雑想1

心が穏やかな人がていねいなくらしをするのではなくて、ていねいなくらしをしているから心が穏やかになるのではないか。

生活の手数を増やすことで日常に潜む暇を減らし、余計なことを考える時間を削減することができる。

最近祖父母が老人ホームに入居し、90歳を前にして新たな生活環境におかれている。環境の変化で最も大きかったのが、祖母の負担が減ったことだ。もともと心配性で、「足が痛い(気がする)」や「手がむくんでる(気がする)」といったような病気の心配ばかりしている(しかし本当に驚くほど健康体である)。負担が減ったことでこの心配性が爆発しており、会うたびに毎回病気なんじゃないかという心配を聞かされている。これに家事の量が減って余暇が増えたことと関係があるかもしれない。

「何かに専念している限り気にもとめないが、暇になると、ああでもないこうでもないとやり始める。ささいな理由がどっと出てきて、これが原因でこれが結果であると考え出す。」
アラン『幸福論』4.ノイローゼ

生花がいいのではないか。生花なら、そこまで大した負担の増加ではない。毎日水を換えたり、季節によって生ける花を選んだり……空間に彩りを加え、日常に余計な手間を増やすことができる。

掃除はいい。細かい部分を重点的に掃除するのは特にいい。部屋は綺麗になるし、やっている間には汚れを殲滅するというタスクを連続で達成し続けるため非常に良いサイクルを持続させることができる。

しかし注意しなければならない。これは、産業革命以降人類が歩んできた効率や利便性の追求に対し、真向から立ち向かう倒錯的な行為であることを理解しておかなければならない。風呂の隅を手で掃除しながら食洗機やルンバを動かしていても良いのだ。

知らんけど。