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小さい頃の僕

前にも書いたんですけど、お姉ちゃんになってからの記憶しかないんですよね。

親とは別に自分のことをずっと見守ってくれた人がいて、お母さんの友達じゃなくて僕の友達、って言ってたらしいんですよ。

その人にね、胸オペ前にカミングアウトしなきゃ、と思って、去年末に言ったのさ。話したいことがあるから、時間くださいって連絡して。

そしたら「いよいよ結婚?!」みたいな返事が来てさ。

それに応えられない自分がすごく辛くて、当日会うのもしんどかったんです。

でもね、話したら、僕が親に言って欲しかったような言葉をたくさんくれた。

そして、僕が記憶にない頃の親を独占していた僕は親の愛を受けて、天真爛漫に育ってたよ、って聞いて、それはそれでうれしかった。

小さい頃の僕は、自分では親の顔色うかがって、萎縮して過ごしてたイメージしかないです。

後、妹にジャムの瓶を頭に落とされて星が飛んだこととか、

団地に住んでたんだけど、ウサギの絵をね、押し入れの下の段の天井に描いたなーって。

昔から「赤い屋根の家」だっけ?あの歌がすごく好きで。

電車の窓から〜って歌いながら描いた覚えがある。

鼻歌でね。

歌ってたイメージ。

引越しの時に母親が気付いて青ざめて見なかったふりしたらしいよ。


ウサギの絵はよく描いてた。

僕の幼稚園の時の手提げ鞄は母親が僕の描いた絵を転写して刺繍したらしいんだけど、ウサギでしたね。

母親がよく、ウサギの絵を描いてたんですよ。

だからだと思うけどな。

実際のウサギってあんまりみたことなかったし。

なんならカエルとかトカゲとか、カブトガニとかを捕って喜んでる子供でした。

ヌートリアとか。近所の水路にいたんだよ。

虫とかそういうのすごく好きで、僕の人生で最初の愛読書はカブトムシとクワガタの飼育本でした。

表紙が取れるくらいまで何百回も読み込んでたなーって。

カブトムシもクワガタもすごく好きで、なんかロマンを感じる。

でも、お店でつがいで売られてるのを見るとすごく怖い。

この前、ニジイロクワガタを近くのお店で売ってるのみて、なんかしんどくなったもん。

売り物なんだな。って。

小さい頃の僕は、毎日楽しく生きてたな、って思う。

幼稚園の時には、1人でいることも全く怖くなくて。

外でお弁当食べましょうって時に、他の友達が暑いとこで食べてる中、自分だけ玄関が涼しいって気付いて食べてることに、なんなら優越感すら抱いて満足してた。

先生が見回りに来て、一口分けて?って言ってくれて、それをあげた時の優越感。

僕は自分の意思で1人にもなれたし、他の友達とも一緒に遊べた。

自分らしく過ごせてたのは幼稚園の頃だったなって思う。

今もかなり自分らしく過ごしてるので、大丈夫ですよ?笑


今の仕事は、感覚というか、反射?みたいな感じで、毎瞬を反射で生きてるから、子どもたちと過ごす中で、研ぎ澄まされてる感じはする。

すごい集中で大体9;00〜15;00まで過ごしてるから、その後の脱力感はすごいっす・・・・苦笑

反射的に出てくる言葉とか、って、自分が今まで生きてきた中で経験したことも全部出てきちゃうんですよ。

それでね、「僕はどうしても叩いてしまうから、初めから持たせないでよ」って言われた時に、本当にごめんって思った。

特性は、自分ではどうしようもないよね。

それなのに、勝手に君だけ怒って、本当にごめん。

僕が未熟だったから、君のことを苦しめてしまった。

療育はもうすぐ3年目。

子どもと関わる仕事を初めてからは約10年。

好きだけで、頑張ってきた。

僕は、どうにかして、君たちが、みんなが、過ごしやすい世界になるように、

過ごしやすく生きられるように手伝いたいって思ってるんだ。

悩みがあるって言われたら全部聞いて。

仕事とか関係なく、悩みは聞いて。

一緒に悩んで、考えてきたつもり。

「たけぴー、ちょっと聞いてくれる?」

って言葉が、しんどいけどうれしかった。

どこにも行くとこない、どうしよう、って言葉に

「もう、うち来なさい」

って言ってしまうくらいには、みんなのことが大好きだよ。

可愛いし、大切だし。

苦しむことは仕方ないのかもしれない。

でも、一緒に苦しむ人がいたら、ちょっとはマシじゃない?

僕はその、一緒に苦しむ人になりたいです。

頼ってくれたら、嬉しい。

困る部分ももちろんあるんだけど、力になれてるんだって思ったら、自分の存在意義ができる。

ありがとうね、必要としてくれて。

僕もみんなが必要だよ。

大好きだし、幸せになってほしい。

いつもありがとうね。






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