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梅の香りが鼻を掠める季節に

“お互い元気にやっていきましょう” 

“2年間ありがとうございました”

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もう、こんな季節を迎えてしまったのか。まだまだ話したいことは山ほどあるというのに。そんな気持ちでひとり歩く。梅の花が咲き乱れ、暖かい風に乗って香りが鼻を掠める。その瞬間、透明な血が頬を伝った。

入学当初、先生に対する印象は 「怖そう, 厳しそう」 だった。あまり笑うこともないし、淡々とした話し方をしていたから。しかし、ある日 講義が終わったあとに声をかけて話したところ、「面白い先生だ」 と感じた。講義の時とのギャップがあり、“先生ってこんな感じなんだ” と少し衝撃を受けたのを覚えている。その後、先生の講義が終わったあとは一緒に片付けや掃除をしながら話すことが日課になっていった。週に一度だけだったから、毎週その時間を楽しみにしていた。最初のうちは写真について話していた。高校生時代、部活でこんなことをしたとか、好きな写真についてとか。気がつけば先生とは毎週話していたし、相談をすることも増えた。先生はどんなときも優しく私の話に耳を傾け、そして否定せずに受け入れてくれた。私が間違えていたとしても、そこには触れなかった。正論を語ることも、正解を言うこともなかった。今、当時のことを振り返ると、私が考えていたことは間違えていたんだと自分自身で気づくことが出来た。「私だけ頑張っているのになぜ」 とずっと思っていたが、人によってキャパシティは異なるし、私はこれだけ出来るのに何でみんな出来ないの?と押し付けのような考え方をしていた。あの時先生が何も言わなかったのは、自分で気づいてほしいという願いがあったからなのだろうか? 気づけるということは簡単なことではないし、自分を知るという意味で大きな成長ができたと思う。





1年生の秋頃は人間関係やピアノでとても悩み、精神的にも疲れてしまいご飯があまり食べられなかった。そのとき先生は、“食べ損ねてしまったのでどうぞ” とサラダチキンバーをくださった。先生の優しさがとても沁みた。私の顔色が良くなくても言葉には出さず、けれどずっと心配してくださっていた。そして、私が元気でいる姿を見ると安堵した様子でいた。2年生の夏、うつ病を患ってから講義を何度か休んでしまったが、普段の取り組みと作品の完成度を先生はとても評価してくださった。嬉しかった。最後にお会いした時、2年生になったときガラッと作風に変化が出ていたと。物の見方、捉え方に変化が出たから作品にもいい影響になったと自分自身でも感じているし、先生も似たようなことを仰っていた。

“憂いを知っている人は強い”

人としても、表現者としても強いことだと少し分かるようになってきた。それは、この先生のお陰である。先生とお話や相談したこと、一緒に悩んだ時間は2年間という短い間ではあったけれど、多くの学びや気づきを得られた。それは昨日の出来事だったかのように、とても色濃く残り続けている。

この思いは一言では伝えきれないけれど
“2年間ありがとうございました”
またどこかでお会いできたら。

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