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人間が三十歳で死ぬ世界

「俺らも今年で二十四歳。来年は老人ホームか」

 身長百センチに満たない者から、二十代の者までがひしめく喧しい大衆酒場。公用スクリーンテレビを眺めつつミキトは四杯目のビールで脂っこい焼鳥を流し込む。
「と言っても登録だけだろ。カズ先輩なんて今日は八ヶ国行き来だってよ。上司が昨日三十の誕生日で死んだからって」
「面倒くさいもんだな」
「そう嫌がるなよミキト。四ヶ月後のカズ先輩の引き継ぎはお前なんだろ? 大体キッカリ三十の誕生日で死んで引き継ぎとか、過去最高にわかりやすい世界じゃん」
 ショウヤがガツガツと焼鳥丼を食らいながら言う。巨漢らしく、マヨネーズたっぷりだ。苦い顔をしてそれを見るミキト。
「よくそんなクドいもの食えるよなお前」
「大半の基礎疾患や持病は悪化する前に死ぬんだぜ? なら何食ったって同じ同じ」

 人間はキッカリ三十歳の誕生日で死ぬようになった。百二十八年前のこの日、突然。
 二十九歳までは至って普通だが、三十歳の誕生日、厳密にはその出生時間ちょうどになると生命活動が必ず停止し、ポックリ死ぬ。
 原因不明。延命手段は無い。

「六歳の時マレーシアに出張行った時のこと忘れたのか? 変な虫の雑炊食って死ぬ死ぬ喚いてたじゃねぇか」
「バカ、あれは口に入れた時は脳天爆発するウマさだったからノーカンなの」
「はいはい……」
 三十歳キッカリで死ぬようになってから、成人という概念は無くなった。
 シンギュラリティと後に名付けられたその日、世界人口の半数近くが突然死し、代わりに、人間の言語等の学習速度や身体の成長速度は過去の比ではない程となったのだ。
「ショウヤぁ、俺らも三歳から今までよくやってきたよな」
「何、しんみりか?」
「三歳の男には高すぎる天井の部屋でよ、頭の回転より遅れた舌で詰まりながら研究テーマ話した奴。いつ思い出しても笑える」
 クククっと含み笑いが漏れる。かつて大人と呼ばれた者用の部屋は、どれも無駄にだだっ広かった。
「あ~ありゃ爆笑だったよね。あの後カズ先輩が祝いだっつってテキーラ飲ませてくるんだからたまらねぇわ」
「四ヶ月も先輩だからってあれは流石にパワハラだろってな」
 いつの間にやら含み笑いのボリュームを遥かに超え、酒も飯も加速度的に進む。

『本日、シンギュラリティから百二十八年の記念日として、アメリカ大陸連邦では――』
 テレビが何やら言っている。シンギュラリティなどという単語は、この日ぐらいにしか聞かない。
「シンギュラリティねぇ……百年ちょっと前までは人間の平均寿命が百歳とかさぁ。信じられねえ」
 と、ミキト。酔いの回った口から、半ば嘲笑するような声で続ける。
「あれから四代? 五代? 世代交代があったとかさぁ。数ヶ月単位で引き継ぎながらやってる現場からすりゃ、一世代前も知らねえっつの」
「あらゆるプロジェクトは引き継いで繋げていくものだしねぇ。いつの誰に多大な功績があるとか、そういうのじゃないんだよな」
 そう言うショウヤに、彼の非侵襲式通信機器マイクロ・デバイスが着信の通知を彼の視界に投影する。
「っと、カズ先輩じゃん。どうしたんですか?」
『よっすショウヤぁ~! ミキトいる? いるよな? あいつ呑む時だけ通知切りやがるからよぉ』
 ビデオ通話のホロをミキトにも共有する。
「だぁからぁ、呑んでる最中は連絡すんなって言ってんじゃないっすか。んで、何すか?」
『ダハハ、わりぃわりぃ。追加の仕事で、後六十二ヶ所回る羽目になったわ! だからちょい帰り遅れる』
「あ~はいはい。二日くらいっすよね? やっときますよ」
『悪ぃな! あ、土産はクソほどあるから、期待しとけよテメーら!』
「へいへい」
 そう言ってミキトはさっさと通話を切る。
「カズ先輩、相変わらず仕事断らないんだな……。あの人絶対八時間睡眠なのに」
「まぁそう呆れんな。まだ寿命まで四ヶ月もあるんだから、そりゃ働くでしょ」
「でもあの引き継ぎはミキトだろ?」
「ぐっ……。まぁ、俺は二時間睡眠だしカズ先輩の分くらい……」

 言いつつ、奥の公用スクリーンテレビへと目を逸らす。かつての人類と今の人類の寿命や時間間隔の差などを、キャスターがつらつらと述べている。今日だけはそういう日だ。
「百歳ねぇ。単純に今の密度の生活が時間三倍になるってか?」
「昔は老後とかいう特に働かない時間が三十年くらいあったらしいよ」
「うへっ、寿命丸々かよ。働かないなら何するんだ」
「武術とか極めるんじゃないの。今だと仕事と並行で極めるのそこそこ面倒だし」
 ふーん。と興味なさげに九杯目のビールを飲み干す。キャスターがまだ何か言っている。
「……あのキャスターが言うには、老後は衰えるらしいぞ」
「え。じゃあ何するの」
「さぁ……」
 空けたグラスと引き換えに、五歳ほどの女がお待ちッと威勢よくジョッキを持ってくる。
 百何十年も前のことを、二人はもう気に留めてすらいなかった。
「ま、どうでもいいか」
「そうだね」
「うし、今日はこれでラストにすっか」
 そう言ってジョッキを掲げる。
「「乾杯」」

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