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牢獄 第二章


はじめに

 「牢獄」は、僕が大学生の頃、自分のウェブサイトに掲載していた自伝です。第二章は、僕が家族に本当の自分を初めてさらけ出した時のお話です。大学の留年、自分がゲイであることのカミングアウト、その後22年間共に暮らすことになった相方(本文中では「彼氏」と記述)と同居したいという希望、それら全てを、一日で家族にぶちまけた記録です。

 家族と最終的にどうなったか、までは残念ながらこの時点では記述できていません。が、最終的には容認という形で家族には受け入れられたように思います。相方と同居して10年後、両親の方から正月に共に帰省するように言ってもらえましたし(相方は大変嫌がっておりましたが)、相方の葬式にも母と妹二人が参列してくれました。

 内容は非常に拙いのですが、この文章は今書こうと思ってももう二度と書けない、1997年の僕だから書けた文章だと感じたので、ここに公開させていただくことにしました。

失敗の無い道

自分で間違えたかったんだ、僕は

 第一章では僕自身のことと、いかにして現在の彼との関係を築いたかを述べた。第二章ではいかにしてカムアウトしたのか、そしてその後の僕と家族との関係を述べて行きたいと思っている。

 1997年3月24日。僕は母方の実家、愛媛に母といた。母が車で帰省するのだが、一人で行くのは嫌で、困ったことに普段なら一緒に行く筈の妹二人は受験が終わった所で、やむなく僕が同伴することになったのだ。

 母には実家に帰る、というのは理由だけで、本当の目的が別にあった。僕と話をしようとしていたのだ。思えば僕が中学生になってから僕と両親は話らしい話をしたことがない。当たり前だ。僕は中学生になってから、自分がゲイである自覚を持ってから、心の全てを閉ざしたのだから。

 つい先日(1997年3月5日)に僕が電話して、その翌日に僕が実家に帰って話をした、僕が同性愛者であること、彼氏と一緒に住もうとしていること、それらがあまりに唐突で混乱してしまっていて、何とか僕を理解しようとしてくれているらしかった。

 中国自動車道はガラガラだった。気持ちの良い春の日射しが車の中の僕を柔らかく包んだ。ぼんやりしている僕に、母は聞いた。

 「……どうして同性愛者になったん?」

 僕は思わず吹き出して笑ってしまった。僕は反対に聞いてみた。

 「じゃあお母さんこそ、どうして男性を好きになったか、その理由を論理的に説明すること出来る?」

 母は何も答えなかった。

 「俺もそんなこと分からない。でも物心付いた時には既に男好きやったんや。もしなんでゲイなったんか説明出来たら、俺歴史に名前残るわ」僕は笑ってそう言った。

 予想出来た質問ではあった。恐らく一般の人にしてみればそういう質問の仕方しか道はないだろう。当時母は母なりにいろいろな文献を読み漁って、それなりに勉強してはいるようだった。第2次成長期に特有な同性愛傾向についてや、僕自身がアダルトチルドレンであることなどを、母は僕が22歳になって初めて理解してくれた。

 「あんた、男と暮らしたかって、幸せにはなれへんのやで。社会的に見て、どう考えても苦労だらけの生活目に見えてるやないか。なんでわざわざそんな道を選ぶんや?」

 僕は少し考えて、答えた。

 「俺をここまで育ててくれたお父さんやお母さんには感謝してるし尊敬してる。でも心残りなことがあるねん。自分で間違えたかったんや、俺は」
 「……自分で間違える?」
 「お母さんは俺が苦労しないように、いらん間違いをしなくて済むように俺を育ててくれたやろ?自分が苦労したことを、その苦労を俺に味わわせないような道を進むように俺を仕向けた。でも俺はそれが嫌やったんや。自分で間違って、自分で立ち直りたかった。それだけの強さを経験して手に入れたかったんや」
 「……」
 「子供の頃、全然失敗をせずに歩んで来た俺の人生を俺は後悔している。もっと間違って、もっと挫折感を味わって、そして自分で考えて生きたかった。それが無かったから、俺には主体性が生まれなかった……今の今まで。俺が今この道を選ぶのは、今自分がそれをしたいと思うから。そしてその先の困難を自分で経験して、自分で考えて、そして自分で克服したいから。それで傷付いても、俺はそれが今の俺には必要やと思うねん」

