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信仰と『ソー/ラブ&サンダー』

しんこう〔カウ〕【信仰】 の解説

[名](スル)《古くは「しんごう」》
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「―が厚い」「守護神として―する」

2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への―」「ブランド―」
goo国語辞典

あなたが信じているものはありますか?

それは宗教でしょうか? 

家族でしょうか?

はたまた、“推し”なんて答える人もいるでしょう。

ゴアにとって、心の底から信じていたものはでした。

本作のテーマ

『ソー/ラブ&サンダー』は、本作のヴィランであるゴア・ザ・ゴッド・ブッチャーの絶望から物語の幕が開ける。

娘を亡くし、途方に暮れ、唯一の信仰対象であった神に祈りを捧げるも裏切られる、そんなシーンだ。

なにも娘を亡くした事だけが彼の絶望ではない。

信仰してやまない神に見放された事こそ、さらに重くのしかかる絶望なのである。

絶望の淵に立たされるゴア。

ネクロソードの甘い囁き。

彼の信仰対象が目の前の役に立たぬ神から、神殺しの黒剣へと移る。

救いの手を差し出さぬ神ならば、殺してしまうまで。

これが破綻した論理であることは言うまでもない。

神という心のよりどころを失ったゴアは新たな偶像を見つけ、盲目の信仰により“神殺し”へと姿を変えた。

心の底から信じていたからこそ、信仰してやまなかったからこそ、それを失った時の精神的ダメージは計り知れないものだったのだろう。

ヒトは己の弱さを補うため、信仰することで補強を図る。

その信仰心がなんらかのアクションによって潰えた際、精神的な支えを失い、全てが瓦解する。

この冒頭シーンで描かれる「信仰心に孕む精神的脆弱性」こそ本作のテーマの一つであると私は思う。

ソーの信仰

言わずと知れた筋肉の神、ソー。

本作の主人公であるが、なんと彼の正体は雷の神である。

しかし彼は少し前までハンマーの神でもあった。

彼が信仰してやまない武器「ムジョルニア」、それがシリーズ3作目「ソー/ラグナロク」で死の女神ヘラに打ち壊された事はファンの記憶にも新しい。

そのとき彼の心が一度砕け散ったことも覚えているだろうか。

偶像であるムジョルニアが粉砕されたとき、彼は一度絶望の淵を彷徨った。

戦意喪失するソーにオーディンは問いかける。

「お前はハンマーの神か?」
 
亡き父の言葉を胸に、彼は盲目の信仰でセーブされていた己の枷から解き放たれ、真に雷の神となったのである。

信仰心に孕む精神的脆弱性に打ち勝った瞬間とも言えよう。

彼のアイデンティティに武器は関係ない。

余談ではあるが、「ソー/ラグナロク」の未公開シーンでは、この事について面白い喩え方をしている。

「ハンマーがないから勝てない。」と弱音を吐くソーに対し、ブルース・バナーがこう言う。

「いつハンマーの神に?ダンボだな。」
 
ダンボとはディズニーアニメーションの不朽の名作、クソでかい耳で空を飛ぶ象の映画「ダンボ」のことだ。

ダンボは己の飛行能力を「魔法の羽」の効力によるものだと錯覚していたが、物語終盤、自力で翔けることを悟る。

プラシーボ効果というやつであろう。

ブルース・バナーは「実際はハンマーなんてなくても強いのに、お前はそれに気が付いてないだけ。」だとダンボを引用して伝えたかったのだ。

ディズニー配給であるMCUらしいユーモアが光る名場面である。

カットされたことが悔やまれるほどに。

ゴアの信仰

結論から言うと、ゴアは勝てなかった。

冒頭、全ての神を滅ぼすと声高らかに宣言するも、一端の筋肉の神に勝てなかったのだ。

何故だろうか。

ソーが強かった。ジェーンが強かった。

間違いない。

しかし

ゴアが弱かった。

こちらの方が正しい答えであるように私は思う。

ネクロソードに対して唯一無二の信仰を捧げるゴアには精神的脆弱性というウィークポイントが残っていた。

神殺しの黒剣が粉々に砕け散ったとき、彼は今一度絶望の淵へと誘われるのだ。

幸いな事にも、ソーは過去にその次元を超えていた。

信仰により生まれるウィークポイントを克服していたため、ゴアより強かった。

ただそれだけだ。

ソーは雷の神であり、ハンマーの神ではない。

たったそれだけの差で決した勝敗。

私はそのように感じた。

信仰が孕む問題

人間は己の弱さを補うために信仰に頼る。

それは決して悪い事ではない。

しかし、もし心のよりどころとなる偶像に裏切られたときどうなるだろうか?

昨今、日本では宗教による摩擦が生んだ痛ましい事件が起きた。

行き過ぎた信仰により家族という偶像が打ち壊され、心のよりどころの潰えた人間が、破綻した論理を掲げて人を殺めた事件だ。

私は本作を鑑賞して、この事件を他人事とは思えなかった。

私も含めて、信じるものがない人間などいないからである。

これが意味するのは誰しもがその偶像を打ち壊された際、ゴアになる可能性があるという事だ。

本作の描くテーマを教訓とし、今一度、己の身に宿る盲目な信仰を見つめ直すことが必要なのかもしれない。

我々は、ハンマーの神ではなく、雷の神でありたいものだ。

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