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出会いはカレーでした

『あの、カレー作り過ぎちゃって……良かったら食べてもらえませんか?』
 隣に住む青年がそう言って、超本格的な欧風カレーを持ってきた。
「あはい。全然いいですけど……」
 ずれた眼鏡を直しながら幸弘ゆきひろはそう答えた。時間は十七時過ぎ、ちょうど腹が減ってきた頃だった。
 めちゃめちゃいい匂いがする。元々顔なじみではあったから「汚いっすけどどうぞ」と招き入れる。しかし、カレーの美味そうな匂いに釣られたというのが正直なところだ。
 白米は炊いてあったのだが、どうやらサフランライスも一緒にあるようで、褪せた皿を除けば店の一品にしか見えない見栄えを香りだった。
「うンま! もしかしてプロ?」
 一週間の仕事で疲れた体にスパイスが効く。単に唐辛子が効きすぎてるとかではなく、貧乏舌の幸弘にはよくわからないがとにかく色々な刺激がある。しかもバランスが良い。普通に毎日食べたいとすら思えた。
「いや、調理師学校には通ってますけど、まだ全然っす。これは動画投稿をしようと思って弟と作ってみたんすけど、二人じゃ量が思ったより多くて」
「調理師学校ならもうプロの卵みたいなもんでしょ。マジで旨いっすよこれ」
「ありがとうございます。なんか照れますね」
 言えた口ではないが、隣の彼――上田海斗かいとはそれこそどこにでもいそうな、いまいち冴えない青年だった。
 二人が住むこの吉見荘も相当のボロアパートで、取り壊しの話が何度も持ち上がってるとかいないとか。八戸のうち残り六戸は全部外国人で、それも手伝って二人は既に淡い親近感のようなものがあった。

――

「って、あれからまだ四ヶ月だよな?」
 幸弘が唸る。ここは海斗宅のキッチン。珍しい二口コンロに、各種撮影機材。ギリギリ歩けるスペースを残して大きく幅を取っているキッチン用の机の上には、スパイスや収納しきれなかった調理器具が置いてある。ただ積んであるのではなく、どれもきちんと使っているそうだから感心モノだ。
「運が良かったんすよ~!」
 海斗の弟、斗夢とむが自信満々に言う。自信満々に運とはこれ如何にと思ったが、
「ホントに。たまたま先駆者のいない料理動画を撮ってて、同じ時期に料理動画系のネットニュースが多かったんで」
 海斗はすんなりと同意していた。
「それでもさ、四つめの動画でバズるとかすげぇよ。そっからうなぎのぼりだし」
「幸弘さんが手伝ってくれてるのもマジデカいっす。『坂井兄貴の食レポコーナー』いつも大人気ですし。俺一人じゃここまでなれなかったですよ」
「アレ見てる側からすると恥ずかしいんだよな……俺、実際はただ食ってるだけで、文字起こしだって海斗がやってるんだし。斗夢の『テキトー掃除テク』くらいは手伝いたいんだけどな」
 日本有数の動画プラットフォームであるMhS Movie、通称エムエムで、海斗のチャンネルは今や再生回数とジャンルランキングの常連。今日は登録者数十万人超えの記念動画を連続で撮影する日だ。顔出しをしない機械音声のチャンネルとしては異例の伸びだ、とネットメディアから取材を受けたりもした。
「そんな。ギャラも払ってないのに動画に出てもらってるだけでありがたいんですから」
「そうですよ! 僕だって一人暮らしの予行演習みたいなもんですし! まぁそんなコト気にしないで! ほら、今日もいっぱい食ってください」
「聖人兄弟かよ」
 こういう真面目なところが人気の下支えなんじゃないかとは思っているが、それを言うのは余計に恥ずかしいので言わない。


「よし! 無事十品分終わりました。今日はありがとうございます。料理の時のガヤもしてくれて」
「普通に邪魔だったと思うんだが……あんな感じで良かったのか?」
「最高っす! 幸弘さんのコメント面白いんで、生の声がないとやっぱダメなんすよ」
「なら良いけど」
 奥の居間にまでズラリと並んだ料理を見る。和洋中、他にもタイ、ロシア、ベトナム、お菓子まであった。
 今回はいつもと違ってなぜかどれも完食せず、味見程度で済まされた。いい匂いの暴風に晒されているのもあり、実はかなり空腹感がある。
「ところでこの料理ってさ――」
「幸弘さん」
 ずい、と斗夢が寄ってくる。む、何だ? 悪巧みをしてそうなワルガキフェイスだ。
「今日はサプライズで、こいつの食レポをお願いします」
 海斗がそう言って、一つの鍋を開ける。
「え、これって」
「リベンジマッチ、本気の欧風カレーをもう一回作ってみた! っす!」
 屈託のないドヤ顔をする斗夢。驚いて海斗の方に視線を移すが、
「前の百倍は旨い……はずです! いや、感謝パワーで千倍旨くできたかもしれません」
 と自信満々だ。
 なるほどね。今日朝から味見程度しか食べなかったのはこのためか。ちょっと涙が出そうだ。歳かな。
「はは、やられたよ」
 ネットはとかく、派手にして目立つものが多い。
 だが、本当に人の心に残るものを作れる創作者クリエイターは……彼らのような、謙虚な精神の持ち主なのかもしれない。
 チャンネル登録者第一号として、隣人として、友達として。幸弘はそんな二人に関われたことが誇らしかった。

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