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「したい」と「しなければいけない」のバランスを考えた

6月といえば梅雨空なはずなのに、東京は今日もよい天気だった。(書き始めたのは12日の水曜)
最高気温は30度予想でいわゆる真夏日になるかもしれないらしいけれど、朝夕はそこまで暑くもなく風が心地よい。

いつもの時間に家を出たものの、空が気持ちよくて、どうにもそのまま出勤する気がおきない。
特に誰かとのアポもなかったので、オフィスへの出勤は午後からにして、昼までは別の場所で仕事をすることにした。

今、勤めている会社は「ルールを守って誰かに迷惑かけなければ、あとは自由にどうぞ」という社風なので、お気に入りの公園で仕事をすることにした。

ということで、南池袋公園のカフェへ。

南池袋公園のカフェから(トップ画像と同じだけど)

日陰はそんなに暑くなく、風が気持ちいい。
聴き逃していた深夜ラジオをRadikoで聴きながら、テラス席で仕事に勤しむ。とてもはかどった。

一段落してからnoteを開いて、ここ数日考えていることに思いを馳せる。
それは、「◯日連続投稿で書く力をつけよう」的な企画に参加したいような、したくないようなということ。
書く力をつける、というワードに惹かれる。
もっと魅力的な文章を書けるようになりたい。

ただ、公園で仕事しても叱られない環境はとてもめぐまれていて、それは今の会社が「しなくてはいけない」が少ないからだということに、ふと気づいた。
そうだ、僕は「しなくてはいけない」をできるだけ増やさないようにしてるのだった。

noteは「書きたいときに書く」のはとても楽しいけれど、「書かなくてはいけない」になったらきっと楽しめない。
(それどころか嫌になるかも?)

楽しく生きてくためには、「したい」と「しなくてはいけない」のバランスが大切だと思っていて、同じようなことでもないけれど、僕は他にも「〜すべき」と「〜すぎる」をできるだけ使わないようにしている。

「できるだけ使わない」を「使ってはいけない」にしたらやっぱり少し息苦しくて、これからも「しなくてはいけない」を増やさないようにしようと思った。

だから、noteは気ままに書きたいときに書きたいことを書くことにしよう。そう決めた。
とりあえず今の時点では。

誤解してほしくないのは、「◯日連続投稿企画」に参加してる方々は凄いなぁと思っていて、なんなら尊敬の念すら覚えるということ。
憧れながら読ませていただくことにしよう。

ところで南池袋公園のカフェ。
僕はアイスコーヒーだけだったので落ちついて仕事をしていたが、近くにいた女性グループのお客さんたちはランチプレート的なものを鳩にねらわれて悲鳴をあげていた。
よくみたら、わりと体格のよいスーツの男性のランチプレートは狙われていないかった。

鳩は生きていくために「餌を確保しなくてはいけない」のだろうけれど、なんとなくそういう義務感ではなく「若い女の人たちを驚かせてやりたい」というイタズラ心なのかなとも思えた。

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