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ep.13 無二の未来へ押してくれよ春一番

慣れない地下鉄で乗り換える階段。曇った冬空。不安なんてないように見えてしまう受験生たちとぞろぞろ進む狭い歩道。等間隔に立ってホッカイロを配る塾講師たち。高校にはなかった大階段の教室で受験番号が書かれた席に座り、尖りすぎない具合に削ってきた鉛筆を並べて。

受験の日の朝に見た景色を今でも覚えている。

18歳のからだに収まるギリギリめいっぱいの緊張を押し込めて、自分を小さく奮い立たせながら「開始」の声を待つ時間は、永遠みたいに長かった。

こんばんは。たまです。目指してきた日に向かうあなたが、心もからだも健やかに迎えられますように。きっとだいじょうぶだよ。


ここは、小さなラジオブース、あるいは寝る前の談話室。水曜日は「生活の日記」と「今夜の1曲」をお送りします。


生活の日記

風の強い街で暮らしている。少し油断すると、干した洗濯物は地面へころがり、ベランダのサンダルはひっくり返ってしまう。

今朝もゴーーーーという風の音で目が覚めた。
寝ぼけながら居間のテレビをつけると、今日は「春一番」が吹いているからだと天気予報が話している。

声に出して言いたくなる日本語だなあ春一番って、とぼんやり考える。心なしか天気予報士の声も弾んでいるようだ。

最初に「春一番」という名を思いついたひとってどんなひとだったんだろう。そのひとは春を待ち遠しく思っていたのだろうか。

しかし、わたしは気づいた。その可愛らしい語感ゆえ、そよ風と勘違いする人もいるのでは、と。現にわたしだって「恋をしてみませんか?」と踊るあのキュートな歌のイメージも相まって、春一番を軽やか爽やかキャラだと思い込んでいた節がある。正体はゴーーーーと吹き荒ぶ風なのに。

ハッ、ならばあの風にはもっと強烈な名が望ましいのではなかろうか!
突如わたしの中に眠る活動家魂が立ち上がる。

たとえば、こんなのはどうだ!「春爆誕」「春突進」「春風亭暴れん坊」…!いや待って。逆に、終わりは始まりなわけだし、視点を変えて冬が終わることに着目しては…。「冬ラスボス」「締めの冬風」「冬トドメ」…。

……寝起きを言い訳にしたくなるほど、イケていない。強めというより物騒だし。ハル・イチバンのリズムと語呂に、一向に敵わない。春一番。改めて見ると漢字の字面までもスッと整っている。

わたしの活動家魂はすぐに着席した。

ことばの出自が気になり、Wikipedia大先生を覗いてみる。古くから使われていた言葉ではあったものの、『江戸時代、長崎の漁師たちが船の転覆事故に遭い、その元となった早春の突風を「春一番」「春一」と呼ぶようになったことが語源』とされているそうだ。

だれもが危険を回避できるよう、難しくない言葉をシンプルに組み合わせた表現だったのか。いつの時代も災害は悲しい。ひとはひとの安全をいつも祈っていると、風から学ぶ。

せっかくセットした前髪は、駅に着いた頃には乱れ果てていた。いつもなら憎たらしくて仕方ない風を、そういう日もあるかと受け入れる。通勤電車の窓からは、遠くの山がいつもよりくっきり見えていた。

もうすぐ春ですね。困ったな、わたし、春一番になんだか愛着が湧いてきてしまっている。気になった瞬間から始まっているのだ、恋は。春は。



今夜の1曲

YUKI汽車に乗ってを。

図書室の窓に近い席で、赤本をせっせと解きながら聴いていたのはYUKIだった。ウォークマンはお年玉で買った宝物。いっこうに苦手なままの確率の計算と格闘する18のわたしは、なんの裏付けもなく無限の未来を期待する無敵さと、家族や友だちと離れることを思う心細さでできていた。

あのころ想像していた大人になれていない、とずっと焦ってきた。でも、これはこれでおもしろく人生を生きているなと、30歳、ようやく思えている。


冬が終わっちゃう寂しさからか、なんだかセンチメンタルフェブラリーを過ごしています。今日も今日とてお疲れさまでした。あなたも、わたしも。

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