過去を思い出として昇華できないことは苦しいなと思った 📚 死んだ山田と教室
2024年メフィスト賞を受賞した、『死んだ山田と教室』という本を読んだ。
YouTube見てて、めちゃくちゃこのPV広告が流れてくるので、メフィスト賞とは知らなかったけど、ずっと気になっていた。
読み終わって、とても悲しい本だなと思った。
過去は忘れ去られていくか思い出として昇華されるか。
死んだ山田は過去として、多くの人の中に存在している。過去の話は時々するから楽しい。都合のいい時に思い出して浸るからちょうどいい。
ただ、山田を過去としていない人もいる。生きているかどうかではない。みんなにとって過去という時間に取り残されている人は、生きていてもずっと過去の中にいる。
その人にとって、そこは過去ではなく今なんだよ。この本で言うなら、山田は今ここにいる。死んでるけど、ずっと教室で話ができる。今この瞬間に。
今が人によって違うから、自分の今を過去だと思っている人に対して、「あの人は冷たい。裏切り者だ」と思ってしまう。
山田が今である人と過去である人、それぞれの山田への関わり方。
山田が今である人から見た、過去にしている人の冷たさや非情さ。山田が過去である人から見た、今としている人のイタさや疎ましさ。
人それぞれ進むスピードが違って、違うからこそ今この瞬間たまたま一緒になったみんなが、当然のようにバラバラになっていく様。
思い出の瞬間を共有していると、どうしても「今がたまたま一緒になった瞬間」ということを忘れてしまう。そして、今の自分を過去にされた側は、悲しくて悔しい。
あまり強く意識してきていないけど、自分が過去にされた経験も、自分が誰かの今を過去にしてきた経験も、きっと今までに何度もあったんだと思う。
その度に悲しくなって、悲しい思いをさせてきている。
過去という出来事に感情があると考えたことはないけど、この本はそこに山田の感情があり、山田がみんなに思うこと、みんなが山田に思うこと、それぞれが理解できるし、ドライで自分勝手で執着もあってどんどん嫌な気持ちが大きくなっていった。
楽しかった過去は変わらないのに、今この瞬間に過去を疎ましいものに変えてしまっている。
それに気づいて、過去から目を背ける人も多くいると思う。これ以上、無意味に過去を嫌なものに変えたくないから。
悲しい気持ちになる読了感だった。
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