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面白い本に出会った:『当事者は嘘をつく』

小松原織香(2022)『当事者は噓をつく』筑摩書房
2024/05/31

「」:引用
〈〉:感想

第一章 性暴力と嘘
 筆者は性暴力被害者であり、当事者としての記憶が「嘘」であるかもしれないことに常に疑念を抱いてきた。
「私は自分に暴力を振るった人を告発しているわけではない。私はこの文章を、自分が性暴力の被害を受けた当事者であってもなくても、普遍的な価値を持っていると信じて、綴っている。だから、私が脅迫的に自分の記憶を疑い、嘘かもしれないと気に病む必要はない」(p.28)
〈記憶の加工という意味だが、個人的には、記憶の誇張として共感しうる。「これを問題だと思っているのは、単に私の当事者としての経験が、被害者意識を掻き立てるためなのではないか」と常に自分を疑いたくなる。だからこそ、私は「当事者」としての立場をとりたくないのかもしれない。安っぽい使い古された誰かの極めて恣意的な論理の材料として、私の主張・論考を使われたくない。単なる一つの材料とみなされないために、非当事者であることが必要なのではないかと考えてしまう。〉
 本書では「当事者の語りが嘘であるか」は問わない。それは、その真偽は求められるのは、専ら加害者の告発や事件性を訴える場合であり、本書はそれを目指さないためだ。
「私は、(中略)加害者の告発ではなく、被害者の生き方に関心を抱いているのである」(p.19)
〈当事者の語りの真偽性について、不登校問題においては扱われることはなかった。それは、性暴力に比べて誰にでも認識しやすい「明らかな」現象であるということの裏返しなのかもしれない。〉
 そして、自分が彼を殺人に至るという恐怖から、デリダ的〈赦し〉を得るために加害者に直接電話をしたが、彼には私の気持ちは届かないという実感を伴い、満足のいく〈赦し〉ではなかった。


第二章 生き延びの経験
 大学在学時の19歳で性暴力被害を受け、PTSDやうつに苦しむ中で、筆者はデリダの哲学に出会う。大学院進学を目指すも、うつ病の症状で本が読めなくなり、失敗する。
「私がこのころ苦しむようになったのは激しい怒りの感情である。「被害者」というアイデンティティを手に入れた副作用だといっていいかもしれない」(p.40)
〈副作用というよりも、むしろ主作用のようにも思える。過去の経験によって新たなアイデンティティを内面化するという過程は、こと不登校においても非常に共感できる。「不登校」による苦しみとは、直接の不利益性よりも、「不登校」というアイデンティティを内面化したことによるものなのかもしれない。そう考えれば、心理学的な研究の方向性にはなりそうだが、ひとつの可能性はありそう。〉


第三章 回復の物語を手に入れる
 本章では、筆者が性暴力被害から、立ち上がる過程が「回復の物語」の獲得とともに描かれている。大学卒業後もうつの症状に苦しみながら、実家で生活していた。自助グループに参加するようになり、「回復の物語」を手に入れた。
「性暴力というものが、被害者の心を深く傷つけ、人生に大きな影響を与えるという問題こそが、私にとっての向き合うべき課題になった」(p.57)
「私は孤独な「性暴力被害者」から「性暴力サバイバー」へとアイデンティティを変更した。それ以降、私にとって生き延びることは、「ほかのサバイバーとも通じることのできる新しい道を切り拓く」ことになった。私にとっては、「みんなから新しい命をもらうこと」であり、初めて集団的アイデンティティの獲得の経験だった」(p.59)
〈自助グループが登場すると、いかにも「当事者研究」らしい様相を呈する。しかし、本書が研究書ではなくエッセイであり、また、筆者の関心それ自体が自助グループに向いているわけではない。ここでの自助グループに関する厚い記述は、ひとりの性暴力被害者としてのライフストーリーとして登場するまでであろう。〉
 2年ほどの自助グループへの参加は、犯罪者の死刑嘆願運動という社会的なムーブメントの中で、卒業に至る。
「私は、自分自身の加害者のことを刑事司法制度のなかで告発して死刑にすることができれば、それを望んだであろう、という生々しいリアリティがあった。私はそれほど彼を憎んだ。(中略)しかしながら、私は被害者経験とは関係なく、死刑には反対の立場であった。(中略)私の心は、死刑嘆願と死刑廃止の極端な二つの立場に引き裂かれることになった」(p.61)
〈性暴力被害者に満足な社会的支援が十分でない状況で、それを克服しようとする社会的・政治的運動が湧き起こるのはごく自然なことであるように思う。しかし、それは、これまで政治性を持たなかった立場に、否応なしに政治性を突きつけるものでもあろう。時に、誰かによって都合の良い論理に回収されうる立場の危うさも持ち合わせているかもしれない。実際、筆者は、自助グループにおける政治性と決別する形で卒業している。〉
 そして、筆者は再び研究へ歩みを進めることになる。その中心に、「加害者との対話」「修復的司法」がある。その根源には、既存の論考に対する怒りでもある。
「誰も私(たち)の声を聞かず、誰も性暴力被害者の対話と〈赦し〉について語らないというのならば、私が研究して書く。(中略)「私は修復的司法の研究者になろう」」(p.65-6)
〈自分の経験を極めてまっすぐ研究に繋げている。出発点にある課題は、既存の非当事者からの論理が、勝手に自分の声を代弁していたからとある。犯罪である性暴力では、全くもって事情が違う。アルコール依存症などの、多くの自助グループが大人によって構成されているのに対して、不登校における自助グループは「親」によって構成される。当たり前だが、「当事者」であるのは子どもだからである。フリースクールの論理は、不登校者である子どもの「当事者」としての言葉を用いたため、説得的であった。これまでカウンセリングや治療の対象にされてきた、抑圧されてきた存在の「当事者」であるからだ。対して、貴戸の研究の主題にいる「当事者」は不登校経験者である。それは、不登校のその後を描くと言う研究の趣旨に則ったものであるが、時間的な距離は、しばしば人間の記憶や認識、価値観自体を歪曲させる力を持つだろう。すなわち、不登校の渦中にある「当事者」のほとんどは声を持たず、声を持つ子どもは階層的偏りがあり、同時に、子どもゆえに発達の未熟さを排除することはできないのである。それは、真に(何を持ってして?)論理的な声としての「当事者」を持たないことを意味する、のか?〉


