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オカンに、宣戦布告

これは間違いなく親泣かせの文章であろう。

私は、小さい頃から規律に縛られてきた。
親の理想の子供になるべく、努力してきた。
文句を言うことすら、覚えてこなかった。

3つ上に自由奔放な兄がいたから、迷惑をかけない生き方を心がけていた。

そして私は最近、家族より友達や好きな人といる時間が好きだし
大切にしたいと思っている。

育ててもらった義理は?とか考える人もいるかもしれないけど
家は、私にとって住処でしかない。寝て、食べて、学校の課題と向き合う場所。
家族と話すことも少ないし、まず夫婦の関係が死んでいる。機能していない。

こんなことを読まれたらなんて言われるか分からないし、家から出ていけと言われるかもしれないけど、それでも私は本気でこう思ってしまうのだから、少しばかり責任を感じてくれたりしないだろうか。

そこで私がオカンに宣戦布告するのは、「もう勝手にさせてくれ」ってことだ。

・・・

この間、お酒に酔ったノリで終電を意図的に逃し、家に帰らなかった。
その時初めて“青春は怒られるまでがセットだから”と腹を括り、遊び呆けた。

そんな時間はどの瞬間も忘れられないくらい楽しくて刺激的で面白かった。
そこで私は気づいてしまった。ああ、これが遊びか。って。
私を「面白味のないただの良い子」に留めていたストッパーが外れる音がした。
外れるというより、「ぶっ壊れた」の方が正しいかもしれない。

その翌日結局、家に帰っても怒られなかった。呆れられたのだと思う。
そりゃあ家をただの住処としか思わない娘だもの。呆れるのが少し遅いよ。
実際今の今も、なんとか家を”家庭”として大切にしているフリをしている。
でも多分そこにも親は気づいたんだと思う。
「家族好き〜家最高〜」とかいう類の、精一杯のフリをしているだけのことに。

そう考えたら、私はもう勝手にしていい気がしてきたのだ。
だから宣戦布告する。
法律を犯さない範囲で私は私を自由にする。解放する。

親に怒られる?家を追い出される?見捨てられる?

そんなの今更どうでもいい。親に好かれて親の賛同を得られる範囲で
選べる・選ばせて貰える「自由」なんて私は要らない。
効率の良い生き方なんてもう私には必要ない。散々してきた。
親の目を気にして生きるのは、私の人生じゃない。そんなの親の人生だ。
私の人生は私のためのもので、私の時間は私のもの。
気づいたら投げ出されていた世界であって、親のために生まれてきた覚えはない。

だって当たり前の生き方なんてどこにもないし、常識なんてものはどこにもない。
誰かの当たり前も、常識も、少し場所を変えてみればそんなの非常識だ。

住んでいる場所に、共に住んでいる人の価値観に縛られているのは
間違いなく勿体ない。そんな生き方、損している。

だから、もう私の価値観と生き方を形成させてくれ。今、そのフェーズなのだ。
追い出されたら、見放されたら、その場所で生きればいい。
そうされた時には、そういう親だったのだと思うしかない。

いかにも私は絶賛、遅すぎる反抗期だ。
親の価値観から縛られることをやめて、何回怒られても好きにする。
追い出されたら野宿する。心配の連絡が来たら帰る。それでいいや。

勿論心配をさせないための努力はする。連絡もする。しかしただ、自由にする。
親に寄り添わず、ただひたすらに自分に甘く。
大学生活、時間も体力も自由も有り余るが限りのあるこの期間で、自分のための時間をいかにして捨てようか。そんな勿体ないこと私にはできっこない。

女だから、危ないから、心配しているから、
もうそんな心配ご無用である。

心配するのなら、遊ぶことを知らず、人に従って、良いように誰かの元でこき使われる詰まらない未来の方を心配してくれ。そして人間味のない人間・面白味のない人間など、誰にも魅力的だと思われずに孤独になりかねなくないか?知らなかった世界を知ることを許してくれ。それこそ人としての成長じゃあるまいか。

もとより、親の目ばかり気にして生きてきたことで遊ぶことを知らず、
自由を知らず、我慢を重ねてきた今までの反動が教えてくれたこの思考は、親にとってさぞ酷いものであろうが、これ以上長く親の目を気にし、我慢を重ねていけばさらにひどい思考を生みかねない。

だから、もう親による心配は受け付けないのだ。
未来の心配をされるならまだしも、私はいつまでも忠実な子供じゃない。

だからオカン、もう暫くは勝手にさせて。

しゃけ🐟

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