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自慢話とメシのうまさについて

「今日はメシがうまいなぁ」

よい気分になっている時、そのように感じることがあります。そして、そのよい気分というのは大抵、成功への陶酔に起因します。


一方で、
「うまいメシもまずいや」
そう感じる機会に出くわしたことはないでしょうか。振り返ってみると、それは他人の興味の無い話、殊に自慢話を聞かされている時に起因することが多いようです。

おや、どうやら自慢話とメシのうまさには相関関係があるようです。

そこで、自慢話のプロaudienceとしてこの相関関係を図化してみました。

▶︎自慢話の経過時間とメシのうまさの関係図


上図を見て、なぜ自慢話が始まる前から自慢話の話者(speaker)と、それを聴く側(audience)のメシのうまさが異なるのか?と疑問に思った方が多くいるでしょう。

そんなあなたは、自慢話audienceのアマチュアです。

自己の成功に陶酔しメシがうまいなぁと感じるような屈強な自慢話speakerとの食事というのは、そもそも行く前から憂鬱なものです。自慢話が始まる前から、会話の節々にあらわれるspeakerのナルシズムによって、メシはおのずとspeakerのものよりもまずくなっているのです。


そして、ついに自慢話がスタートすると、speakerのメシは右肩上がりにうまくなります。

反して、audienceのメシはそれを上回る速度でまずくなる。

時間の経過とともに自慢話はより一層の熱を帯び、audienceは話の途中で食事に手をつけることさえ許されなくなってしまいます。

そうなると、せっかくの食事がspeakerの唾をトッピングした冷メシとなり、メシのうまさはマイナス方向へ進んでいくだけです。


自慢話をする人よ。

一度自分の自慢話を録音して聴いてごらんなさい。

その録音を聴いてなお、やっぱりオレってすげぇやと思うようなら直ちに階段から転げ落ちてその鼻を折るように。そして二度と人の自慢話につまらなそうな顔をしたり覆い被さるようにマウントを取ることのないように。

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