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100%の準備なんてない

「野球は準備のスポーツだ」

準備の大切さは、私が野球から学んだことである。
今最も、野球以外でも重要だと感じていることだ。






気づけば病院実習が始まって3週間が経った
もう、実習期間の4割弱も終わってしまったということに驚きを隠せない
この実習の準備期間で改めて、私は ”準備” というものの大切さを感じた



100%の準備とはなんだろう

まずはここから考えてみるべきだろう

私は単純に、ある事柄に対して過不足のない準備こそが100%の準備だと考えている。

こんな簡単に結論づけてしまうのは、私が ”100%の準備” に対して、さほど魅力を感じていないからだ。
「そんな完璧な準備は、狙ってできるわけがない」と、諦めているとも言うことができるだろう。


80%の準備と120%あるいは200%の準備

私が準備をするときに、考える/意識するのはこれだ。
200%の方をよく聞く人もいるかもしれないから、あえて挙げているが、私は ”80%” と ”120%” を特に意識する。


そもそも準備とは、ある目標事象の前段階で行うものだ。
実習の準備なら「実習」という事象の前段階で行うものだろう。

この「実習」では何が求められるのか、何が起こるのか、何が失われるのか・・・

考えても全てわかるわけがない。
実際にその事象と向き合わねば見えてこない部分がある。
過去の出来事、流れなどの一部の情報を事前に収集することはできる。
それを基に考えることしか、準備段階ではできないと思って良いのではないだろうか。


今の例でなんとなく伝えられただろうか。
準備をするとき、100%、つまりは全てを想定することなどできないわけだ。


そこで私が考えるのが、80%・120%である。
100%がわからない以上、これらを定義することが困難であることは承知の上で、あえてこの表現をしている。



何をもってこの値に適する準備目標を設定するのか
例えば、学校で昔よくやった漢字テストを考えてみよう

計100個の漢字がテスト範囲で、30問出題の小テストがあったとする。
合格点はないが、自身の目標を7割の21点とすることにしよう。
私はこの準備をするときに、以下のように考える


「今回間違えていいのは9問まで」
「ならば100個覚えようとして、91個覚えた時点で終了すれば、仮に覚えられなかったものが全て出ても7割とることができる可能性が高い」


これを、80%の準備と考えている。
私は自分の記憶を信じ切ってはいないので、91個覚えたつもりでも抜けがある可能性は十分あると思っている。ゆえに、完全な準備ではない。100%にはなり得ない。
覚えたと思い込んで、実は覚えていない漢字も含まれるかもしれない。
先生のオリジナルで応用的な問題が突然出るかもしれない。
そういった、マイナスを考慮して、だいたいで出した数値を80%と仮に設定しているわけだ。
自信がある者ならば、これを90%と考えてもいいだろうし、自身がなければ70%の準備と考えてもいいかもしれない。その辺りは個人の裁量というわけだ。


では、120%とはどれほどの準備か
今回であれば、100個全ての漢字を覚えることになるだろうか。
そこから派生してどんな問題が出題されるか想定して勉強することも含めて120%の準備になるかもしれない。

目安としては「目標を簡単に超えられるであろう段階」と言うことができるかもしれない。
テスト範囲の漢字を全て覚えていれば、7割を超えるどころか、満点の可能性も高まる。80%の準備でも満点の可能性はあるが、その可能性の差は容易に想像ができるだろう。


「結果的に100%の準備だった」と言える可能性がある準備を120%の準備と考えることができるかもしれない。


貴方は、どう思うだろうか。


私はまず、80%の準備を達成することをひとつの目標にする。
それだけの準備があれば、最低限求められるパフォーマンスは披露できるのではないかと思えるからだ。

その上で、より気持ちを込めて行いたいこと、将来にかかわる大事な事などの入念な準備が必要な時に、120%の準備をしたいと考えることが多い気がする。


常に120%の準備をしたいと気張り続けていては、簡単に失速する。
感覚的に、誰もが知っていることだろう。
80%の準備と名付けていれば、少しは気楽に毎日を戦えるのではないだろうか。





私が思う「準備」の大切さ

冒頭、私は野球から準備の大切さを学んだと書いた。
野球では例えば、守備についているとき、ピッチャーの投球間は準備の時間にあてられる。
今の場面では何が想定されるか、何が起きたらどう行動するか、あそこに打球が来たらこういうプレーが起きるかもしれない…

何も考えていないより、少しでも多くの想定をしていた方が、後のプレーが成功する可能性が高まる。


これが、野球に限った話ではないと私は考えている。
他のスポーツをしていた者でも、似たことを感じている者がいるのではないだろうか。


例えを出すなら、受験・受検の面接や就職面接を想定するのが最も身近だろうか。

様々な質問を想定するものだろう。
その回答を用意し、多少異なる質問でも、その考えを基に回答できたり、異質な質問が来ても、割り切って落ち着いて答えたりできる。


「準備」ができていればいるほど、己の言動の幅が広がるのだ。
そして、この ”準備” こそ、私が、貴方が、対峙する事象の価値を変え得るものだとも思っている。


”準備” という言葉は、実に広い意味範囲を持っているように思う。
私の対峙した実習の準備だって、非常に幅広い。

・勉強
・病院の情報収集
・道具や服の購入、メンテナンス
・生活習慣の確立
・必要資料の記入、製作
・精神面の回復、維持
・覚悟(いわゆる、心の準備)

