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スタンスとしての「当事者」と研究 #3

2024年7月26

 最近、どうにかやっとのことで研究の方向性が見えてきた。文転して大学院の修士課程に入学してから一年と半分ほどまで来てしまった。これまでずっと取り組んできたような作業からは少しだけ距離を置き、研究らしい研究としての作業に取り掛かっている。そこだけを見れば、お勉強ともとれるのだが、自分だけでも研究と言い張っておこう。

 もうひとつ、最近の大きな変化がある。それは、進路に関することだ。3月から就活をまかりなりにもやってみて、なんとか内定をもらったわけであるが、そこから、博士課程に進学するかどうかで悩んでいた。その悩みに、一定の決着が着いたのである。その決着というのは、アカデミアの世界を離れて、内定をもらった企業に就職するというものであるのだが、ここからつらつら書いていくのは、なぜその決定に至ったのかという点だ。それは、もっぱら、私にとっての研究とその当事者性に深く関係しているからである。

 私の研究テーマは、私の経験と切り離せない。私は当事者性を有しており、しかし、当事者研究とは距離を置きながら、客体化させた価値を持ちたいと願い、当事者らに目を向けようとしている。すなわち、研究のテーマそれ自体が、私の経験や人生といった、私自身と切り離せないものでり、研究を進めることは、私を見つめなおすことでもある。それだけかけがえのないテーマを研究できるということに大きな喜びを抱きつつ、私の持つ当事者性が決して明るいものではないことが、研究を通して私自身を苦しめてもいる。

 人は、何かつらいことを経験したとき、そこから目を背けたくなるものだ。全力で悲しみ、嘆き、絶望しても、そこから立ち直るために、時には自分の過去の経験や感情に蓋をして、向き合うことを拒む。それは、自分の心を健康に保つための合理的な本能とでもいえよう。そうした行為を否定することはできない。忘れるということは、なにも悪いことではない。そうして、私たちは今を生きる。過去の積み重ねが今であるが、忘却もまた、今をかたちづくるのだと思う。

 私は、大学院で研究するという方法で、過去に向き合うことを選んだのだ。精神的に負荷が高くても、自分にとって簡単に忘れ去ることができないから、向き合うことを選んだに過ぎない。だから、私がアカデミアの世界を離れるということは、自分の過去に向き合うことを辞めるということと同義だ。同義であり、それが今とこれらかを生きるために必要な選択であり、方策であると思ったからだ。別に積極的に社会にでて働きたいわけではないが、それは現実的な手段として、選ばざるを得ないのかもしれない。

 私のテーマは私にしかできない研究だと思っている。個人的な問題を出発点としていても、社会的な意義があり、独自性があると信じている。それは、他の誰でもない、当事者であった私だからできる研究だと思っているからである。でも、世の中には同じ考えを持つ人は必ず存在する。同じ分野ではないかもしれない。研究はしてないかもしれない。でも、きっといる。そうやって、私の指導教員に言われた。だから、このテーマを研究するという使命は、私だけが背負う必要はないのだと思う。私だけが苦しい思いをする理由はないのだと思った。今私がやらなければ、それは何十年か議論されないまま放置されるかもしれない。でもきっとどこかで、何らかの形でその問題は誰かの手によって克服される。そう考えると、私がこんなにも苦しみながら研究をする理由が見つからなくなってしまった。今ではずいぶんと心理的負荷は減ったけれども、最初の方は文献を読むだけで辛かった。こまめに心を休める必要があった。生傷を抉られていると思うこともあった。自分の経験を口に出すときは、今でも言葉に詰まり、涙を止めることができない。なんでこんなに今も苦しいのか分からない。分からないけど、涙はそんな頭の理解を無視して流れていく。

 きっと、私は過去から解放されたいと願っているのだと思う。研究は過去の自分、または周囲を赦すことだと信じてここまでやってきた。でもその道のりがあまりにも辛く、負荷のかかるものであったことも、今になってよく分かる。おそらく、極めて楽観的な希望的観測ではあるが、博士課程に進んで研究をすれば、私はきっと赦すことができると思う。でも、それにはあまりにも犠牲にするものが多すぎる。だから、私は、赦すのではなく、忘れることを選びたい。逃げたい。私が苦しみながら過去を赦す理由はもはや納得的ではない。すべて忘れて、今を生きたい。つらい過去ではなく、明るい未来を志して生きたいと、思うようになったのである。

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