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センチメンタル音楽

たしかあれは十七歳の夏だった。
日中は太陽の明るさに頼り電気をつけずに過ごしていた私は、だんだんと日が暮れてきてオレンジ色に染まり出した自分の部屋を見て、そろそろ電気をつけようかなと考えていた。締め切っていた窓を少し開け、クーラーでがんがんに冷えきった部屋に蒸し暑い空気とヒグラシの鳴き声が混ざり合うのを心地よく感じながら、大宮にでも出掛けようと思い立ち電気をつけて準備を始めた。お酒も飲めない年齢で、夜の街に一体なにをしに出掛けようとしていたのか全く覚えていない。けれど、メイクポーチとして使っていた弁当ポーチと鏡を手に取りテーブルの前に座った。まずはBGMをと携帯を手に取り、Bluetoothで繋いだスピーカーから大好きなバンドの音楽を大音量で流す。窓を開けているというのに、近所迷惑という概念は当時高校生の私にはない。プチプラばかりの化粧品を手に取り、音楽に合わせて歌詞を口ずさみながら厚めの化粧を施していく。

その時にこの曲が流れた。音楽は全てを思い出させる。十年が経とうとしている今も、オレンジ色に照らされたあの部屋と、あの時の気持ちは鮮明だ。あの頃私には学校で気になる人がいた。そのことは誰にも話していなかった。毎日何をするにも一緒だった仲のいい友人にさえも、恥ずかしくて言えなかった。恐らくそれは、恋とか愛とかそういう大きな気持ちではなく、種のような小さな感情だった。切ないラブソングであるはずのこの曲の〝憂鬱〟は、思春期真っ只中の私を苦しくさせた。大した恋愛もしていないから歌詞の気持ちは全然分からないのに、気になる人を想って私はとても憂鬱になった。化粧の手を止め、ぼんやりと窓の外を眺めた。夕日に照らされた小さな町を見て、とても綺麗だと感じた。恋愛ごっこがしたかっただけなのかもしれない。今ではその人の顔も名前も思い出せない。けれど確かに存在した。私を憂鬱にさせたこの曲と、あの部屋と、その人が、たしかにあった。だから私は今でもこの曲を聴くと胸が締め付けられて、十七歳の私に戻る。音楽はタイムマシーンだ。写真や動画では思い出せない記憶を呼び起こさせ、感傷的な気分にさせる。大人になってしまった私は、あの頃分からなかった愛という感情を別の人から知った。それでもなお、この曲に重ねるのは、あの情景と知らない誰かなのだ。

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