鬱が治ったら、元気になったら

私はずっと鬱で、そうなるより前から、ずーっと自律神経が失調している。
その状態でずっとやってきて、でもなんだかんだ色々結果は出してきた。
まあ、そんな風にやってきた結果、心ってよりは体が動かなくなっちゃったんだけど。

でも、ちょっと偏ってるけど記憶力があって、経験や知識から物事を考えるのが得意で、文章を書いたり説明したりするのも得意。
今、社会生活は全然できない状態でも、今まで考えてきたことをベースに、色々考えて文章を書くことはできている。何の苦もなく。

あと、人間関係も、死ぬほど頑張って、ほとんど問題ない感じにできた。
人に不快感を与えすぎず、周囲と良好な関係を築けるくらいに。
でも、自分が人と関わっていて辛いのはなくなりきっていないから、問題あるのはあるか。

まあでもそんな感じで、私は結構色々なことができる人間だ。
ずっとずっと体調不良のデバフがかかっていたにもかかわらず、たくさん成長できてきたし、色々なことができてきた。

だから、元気にさえなれば、めちゃくちゃ天才かもしれない!


でも寧ろ、鬱だから無理やり頑張った、頑張れた部分が大きい。
私が鬱になったのは、自分の人間関係についての問題に気づいたときだった。
自分は駄目だ、だから頑張って人間関係の問題さえ直せば、優秀になれば、と自己否定を原動力に頑張ってきた。

だから、鬱でも動けた。鬱だから動けた。

段々、能力が高まっていくにつれて、能力さえ高ければ「自分は生きていて良い」と思えるわけでない、と気づき始めた。
同時に、人と上手く関われるようになったり、環境に恵まれたりして、人から大切にされるようになり、自分で自分を大切にするようにもなっていった。
そうしたら、無理やり頑張るのって違うのかも、と思うようになった。

それからだ。
それから、全部が崩れていった。
鬱が酷いわけでもないのに、何も頑張れなくなった。
これまでの無理が、一気にのしかかってきた。

だから多分、鬱が治ってももう、鬱が酷かったときみたいには頑張れない。
でも、元気になったら、鬱のときに身につけた能力を上手く発揮していくことはできると思う。


ここで無理をやめられたのは、できなくなったのは、良かったんだと思う。
無理をしなくて良くなったんだ。
鬱になったことは……全然良くないけど、まあ副産物はきっとあった。

鬱が治ったら、元気になったら、自分にできることを穏やかに緩やかにやっていきたい。
それまでは、文章だけを緩やかに。

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