 母は黙ってそれを聞いていた。そして、一言、言った。

 「あんたがそう思うんならそうしたらええ。でも、経験せんでええこともあるんやで」

 その日以来、母は僕に何も口を出さなくなった。

10分間

20年間悩んだだけ、あいつらも悩めばいいんだ

 1997年3月5日午後9時。僕は大学を留年しなければならないことを両親に伝えるべく、電話をかけようとしていた。

 正直言う。嫌でたまらなかった。このまま消えてしまえたら、きっと楽に違いない。僕の脳裏を僕の未来に期待する両親の言葉がかすめた。いやみな叔父・叔母の姿を、哀れな祖母の姿を。そして明日の不安に震える妹達の姿を。

 ……いいのか?本当に言ってしまって?

 時間は飛び去るように過ぎていく。人間悩んでいる時というのは、すべからく時間の過ぎるのが早い。このままではいけない。悩んでいるうちに、時間が過ぎて夜遅くなってしまって「また明日にしよう」ってなことになってしまう。後5分。9時10分になったら即電話しよう。

 ……留年に関してはともかく、大学をやめたいというのはどうか?

 いや、悩んでいてはいけない。こういうことは一気にまとめて言った方がいい。後になってどうこう言うのは面倒だ。何より気まずい言い出しを一度で済ませられる。

 ……じゃあ自分が同性愛者だということまで言うのは?

 いいんだ。俺も好きでなった訳じゃない。なってしまったんだ。一生この苦しみを自分一人で背負うのは……嫌だ。

 ……両親には関係無い話だろう?自分の恋愛がどうこうというのは?

 いいんだ!このことで両親が傷付くならいいじゃないか。勝手に傷付けばいい。散々俺を放置した両親だ。俺のことを何も分かってくれなかった。俺の気持ちも、俺の意志も、俺の悩みも、みんな!みんな両親の中には無かった……存在出来なかった!俺は!

 ……両親が傷付くだけじゃない。妹たちは?

 妹たちには……本当に申し訳ないと思っている。出来れば、こんなことするべきじゃないんだ。でも、もう駄目なんだ。きっと。このままだとまた病院に通って生きる生活に戻ってしまう。あの時の俺には戻りたくない。妹もきっとそれは分かってくれる筈だ。

 ……自分を納得させる大義名分を並べているだけじゃないか?

 みんなそうだ。きっと同じことをしている。こうやって自分に言い訳をしながら。自分が正しい理由付けをしながら。だから俺は悪くない。俺をここまで追い詰めたのは、俺をここまで苦しめたのは、俺を理解しようとしなかった両親なのだから。俺をこう育ててしまった両親のせいなんだから。

 ……いい大人が、何を子供みたいなことを言っている?

 子供で構わない!俺は自分が大人であるなんて奢り高ぶってはいない。同年代の他の奴等よりかなり稚拙だ。だから俺は自分の意思表示をしなくてはいけない。自分の意志を、人に伝えなくてはならない。俺が自分で言わない限り、誰も分かってくれない。それが今の俺には分かるんだ!

 ……開き直って、それでいいのか?ここまで育ててくれた両親に何も感じないのか?

