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メンヘラおっさんが音楽に救われようとか、さっさとアーメンと思っていた

大森靖子との出会いは5年前だった。


卒業するはずだった大学を数単位足らずに留年し、唯一自分を肯定できた居場所も同時に失い、自棄になっていた私にその音楽は、これからひとりで生きていく決意を分け与えてくれた。


そして、その音楽はいつしか過去のものとなった。

やがて彼女はメジャーデビューし、勢いあるニューカマーとして音楽シーンを席巻していることを横目で知ってはいた。

私自身は就職してすぐに辞め、音楽活動を始めては辞めるなど、心からクソとしか言えない数年を過ごした。

大森靖子のことは正直忘れていた。



時を経て再会したのは昨夏、石巻市で開催された芸術祭 Reborn Art fes 17だった。
いろいろあってボランティアスタッフとして1週間参加していた私はある朝、自分の担当する作品の設置場所で大森靖子のゲリラライブが行われることを告げられる。

「めんどくせぇ」
というのが正直なところであった。
昼過ぎにSNSで情報が解禁されるやいなや、ピンクのメッシュをいれた髪のファンとおぼしき人々の問い合わせが殺到した。
時間近くになり、本人が真横を通りすぎ、私は離れた場所に設営した受付のテントで、歌ってんのか叫んでんのかよくわからんな、などと思いつつ、その演奏をぼんやりと聞いていた。
まさか一年ちょっと後に、その大森靖子のワンマンライブに自分が足を運ぶことになろうとは、微塵も想像することもないまま。


1年後、2018夏。
この頃、謎の体調不良に悩まされ後にパニック障害と診断されたわけだが、とにかくいろいろな雲行きが怪しい状況だった。

そんな折、YouTubeを漁っていた時にたまたま目にした

『音楽を捨てよ、そして音楽へ』

のライブ映像。


知っていた原曲とあまりにかけ離れたその演奏に魂を丸ごともっていかれるほどの衝撃を受けた。
まさにその時、音楽を捨てるか否かの瀬戸際にいたからかどうかはわからないが。

どうしてもこの人のライブを間近で見たい。

直感に従うまま、冬まで生きる理由づけのためにツアーのチケットを先行で入手した。
アルバムはぜんぶ買って聞いた。来る日も来る日もライブ映像に夢中になった。

それでも一抹の不安があった。

自分は聴衆の一員にはたしてなれるのか、と。
自分はその場にいていいのだろうかと。

どんなライブに行ったところで、アウェイ感を拭い去れずに寒々とした感情とともに帰路につくことを繰り返し、いつしかライブハウスという異世界から足が遠のいていた。

今回もどうせ

そんな半信半疑。

音楽の道を捨てようとした自分に響く音楽などもはやないと思っていた。


当日、もうアルコールに依存しなければどこにも行けなくなってしまった身体を引きずり、なんとかたどり着いた会場。
そこには予想していたヲタヲタしい雰囲気はなかった。オールスタンディングの、一貫して後方に陣取ったためかもしれないが、純粋に静かに、その音楽を自分の血肉にしようとしている人たちが多いように感じた。突然すすり泣く人もいた。

"生きている 生きてゆく”

無意識に口ずさむ自分がいた。
真っ暗な部屋でひとり酒に溺れながら口ずさんだ歌。
だけど今日はちがう、
その時たしかに、私はゆるされた個体として存在していた。
それでも生きていくつもりなのだという自分に気づく。
私たちはいつか死ぬのだから。

「すべてをまるっと肯定されちまおうぜ」
そうブログに綴った大森さん。

その言葉の通り会場の一人ひとりに訴えかけ、その激しいステージングとは裏腹に、返ってきたものを丁寧に丁寧に拾いあげ、また形にして返す。これは文字通りライブであり、全ての聴衆との一騎打ちでもある。そんな気迫を感じた。
そこにあるのは裸の魂の叫び、そして祈り。
そんなステージをきっとはじめて目撃したこの感情に名前をつけることは一晩たったいまも難しい。


長年のうつが重くなり、音楽をつくることもかなでることも、きくこともできなくなってしまった。
そんな日々で突如再会した大森靖子の音楽だけが自分に響いた理由が、この目で実際に見てやっとわかった気がした。

こんなクソな自分にも、まだこの腕を振り上げる力が残っていた。
リズムをとり、身体をゆらし、歌詞を口ずさむ自分など、想像もできなかった。

肯定されたくて生きてきたわけではない。
だけどたしかに肯定された世界は、ただきれいだった。

「ドレスコードは自分」

その場にただ自分を肯定できた。
どんなライブにも、そこに存在することを疑い続けた自分が、
うまれてはじめてここにいても良いのだと実感できた。


帰り道の御堂筋通り。

イルミネーションが点灯する並木道の下、同じくライブ帰りの女性たちの会話が耳に入る。

「靖子ちゃんは、みんなのために歌っていたけど、"わたしみ"だけは自分のために歌っていた」

そうだったのかもしれないし、感性の浅い私にそれはわからない。
明日からの自分が、ゆがんだ人生をまっすぐに生きられるかにぼんやりと思いを馳せることしかできない。

ただ言えることは、また出会いたいです何度でも。


生きている、生きてゆく。

ありがとう

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