第四章 支援者と当事者の間で
 本章では、研究者を目指すと決めた筆者が「問い」に迫る過程を描いている。ポジショナリティとしての「被害者」であり、「支援する者/される者」という非対称性に報いる覚悟である。
「「みなさん、被害者っているのは、こんなふうに話せなくなってしまうことがあります。だから、笑したちが隣にいて、解説する必要があるんですよ」」(p.72)
「当事者にとって、被害経験を語る重圧は「第三者」の理解の及ぶところではない。そのことは支援者も知っているはずである。それなのに、あえて登壇させ、自分は隣で冷静に客観的に専門家としてコメントしている。その支援者の態度が許せなかったのだ。」(p.73)〈支援者の立場から見れば、彼らはおそらく、「自分たちは被害者に寄り添って、同じところ(回復あるいは権利侵害の是正など)を目指している」と思っているのだろう。しかし、小松原がいうように、「支援する者/される者」の間には非対称的な関係があり、それは容易に克服することができない。当事者から見れば、支援者も加害者と同じ第三者であり、時に暴力性を伴うのである。ここには、「当事者しか問題を語りえないのか」という問いがある。想像の範疇であるが、おそらくどの支援者も極めて純然たる善意によって支援を行っているのであり、その意味で、問題は深刻である。〉
 筆者は、支援者との「闘い」として研究を進める覚悟を決めるのである。
「私にとって研究は「闘い」でしかなかった。(中略)本来の研究の喜びは「勝つこと」ではなく知的な探求であり、新たな発見と創造により、世界の知の蓄積に貢献できたと感じることにあるはずだ。当時の私を研究に奮い立たせ、再び生きる気力を持たせてくれたのは支援者との「闘争」出会ったが、それは切ない思い出でもある」(p.77)
〈私の指導教員は研究への動機となる問題関心をとても重要視する。「研究は社会に還元されるべきものだけど、他でもない自分にとって重要な問題でなくては意味がない」といったことをよく言っている。実際、私が指導を受ける際には、もやもやとした問題意識と、これまでの経験を言語化して、精緻な議論に落とし込むことを求められる。それは、文字通り、「問題の所在」として論文の出発点になる重要なパートだ。何が言いたいかと言えば、ここで筆者が「闘争」として研究を行っているのは、極めて真っ当な姿勢であるとも思えるということだ。日本中の他の誰でもない自分にとって、「とうてい見過ごせない問題である」という想いが伝わる文だ。翻って、自分自身の研究についても執筆者と同じエッセンスを持ちうることにも気がつく。すなわち、「不登校の不利益性を強調する」という論考は、仮に強く意図せずとも、不登校を肯定する立場と対立する。〉
 同時に、筆者は仮想敵となる、精神科医のジュディス・ハーマンの著作に出会う。本人のエンパワメントをトラウマからの回復手段とするハーマンの考えに共感しつつも、〈赦し〉をファンタジーと切り捨てることに憤慨する。
「私(たち)は。「心の傷が癒やされるべき存在」として矮小化されていないだろうか。私(たち)は確かに傷つき、死にかけ、生きることもやっとで弱々しく傷つきやすい存在である。しかし、私(たち)の生はもっと多様で豊かな世界に拓かれているのではないか」(p.86)
「「あれはなんだったのか」一瞬、垣間見た〈赦し〉の影を追って、私は研究者になる道を進んでいく」(p.88)
〈現実的な論理はさておき、論理として反駁すべき対象が自分の中で明確であることは、研究へ向かう動機として極めてパワフルなものに違いない。この章へは共感できる場所が少なくない。私も、いわゆる「不登校を肯定する言説」を反駁の対象として、仮想敵として、勝手に据えている。それは、「学校に行かなくたっていいじゃん」とか、「学校に行かなくたって生きていける(幸せになれる)」とかいうものだ。それらを敵対しするのは、単純に自分の経験から得られる感覚と対立するからである。「かわいそうな存在」として目を向けられることはあまりにも不快である。支援者によるそうした「支援」は、善意によって裏ずけされるが、それは、被支援者の人格や特性、能力を超えて、貼り付けられたラベルとしてのカテゴリによって「かわいそう」とみられているように感じる。「不登校は学校に適応できないかわいそうな子」とか、「つまづきを乗り越えられない子」とか、そんな扱いを感じるのである。〉

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