 感じない。あんな奴等。家族に触れることの出来ない、自分の意志を言うことの出来ない脆弱な父。自分の見える範囲でしか物事を捉えられない、自分の意志以外の存在を認めることの出来ない愚かな母。親は親であると努力して初めて親だ。血が繋がっていればいい訳じゃない。だから俺は期限を設けた。あいつらが両親であれるための。でもあいつらは両親であろうとしなかった。そればかりか自分で自分が親で無いことを証明してしまった。悩めばいい。苦しめばいい。俺がこの20年間悩んだだけ、あいつらも悩めばいいんだ。いかに自分達がいい加減な親だったか、思い知ればいいんだ。あいつらの死体を踏みにじってでも、俺は俺でありたいんだ。俺は、生きたいんだ!

 9時10分。僕は受話器を手に取った。

菜の花畑

この布団、おひさまの匂いがするね

 電話の呼び出し音。それがひたすら続いている。不快な電子音。誰かを呼ぶ音。人間の声ではない、ただ無機的な音。好きじゃない。好きじゃないというより、僕は本能的な恐怖を感じる。信号。鳴ったら電話を取る、その合図。

 まだ呼び出し音は続いている。その呼び出し音の中、僕は向こうの受話器の向こうの光景を夢想する。温かな部屋、楽しそうな話し声。見た目にも鮮やかな食卓、香しいお茶。付きっ放しのテレビと、それを見る家族。大きな冷蔵庫、大きな食器棚。

 厚いカーテンの閉じられた向こうにある田園。春。あぜ道には蓮華の花が咲き、モンシロチョウが歩く人間をからかうようにして行き来する。

 そのもっと向こう。もっと前。澄み切った空。なだらかな山道。温かい春の陽気。そして、目の前はただ黄色で満たされる。

 幼い頃の僕が、母と歩いている。本当は僕は一歩も外へ出てはいけないのだ。ずっと家にいなくてはいけないのだ。でも僕は外にいる。母に連れられて、保育園にも行かずに。車も殆ど通ることのない道をゆっくりと歩いて行く。

 黄色。光。柔らかな光。僕を包む。全てを。

 黄色の光の中、僕は走り回る。……外に出たのは何日ぶりだろう?

 沢山の蝶。モンシロチョウ、アゲハチョウ、キアゲハ。ミツバチもいる。一緒に走る。一緒に飛ぶ。一緒に風を感じる。

 ……そして僕は家に戻る。母に手を引かれて。日はまだ高い。

 家に戻ると干していた布団がふんわりとしている。そして僕は言うのだ。「おかあさん、この布団、おひさまの匂いがするね」と。

 これが、母が望む僕の姿。これが、この間まで母が信じて疑わなかった僕の姿。小学生になっても、中学、高校、大学。ずっと通して、母が僕に求めてきた姿。母の中に存在し得た、僕自身の姿。

 僕は両親の中に存在したかった。肉親の中に、自分を見い出したかった。だから、そうした。自分はそうなんだと自分に言い聞かせた。この姿から外れる行いは、何一つしたことがなかった。この20数年間もの間、僕は母の望む自分であり続けた。

 それが自分だと信じて。

 そして映像は暗くなる。電話の呼び出し音はまだ鳴っている。僕を呼ぶ音、僕を逸脱させる音。母の知らない、家族の知らない僕がさらけ出される合図の音。

 僕が壊れる、その最期の断末魔の叫びの音でもあった。

触れ得ぬ背中

儂は怒ったらあかんねん

 決まって、その姿は夜になって現れた。家に着き、子供の僕には分からない食べ物を食べ、酒を呑み、風呂に入り、そして寝た。その姿を僕は良く覚えていない。

 敢えて言うなら……僕にはただの大きな肉の塊だった。この人間に生活が支えられている、この人間が家族である、そういった意識は無かった。都合の良い時だけ現れて、大人面して何の関連もない話をだらだらとして、自己満足して去っていく。相手は「父親としての姿を見せた」つもりなのだろうが、僕はただ一層軽蔑しただけのことであった。

