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 壁。これほど象徴的なものが、他にあるだろうか。
 その向こうが見えることはない。部屋の間取りと同じようなもので、与えられた区画に人は慣れるものだ。最も、この壁外区ネイムレスで一人部屋を持つものなどごく一部の薄汚いピラニア程度だが。
「おいネア、今日の"バ家族"からの収穫はハンパねぇぜ。ま、相変わらずよくわからん機械ばっかだが、オレらにとっちゃ農作物盗むのと変わりゃしねぇ」
 アルティラで奴隷するより泥棒少年の方がよっぽど儲かるぜ。とレヅィがケラケラと笑う。どこかで、ドガンと爆発のような音がする。これも日常茶飯事。
 まぁね。とそれを聞き流しながら、ひっくり返された荷袋の中身を似た形同士で分類する。ネアにとっても、これが何の機械なのかはさっぱりわからない。
 ただ、壁の向こう――服も顔色も姿勢すら小綺麗なアルティラ地区の野郎ども――の奴らが交易から帰る時に通るこの壁外区ネイムレス側の道で、荷馬車から幾ばくかの荷物をかっさらう。そして適当にバラして売る。
 そうやって日銭を稼いでかろうじて生きているのが彼らだった。
 中身の正体などどうでもいいし、気にしたこともない。

 その時。遠くで、何かが焼けるような臭いがした。ネアの人一倍敏感な鼻が感じ取る。
「レヅィ、"バ家族"の荷馬車に火でもつけたか?」
「ンなことするわけねぇだろ。頭の悪いカモを殺すやつがいるかってんだ」
「……あいつら、火矢か何か打たれたかもしれない」
 ハァ!? とレヅィが驚いて跳ね、既に駆けていったネアの後を追いかける。
「気のせいだと良いんだが」
「オメーの鼻で嗅ぎ間違えたコトがあるかよ」
 残念ながらその通りだ。特に弁解することなく走っていくと、アルティラ地区に入る門からは少し離れた、壁外区ネイムレスの住宅街近くにある休憩所用の窪みで、荷馬車が燃えていた。馬も御者も既に焼肉になっており、爆弾でも浴びたのか、砕けた荷車は焼け落ちて地に伏している。
 助けなど、どこからも来ていない。
 視界の奥、川辺りで何かがボチャンと落ちる音がした。高価な積荷か、人か。
「ぅ、う……」
 人だった。背丈はネアやレヅィと変わらないほど。もしかすると近い年齢かもしれない。
「しっかりしろ」
 ブグブグと溺れていく少年の襟を掴み、引き上げる。金髪ときめ細かい肌は熱傷を負い、目はうつろだ。

「助けて頂き、ありがとうございました。僕はケイル・ユクラートと申します」
「……俺はネア」
 答えるのかよ、と苦い表情をしたレヅィだが、仕方ねぇなと続けて自己紹介をした。
「ナラトだ」
 偽名じゃねぇか。
「ネアさん、ナラトさん。この御恩は一生忘れません。必ず返しに、また伺いますね」
「こんなクソスラムにわざわざ来たいの? 変な奴」
「恩返しっつってもオメー、あの馬車に家族全員いたんだろうがよ」
「……あぁ。アルティラでは生前葬が普通なんです。相続の手続きも終わってますから、僕が帰って役所に申請すれば引き継がれます」
 事故死や殺人は予想の範疇ですってか。とレヅィがその顔に嫌悪感をむき出しにする。ケイルは苦笑いし、小屋から立ち去ろうとする。
「フラフラじゃん。壁の近くまで送ってやるよ」
 ネアはそう言い、文句を言われる前にレヅィへ目配せする。
 さっさと盗んだ積荷を片付けといて。
「ハイハイ。じゃ、オレは先戻ってるから」

 右足を引きずるケイルに肩を貸しながら壁へ向かう。
 道中は人気もなくシンとしており、何事もなかったかのよう。誰も彼もが無関心。
「ネアさん」
 怪我人のくせに、凛とした口ぶりだった。沈黙に耐えかねたと言うわけではなさそうだ。
「ウチの荷物、使ってもらえてますか?」
 返答に窮する。意味がわからない。
「ウチがいつも・・・後ろに置いている荷物、全部通信機器なんですよ。父と母はアルティラの壁を壊して壁外区ネイムレスの皆さんにも正しく人権を与えたいと思っている、平等派なんです。そのためには壁外区ネイムレスにも自分たちの意志を伝えなきゃいけないから、値は張っても性能の良い通信機器を置いてるんです」
「……」
 壁外区ネイムレスの生活は基本、アルティラからの盗みで成り立っている。ネアたちはずっと、アルティラ小金持ちのバカ共は積荷の管理もしっかり出来ねぇ豚ばかりだと嗤っていた。
 しかし、どうやら逆だったらしい。
 飼われているのは、俺たちだ。
 家畜は殺されるまで生存を保障される。その矮小な安寧に抱かれているから、暴動も革命も考えない。
「俺たちが、あんたらから盗んでるって、証拠は……」
「さっきナラトさんが『家族全員いた』って。あの焼け落ちた馬車に誰が乗ってたかなんて、普通わからないかと」
 あのクソバカ。
「ふふ。顔に出てますよネアさん。でも良かった。二人みたいな良い人なら、きっと僕たちの意志も伝わってますよね。やっぱり父も母も間違ってなかった。そちらで革命の準備が整ったら連絡してください。一緒にこの壁を壊しましょう!」
 そう言ってネアの補助を離れる。清々しげな顔で門まで進んだケイルが振り向き、無邪気に手を振ってくる。
 別に見送っていたわけじゃない。クソみたいな事実に失望して足を動かす気力がなかっただけだ。

 あんたらが努力だと思ってるもの、ただの空想だよ。
 俺たちは基盤やチップや液晶よくわからないけど売れる物を使って、その日の飯を食ってるだけだ。
 だが、それを言う隙もなかった。
 気が抜けた顔でそびえ立つ壁を見つめる。
 こんな。こんな壁よりも、俺とあんたの心を隔つ壁の方が……よっぽど計り知れない。

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