見出し画像

2023年 春に思うこと

人、というものがよくわからない。
正確に言えば、私以外の他者という存在がよくわからない。

それはずっと私の心に引っかかっている問いだ。大学一年の頃から、日々モヤモヤしていたことをエッセイとして下手な文章にまとめていた。自分と他者との境界線のこととか、哲学対話をしていて他者という存在に気がついたこととか、誰かとわかりあうということ、とか。

他者が嫌いで、そして大好きだ。1人にして欲しい、関わってこないで、放っておいて、と思う一方で、他者の存在に救われ、他者を想い、そして他者に生かされている。私1人では0だけど、他者がいるから、私の思考は10にも100にも膨れ上がるし、深まっていく。

―――――――――――――――――――――――――――――――

今思えば、幼い頃から人の目を気にしていた。自分がしたいことをするよりも、相手が求めているものを察知してそれを行っていた。いや、そもそも自分のしたいこと、なんて特になかった。だから当時は特に気にしていなかった。ただ、嫌われるのは怖かった。母に嫌われたくなかったから、習い事をやめたくてもやめると言えなかったし、夕飯のときお茶を盛大にこぼしたら怒られると思って激萎えしたし、外食してもメニューの一番安いやつか、二番目に安いやつを頼んでいた。まるでそれは私が食べたかったものように演じて。食べたいものとか特になかったのだけれど。

別に問題のある家庭に育ったわけではない。ありがたいことに、愛情もおいしいご飯もたっぷりで育ってきた。姉と兄がいて、父は仕事で忙しく、母は子育てや姉兄の部活と親の介護で忙しく、私にはどうにもできないものがたくさんあるから、自然と周りを見てそこに合わせ、溶け込むようになった。

幼稚園の頃の記憶はあまりない。けど、ままごと遊びをするのが恥ずかしくて、けれど恥ずかしいと声を大にして言ってはいけないと思って、煮え切らない態度のまま、友達とままごと遊びをしていたことは、ぼんやりと覚えている。

小学校の記憶もあまりない。けど、この子はクラスの中心にいて人気者だな、とか、この子は静かだし影薄いな、とかってよく感じていて、でも自分の存在を濃くしたいから、というか誰かにかまってほしかったから、前者と仲良くなるにはどうしたら良いのか、よく考えていた。ずいぶんと後になってから、それに対応する、カーストとか、一軍二軍、陰キャ陽キャという言葉があることを知った。ああやっぱりみんな感じるんだ、と知ってびっくりした。
とは言っても、基本的に人から嫌われたくないのもあったし、自分の存在を濃くしたいという下心を知られてはまずいと思っていたから、クラスで立場が弱い人にも、いい顔をしてはいたのだけれど。


でも本当は、自分が生きたいように生きたい。今までは、みんながやっているからやる、とか、誘われたからやる、とか、世間体とかを気にしていたけれど、別にそんなの気にしなくていいじゃん、と最近は軽く思う。やりたいことも、やりたくないことも、どっちでもいいことも、ちゃんと自分の心の声を聴いて、ちゃんと考えてみたら、実はあったりする。やりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。どっちでもいいことはどっちでもよくて、やったりやらなかったり、相手に合わせたり。やるのが正しくてやらないのは大問題、というわけではなくて、そこにはどれが正解とか特にない。ただ、自分の心が喜ぶ方へ行くのが、息がしやすいなと思う。


だから、他者によって生きたいように生きることができないと、やりたくないのにやらなければならない状況だと、時に、強烈なもどかしさや焦燥感、嫌悪感さえ感じる。1人にしてくれ、と。そして同時に、他者の目を気にしている時に身についた、他者への申し訳なさ、自分の不甲斐なさ、自分への嫌悪感、他者への執着心も感じる。

みんなが楽に、息がしやすく、居心地良く、自分らしくあれればいいのにな、と思う。私だけではなくて、私以外の人々も。沈黙や、「せっかくご飯誘ってくれたけど、今日は1人で過ごしたいからそうさせて。ごめんね。」と気楽に言える仲だったらな、と思う。

だからだろうか、哲学対話に惹かれるのは。私は私であることができて、みんなはみんなであることができて、人それぞれで、バラバラで、でもしっかりと繋がっていることができるから。沈黙が許されて、「私はあなたと違う」と相手を傷つけることなく伝え、私も傷つくことなく伝えられ、無理に一緒になろうとすることはなく、自然体でいられるから。それは相手に対して無関心なのではない。どうして違うんだろうとか、何が違うんだろうとか、思考できて、聴くことができる、ということだ。最終的に一緒になるかどうかは別として、どうしたら一緒にいられるかということを、考えることが許されている、ということだ。


