見出し画像

【エッセイ】私が書く詩のテーマについて(現時点で思うこと)

私の詩のコンセプトは、感情的な面でいうと、基本的には、自己受容と自己決定(自律)、この二つにつきるなぁ、と最近感じている。だから、時々、つまらなくもなる。これらを主軸とした詩を書くと、どうしても説教くさくなってしまうきらいがあるからである。だから、この点をなるべくマイルドにするか、あるいは、それをテーマにしないような作品をあえて作るように心がけて書いたりしてもいるが、放っておくと、割りとすぐに、そこに戻ってきてしまう。

そうはいっても、自分の経験上、自己受容と自律性、この二つが確保されれば、驚くほど精神が安定するという確信がある。そのため、どうしても、この点を伝えたくなってしまうのも事実である。それに面白いことに、この辺りのバランスが崩れてしまうような状況をあえて描くと、グロテスクな様相を帯びてくるのに対し、逆に、この部分を回復していくような内容にすると、ポジティブあるいは希望のようなものを描き出せるような気がしていて、その塩梅をどうするかを考えるのも結構楽しかったりする。

例えば、以前に書いた「母と息子」なんかは、息子が完全に自己決定(自律)を失っている状態を描いている。ただ、この詩は、私が実際に出会って話をしたことがある親子をモデルにしてもいるので、読む人によっては、非常に不快な思いをするかもしれない。が、あえてその不快感を狙って書いている。

「ネオ・メトロポリス」なんかも、流行しているからその服を着ている、お金を稼がないといけないから苦痛な電車通勤を我慢している、という感じで、自分で決定したうえで、それらを受け入れているわけではないような人々(=自律を失った人々)を、「都会に住む現代人」というある種の抽象化されたものとして描いたつもりである(これも人によっては不快に感じられるかもしれない)。ただ、これは、どうしても黒いスーツを着て就職活動をすることができなかった自分自身に対する言い訳、あるいは若い頃の強迫観念に近いものを、スケッチしたという側面を有した詩であることも付記しておきたい。

また、最近書いた「泥水」は、人から「変わらないといけない」と言われて、変わろうとしたけれど変わり切れない自分を受け入れられずに、だんだんとノイローゼ気味になっていく主人公が、最後の最後で、本能的に自分自身に対して「逃げろ」と言った瞬間を描いている。その意味で、自律性を回復する前の段階を描いている。

その他、一見すると、ファンタジーの世界を描いているような「無法地帯」という詩でさえ、自律ないし自己発見、自己受容について書いている。

これらに対し、より直接的な表現を用いているのは、「I」である。「自分を主語にして生きているか」と、なんの工夫もせずに問いかけている。さすがに、これには芸がないともいえる。ただ、アップロードしたその時には、それが正解に思えたのだろう(言い訳です、はい)。

このように、汚い、醜い、そしていまにでもすぐに目を背けたいような「自分」と対峙して、それでもなおそんな「自分」を自分が許してあげるということが、私のなかの大きなテーマとしてある。それしか、いま苦しい自分を救い出す方法がないのではないかとも感じている。他人からの評価は、自己受容のきっかけにはなり得ると思うが、究極的には、他人に左右されているうちは苦しみが続く。だから、自分自身で、自分を受け止めてあげたうえで、足りない部分を認識し、変化できるならば変えていけばいいし、それができないような部分については、それも自分だと受け入れて、その欠点を補うことができるような部分を伸ばしていってあげるように注力するべきだと考えている。あくまでも、自分を救えるのは自分しかいないという、圧倒的な個人主義的考え方ではあるのかもしれない。

その意味で他人に期待をしないので、それはある種の「諦観」であるともいえるかもしれない。「諦観のなかで」という詩は、その部分に焦点を当てて書いたつもりである。例えば、「欲しいものもよく分からないまま 間違ったものを求めた日々」というのは、まさに自律性を失っていて、他人の基準に従って生きていたということであり、その基準に基づいて、手にできなかったものに悲しみ、苦しむ理由なんてあったのだろうかということを問うところから、この詩は出発している。

