Westerbergの丘のうえで
毎日同じ電車に揺られ
代わり映えの無いグレーのコンクリートの
景色を眺めていると、
どんなに忘れたくない景色も
どんなに忘れたくない君の顔も、声も、匂いも
うすれてゆく。
心の感覚はこんなにも鮮明に残っているのに
その他のことがかすれてゆく。
君に再会した あの夕暮れ
私は、君に気づかないまま
君の横を通り過ぎた。
何度も何度も記憶の紐をたどっては
君の面影をなぞってきたというのに、
消えていく顔が哀しい。
あのとき、君が私を見つけてくれなかったら
もう一度、あの丘を
二人で歩くこともなかっただろう。
人々が行きかう、新緑の街路樹のもと、
ふわふわと宙に舞うたんぽぽの綿毛を横目に、
2人のあいだの境界線を越えてしまわないよう、
私たちは慎重に歩を進めた。
階段をのぼりながら、
思いがけず触れそうになる肌と肌、
1つ1つ紡ぎだす言葉と言葉のあいだで、
大人になった君と私が一緒にダンスする。
額に薄く刻まれた皺
少しだけグレーになった髪
確実に時は刻まれているのに
視線を交わすと
君の瞳はあの頃のままで
あのとき心が動かされた理由が
1つ1つ答えあわせをするかのうように、明確になる。
あのときと同じ場所がキュッと痛む。
私の息は少しだけはずむ。
昔、2人で歩いた石畳の道には、
薄むらさき色の藤の花が
レンガの壁づたいに咲き乱れていた。
小道を抜ければ
青葉の匂いと菜の花の香りがまざりあい
鼻の奥を抜けていった。
青々と生い茂る小麦の葉は、風にゆられ、
真っ黒な羽におおわれたツグミが
その鮮やかなオレンジ色の嘴で奏でる歌に、
そっと寄り添っていた。
小麦の穂先には光が反射して、大地は黄緑色に輝いていた。
空から降りてくる君の口づけが、髪にながれ
見上げると、優しく微笑む君の顔がそこにはあった。
あの日、遠くの空から雷鳴がとどろき、
突然降られた雨のなか、
2人で駆け込んだ木陰を覚えているだろうか。
雨が止むまで包み込んでくれた君の腕のなかで
私は地面に強く打ちこまれる雨粒を眺めていた。
新しくできた水たまりが、濁っていくのを
止めることができなかった。
君が耳元でささやいた言葉は、いまはもう思い出せない。
特別なことだとは気づかずに過ごした日々。
同じことが別の場所でまた起きると信じて疑わなかった若さ。
君にばったり会いさえしなければ、
気づかないフリを続けられたのに。
雨もあがり、日が沈みはじめるなか
夜風に誘われるまま、私たちは丘をくだる。
街にはオレンジ色の街灯がともり、
残された時間がわずかであることを告げる。
言葉と言葉の間隔がしだいに広くなっていく。
宴が終わり、2人のダンスも終焉を迎える。
心地よい沈黙が2人のあいだを埋め尽くす。
私は、別れの握手を求めて、手を差し伸べた。
君がその手を引き寄せるから、
私はあっという間に君の胸のなかに飛び込んでいた。
思い出すように、忘れないように、
2人の形を確かめ合う。
背中に感じる強い腕とは裏腹に
叶える気のない願いが、
たんぽぽの綿毛とともにふわふわと宙に舞う。
そっと唇と唇が重なる。
言葉のない君と私の「さようなら」
君が私の背中をみまもるなか、家路につく。
私は振り返ることもできずに、何度も
「ありがとう」と、心のなかで呟いた。
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