落とされてしまうこともなかったのだ。
 犍陀多は、釈迦の気紛れによる救済の糸を見つけたがために、結果的には二度も地獄の血の池の底へと落とされることになったのである。彼は決して特別な存在などではなく、偶然釈迦の目にとまり、気紛れに救済の糸を差し伸べられた、そして本来ならば受ける必要もなかった試練を与えられてしまった不幸なターゲットに過ぎないのではないだろうか。
 思えば、彼の言う「この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちはいったい誰に尋いて、のぼって来た。」とはもっともな意見ではあるまいか。釈迦は犍陀多の生前の行為、一匹の蜘蛛を助けた善行を思い出し、その「報」として地獄から「救い出して」やりたいと思い至った。他の罪人たちも、一匹の蜘蛛を助ける程度の善行ならば何かしらなしていたかもしれない。犍陀多と同じように、救済のための試練を受ける資格はあったかもしれない。しかし、釈迦はあくまで<犍陀多の善行>を思い出し、<犍陀多の頭上へ>「蜘蛛の糸」を垂らしてやったのだ。この「蜘蛛の糸」が犍陀多の物であること──あるいは、犍陀多への試練であること──は明白である。
 犍陀多は与えられた糸を懸命に登った。それは自分の物だと主張した。そこに矛盾は何もない。
 しかし、釈迦の期待には応えられなかった。
 釈迦の期待に応えることが出来なかったその結果、「蜘蛛の糸」は「ぷつりと音を立てて断れ」てしまった。釈迦はこれらの「一部始終をじっと見て」おり、犍陀多が再び「血の池の底へ石のように沈んでしま」うと「悲しそうな」表情を浮かべた。
 語り手は「自分ばかり地獄から抜け出そうとする、犍陀多の無慈悲な心」が罰を受けて再び地獄へ落ちてしまったのであろう、それを見ていた「お釈迦様」は「あさましく思し召されたので」あろうと述べる。あくまで釈迦の心に寄り添いながら、事の顛末を物語る。
 その物語を、私は素直に聞き入れることが出来ない。
 本当に無慈悲な心の持ち主は、いったい誰であろうか──。


3.蓮池のふちから下界を眺める釈迦
 釈迦は犍陀多を救おうとした。小さな命を助けたその善行への「報」として救済の糸を垂らしてやった。そして一部始終を眺めていた。
 最終的に犍陀多は釈迦の期待に応えることが出来ず、自己本位な振る舞いを見せ、彼へ向けた救済の糸──「蜘蛛の糸」は断たれてしまった。
 釈迦は「悲しそうなお顔をなさ」った。
 それだけだ。
 実際に釈迦は犍陀多の振る舞いを悲しく、あさましく思ったのかもしれないが、だからと言って釈迦の周りで何かが変わるわけではない。「蜘蛛の糸」が途切れて、犍陀多が再び血の池の底へ落ちてしまっても、釈迦の居る世界──極楽──には美しく穏やかな時間が流れ続ける。「極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことにはとんじゃく」しないのだ。極楽の様子は「蜘蛛の糸」を垂らす前と変わらずに、「玉のような白い花は、お釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないよいにおいが、絶間なくあたりへあふれて」いる。「極楽ももう午に近くなったのでございましょう」と語り手は述べる。
 朝から午にかけての時間を、釈迦は犍陀多の行動を眺めて過ごした。あくまで、蓮池という一枚のベールを通して。それは、換言してみれば、ただただ傍観していたとも言えるだろう。
 釈迦は「ふと」「眼に止ま」った一人の男の様子を、極楽から眺めていただけだ。救済の試練にしても、彼は極楽から「蜘蛛の糸」を垂らしただけであり、自ら地獄へ降り立つようなことは何もしていない。自ら泥だらけになりながらも犍陀多を救い出そうというような気迫はどこにも存在しない。釈迦は己の手を汚すようなことは決してしない。ただ気紛れに、時間を潰すかのように、高みの見物をしていたまでだ──と述べれば、あまりに手厳しい意見になってしまうだろうか。
 しかし、極楽から地獄を眺める釈迦は、犍陀多の心には決して寄り添わないのである。


終.世界と悲しい存在者
 釈迦を悪と見做すつもりはない。だが私には、どうしても犍陀多の行動を「無慈悲」で「あさまし」いものだったと思うことは出来ない。
 人間は自分に余裕がなければ他者を救い出すことなどなかなか出来ぬものだ。まずは自分の足元を固めなければ、他者の手を取り暗い池の底から引き摺り上げることなど出来るわけがない。仮に手を取ったところで、自分が覚束ない泥濘に佇んでいるのであれば、きっと二人揃って暗い深淵に墜落してしまうことだろう。そう考えれば、必死に「蜘蛛の糸」を登り続けていた犍陀多が他の罪人に対して「おりろ」と叫んでしまったことも一概に責めることは出来ない。それに加えて、先述の通り、その「蜘蛛の糸」は確かに犍陀多のために垂らされたもの、<犍陀多のもの>であったのだから。己のものを他者に分け与えることが出来るのは、多かれ少なかれ余裕を確保した者だけだ。──例えば、何が起ころうとも変わることのない美しさと穏やかな時間を確保した極楽に棲む、釈迦のように。
 犍陀多は釈迦の期待に応えることが出来ず、再び地獄の底へと落ちてしまったが、おそらく彼がその期待に応えるということは土台無理な話であったのだろう。当然のように極楽に暮らし、「よいにおい」に包まれながら「ぶらぶらと」散歩をしている釈迦と、「地獄の底の血の池で」「責苦に疲れはてて」「ただもがいてばかり」いた犍陀多とでは、状況が、眼前に広がる世界が過剰に異なる。己の置かれた状況、環境、色彩、におい、世界──ひとつの<命>を持つ我々はそれらによって行動も言葉も変わってしまう。それが<命>の在りようだ。ひとりの存在者として、環境の、世界の影響を受けることは極々自然なことであろう。
 犍陀多は生前多くの罪を犯した。しかしその理由は語られない。もしかしたら、彼は罪を犯さざるを得ない環境に生きていたのかもしれない。勿論、だからと言って<罪>が消えるわけではないので、彼は現在<地獄>に居る。
 語り手は、犍陀多の<罪>を生み出した原因そのものには決して触れようとしない。そして、<極楽>に居る釈迦もまた、何故そこに居るのか──釈迦は何故極楽に存在するのか──という問いについて触れられることはない。当然のように極楽に過ごす彼に出来ることは、「蓮池のふち」から遠い世界としての「地獄」の様子を、罪人たちの様子を眺めることだけだ。眺めることに飽きれば、また穏やかな極楽という美しい世界で「ぶらぶらと」散歩をするだけである。
 語り手は物語の冒頭で述べた極楽の様子を、柔らかな色彩に満ち溢れた極楽の様子を改めて丁寧に語り、静かに口を閉ざした。──その声は、世界という構造そのものへの嘆きを孕んでいたのではなかろうか。


 いくつもの<もしかしたら>を述べてしまったが、はたして本当に悲しい存在は、そして寂しい存在は、いったい誰であったのだろうか。


 我々読者が疑問を抱いても、問い掛けてみても、もはや語り手は声を発することはない。彼、あるいは彼女は、もう物語らない。
 <物語>という世界は、既に閉ざされたのだから。


2019年11月14日 松本薬夏



※小雪さんの書評ページはこちら!↓

https://note.mu/diamd_/n/n0982815f05b5



 

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