 僕の父を、僕はただ軽蔑していた。

 もちろん、母親も軽蔑はしていたのだが、軽蔑の仕方が違った。もっと根元的な何か……人間として必要な何かに欠けている。そういう軽蔑の仕方だった。

 漫画か何かの読み過ぎだったのではないだろうか。男とは野球。子は女が育てるもの。台所には男が入ってはならない。やがて子が成人し、子の酌を受けながら父は人生について語り合う。父の中に存在出来得る僕の姿はそんなものだった。

 だから、僕は父の中には存在しようとはしなかったし、そもそも不可能な話だった。父のことを理解しようとは思っていなかった。

 僕が父について考え始めたのは中学の時だった。中学の時、僕は母に疑念を抱いていた。この人を信じていいのか、どうか。そんな時、一つの基準として「この母の夫である」父に目を付けたのだ。

 父は母に文句を言わない。母はあれだけ好き放題のことを言っているのに。なぜ?文句を言えば母がヒステリーになるから?言っても母には通じない、母には理解する能力が無いことが分かっているから?確かにそれはそうなのだが、それだけではなさそうだった。それだけでは僕の内側から溢れ出る父への嫌悪感、その説明にならなかった。

 その答えは、僕が自分をゲイだと両親に告げたその場で現れた。

 父は……子供のように、まるで幼稚園児のように泣きわめいたのだ。僕は内心良く分からなくなっていた。(いい年をした大人が……)ただそう思った。それならよっぽど母の方が冷静だったと思える。ただただ菜の花畑の想い出にすがって生きていた母の方が。

 父は泣きわめきながら母の体にしがみつき、ただ泣きじゃくっていた。母が父を布団に連れて行き、布団に入った後も父は駄々をこねる子供のようだった。

 そう、父は子供だったのだ。幼児と同じような。母にあやされ、親を演じているだけの。

 何日かして、両親と僕は月に一度必ず会うことにした。お互いをお互いが知らなさ過ぎた。それが両親との隔絶感の理由だと思ったからだ。初めての日、初めて僕は父の本音を聞いた。

 母は父に僕を殴れと言った。この軟弱なことを言う馬鹿を殴れと。僕は別に殴られる位どうってことなかったし、それならそれで考えがあったので父の様子を伺った。

 父は黙って俯いていた。そして、言った。「儂は……殴らへん」

 「なんで!?なんで殴らへんの?あんた父親なんやで!」母は絶叫した。「私やったら速攻殴るのに……なんで殴らへんの?あんたはいつもそうやって……」

 後はただダラダラと父を非難する母のヒステリーが続いた。それは僕の家庭ではごくごく日常的な光景だったから、敢えて今さらどうこう言おうとは思わなかった。何か口を挟もうものなら、逆に母のヒステリーを助長するだけだったからだ。

 母は泣きながらトイレに向かった。母が居ない隙を見計らって、父は僕に言った。

 「父さんはな、お客さん相手の仕事してるやろ。そやからお客さんに何言われても儂は怒ったらあかんねん。お客さんの言うように儂は行動せなあかんねん。儂は……怒ったらあかんねん。だから殴らへん」

 僕は哀れな父の姿を見た。プロゴルファーになる夢を家族の為に捨て、母親の非難に日々耐えながら、それでも客には嫌な顔一つせずに頭を下げ続ける父。僕は正直それを哀れだと思った。

 父は自分を失ったのだ。自分の存在意義を、その結果たる家庭にしか見い出せなくなっていた。そして脆弱だった。息子を殴れなくなってしまうまでに。

 そして、それが僕が父を嫌悪する原因でもあった。父が祖母に呼ばれる度に、幼稚園児の様に「はぁ~い」と馬鹿みたいな返事をする癖は、未だに無くなっていない。

普通の子

僕はただ、駆け抜けるだけだ

 電話に出たのは、母だった。父は仕事でその日は家に帰って来ないようだった。どうも母は久し振りの息子からの電話に喜んでいるらしかった。その無邪気さが、僕には痛かった。どう切り出していいか分からなくて、僕は自分にハッパをかけるつもりで取り敢えず言ってみた。

 「あのさ、ちょっと大切な話があるんやけど……」
 「何?何?急に改まって~」母の呑気な声が聞こえる。

 駄目だ、言え!言うんだ!今言えなかったら、このことが一生尾を引いて言えなくなってしまう。お前は自分の気持ちを親に言うことも出来ないような軟弱者か?!一生このまま「良く出来た息子さん」と呼ばれるだけの、ガラスケースに飾ってある人形で終わるつもりなのか?!

