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死して時間が止まるまで

 優子が死んで、一年。明るいムードメーカーで太陽のようだった彼女は、赤ちゃんの時から瀬奈と仲良しだった。
 優子は、瀬奈の憧れでもあった。
「もう一年なんだね」
 墓前。盆の日を埋め尽くす蝉の音を掻い潜るように、隣に立つ真美が言う。真美とは高校からの仲だが、三人が重ねた四年間の思い出は今も鮮やかなままだ。
 大学二年の四月末、もうすぐゴールデンウィークと言う時に優子は亡くなった。心臓発作だったらしい。寝る直前まで三人でグループ通話していたのに、彼女の『おやすみ~』はそのまま最期の言葉になってしまった。
 二人は、まだこのグループを退会していない。何か大切なものが無くなってしまう気がするからだ。
「一年」
 瀬奈の中でゆっくり時が巻き戻る。一年。大学内で優子の突然死が公に言及されることはなかったが、どこから出たのか、死んだらしいという噂だけは広がっていた。
 当然、瀬奈と真美の元にも心ない野次馬が死を確かめに来た。死んだのに生きているとは言えない。二人とも苦く暗い顔で、死の事実だけを肯定して退散するのが毎度のことだった。時間が経つにつれ、話題に飽きた野次馬は自然消滅する。墓石を見ながら真美がポツリと呟く。
「実感湧かないよ」
「……優子が死んでも、世界はそのままだった」
 墓石は何も答えない。里田優子之墓と言う文字だけが、死の事実を晒すだけだ。
「あんなに明るくて、絶対たくさんの人を幸せにできる優子が死んだのに。日常は怖いくらいに変わらなかったよね」
 感情を半ば消失した声。諦めか失望かわからないその言葉に、真美は何と返すべきか迷う。

「こんにちは。瀬奈ちゃん、真美ちゃん」
 聞き覚えのある声。優子に似ている。でも違う。吸い込まれるように顔を向けると、喪服の女性がいた。それは青く高い空の中に付いた黒点のよう。
「美紀さん。こんにちは」
 二人で礼をする。優子の姉の美紀。四つ歳上なので、とっくに社会人だ。
「来てくれてありがとう。優子も喜んでると思うわ」
 仏花を供え、散った花や葉を掃除する。
「えと、その」
 何を言えばいいんだろう。適切な言葉は何も見つからないのに、何か言うのが礼儀である気がしてしまい、瀬奈は口ごもる。
「ごめんね、大丈夫よ。無理に何か言わなくても。話して楽になる時もあれば、話さないことで辛くならない時もあるんだから」
「……はい」
 代わりを引き受けたように、美紀の口が動く。
「突然死って、あまりにも急すぎて。私もまだ優子が居なくなったって心の底から信じきれないの。そのうちおはようお姉ちゃん、って部屋から出てくる気がして。おかしいわよね」
「おかしいなんて、そんなこと」
「お母さんもまだ塞いでてね。代わりに私がもっとしっかりしなきゃって――あぁ、ごめんね。こんな時に愚痴るようなこと」
 そう言って美紀さんは手短に墓石の掃除を終え、ぎこちなく微笑んで帰っていった。

「美紀さん、すごく痩せてた」
 小さく漏らしたそれに、真美は消えそうな声でうん、と返し、続ける。
「どうしてなんだろう。誰も悪くないのに。なのに、なのにどうして? 高校で最初に会った時からずっと……優しくて、明るい優子が私も大好きだった。なのにこんな風になっちゃうなんて、神様なんかがいるなら私絶対許せないよぉ……」
 自分で自分の言葉に後押しされ、真美が嗚咽する。瀬奈も、ただ涙が一筋頬を伝うのを感じた。
 これ以上何かを言えば、私も泣いてしまいそう。眼前の里田優子の文字の前では、泣きたくなかった。もしここに優子が居たら、きっとあわあわしながら謝ってきちゃうだろうから。
 誰が死んでも、他の人の時間が止まることはない。
 それは無慈悲なことなのか、はたまた救いなのか、今の瀬奈にはわからなかった。
 ただ、優子の分まで生きる。なんて言うのは酷く欺瞞だと思う。
 残された側が勝手にそう思っても、優子がそうして欲しいかどうかは別問題だからだ。

 優子の時間はもう止まってしまったけど、私の時間はまだ動いている。
 ……私の時間が止まったあと、もし優子にまた会えたら。
 そうだ。私はその時間差分の思い出話を、たくさんしてあげたい。
 生きてた時と同じように、部屋かどこかでくつろぎながら。

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