だからだろうか、教員になりたいと思ったときに、私立ではなくて、公立のあの雑多な感じに妙に惹かれてしまうのは。お金がある子もない子も、頭の回転が速い子もそうでない子も、人をよく見て行動する子も自分の好きなことを好きなようにやっている子も、本当に色んな子がいて、でも学級というコミュニティの中に無理やり入れられ、なんとか一年間同じ空間で机を並べていなければならないという状況ができあがる。バラバラでありながら、なんとか一つでなければいけない状況。先生も、子ども一人ひとりを見ようとして、関係性を築こうとして、それでいて、先生と児童、教える側と教えられる側という、一緒のあり方、をしようとする。バラバラなようで、まとまっていて、でもバラバラのまま共存している。

―――――――――――――――――――――――――――――――

p4cと呼ばれる、教育法なのか、教育の一つの考え方なのか、いまだに私はちょっとよくわかってはいないけれど、そういうものがある。「philosophy for children」、前から興味はあった。

p4cがやっていることは一見すると哲学対話と一緒だ。教室の中で円になって座って、「問い」についてみんなで自由にお話しする。誰かを傷つけない限り、タブーなことも、人と違う意見も、何を言っても良い、という時間だ。

ある公立小学校が、それに全校をあげて取り組んでいるというので、そこに1週間ほどお邪魔させてもらったことがある。授業の様子を見学したり、休み時間に子どもたちとドッチボールをして遊んだり、給食を一緒に食べたり、とても楽しかった。
そして、とても、不思議な感覚に陥った。

とは言ってもその学校では、p4cを自分のクラスでよくp4cを実践する先生と、そうでない先生がいる。実践する先生がしない先生に対してp4cを強要することはないし、しない先生も他の先生がp4cを実践していることに理解があった。分断されているというわけではなかった。むしろ職員室内は和気藹々としていた。
それがどうしてなのか不思議に思って聞いてみた。

私、「なんでp4c始めたんですか?」
教頭先生、「大人の事情。校長先生が今年一年これをやりたいんだ、と言ったから。笑」
私、「じゃあどうして始めてみたp4cを続けているんですか?」
三年担任、「三年生の国語で言えば、コミュニティボール(p4cで使用する道具)があることで、安心して話せるなって思ってくれている子が、少なからずいるっていうことかな。」
六年担任、「指導案に発問を作って、それに子供を乗せて、それがハマれば教師の手柄。子供が考えたいのは本当はそこじゃないのに、指導案検討会で練ったものが成功すれば周りの先生から褒められて、あたかも自分の授業がうまいかのように錯覚していくことに、(一息おいて)ちょっと嫌気がさした。だったら子供にとって、本当に関心のあることは何か、子どもが話したいことは何なのか、という時間を保証してあげる。そういう時間もあってもいいんじゃないか、と思った。あと、教室内にあるカーストがどうしても、一斉の教え込み学習だとわかる子中心の授業作りになってしまって、意図しないうちに自分の授業でスクールカーストを作ってしまっていると気がついた。」
特別支援学級担任、「なんで続けてるかって聞かれると、私は正直続けてない気がします。1学期2学期は、ちょこちょこやっていたけど、最近は全然。でも、今私は特別支援学級にいるけど、自分が通常学級を持ってたいら続けてるのかな、って思う。ある程度人数がいて、いろんな人と対話できるっていう環境だから、いろんな考えが生まれて、いろんな話を聞いて感じたりすることができるなあって思うんですけど、自分が特支の学級でやる、自分が今見ている子どもたちとやるってなった時に、果たしてそれが必要なのかな、って考えると、それよりも優先しなきゃいけない、一対一の対話、そもそも一対一で会話できていない子どもたちが集団、3~4人の中でも、互いに対話をすることがすごく難しくて、すごく、やろうかなって思ってやってみたりもするんですけど、全然対話にもならなくて。で、最近はすごく少なくなっているっていうのが現状。まあ自分も、職員p4cとか、ファシリテーションじゃない立場に立った時、苦手だなあって思う時もたくさんあって。さっき誰かが、他人と比べてすごく辛くなるって言ってたんですけど、自分もそういう時がある。だから、p4cをやるときは、子どもたちを認めてあげたい、やってよかったと思えるp4cをしたいと思っています。」
 
うんうんと悩みながら、どもりながら、一息つきながら、彼らはゆっくりと口から言葉を押し出すように喋る。

気がついた。彼らは、p4cというものが素晴らしいから実践している、というわけではない。又は、p4cというものに共感できなかったり理解できないものがあるから実践しない、というわけでもない。
 