 次の言葉は、口から絞り出す様にしないと出なかった。

 「あのな……俺、大学卒業出来へんねん」

 暫く沈黙が流れた。母は言った。「なんで?」

 「単位が全然足りひんねん。大学行くの嫌になって、ずっと授業も出て無かったんや」

 また暫く沈黙が流れた。やがて、母は言った。「今年中に卒業し」

 「いや、だからそれがもう物理的に無理なんやって。今年取れるだけの単位を取っても、全然単位が足りひんのや」

 この僕の言葉の途中で、母は号泣した。「なんでや……アンタが卒業出来ないワケが無いんや!アンタはしっかりした子や!アンタは成績も良くて、ずっと一生懸命勉強してきて、それでなんで卒業出来ひんの?!普通の子に出来て、なんでアンタに出来ひんの?!」

 その言葉は、僕に向けられたものでは無かった。母は、自分自身に言い聞かせていたのだ。泣きわめく母は僕の話なんか聞いていなかった。

 母が僕に向かって言っている。「普通の子に出来て、なんでアンタに出来ひんの?!」と。逆上がりが出来なかった、と母に言った小学生の時。当時、僕は自分が特別なんだと言い聞かされていた。というより、周囲からそう見られていたことに無意識のうちに応えようとしていたのだと思う。

 幼稚園の頃から僕は外で遊ぶだけでなく、図鑑を眺めては過ごしていた。大好きだった昆虫図鑑。虫の名前を言われれば、それがどんな姿で図鑑の何ページに載っているかを即座に答えるような子だった。

 小学生になって、習字と公文式を始めた。習字は5年生の時点で既に5段。小学校の授業で出す書き初めは、常に僕のものが展覧会に出典された。公文式は常に5学年先を履修。既に簡単な因数分解をこなしていた。のみならず、美術的な造形にも稀な才能を発揮。夏休みの宿題、美術の作品。常に僕のものが優秀とされ、数カ月後に先生から賞状を渡されるのを当たり前のように思っていた。

 だから、周囲の人は自然と僕を天才扱いした。友達も、友達の両親も、先生も、僕の家族も。だから僕はそのみんなのいう「天才像」であらなければならなかった。そうでなければ僕ではないかのように。

 母は僕に出来ないことがあるといつもこう言った。「普通の子に出来て、なんでアンタに出来ひんの?!」。跳び箱が飛べない時もそうだった。算数で簡単な問題を1つ間違った時もそうだった。美術の授業でカッターナイフをうまく使えなかった時もそうだった。

 担任の教師は「これだけいろんなことが出来るお子さんに、これ以上何かを望むのは無茶というモンですよ」と言って笑った。僕はそのどちらも嫌いだった。

 母が電話口で「普通の子に出来て……」と言った時に、僕はぼんやりとそんな昔のことを思い出していた。そしてそのまま大学をやめたいことを言った。

 「死ぬで!アンタが大学やめたらお母さん死んでやる!」母はそう言った。既に同情の気持ちを失っていた僕は、「勝手に死ねば?」と答えた。それが余計に母を逆上させた。

 そして僕は母を完膚なきまでに叩きのめす言葉を吐く。

 「話はそれだけじゃないねん」

 沈黙が訪れた。「まだあんの?何でも言えばええで。もう今更怖いものなんて無いし」母はヤケになってそう言った。

 「俺な、好きな人がおんねん」「あっそう」母は、吐き捨てる様に言った。「それで?」

 「俺の好きな人はな、女性やないねん。男の人やねん」

 多分母は俺が大学をやめたいという言葉以上のものがこの世にあるとは思っていなかっただろうと思う。……が、さすがの母も言葉を失っていた。というより、息子が何を言っているのか分からなかったのだろうと思う。

