見出し画像

本当に嬉しかったから、言わないよ

 本当に嬉しかったことと、本当に辛かったことは、おいそれと発信するものじゃない、と気付いたとき、ちょっと大人になれた気がした。


 発信するものじゃないからここには具体的に書かないけれど。
 本当に辛かったことが"そう"なのは、何となく共通認識としてあるだろう。決して悪ではないし、それを発信することでうまく昇華したり、糧に変えたりできる場合もある。ただ、辛さは伝染しやすい。画面越しだろうが国を飛び越えていようが、見ず知らずの人に大きな影響を与えることがままある。やはり気をつけるのが大事であろう。と、ここまでは、私がSNSを始めたときから気を付けてきたことだ。


 今回着目して考えたいのは、「本当に嬉しかったこと」もまた同様であるということ。辛さが伝染するように、嬉しさが伝染するなら良いのではないか、と、今まで考えていた。

 人には誰しも、「人のしあわせを心から喜べないとき」が存在すると感じたのだ。性格の良し悪しに関わらず、しあわせな他人を見て、気分がマイナス方向に触れてしまうことが、多かれ少なかれ、皆等しくある。そう気づかせてくれたのもまた、「本当に辛かったこと」であるからここには書かず、結果としてひどくもどかしい文章になっていることは否めないが。
 「本当に嬉しかった・辛かったこと」をうまく表現に落とし込める自信がない自分のための逃げ道でもあるのかもしれないとも思う。ただ、そうであるとしても、人を無自覚に傷つける可能性があると認識している以上、それを避けるのは私なりの最低限の配慮であるとも考えている。


 表現は自由だし、どこの誰が見ているかも分からないけれど、そうであるからこそ、画面の向こうにいる幾人ものあなたの存在を、ずっと思いながら表現を、発信をしていきたいという決意表明。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?