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持ち帰られたフレンチを、片付かない部屋の隅で食べる

ひとりの友人に、予約の取れないビストロの食事会に誘われた。

その日は十数名の貸切で、友人以外誰がいるかもわからなかったが、時にはノリと勢いでこういう場所に飛び込むのも大切だ。

おいしい食事に、おいしいお酒、ほとんどが同年代か年上で、それなりに全員が大人なので、常識の範囲内で飲み食いし、話も盛り上がらせて。

少食な方ではないのだが、満足度が非常に高いボリュームと、自分が直近で少し体調を崩していたこともあり、出してもらえる料理を食べきれないな、と、お店からの案内もありいくつかの料理を少しずつお持ち帰りにさせてもらった。

白い紙製のランチボックスに、自分で切り分け少しずつ入れていき、翌日の食事にまわそうと思った。
1Kの大して広くない部屋の、小さい冷蔵庫にしまった。

翌朝起きて、なんとなく見回すその部屋は、とても人を呼べるような環境でもなく荒れていた。

気づいていたが、仕事や、体調や、予定や全部何かのせいにして後回しにしていた残骸たちだ。

昨日のことを思い出す。
それがすべて正義ではないが、都内が地元、有名私大院卒、幼少の頃からオーケストラ楽団に所属、両親の影響で職業弁護士、などいわゆる根っから育ちのいい面々がそろっていた。

...わたしだって普通の家庭で不自由なく育ち、いまもそれほど困ったことはないが、世界は違うのであろうな、と思った。
(でも大人になるとある程度そのあたりの階層は交わりやすかなるのは不思議だ。学生の頃ほどの格差は感じない)

昨日食べた幾万かのフレンチ、掃除片付けもできない荒れた小さな部屋でさみしく食べる。

この部屋でなければ、これほど部屋が荒れていなければこんなにも虚しくはならなかっただろうが、なんだか異常に虚しかった。