 「俺な、ホモやねん。男の人がずっと好きやねん」

 母がここで返した言葉は、こうだった。「あんた、誰に騙されてるん?」

 僕はそういう返答を予期していなかったので、少し戸惑った。騙されている?何のことを言っているんだ?

 「あんた、どんな男に騙されてるんや?」母は繰り返した。

 僕はやっと理解した。母は僕が誰かに騙されて自分がゲイだと信じ込まされていると思ったのだ。僕は慌てて否定した。「いや、ちゃうねん。俺はずっと前からそうなんやって」

 「そんなこと聞いてない。相手は誰?!住所は?年は?仕事は?電話番号は?」母の強い口調に押されて……というより、言わなければ説得は難しそうだったので、僕は彼氏の詳細を言ってしまった。何も電話番号まで言うことは無かったのだが……。

 一通り聞いて、母は言った。「今から相手に電話するから。その後また電話する」。そして電話は一方的に切れた。

 僕はため息をついてベッドの上に転がった。

 どうしよう。突然彼氏の所に電話がいってしまう。馬鹿なことをしてしまった。でもこうなってしまったら、もう引き返せない。僕はただ、駆け抜けるだけだ。

おしまい

別れますって答えるしかないやんか

 10分程して、母から折り返し電話があった。母は言った。

 「あんた、あんな奴と別れなさい」

 僕は笑って言った。「なんでやねん。俺は好きなんや。別れる理由が無いやないか」

 母は続けた。「相手は別れるって言ってるで」

 ……嘘だ、と思った。母は僕に心理的な動揺を与えたいんだろう。本当は彼氏に電話すらしていないんだろう。こう言えば俺が諦めると思っているんだろう。彼氏がそんなことを言うハズがない。僕はそう信じていたのだった。「そんなええ加減なこと言うなや」

 「ええ加減かどうかは自分で確かめ」。母はそう言って電話を切った。

 おかしい。母の言葉に自信があり過ぎる。母は良く追い詰められると適当な嘘をつくのだが、今の感じはそうじゃない。僕は慌てて彼氏に電話をかけた。

 彼氏は、まず最初に言った。「別れよう」。

 嘘だ、彼氏がこんなことを言うハズが無い。昨日彼氏は、「大学留年の報告をして親に勘当されて行く所が無くなったら、俺の所に来い」って言ってくれたんだ。1日でそんなに変わってしまうものなのか?僕は「裏切られた」と強く感じた。

 「お前のお母さんな、『死んでやる』って言ってるで」。彼氏が言った。僕にとってはそんなことはどうでも良かった。母が死のうが死ぬまいが関係無かった。でも、彼氏にとってはそうではなかった。「そんな『死んでやる』なんて言われたら俺、『じゃあ別れます』って答えるしか無いやんか」

 彼氏も僕も、困惑していた。こういう状況になるとはお互いに思っていなかったのだ。そして結論は今、この場で出さなくてはならなかった。

 僕は必死で彼氏に言った。自分が思っていること、自分がやりたかったこと、彼氏と一緒の生活をどれだけ望んでいるか。そして今彼氏が母に先程の言葉を取り消してもらえなければ、その全ての可能性が無くなること。全ての終わりが来るということ。

