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牢獄 第四章

はじめに

 「牢獄」は、僕が大学生の頃、自分のウェブサイトに掲載していた自伝です。第四章は、僕と相方(本文中では「彼氏」と表記)の関係に終わりが見えた時のお話です。

 この文章を書いたのは、2000年11月30日と、2001年2月17日です。現在の僕ではないことを、あらかじめご承知おきください。この文章は、当時僕が個人で運営していた「プラスティック・マインド(略してプラマイ)」というウェブサイトに掲載していたものです。本文中に現れる「ぷらす」という人物名は、僕、しまっちのことです。原文を尊重するため、あえて修正はしませんでした。

 なお、この時点で僕と相方は別離を決意していましたが、その後も関係は継続し、22年間共に過ごすことになりました。

20001130

Next time, it will be our last time.

 ずっと引越ししたいと思っていた。何を言ったってやはり今のマンションは少し狭い。僕が社会人になったのもあって、ぜひ頑張って引越し資金を貯めて、もっと広い所に引っ越せたらなぁ……ってずっと思っていた。

 今でもその気持ちはずっとあるけれど、次に引越しをする時は、ここから動くのは僕一人なのかもしれない、と思った。別に喧嘩したとか嫌いになったとかそういうのじゃなくて。何となく、そんな気が、しただけ。

 僕が社会人になって見るものが変わったからだろうか。僕も彼氏もお互いに歳をとったからだろうか。いろんなことが蓄積として残っていくと同時に、いろんなことが噛み合わなくなっていく。仮に別居したとしても僕と彼氏は付き合いを続けるだろうし、僕が彼氏を愛していることに変わりは全く無いのだけれど、それでも少しずつ一緒にいることに無理を感じてしまうようにこの頃なってきた。

 ああ、でもあの人のことだから「別居したら二度と会わない」なんて言うんだろうな。変な所で子供っぽい所がある人だから。

 たまに彼氏が僕を鬱陶しがっていることに気付く。たまに彼氏が僕をとてつもなく深く愛していてくれることに気付く。どっちかだけだったら僕もすぐに結論が出せるのに、どっちにも気付いてしまうから僕は少しずつ追い詰められているような気持ちになる。

 僕は、執着されたいのだ。僕を愛している人が、僕に対して、僕の存在を。それは子供じみた欲求だし、それは多分愛情なんかじゃなくて、僕の食欲とか睡眠欲なんかと同レベルの気持ちなんだろうけど。

 今の僕には自分しか見えていない。僕は今、大切なことを見落としているんだろうか。……分からない。

20010217

残された、時間

 唐突だが、今日からここに書かれる文章は、日記ではなく「牢獄」の第四章となる。このページになってからしか知らない方もいらっしゃると思うので説明しておく。

 以前のプラマイには「牢獄」というコンテンツがあって、これまで僕がどのようにして生きてきたのかを記録していた。その内容は少なからず周囲の人間にはショッキングなものであったろうし、僕自身にもこれまでの自分を整理するという意味で大きな意味があった。現在は置いていないが、いずれ作る正式版には必ず入ることになる、プラマイには欠かせないドキュメントだ。

 第一章が「どうして僕がカムアウトに至ったか」。彼氏との出会い、友人との関係など。第二章が「カムアウト、その後」。カムアウト後の家族との関係、僕の幼少期の記憶など。第三章が「断片」。その後、彼氏と共に生活してきた上で感じたこと。こうしてこれまで書いてきたことを思い返してみると、物凄く沢山の出来事が(そしてそれは「牢獄」に本来ならば記されるべき出来事ばかりだ)抜けているのに気付いた。

 ……でも、もう僕にはその過ぎてしまった出来事を書き記すことはできない。「牢獄」はあくまでもそれを「現在」として感じ、その中で生きている最中に書き記すことを前提としているからだ。それに、それらを書き記すには僕はあまりに歳を取り過ぎたと思う。