先生方がみんな見ていたのはp4cではなくて、目の前の子ども、だった。子どもが安心するから、自分本位な授業だったから、カーストを作ってしまうから、目の前の子が今必要なのがp4cでなくてもっと別のものだから。
p4cを実践する人も、しない人も、やっていることは違ったけれど、考えていることは、同じだった。
バラバラなまま、一緒にいた。
 
――――――――――――――――――――――――――――――――

小学校のp4cを見学すると同時に、子どもに関する問題についても触れた。不登校、発達障害、いじめ、学級崩壊、虐待、家庭環境、そういうものたちに、一切無縁だったわけではないけれど、私自身が年齢を重ねてそういう状況に想いを馳せられるようになってから初めて、それらを実際に経験してきた子どもたちと対峙した。
でも実のところ、全く気がつかなかった。その学校の5・6年生を見ていて、みんな仲良くて、一人ひとりが優しいなあ、なんて思っていた矢先、担任の先生から過去にあったいじめや虐待等の話を少しだけ聞いた。
次の瞬間から、私の子どもたちへの眼差しは変わってしまった。
つらい思いをしてきたの、想像はできないけれど、しんどかったの、何があったの、そのとき何を考えていたの、どうして今笑えているの、どうして人に優しくできているの。

子ども一人ひとりが、何かしらを抱えている。それらは全く違うけれど、それでも子どもたちは、それを私に感じさせないほど、生き生きとしていた。一生懸命で、笑顔で、わいわい言いながらみんなで国語とか算数の問題を解いていて、真剣にp4cをして、体育のバスケの試合で負けて悔しくて泣いて、でも休み時間の度に「先生体育館行って遊ぼう!」と誘ってくれて、みんなでドッチボールをする傍らで1人だけ竹馬をパカパカ乗っている子がいて、真面目な顔で冗談を飛ばして誰かがツッコミをして大笑いして、楽しそうで、生き生きとしていた。

もちろん、わだかまりが全て消えたわけではない。あの二人は机が隣でもあまり喋らないな、とか、この子このグループだと発言あまりしないな、とかはある。

それでも、その全ての子どもが誰かしらと話す姿、笑いあっている姿はあって、特定の誰が全員から孤立している、ということはなかった。みんな、教室のどこかに居場所があった。1人で竹馬に乗っていた子も、クラスのムードメーカー的存在の子だった。


不思議だった。それが、バラバラでありながら一緒にいる、ということなのかはわからないし、今の状況がp4cのおかげなのかもわからない。学級というコミュニティやp4cに「完成形」があるとしたら、それがどういう形なのかわからないけど、でも少なくとも、p4cを取り入れているというこの学校のこの学級は、みんな居心地が良さそうだった。というか、私が子どもたちを見ていて、居心地が良かった。

――――――――――――――――――――――――――――――

その不思議さに、もう少し、もう一度、浸りたい。私が私で存在しながら、相手という1人の誰か、コミュニティという多数の誰か、と共存する。それを他者に、子どもに適応させてみる。子どもがその子自身であり続けながら、友達や先生という他の存在と、自分も所属する学級と、どう関わるべきか。
私は、子どもは、「他なるもの」とどうあるべきか。共存、共同生活するとはどういうことか。「他なるもの」の中で自分らしくいるとはどういうことか。自分らしくあったら、自分や「他なるもの」は、どうなるのか、どんなことが起きるのか。

これは私の話ではあるけれど、同時に子どもの話でもある。子どもは年齢的に大人の私とは確かに違うけれど、私はきっと心がまだ子どものままだ。今後、それが大人に変わるのかどうかはわからない。子どもとか大人とか、そういう二項対立ではなくて、みんな生まれた時から「人間」であり続けるのなら、私の心は今のまま変わらないと思う。そしてそうなら、私が内省するとき、他者との関わり方を考えるときは、子どもについて考えるのと、同じになる。正確に言えば、それは子どもではなくて人間だから、年齢的に大人の人間も入ってはくるのではあるけれど。

――――――――――――――――――――――――――――――――

色々とよくわからなくなってしまって、次第に子どもに私を投影しているような気がして、少し混乱する。結局何が言いたいのかというと、私自身と、他人とか社会とかという「他なるもの」を私は常に意識していて、関わり方を探っている。一見すると自己と他者とか、内省することに興味を持っているように見えるけれど、私にとってそれは同時に、子どもについて、コミュニティや学級について、p4cについて考えることと、同じだ。

全てがバラバラでありながら、一緒だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?