 僕はこれで彼氏が断われば、死ぬつもりでいた。僕と母の命のどちらを選ぶのか、彼氏に突き付けるような形になった。

 長い問答の末、彼氏は僕と歩む道を選んだ。「じゃあ、今からおまえの実家に電話する。出来るだけのことは言ってみるから。多分折り返しお前の所に電話があると思うけど」

 僕達は電話を切った。そして、僕は彼氏が実家に電話し終わるのを待った。僕は無意識のうちに、彼氏を強制的に巻き込む形にことを運んでしまっていたのだった。

 10分ほどして、母から電話があった。「取り敢えず、明日実家に帰ってきなさい。お父さんも交えてゆっくり話をしましょう」

 それを聞いて、彼氏がちゃんと気持ちを言ってくれたのだと分かって僕はほっとした。母からの電話を切って、彼氏にすぐに電話した。そして明日実家に帰って両親と話し合うことを伝えた。

 「そうか……。後はお前次第やからな。お前が両親を説得出来るか出来ないか次第なんやからな。明日は気合い入れて行けよ」

 僕はモチロンそのつもりだったし、明日の夜が大変なことになるのは予想がついていた。彼氏の「今日はゆっくり休めよ」という言葉を胸に、僕はその眠れない夜を過ごした。

 不思議なことに、僕はその時から両親が怖く無くなった。例え両親から見放されても、僕には彼氏が居てくれる。何を失っても、彼氏は僕の味方でいてくれる。特別な根拠の無いこんな確信を僕は抱いていたのだった。

責任

その責任が取れるのか?

 次の日の夕方、僕は久し振りに実家に帰った。家族全員が揃うのは珍しいことだった。そして何事も無かったかのように晩御飯を食べ、再び静かにみんな食卓についた。

 そして僕は両親と妹二人の前で、昨日母に語ったのと同じ内容のことを話した。結局昨日僕の話を聞いたのは母だけで、母はそのことを父にも妹にも話してはいなかったのだった。話が終わった時、父と母は泣き崩れた。二人は言葉にならない声でお互いに何かを言い合っていた。もの凄く取り乱しているのが良く分かった。

 でも、妹たちは違った。物凄く冷静だった。というより、妹達は何がしかの雰囲気で「ひょっとしたらそうなんじゃないか」という気配を感じ取っていたようなのである。昨日母が泣いていたのを見た時点で、多分大学留年かカミングアウトかどちらかじゃないかと踏んでいたらしいのだが、奇しくもそれは両方正解だったのだ。

 少し落ち着きを取り戻した両親は、内容の整理に取り掛かった。まず、問題を大学留年とゲイの2つに分けた。そしてまず大学を止めたいということについて話し合うことになった。

 母はただ「なんで?なんで?」と繰り返すばかり。父も、「情けない、自分が情けない」とこぼすばかり。結局その場の話し合いは僕と妹によって成された。

 妹はあまり多くを語らなかったが、一言で僕の過ちを指摘した。例えどんな理由であろうとも、自分の望む進路では無かったにせよ、最終的に大学へ進学したのは僕自身であり、その生活による福利を享受しておきながら今更やめるというのは逃避だということだ。

 「お兄ちゃんの言ってることも分かるんやで。確かにうちの両親は問題のある両親やとは思う」。妹は言った。「でも、お兄ちゃんには大学へ行ったからには卒業するっていう義務がある。それはお兄ちゃんの責任感の問題。最終的に大学へ入学することを決めたのは、お兄ちゃん自身なんやから」。

 僕はそう言われてしまうと返す言葉も無かった。今この場でその言葉を冷静に吐ける妹を少し尊敬した。

 結局、もう少し考え直すということで大学問題については終わることになった。続いてはゲイ問題についてである。

 母はゲイであることをどうこうは言わなかった。ただ、彼氏と一緒に住むことを強烈に反対した。それは妹も同じだった。父にとってはゲイであること自体が問題だった。家族の中でも、捉え方・認識の具合が大きくズレてしまっていて、真っ当な話し合いになるハズが無かった。