ざっと挙げるだけでもこのくらいはある。
近似したものもあるだろうが、少しは幅の広さがわかるのではないか。
初めに挙げた「勉強」だって、その範囲は幅広い。



これらの準備は全て、達成度としては決して高いものではなかったが、それでも、今の実習を私は楽しむことができている。
きっと、より準備ができていれば、もっと楽しく、面白いのが実習なのだろうと感じている。


もし何もしていなければ、単純に苦しいだけの実習になっていたはずだ。

わからないことだらけで、問われても答えられない。わからないことがわからず問うこともできない。着眼点がわからない。何がしたいのかわからない。つまらない。


「あー、嫌だな」



きっとそう思ったことだろう。


ただの準備なら、これを回避するだけで終わっていた。
しかし私は、80%の準備を目指して準備を進めた。
結果的にそこまでの準備はできなかったと思っているが、ただこなすだけの8週間を避けることには既に成功していると感じている。楽しいから。



ここで繰り返そう。


準備とは、目の前の事象の価値を変えるものでもある。


この準備が満足いくものであれば素晴らしい。
しかし、そうでなくてもかまわない。


貴方の、未来の可能性を広げるのが準備だ
貴方が、安心して前に進む材料になるのが準備だ
貴方の、あらゆる基礎になるのが準備だ





せっかくなら吃音のことも絡めて少しだけ、書いてみよう。
吃音を本格的に自覚し始めた頃というのは、準備が全くできていない頃である。
吃音という言葉も知らなければ、知識もない。この話し方が他の人からすると異質(貴方には”異質”などと思ってほしくないが、この時期の感じ方と、多くある周りの反応を加味してあえてこの表現をする)だとは気づかない。


自身の症状がどんなものかもわからないから、何を伝えるべきか考えるという準備ができない。少しずつ特徴を理解してきたとして、それを伝える準備は容易ではない。
こどもが持つことになる障害は、自分ではどう対処するのが良いか、皆目見当がつかないものなのだと私は思う。

私の例で言えば、吃音でことばの教室に行くという選択肢はなかった。
ことばの発達が遅れている子が、障害がある子が、行くところだと思っていたから。

私は吃音が障害だとは思っていなかった。
吃音に対して、どう行動すればいいのか、全く分かっていなかった。

吃音を知ることだって、ひとつの準備だ。


準備以外にも様々な因子があるだろうが、準備ができない事もひとつ、のちの可能性を狭める要因になることは間違いない。





ベストな準備とは

最後に、私が思う最良の準備について書いて終わろう。






「120%の準備を120%の準備でする」



これが私の結論だ。
120%の準備のために120%の準備を前段階に据えると言い換えた方が伝わりやすいかもしれないが、短くまとめてみた。


私は「120%の準備をして、結果的にそれが100%に近い準備になっていた」
というのがとても理想的だと思っている。好きな考え方だ。


この120%の準備を、より質の高い準備にするために、必要なのが準備の準備だと考えているわけだ。



120%の準備をするときの目安は、先述の通りだ。
しかしこれは、かなりふわふわしていると感じた者もいるのではないだろうか。

少なくとも私は感じている。
なんとなくで目標設定できてしまう目安だからだ。

「超えられるであろう」(たぶんね、知らないけど、わかんないけど)

こんな風に捉えることできると思う。


120%の準備をするときのゴール設定をより強固なものにするために何が必要か
それを考えたときに ”ゴール設定のための120%の準備” が必要だと感じたわけである。


ある目標事象でどんなことが想定されるかわからない
ゆえに100%の準備なんてできないのだ

このようなことを述べた。

やはりこれは覆らないと思っている。
しかし、ギリギリまで粘ることはできる。


一部の情報を事前に収集できるということも述べた。
これを最大限行うのが、ゴール設定のための120%の準備だと思ってくれればいい。
大雑把に挙げれば、以下のように進む。他にもできることは山ほどあるわけだが。


  1. 可能な限り全て、漏らすことなく情報を集める

  2. 集めた情報から考えられる可能性を最大限考察・分析する

  3. それぞれの可能性に対応するための準備とは何か、何が必要かを想定する




こうして初めて、120%の準備のゴールが設定できたとき、ベストな準備の土台が完成するように私は思う。
そしてこの土台のもと始める準備は、とても良い準備になるのではないかと思っている。

現時点での人生経験で、私の思うベストな準備はおそらくこうなのだ。




病院実習を経験中の私が、今だからこそ遺そうと思った考え方だ。
いずれ変化する可能性も秘めているからこそと言い換えることもできる。



さて、是非一度考えてみてほしい。











貴方の思う準備とは・・・

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