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進化論について語ってみる

キリンの首が長いのは、他の生物が届かない高いところの葉を食べるためなんだよ。

鳥の骨がスカスカなのは、体を軽くして風に乗り空を飛ぶためなんだよ。

シロクマの毛が白いのは、雪に体を隠して狩りをしやすくするためなんだよ。

こんな話をきっとどこかで聞いたことがあるだろう。

太古の昔の海中で、漂う原子から偶然自己複製可能な「物質」が生まれ、それがやがて細胞になり、魚になり、陸に上がって動物になった。

そんなふうに、各段階に途方もない可能性を内包した道筋の果てで、何故生き物たちが今の形になったのか。

それを極めて平易にイメージしやすくすると、冒頭のような表現になるだろう。

この表現は真相を突いているように見えるが、実は非常に誤解を招きやすいものでもある。

というのも、
進化に意思はないからだ。

表現に対して重箱の隅をつつくような話だが、意外に進化に意思はあるとイメージしている人が多いようだ。
けれど進化の真相はそう甘くはなく、生き物の意思や願いなど関係なく、天の言うとおりなのだ。

だって、例えばこれから陸がどんどん海に沈んでいくとして、私たち人間は海の中で息ができた方が有利だとする。
だからといって、人間の意思で鰓を獲得することはできない。

キリンの例にしても、太古のキリンが高いところの葉を食べたいと願ったから首が伸びて行ったわけではないのだ。

天の言うとおりというのは、生き物たちの姿かたちが変わる方向性を決めるのは選択圧という偶然の積み重なりだからだ。

しかし、天の選択圧を持ってしても人間が鰓を獲得するような方向転換を起こすことは容易ではない。

なぜなら、現在の個としての人間が一生を過ごすために鰓は不要だからだ。

進化は世代交代を前提として、天の選択圧に導かれて起こる。

しかし、無から新しい何かが生まれたり、性質の変化が起こるのは、いつだって「個」の中の一瞬の出来事である。
選択は天が行うが、選択肢の準備は個が行うのだ。

つまり、「個体の生存に有利」という動機が「世代交代による種の存続に有利」という動機に先立つのだ。

あまり良くない例であるが、南北戦争以前のアメリカでは肌の白い民族が肌の黒い民族を差別し奴隷として扱っていた。
集団の進化という意味では、白い肌という性質は「支配階級になる」という目的のために獲得されたというように見ることもできる。
(あくまでも、そう見ようと思えば見ることも出来るということだ。)

しかし真相は、赤道から離れた地域では紫外線の照射量が少なく、ビタミンの体内合成に必要な紫外線を体内に取り込むのにメラニン色素の少ない白い肌が適していたのである。
たまたま色素の少ない個体が生き残り、交配を繰り返して色素欠乏の遺伝子が濃縮されていき、ひとつの集団を形作るに至っただけで、そこには社会的意味の欠片もないのだ。

このように、進化のきっかけは必ずしもその結果起こる種の繁栄を目標としたものではないことがあるというのが、面白いところだ。

進化を考えるとき、今見えている優位性を得ようとすることがきっかけだったと安直に考えるのはナンセンスだ。

なぜなら、地球の歴史はこれまでのところ46億年もあるといわれており、環境、すなわち選択圧の方向性は目まぐるしく変わってきたからだ。
(数億年単位を「目まぐるしく」というのであれば。)

例えば植物の光合成は、大気中にほとんど酸素が含まれない時代に獲得された。

それは、当時は高濃度二酸化炭素の大気を使って繁栄する能力となった。
今では、温暖化を恐れる人間という選択圧によって利用され、結果的に個体数が確保され、ある意味「繁栄」している。

けれど植物は決して「人間に生かされるために」光合成を獲得したわけではないのだ。

もしかすると、キリンの首が長いのにももっと短期的な利点があったのかもしれない。

個体が、刹那の一生を生き残るのに最善の偶然を用意し、それを天が選びとることで進化となるのだ。


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