 最大の争点は金銭的な問題だった。彼氏は大阪に仕事のアテがあって出て来るワケではない。大阪に着いてマンションを探し、そして仕事も探すという計画だった。無謀極まり無い計画であったのは事実だし、家族が納得いかないのも僕には分かっていた。それでも僕の中には「うまく行く」という確信があった。いざとなれば僕が何をしてでも生活を成り立たせることが出来る。そう考えていたからだ。

 でもそれでは両親は納得しない。僕が生活を成り立たせる為に何かバイトを始めれば、必然的に大学の方がおろそかになるからだった。何も彼氏がこっちに来てすぐに一緒に住む必要は無い、彼氏の生活が安定してからでも構わないだろう、と母は言うし、一緒に住まなくても、同じ大阪に住むのなら会いたい時に会えるワケだから、同居にこだわる必要は無いと父は言った。それで駄目になるような間なら、始めからやめておけ、と。

 元々の計画が無謀なのは分かっていたから、論理的に説得するのは不可能に近いということを僕は分かっていた。そして紛れも無くその事実は、家族全員の言葉によって証明されていた。いつしか僕一人に家族4人で言葉の攻撃を加える形になっていた。

 感極まって、僕はとうとう叫んだ。「そんなことは分かっている!論理的に説得の出来る計画では無いし、もし仮に俺が逆の立場なら間違い無く反対してる。みんなの言うことは間違ってない。でも、今の俺の中はそれだけじゃない、そうやないっていう気持ちがあるんや!自分と彼氏となら出来る、その確信があるんや!」

 家族全員が言葉を失った。当たり前だ。僕がこれだけ家族の前で感情を表に出したのはこれが初めてだったからだ。普段、僕は家庭の中でも無口だった。誰かを殴ったり、声を荒立てたりすることは決して無かった。その僕が叫んでいる。家族全員に向かって。

 さすがに1対4の構図が悪かったと思ったのか、母はそっと「ごめん」と言った。そしてこう付け加えた。「もしあんたがその人と二人で生活をしたとして、何か問題を起こしたとして、あんたにその責任が取れるの?もしウチの家族に何か迷惑をかけることになったとして、あんたはその責任が取れるの?」

 僕はどれだけ残酷な言葉であるかを分かった上で、こう答えた。

 「俺が中学生の時、どれだけの思いでいたか分かる?初めて好きになったのが男性で、誰にも相談出来ずに、ただ一人俺は悩んできた。『俺は一生結婚なんてしない』って言ったのに、お母さんは『やれるもんならやってみ』って笑うだけだった。『お母さんも子供時代は過ごして来たんやから。あんたの年頃の時期に感じることなんてみんな一緒や』って言って、俺の中に何があるのかを見ようとしなかった。あの時ズタズタに傷付いた俺に、今のお母さんはどう責任が取れると思ってるん?」

 母は、呆然としていた。みんな現在の事象にしか目が行っていなかったのだ。僕が延々自分がゲイであることを隠し続けた、踏みにじられてきた20年間の気持ちを、その時初めて家族は認識した。

 更に僕は続けた。「妹が高校になって男と付き合い始めた時、俺が何を思ったか分かるか?幸せそうな妹とその相手の男を見て、俺が何を思ったのか考えてくれた?『ああ、俺は一生こういう風に幸せにはなれない。俺は一生誰かを好きになってはいけない』。俺はこの20年間ずっとそういう気持ちで過ごしてきたんや」。

 僕は妹を見た。よもや妹も、自分が男と付き合っていることを兄がそういう目で見ていたとは思わなかったのだろう。顔を両手で押さえて俯いていた。

 「……俺は家族を捨てることが出来る。この家族の一員じゃなくなることが今の俺には出来る。何も言わずに彼氏と一緒に住み始めてから、みんなに言うことだって俺には出来た。でも俺はそれをしなかった。したくなかった。だからわざわざこうやって前もって話をしたんや。……もう一度、そのことを考えてくれ」。

 誰ももう何も言えなくなってしまって、その日の話し合いはそれで終わった。

《第二章 完》


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