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はなちゃんのみそ汁

おはようございます。
大腸内視鏡検査の苦痛をなんとか軽減できるテクノロジーはないのか、と願っている武内和久です(^^)

はなちゃんのみそ汁……2009年に新聞で紹介され、大きな反響を呼んだ後、書籍化、テレビドラマ化されたので、ご存知の方も多いと思います。24時間テレビなどでもお馴染みですよね。

著者の安武信吾さん、乳がんで亡くなられた千恵さん、そして、おふたりの子供であるはなさん……『みそ汁』という食を通じた家族の物語です。
詳細は、書籍を読んでいただくのが一番ですが、物語のさわりだけを紹介させていただきます。

安武信吾さんと千恵さんが結婚したとき、すでに千恵さんは乳がんを患っていました。つらい治療を経ながらも、おふたりは幸せな生活を送っていました。
そんな中、はなちゃんを授かり、3人家族になります。

千恵さんの元気の源は、『早寝早起き玄米生活』でした。3人揃った食卓は、明るく楽しい時間だったでしょう。
しかし、千恵さんのがんは、再発と転移をするのです。千恵さんはあきらめず、より健康的な食生活を実践し、はなちゃんは健やかに成長していきます。
はなちゃんが4歳になったとき、千恵さんは、毎朝、はなちゃんと一緒にみそ汁を作ることを始めます。
そこには、色々な想いがあったことでしょう。

残念ながら、千恵さんは亡くなってしまう……信吾さんは44歳、はなちゃんは5歳でした。
5歳のはなちゃんは、ママから教えてもらったやり方で、鰹節を研ぎ、出汁をとって、朝のみそ汁を作り始めるのです。失意のどん底にいたパパを笑顔をしたくて。

ある方のご紹介で、先日、著者である安武信吾さんにお会いさせていただきました。
人生観を変えられるような素敵な出会いでした。
きれいごとだけではない話もたくさん聞かせていただきました。
信吾さんは、千恵さんが亡くなった日から、泣き暮らしたとのことです。
遺影の前で酒を飲み続ける毎日で、そんなお父さんの背中をはなちゃんは見るしかなかったのですが、ご命日から49日目の朝に、はなちゃんが信吾さんのために、みそ汁を作ってくれたのです。

そのみそ汁は、信吾さんにとって、一筋の光でした。
その日から、信吾さんとはなちゃんの新しい物語が紡がれ始めたとのことです。
はなちゃんは、毎朝、みそ汁を作り続けました。お父さんのため、お母さんとの約束のため、自分のため……家族のため。
反抗期には、「はなの心が大人になるまで、もう少し待っててね」という手紙が添えられることもあったそうです。

千恵さんが遺してくれた『はなちゃんのみそ汁』は、遠くから近くから家族を見守り続けてくれたようにも見えます。

「食卓には、世界がある」という考え方に、私も強く共感します。
食材、出汁、お椀、すべての向こうに「人」がいます。「世界」があります。
食卓を通じて見える景色、そこから拡がる世界こそが、リアルな世界の入り口だと思うからです。

お宅にお邪魔し、安武信吾さんのご指導のもと、お手製の味噌ラーメンを作らせていただきました。
その味を通じて感じたことは、私にとって宝物のようなものです。
そっと胸にしまっておきます。

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