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夏の読書感想文 続き

夏休みに読書感想文コンクールをみて高校生の部の課題図書を読んで読書感想文を書いてみました。その第2弾として今回は『水を縫う』を読んだので感想を書いていきます。

「男なのに」刺繍が好きな弟の清澄。「女なのに」かわいいものが苦手な姉の水青。「愛情豊かな母親」になれなかったさつ子。「まっとうな父親」になれなかった全と、その友人・黒田。「いいお嫁さん」になるよう育てられた祖母・文枝。普通の人なんていない。普通の家族なんてない。世の中の“普通”を踏み越えていく、6人の家族の
物語。


あらすじはこんな感じ。
ひとつの大きな物語だけれど、短編集の寄り集まった感じでそれぞれ家族の目線で描かれています。
清澄から見た母、水青みおから見た母はなんだかいじらしく、子の気持ちを分かってくれないように思うのに、祖母の文枝から見た母さつ子やさつ子の中の母親像を知るとまた違う気持ちになる。
家庭には向かなかった父の全も悪い父親なのかと言われるとそうだとは言いきれなかったりして、
たぶん、円満がなんなのかは本人たちしか分からないけれど水青の結婚を期にみんなが自分と家族の気持ちを確認できた。だから読者も心が温まって優しくなれるんだろうなと思ったのだった。
中距離バスに乗りながら、『水を縫う』を読んで、ぐずぐず泣いた。

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わたしも、清澄のように刺繍をすることがすきだ。刺繍がすき、と言うと確かにえ〜、すてきだね!と言われることが多い。裁縫は女性的なイメージが強いけれど、実は男性にも向いているんじゃないかと思う。
ひと針刺していく時の、無になる感じ。
美しく世界が広がっていく。
その優しさがすきで始めたんだったと清澄の刺繍への熱をみて思い出した。
(第一章 みなも)

「かわいい」とよく言う。それは、母性本能の現れみたいなもので、愛おしいものには「かわいい」がついてくる。こないだ読んだ本に『女の「かわいい」は、「心揺さぶられている」という感覚的な言葉』と書いてあって納得したのだが、水青にとっての「かわいい」は、消費されるための「かわいい」でしかなかったんだなあ、と切なくなります。水青が紺野さんに出会えて良かった。
(第二章 傘のしたで)

すべての親は子供だったことがある。
だけど、親になってしまうと見えなくなってしまうものもある。子供という立場でしかわたしは物事を見たことがないけれど、愛情だってわかっているのに気持ちがズレて親に反発したくなることも経験してきた。わかってよ!って思って気持ちを押し付けたりお互いに察してほしいと黙っていては対話ができない。子も親も、相手のためにと思う気持ちがあるのに。
(第三章 愛の泉)

物語のはじめから、ずっと優しさであり続けた祖母の文枝。心の中にあるのは、プールの思い出。きっと、言った方に悪意はなくて思い出しもしないままのはず。言われた方だけがずっと石になって心に埋められたままで生きていく。それでも前に進めたのは清澄のおかげなのだろうと思う。清澄の真っ直ぐさには憧れるし、文枝が偏見なく接してきたことの結果だなと、わたしまで嬉しい気持ちになった。
(第四章 プールサイドの犬)

唯一、家族とは少し違うのが父親の全の保護者役になっている友人の黒田。さつ子ができなかったことを、黒田は友人として向き合って世話している。家庭を築くことは致命的にだめだったし、一緒にいられなかったことで父としても役割を果たせなかった全だけれど、好きなものを、好きな人のためならなんだってできる。その奥に眠る熱さと愛にジーンときてしまった。本能が突き動かしているんだなあと思って。
(第五章 しずかな湖畔の)

それぞれが水青の結婚を目の前に、本来の自分の考えを見直して1歩ずつ前に進んでいく。「水青」と「清澄」、美しい名前だとずっと思っていたのは、愛だった。清澄には失敗に思えるかもしれないけれど、水青には家族からのプレゼントになる最高の贈り物ができて、すごくよかったと思った。家族は役割なんかじゃなくて、しあわせにあたたかく居られたらそれでいい。形じゃなくて気持ちだ。
(第六章 流れる水は淀まない)

大阪が舞台になっているのか、台詞が関西弁で、ことばには温度があるなあと思った。それぞれが思う家族を守ることは同じ方向じゃない。それでもどかしくなることは誰だってあるけど、みんな思うのは気遣う気持ちだから、それを一部でも分かち合えたらいいよね、って思えた。好きなことを好きでいたい。そんな自分を誇らしく思いたい。

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