分岐点1

私が大学受験に落ちた時、真っ先に思っていたのは、将来への漠然とした不安とまだ“選択したくない”という逃避的な感情であった。
当たり前だが、若さというものを失うスピードは思っているよりも本当に早くて、それは即ち、早めに選び、早めに傾倒する方が時間の効率的には一番良いという事である。
高校を卒業するにあたり、まず選択肢として現れるのは“進学”と“就職”であり、年収に差はあれど、やりたい事に真っ直ぐ進もうとするならどちらを選んでも良い人生を送る事ができるだろう。
だが私は、選べなかった。高校卒業という節目を目前に控え、やりたい事や興味がある物もなく、ただ漠然と過ごしていた。この時点で周りの人間との気持ちの差は歴然と言える。
わからない、何故人生における最大の分岐点をそこまで早く決断できるのか……。

結局私はというと、働く事が本当に嫌であった為消去法で大学に進学しようと決めた。ただそんな事でこれから担う事になる莫大な借金を背負えるかは心配だった。

結果としてそんな心配はしなくて済んだ。受験に落ちたからである。それでも働きたくない私は浪人として生きていく事にした。
この時点でいわゆる普通の人間のレールから大きく外れて“現役”という称号が剥奪されていて、もう学生ではなく、社会人でも無い何かであった。

悪い事に高校卒業してから数ヶ月後、更にここから大きくレールから外れる様に動いていく事になる。勉強を放棄してしまったのである。

元々浪人生という肩書きが、ただのフリーターとなり、完全に路頭に迷いだしたのを見かねた親父が、最低限は手に職をという事で完全通信制の大学のパンフレットを差し出した。幸い入学に勉強が必要ない“訳あり”な大学だったが、フルタイムで働かなくて良い口実ができるのを悟った私は入る事にした。バイトで貯めた金を学費に注ぎ込み、私はついに“大学生”となった。
高校を卒業してから1年後の出来事である。

完全通信制ということもあり、同じ大学の人間と知り合うきっかけもなく、ただただ学費を払って動画を観る毎日。とりあえず動画さえ観て小テストに回答さえすれば出席判定が貰えるため、これ程簡単な事はない。
講義視聴中もカメラやマイクを起動する必要もなく、私は片手間に当時流行っていたどうぶつの森で釣りをしながら視聴していた。
そんな生活も束の間、大学を辞めた。
給付型奨学金に落ち、学生ローンも落ちた。学費が払えなくなったのである。正直なところ、選択したコースに興味がなかったので辞めた事に対してはそこまで気にしてはいない。
私は大学入学後半年過ぎたあたりから一人暮らしを始めており、アルバイト代と奨学金で学費を賄おうとしていたのが良くなかったのかも知れない。だがあまり親の脛は齧りたくなかった。
私は遂に本物のフリーターとして世に放たれる事となった。

この時点で、既に分岐点が複数あり、尽く良くないとされる(レールから外れる)方へと方向転換しているのがわかる。
今でも私は、「高校の時推薦もらっておけば良かったかな」とか「よく見る大学生ってものを経験してみたかった」とか良く考えるが、全て過ぎてしまった事であるし、逆に言えば“普通”の大学生とはまた違う経験をしている事も確かであり、今の私を形作るのに一役買っているはずだ。いや、どうだろう。ただ私のフリーター生活のお陰で知り合えている人もいるので、何とも言えないか。

そんな分岐点をここ4年程で何度も経験している。
あの時、あの時、あの時、あの時。後悔もしたし、失敗や挫折も多い。今現在の現状として就職し、地獄の様な日々を送ってはいるものの、安定はしている。
今まで私が経験してきた分岐点に関しては、また続きを書くだろう。今回は高校卒業から大学生を経てフリーターになるまでをざっくりと書いたが、次は就職までの遍歴を書きたい。人間事情にはこの高校卒業の話ですらまだ触れていないので、またいずれ。



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