 これから書き続けていく「牢獄」第四章は、「残された、時間」。この章が「牢獄」の最終章となる。そしてこの章が書き終わった時(恐らく今年の秋)、僕は一人で住むことを決め、彼氏はかつて彼氏が住んでいた場所……川崎へ戻ることになるだろう。プラスティック・マインドというサイトは終わり、ぷらすという名の人物もこの世からいなくなる。それ以後僕がそのハンドルを名乗ることはないだろうし(多分全て実名にすると思う)、この記録は……多分、その実名の誰かのサイトの片隅に置かれることになるだろう。

 「牢獄」第四章。残された、時間。二人が、別れるまでの、記録。


 その日、僕と彼氏はぼんやりとマンション近くのいい感じのゴハン屋「楽」で昼ご飯を食べた。風邪気味の彼氏を僕は気遣いつつ、その2日前に家に戻ってこなかった彼氏のことを、少し、考えていた。

 どういうワケかは知らない。でも、僕と彼氏が気まずい話をするのは僕の誕生日の前日と相場が決まっていた。「牢獄」に書きたくても書けなかったことは、大抵この時期に起こっている。その日も、そんな感じだった。

 「今の会社、夏ごろにやめようかな」彼氏が言った。「そういつまでも続く仕事じゃないし。3年もやってきたし」。

 「そっか。んじゃ今からお金貯めておかないといけないね」僕は言った。「今は俺も仕事してるんやし、ちゃんと準備してからやったらええと思うで。確かにいつまでも派遣社員の仕事続けられへんやろし……」

 「いや、やめて半年は失業保険出るからそんなに大変じゃないと思う」。彼氏はそう答えつつも、どこかぼんやりした感じだった。こういう顔を、僕は以前に何度か見たことがあった。そしてそれは、彼氏が僕に言いにくい何かを口の中で止めている時に決まっていた。

 「川崎へ──」言うか言わないか、少し考えてから僕は言った。「──川崎へ、帰るつもりなん?」

 彼氏が答えるまでにはだいぶ時間がかかった。「うん……そうしようかなぁと思って」。

 彼氏が半分残したカレーを片付けながら、僕は彼氏の様子を窺った。自分のこと、彼氏のことをこの一瞬に物凄く考えたと思う。別れるんやな、僕ら。もうすぐ。そう遠くないうちに。

 「お前な、俺が川崎帰って今のマンションで家賃払ってやっていけるんか?」彼氏が聞いた。今二人で住んでいるマンションは単身にはかなり負担が大きい。……というより、今の僕の安月給ではとてもやっていける額ではなかった。無論、僕も貯蓄は月々行ってきたのでそれを食い潰していけばしばらくやっていけないことはないけれど。僕はそう伝えた。

 「じゃあ俺が川崎帰ったら、お前引越ししなあかんなるな」「……うん。そうなるな。いや、前から引越しはしたいなぁって思って貯金を始めてたんやし、それはええんやけど」。

 何だか、喋る言葉がお互いに無くなってしまって、ランチタイムの過ぎてしまった店内で二人で黙り込んだまま、窓の外で行き交う阪急電車をぼんやり見ていた。

 長い間黙っていて、その沈黙を破ったのは、僕だった。「じゃあ、夏までに頑張って引っ越せるだけのお金貯めるから。まだ決まりじゃないけど、頑張って貯めるから」。

 「いや、夏……じゃないかな、秋、かもしれない」。彼氏はそう言って、その話題はそこで終わった。1ヶ月間彼氏が沖縄に出張に出ていて、1ヶ月ぶりに大阪で交わした会話は、こんな感じだった。


 その後、二人で梅田のソフマップに行って、僕は会社で使う仕事用の新しいマウスを買った。豊中に戻って、二人でレンタル屋に行って、僕は少しCDを借りて、彼氏はそのまま散髪に行って、僕は家に戻った。家に戻って、このマンションともあと半年でお別れなのだと思うと、急に淋しくなった。

《第四章 完》

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