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「別れたのは俺のせいじゃない」

 振られた。
「なんで……」
『だから、仕事が忙しくてあまり二人の時間が取れないし、私も親の今後とか考えると色々やらなきゃいけないことが多くて。ごめんなさい』
「なぁ桜子、もう一回考え直してみるとかさ、あぁそうだこういうのってやっぱり二人で話すのが大事だとおも」
『たくさん考えたんだよ。ごめんね。勇一』
 これが最後の通話だった。メッセージは既読にならない。多分ブロックされたんだと思う。

「――ってコトなんですよ! これが一昨日の土曜! 俺が大学一年の時から付き合ってんのに、今更おかしくないっすか!?」
「六年付き合ったんだっけ」
 赤ラークとショートホープの臭いが混ざる喫煙室。ホープが勇一である。そして赤ラークを男顔負けの、とてつもない速度で吸っている方が彼の上司、駒沢さん。女性、既婚だ。この会社に就職した理由は外回りがなくて赤ラークを気兼ねなく吸えるからだそうだ。
 社員も、特に直属部下の俺とかも気にしてほしいが。
「五年七ヶ月と二日ですー」
「うわ、こまか。引くわ……」
「マメって言ってくださいよ。自分で言うのもなんですけど、俺は相手を想う方ですからね。記念日とか絶対忘れないし、最低でも週一は時間取ってるし、夕飯だけなら桜子に合わせて週三とか」
「そんなのどうでもいいんだけどさぁ」
 吸う速度と反比例するかのような凍てついた目。しかし二年前の新卒当時から駒沢さんの冷めた目に晒され続けてきた勇一は意に介さない。
「話し合い、拒否られたんでしょ?」
「はい。勝手に向こうの意思だけ伝えられました」
「そういうトコだぞお前。要は勇一の『相手を想う』とか言うのが独りよがりだったって話じゃないの」
「独りよがりって。そんなの、一度も言われたことないですよ」
「相手の子が一個年上なんだろ? 説教ぽくなるのが嫌で自分から変わってくれるのを待ってたけど、先に愛想が尽きたとかね」
 赤いグロスの間から赤ラークの紫煙が吐き出される。そいつが霧散し終わっても、勇一はくわえタバコで腕を組んだままだ。
「心当たりありませんってか」
「はい」
「ああそう……じゃあとりあえず二点。まず記念日なんてカレンダーにでも入れとけば誰だって忘れねーよ。偉そうにすんな」
「もう一点は?」
「お前、フツーに乗り換えられたんじゃね?」
 うぐお、と勇一の顔が歪む。言われたくなかったと言わんばかり。駒沢さんの目はより一層冷え切った。
「しょうがない、こりゃ『人生』教育というわけか。今週金曜の夜に焼肉連れてってあげるから。自分の過去をよーく振り返ってくるように」
「え、奢ってくれるんですか」
「八割だけな」

――

「駒沢さん、ここ俺が初めて任されたプロジェクトが無事終わった時に祝ってくれた店ですよね」
「そうだが?」
「なんでわざわざこの店を……」
「今回はバカ祝いだ」
「ハラスメントですよそれ」
 せっかくのお高い個室焼肉だが、これは気分が乗らない。
 しかし駒沢さんは肉をガンガン頼み、ハラミやらカルビやらを威勢よく焼き、
「ホラ食べるよ。脂身は二十代までの特権だから」
 と先にガツガツと食べ始めた。ビールをお供に。
「いただきます……」
 勇一もとりあえず食べ始める。肉は旨い。いいサシだ。
「さて。今週は仕事少なめにしたから考えるヒマはあったろ? まずは聞こうじゃないか」
「やっぱり少なくしてくれてたんですね、ありがとうございます。えっと、俺なりに振り返ってみて――」

 ビールが三杯ほど進んだ。
「はいオッケー。もう十分」
「まだ七割くらいなんですけど」
「オブラートに包まず言うけどね。勇一がつらつらと言ってること、全部相手の子を盾にした言い訳と自己正当化だよ。しかも手を変え品を変えながら、本質は全部同じ。『別れたのは俺のせいじゃない』『俺は悪くない』ってね」
「……」
 閉口した。駒沢さんは相変わらず冷めた目だが、これは酷すぎるのはないか。
「じゃあどうしろってんですか」
「ベタに、まず己を知ること。しかしここは流石の駒沢さん。チンケな自己啓発を小指で凌駕する教材を持ってきているよ」
 言いつつ、胸ポケットからスマホを取り出す。波形が進行形で表示されている。
「ゲッ、録音中!?」
「これが一番いい教材だよ。恥ずかしい思いをしながら、いかに自分が小さいかを自分で知るといい」
 駒沢さんがニンマリと笑う。こういう時はいつも、
「勉強代は一カートンで許してあげよう」
「……月曜に持っていきます」


 メッセージで送られてきた音声ファイルを聞きながらの帰路。
 酔いが一撃で吹き飛んだ。もう逃げたい。穴掘って隠れたい。正直もう聞きたくない。痛すぎる。冷や汗が出てきた。
 駒沢さんはたらふく食べた別れ際、
『相手のためとか言って空回ってる奴はね、そもそも自分の欲求を直視してないから外側に逃げるのさ。じっくり自分自身と対話してみな』
 と言っていた。
「その通りかもな」
 自分自身との対話か。未だにイヤホンからはいい歳した男の舐め腐った言葉が流れ続けている。
 このクソガキ未満な言い訳の羅列を俺がしていたとは。自分との対話なんて誰に言われなくても出来てると思ってたが。全く、そんなことはなかった。
 敵を知り己を知れば百戦殆うからずとはよく言ったものだが……敵も己も、実は同じなのかもしれない。

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