流れ星。届けておくれ。あの子まで。


無力だった。

つい一年前の無力さを、
今にも消えそうな言葉の羅列をみて思い出した。

深入りすることではないし、
偉そうに話せる立場ではないため、
詳細は控えて濁しつつお話してみる。

一年ちょい前の今頃、
大好きな人に初めて会えることになった。

しかし、その方はその数カ月ほど前に身内を亡くした。とても若くして。

結局そのとき実際に会った彼は、以前の面影など感じないほど、ギリギリ生命を保っているだけのように見えた。

目線はずっと遠くを見ていて、私たちには見えない誰かと喋っているみたいだった。

笑うことも、楽しむことも、喜ぶことも、自ら絶ってしまったみたいだった。

私は心底、「無力だな。」と感じた。

それは彼の様子のせいではない。

どう足掻いても、彼の凍った心を溶かすことは、不可能であることへの無力さだった。

情けなくて、苦しくて、家に着くなり
涙が止まらなくなった。

愛しくて堪らなくて、ずっと会いたかった人が
あんなにも1人で闘い踠いている中、
私は何も出来ないんだ。という事実がとても悔しくて仕方なかった。

気づけば赤子のように泣きながら、コンビニのソーキそばとおにぎりを無心で平らげていた。

ちょうど零時をまわった頃だった。

その後もしばらくは彼を見るたびに、
一喜一憂していた。

彼はとても文学派で、月や星を用いてロマンチストな詩をかくような人であるからと、私は夜空に思いを馳せていた。

あなたが幸せであるといいな。
この気持ちが星に乗って届いたらいいな。と。

そして今日そのことを思い出した。
画面越しでもよく伝わる重い言葉たち。

彼とはまた別の存在であるが、
一緒に苦しみたいと思った。

大道芸人としてどれだけ喜ばせてあげれても、
そのうち猫の死に際のように
知らない場所へ居なくなってしまいそうな危うさが、私の無力さを煽る。

話したかったことを抱えた私だけ置き去りにして
無かったみたいに遠くへ行かないで欲しいのに。

ああ、一緒に苦しめたらいいのに。
苦しみを分けてくれたらいいのに。
私はそれを食べてあげたいと想う愛なのに。

情けなかった。
しかし相手ではなく、私自身の問題であることを証明するには、無力でいる必要がある気もした。

だから流れ星よ、どうか、どうか
あの人が穏やかに笑っていられるように。

この気持ちを運んで欲しいよ。

朝、「生きていたい」といいな。

おやすみ 愛しい人たちへ



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