自己肯定感が最低になった理由。

わたしが自己肯定感を高めたいと思ったのは運命の人との出会い。(好きな人とかではない)内省したら大きなきっかけがわかった様な。

変わりたいと思った理由

家族ではないのに、引きずり出してくれようとする存在が現れたからなのかな。今で十分素敵だけど、もっと前向きになったら素敵だよって言ってくれる大切な存在が。甘い言葉を言われて心地良くなったっていいじゃない。こっちは熟成ネガティブ飼い慣らしてんだ、舐めんな(突然の草薙)

思えば、幼少期から

「XX屋さんになる!」「XXになる!」誰しもが人に聞かれたり、願う将来。特になかった。生きれればいいかな、くらい。え?なれないんじゃない?って思ってたし、取り立ててなりたい職業もない。それ聞いてどうすんのって思っていた幼少期だった。(ポジティブになってきて、ようやく口に出すって大事なんだなと気づいたけど)

小学生の時、どうしてもメイクアップアーティストになりたかった時があった。でも親に、そんな夢はどうせ叶わないよと言われたのよね。だから、わたしの夢は「そんな」程度で「どうせ叶わない」んだなって諦めた。思えばそれが元凶だ。諦めと卑屈の人生、ゴングが鳴りましたよ!

わたしが望む夢は、どうせ叶わず、無駄だ。

話は変わるが幼少期、習い事によって抜群のプロポーションをわたしは誇っていた。顔がいいとは言っていない。スポーツマンだったがために、今の自分でも驚くほど顔も小さく手足が長く茶髪で多分小学生にしては目を引く存在だった。し、周りもその時は特別に思ってくれていたと肌身で感じていた。これは特別というよりも周りと比べてわたしは優秀だと思っていたという方が正しい、が、当時は特別だと思っていた。

だが、ある時、親同士の立ち話に出くわした。
「ステラちゃんは本当に頭が良くて愛嬌も良くって、スタイルが良くって〜」と友達の親がわたしのことを褒めていた。ところがわたしの親は「そんなこと全然ないんです!目も小さいし、鈍臭いし、かわいくないんですよ」と。

謙遜なのだろうけど、『自分の子どもをここまでバカにするんだ。え?私って目が小さくて、鈍臭くて、かわいくなくて、デブなの(言ってない)?』と思った。そうか、わたしってそうゆう存在なんだ・・・という捻くれる。「あなたが可愛いと思うのは親の贔屓目だからよ」とも言われて育った。そうか、親じゃなきゃわたしはかわいくない存在で、不必要なのか。と。これ多分こじらせるきっかけになったものかなと今は思う。

私は透明な存在

誰かが言う自分の人生、自分が主役だと。多分前述の親の話を耳にするまでは私は私の人生の主役であった。でも、あ、そんな存在なんだって思う様になってから、人の顔色ばかり伺って周りの景色になった。景色役も必要だけど。わたしの人生なのに。わたしはわたしの人生を生きられなくなった。そんなことも気づかないくらい。私にとって絶対的存在(親)がわたしを卑下する事は、いとも簡単に自己肯定感は崩れ去ったと思い出した。

誰か、私のこと私自身のことを必要、大事って言ってくれないかな。

口にできない、だって何不自由なく生活させてもらっているわたしは幸せ者だから。でも、満たされないね。

変わりたいのよ。

結婚も色々あるけど、また後日書くとして。親になってみて、子どもを周りから褒められたら「ありがとう」ということにしている。かわいそうというお節介おばさんには「ご心配ありがとう」という。お前の物差しを私の可愛い子どもに当ててくんじゃねーよ。と思いながら。

どんなことがあっても、産まれてくれた事は奇跡で、出会えてよかった、あなたは存在するだけでいいんだよって思う。

わたしの親もそう思ってくれているはずだが、きちんと口に出せていない。だから伝わらない。わたしも聞けばよかったと思う。両方の責任だ。

だから、私は同じ様にしない。毎日抱きしめて、あなたという存在は私にとって特別で、生きているだけでこれ以上のことはない。出会えてよかった、産まれてくれてありがとうって伝えている。どんなに大きくなっても、嫌がられても、続けていこうと思う。

必ずしも、わたしの子がこの言葉を必要としているかはわからない。けど、言わなきゃ伝わらない。自分のが一人じゃないと思える様に、そして押し付けない様に続けていこうと思う。

それにはまず、私が変わらないとね。