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六年越しの、勝手な失恋

 帰省って、距離が中途半端な人ほどやらない気がする。
 いつでも帰れる、そう思ってしまうから。
「暇があれば、と思ってたけど結局六年経っちゃったなー」
 お盆。少し混んだ池袋線の特急に揺られながら、香奈実かなみは地元を思う。地元と言っても秩父で、彼女の住む大田区大森からはそれほど遠くない。隣県というのもあり、上京感は新卒当時から薄かった。ずーっと仕事ばかりで、東京での恋愛なんかに興味はなく、今年は昇進して一区切りついたからようやく戻ってきたのだ。特に手土産は買っていない。どうせ近場だし、わざわざ用意するのも面倒くさい。
 もう既に見覚えのある風景だ。アナウンスも『間もなく~』と言っている。

 駅を出て少し散策をする。控えめな太さの国道、記憶にある定食屋も何軒か、よく行ってたコンビニは少しボロくなった感じ。
 飲み物でも買おうとコンビニへ足を向けると、学生時代の思い出が湧き水のように脳内を駆け巡ってくる。あの頃は随分男勝りだったなぁと思う。
 そうそう! 東京でバリバリやるのよと言ってた頃、『俺、高校出たら東京で就職して香奈実ちゃんに似合う男になる!』とか言ってくれた子がいたんだよね。あれ、ちょうど今年で高三になるのかな。カケ――
「カケ、ル、くん?」
 嘘。カケルくんが出てきた。自動ドアで鉢合わせなんて、ありきたりな少女漫画みたい。でもちょっと嬉しいかも。
「えぇっと……」
 戸惑ってる。もしかして間違えた? ううん、そんなことない。ほら、右頬にホクロがあるし。
「あ。香奈実さん?」
「正解! 良かったぁ、やっぱりカケルくんだった。久しぶりだね。六年ぶり?」
「えと、そうっすね、多分」
「そんな緊張しないでよ~。というかしばらく見ないうちに背伸びたね! 顔も男前になっちゃってさ! 私なんか今年に入ってからスキンケアのお金が嵩んで嵩んで。アラサーってヤだね」
「へぇ」
「ってそんなことどうでもいっか。そうだ、アイスでも食べる? お姉さんが奢ってあげちゃうぞ。カケルくんは昔からあずきバーが好きだったよね。私あれ固くて苦手って言っても、ウマいからいいのってさ」
「あの」
「良いから良いから。カップルには思われないよ! たぶんねっ」
 照れちゃって可愛いなぁとか思いながら、昔のようにカケルの腕を掴む。以前よりすごくがっしりしている。
 男の子の成長って、すごいな……。
「――カケル、どうしたの」
 そのまま掴んでいこうとしたら、奥で女の子がカケルの名を呼ぶ。細めの声。反射的にその顔を見た。……私とは正反対な、大人しそうな子だ。私と違ってロングヘアで、どこか眠そうな目。華奢で小柄で、本当に正反対。
 考えるより先に体が動いていて、手はカケルの腕を離し、女の子に向かって「あ、こんにちは~」とぎこちない呂律で挨拶をしていた。
「こんにちは」
 静かな声でそう返した後、ぺこり、と浅くお辞儀をする。
 そしてカケルを見て小首を傾げた。「この人は誰?」と目で聞いている。
 急かされるように、
「あ、この人は昔から家が近くて、ずっと俺と仲良くしてくれた、佐藤香奈実さん」
 そして、
「で、香奈実さん、あいつは俺のカノジョの、美咲です。山下美咲。紹介遅れちゃってすみません」
 そう言った。

 あれ? 私いま、めっっっちゃ恥ずかしくない? カケルくん照れてたんじゃなくて、気まずかった、だけ?
「あ、あはは。彼女いるなら先にそう言いなってこのポンコツ~! まったくもう、じゃあお姉さんはもう行くから! 若い二人はごゆっくり~~~」
 カケルの背をドンと叩き、逃げるようにその場を後にした。振り返らない。振り返りたくもない。顔が熱い。

 国道沿いに走る。ジムの会費を払っているだけの彼女に体力などあるはずもなく、コンビニが小さくなる頃には香奈実は汗だくになり、肩で息をしていた。こんなに走ったのは、それこそ学生以来だと思う。
「ははは……」

 恋愛に興味がないというのは、嘘だ。
 カケルくんのことを地元に帰ってきて思い出したとかいうのも、嘘だ。
 彼が高三になった、今年を狙って帰省したのは、わざとだ。
 カケルくんは私のことを、ずっと好きでいると思っていた。
 そんなことはなかった。
 そんなことは、無かった。
「そりゃ六年間連絡もしてない年増の女なんて、ね」
 自嘲気味に言ってみる。声は少し震えてたけど、涙は出なかった。勝手な失恋だ。ガキが思いつきで言ってきた言葉を鵜呑みにした方がバカなのだ。

 もしかすると私は、この六年、いや……この二十八年間、ずっと心はモラトリアムだったのかもしれない。
 目先の仕事を言い訳に、たくさんの事を雑にしてきた。
 メールの受信音が鳴る。
 同期の西島だ。こいつ、私に気があるのが見え見えで、事あるごとにご飯に誘ってくる。このメールも案の定だ。
「本当に気がある?」
 単に、私を労おうとしてくれてるだけだったりして。あり得る話だ。思い込みで恥ずかしい思いをしたばかりの今だからこそ、フラットに可能性を考えられる。
「少し……違うことをしてみようかな」
 初めてオーケーを出して返した。返信は見たくないから、スマホはオフにした。
 そうだ。
 もう地元まで来ちゃってるけど、うちに手土産の一つでも買って帰ろう。
 すき焼き用のお肉とか、奮発して買ってみよう。

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