この他、私が意識的に使った手法の1つに、自己受容の過程で、自然とのふれあいを何らかの形で取り入れていることが挙げられると思う。とにかく、自然を前にすると、もはや自分は「ただの人間でしかない」という圧倒的な感覚は、私にとっては救いのように感じられるのである。それは、ある種の、本当に「この人だ」と思えるような人と出会ったときに「私はただの女だ」と感じるそれと似た感覚であるかもしれない。「自分はちっぽけな存在だけれども、ここにいることを許されている」という感覚は、生きていく上でとてつもなく重要だと、私は個人的に考えている。

こうした思いや考えが、直接的に又は間接的に、私の詩には現れているだろう。それは、私自身が、それによって救われたという経験があるからだと思う。自己認識を歪めるような他人とは距離を置いて、いまいちど自分を見つめ直し、たとえそれがどんなに惨めな自分であっても、抱きしめてあげて欲しいのだ。それは、他人にはできなくて、自分にしかできない、というのが私の現時点での考えである。

このような種明かしを本来はすべきではないのかもしれない。自分の作品を、別の言葉で説明すること自体が、自分の作品の不完全さを示しているとも思う。だけれど、定期的に、私の作品をよんでくださっている方がいると思うと、その方たちとどうしても話をしたくなったので、自分の想いを「詩」よりも具体的な手段を通じて書いてみようと試みた次第である。

ちなみに、自然描写をメインにした詩に関しては、上記のような「メンタル」に焦点を当てているというよりも、もっと純粋に「印象派」の画家たちが試みようとしたことに近いことを、「詩」という表現形式を用いて自分はやっているのではないかという確信めいたものを、パリに行った際に得たことも合わせて書いておきたい。

というのも、本当に感覚的な話になってしまうが、ヨーロッパの景色は、風が強いからかなんなのかは分からないが、刻々と変化していくのである。さっきまで晴れていたかと思うと、次の瞬間には雲って、雨が降ったりする。光の印象も、日本のような湿気がないせいか、日本とは大きく違って感じる。ドイツに1年間住んでみて、この本当に輝いている一瞬を掴み取りたいという感覚が、体感として理解できるような気がしたのである。

(なお、「日本の美しさは、刻々と変わっていく一瞬というよりも、物事が変わっても、それでもなおずっとそこにあるものに対する畏敬の念に近い」、という文章が、いまふと頭に思いついた。もちろん、「儚い」という美意識が日本にはあるが、桜の花が例にとられるように、それは「一瞬の美」というよりも消えていくものに対する憂いのようなものである〔加えて自分が育ったのが京都だったからか、日本の美といわれて真っ先に思いついたのは、幼い頃遊んでいた神社にある森だった。〕。また、印象派における一瞬とは、5分、30分、1時間、2時間というレベルでの変化であると思われる。なお、ヨーロッパでも、例えば、ハイデルベルク城は中世のぼろぼろの城なのだけれでも、そこにロマンを感じるというような感覚はある。だから、これについては、後でもう少し考察してみたい)。

そのうえで、オルセー美術館やオランジェリー美術館で、モネの連作を観たときに、「あぁ、この人は刻々と変わっていく、この光の美しさを捉えたかったのだなぁ」と体の底から理解できた気がしたのである(モネの連作は、単品でみても意味がないのだということも痛感した)。そして、ある一瞬の景色を言葉にして残しておきたいという自分の衝動は、そこに通じるものがあるのではないかという(なんともおこがましい笑)考えに至ったのである(そもそも、久々に詩を書いてみようと思ったのも、ドイツに来たのがきっかけであった)。

以上、思うままに筆を進めてきてしまったせいで、とりとめの内容になっているかもしれないが、まとめると、私の詩のテーマは、非常に限られている、ということである。そして同じようなテーマについて、どれだけのアプローチができるかを試行錯誤している、というところだろうか。また、そうやって詩を組み立てていくのが楽しくてやめられない、というのが現状である。ひょっとすると、同じ対象のスケッチを何度もするのと一緒のことなのかもしれない笑


*********************************
※ 今後も詩をアップしていくつもりですが、その際は、またこいつは同じことを言ってるな、と優しい目で見てくださると幸いです。そして、こんな(自己満足な)私の作品を読んでくださっているみなさまには、改めて感謝申し上げます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?