“ホルン好き?”


私はオーケストラサークルに所属していて11月の演奏会で仮引退した。
そして今日、9ヶ月ぶりに練習に復帰した。

良くも悪くも大学生活の全てが詰まっている部屋に行く。
後輩たちはにこにこで出迎えてくれる。
久しぶりに会う同期もいる。

単純にみんなと会えて嬉しいと思う一方、この部屋特有の息苦しさを感じる。

キラキラした大学生と完全に乖離した地下の練習室。
そんな部屋にすっぴん、ジャージ、メガネで幽閉される大学4年間を過ごしてきた。

思い描いていた大学生活とことごとく離れている。

「これが私の青春」

幾度となく自分に言い聞かせた。

ここだから出会えた大切な人がたくさんいるし、
ここでしか得られなかった思い出、考え方、価値観など、この部屋は私にいろいろなことを与えてくれた。

それはそれとして事実である。

しかしながら、やっぱりここは息苦しい。

あの席で怒鳴られたな。
しんどすぎてあのトイレで立てなくなったな。
あそこで泣いてたな。

どうしても悪い思い出に引き寄せられる。

もう引退してるし、辞めちゃえばいい。
それはそう。

なんで私はこの息苦しい空間に戻ってきてるの?

今日は自分にこれをちゃんと問いかけようと思う。


“ホルン好き?”

そんな葛藤の中、突如投げかけられた問い。

ホルンを続けて10年目。
好きじゃないと10年も続けない。
そう信じ込んでいたから、私はホルンが好きだと思っていた。

でも、即答はできなかった。

もし、10年前、ホルンと出会わなかったら
私はもっと楽な人生を歩んでいただろう。

怒られることもない。
毎日何時間も拘束されることもない。
そして、何より、気分が沈むこともなかっただろう。

ホルンと出会ったおかげで数え切れないほどの辛い思いをした。
楽しいことよりも辛いことの方が何百倍もある10年間だった。


だから、“好き?”という問いに対して
“好き”とは言えなかった。


でも、私は10年間続けている。
辞める機会なんて幾度もあった。

でもやめなかった。


なぜだろう。

私利私欲かもしれない。
大変なことをしている自分が
好きなだけかもしれない。
自分がやりたいと言って始めたから
その言葉に責任を取るためだけかもしれない。
一緒にいる仲間が好きで
みんないるなら続けるかくらいかもしれない。

明確な理由はない。

意外となあなあだなと思い
少し落ち込んだ。


ただ、10年間続けているからこそ
わかったことはある。

本気でやった人しか出せない音があるということだ。

「音楽は音を楽しむものだよ」

個人の見解に過ぎないが、この言葉を発せる人は本気で音楽をやったことがない人か、信じられないほどの努力を重ねてその先に行き着いた人だけだと思う。

音楽を楽しみたい、そんな甘いことを言ってる以上出せない音があることを私は知っている。

音楽なんてちっとも楽しくない。
10年間やって楽しかったことを聞かれても
「本番の後のうちあげかな〜」
と答えてしまいそう。

それくらい、楽しいものではない。

でも、
楽しくないからこそ
楽しくないことを乗り越えたからこそ
出せる音がある。

届けられるものがある。

音楽は楽しくない。
ホルンが好きだと胸を張っては言えない。

ただ、10年間のうちに1回でも
今の私の苦しみの先で出せた音を
そこにいる誰かに届けられたらいいな。

と思っている。

そんな気持ちで好きとは言い切れない楽器を10年間続けているのかもしれない。


音楽は楽しくない。
だからこその魅力がそこにはある。

実は気が付いているからこそ
「これが私の青春」
で飲み込める。

大学生活最後の演奏会が見えてきた。
青春の終わり。

そんな青春の終わりでは
“ホルン好き?”
という問いに対して
首を縦に振れるようになっていたい。

そんな想いから今日も楽器を組み立てます。

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