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かがやき

11月から年末感が出始めて、今年も残すところあと1ヶ月ちょっとか〜と各所で話していたのも束の間、楽しみにしていたクリスマスも呆気なく終わり、知り合いの中には既に仕事納めをした者まで出始めた。職場近くの街路樹には12月からイルミネーションが施されていて、クリスマスも終わったというのに恋人や家族連れがこんなにクソ寒い空気の中、自分達の幸福になんの疑問も抱かぬような顔して歩いている。イルミネーションは綺麗だとは思うけれど、道に施されただけの電球を見るためだけに、こんな狭い道に溜まっている彼ら彼女らの気持ちが全く分からない。まだ自分が学生だった頃、友人と渋谷の青の洞窟にイルミネーションを見に行ったことがある。綺麗だねと浅い感想を残して寒さと人混みに耐えきれず、ほんの10分程で退散し近場の酒場に逃げ込むように入り込んだ。そもそも寒さも人混みもあまり好きではない自分は、いつか行ってみたいなと思っているクリスマスマーケットさえも、きっと実際はクソ寒い人多すぎ無理と舌打ちをして10分程度で退散するだろう。

しつこく装飾が施された道を突然立ち止まりカメラを向ける人々を避けるように歩きながら、そこで写真を撮り始めるな通行の邪魔をするな早くどけと舌打ちをしそうな自分をため息で宥めて毎日仕事終わり帰路につく。幸福を疑わない人々を羨んでるわけでも僻んでいるわけでもないが、やけに冷めた気持ちで眺めてしまう自分が嫌になる。希死念慮がなくならない日々を過ごして、人間誰しも孤独であると思いながらもその孤独に耐えきれず忘れるために酒を飲み、また一人孤独に怯えて酒を飲み、そうして孤独などどうでもよくなってきたところで全てを忘れるために酒を飲む。アルコールはいい。今自分に起きている全てのことを忘れさせてくれる。そして目先の楽しいを作り出してくれる。ただ、その楽しいが私の予期せぬ事態に傾いた場合、私の死にたいは増していく。普段ならどうってことない事態でも、アルコールで頭が麻痺している際の自分にはこの世の終わりのように感じられて、その事態に耐えきれず死にたい思いを抱えてまた逃げるために酒を飲む。堂々巡りもいいところで、酒に頼って生きている私を心配してくれる友人もいたが、私は酒がやめられない。泥酔して暴れるとか泣き始めるとか暴言を吐くとか、そんなエネルギーを浪費することなんてしない代わりに、私はその瞬間のみ生きとし生ける全てのものが好きになる。みんな大好きだよずっと一緒にいたいね楽しい思い出作りたいねと周りの人々に愛を伝え始め、翌日目が覚めてから自分の弱さに絶望して死にたくなる。どうして私はこうなんだろう。素面では人が怖いと思いながら接し、酒を飲むとその人々に縋って愛を求めてしまう。酒を飲み続ける限り、私は永遠に自分を好きになれない。私は自分が大嫌いだ。世の中輝いている人達はいい意味で自己肯定感が強い人達ばかりだし、きっとその肯定は今までしてきた努力が根底にあるからこそで、社会に出てからのらりくらりと生きてきた私にとって今まで自分のしてきた努力も口先だけの薄っぺらいものに感じてしまい、人と比べてはいけないと分かっていながら自分自身を嫌に卑下してしまうことをやめられない。誰かが過剰に自分を卑下している姿を見ると、陰気臭いなとか悲劇のヒロインだなとか呆れた心で見てしまうのは、きっと同族嫌悪からくるものだ。こうして私は日々の死にたいを募らせていく。

けれど私は多分生きる。否、絶対に死ねない。
1番綺麗な死に方は自然死で、自死する中で綺麗なものなんて1つもない。首吊りなんて全てが垂れ流されるというし、飛び降りだってグチャグチャになるし、焼死も水死も人体の原型を留めない。そう考えるとやはり自然死が1番綺麗なもので、葬式で見た祖父達の顔も自然で美しいと感じた。だから私は自分が死ぬ時、自然死以外考えられない。
結局のところ私は弱い人間で、死を思いながら実行する行動力も勇気もないのだ。だからせめて生きている中で酒という逃げ道を見つけ、自分が嫌いだと喚きながら生き続ける。案外人間みんなそんなものなのかもしれない。イルミネーションを見ながら幸福を疑わないような顔して笑いながら歩いている彼らも、日々死にたいと葛藤して、酒に頼って生きているのかもしれない。人にはそれぞれが抱える地獄があって、その地獄にイルミネーションのような彩りをつけながら、這いつくばるように生きている。

今年も残すところあと数日、私は今日も死にたいと生きて、笑いながら酒を飲む。

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