7. 虎と青年が共生すること

 『ライフ・オブ・パイ』が好きだ。
 映画の方はご多分に洩れず余計な邦題がつけられている(〜季節の野菜を添えて〜)が、そんなのは気にならないほどに良い。文庫本のタイトルは『パイの物語』。実はこちらの方がよっぽどタイトルがネタバレになっているという巧妙さだ。とても良い。あらすじはあえて紹介しない。
 ご存知の通り、おそらく題材になったであろう実際の事件がこれまたエゲツないが、この物語自体は完璧なバランスを保ってまとめられている。滑らかな卵の殻のように閉じられ、この上なく大きな問いをもって外に開かれている。そんな作品にいつも強く惹かれる。
 心を通わせることのできない存在と苦難を乗り越えることについて。命について。自然、信仰、信頼、家族、孤独、希望。主人公のパイは知恵とユーモアを絶やすことなく、全てに真摯に立ち向かう。こちらまで苦しくなってしまう場面でも、とんでもなくかっこいい。そして波乱の大冒険が終わり、胸が熱くなったところで、読者の頭をハンマーで横からガツンとやるような語りが入る。それに一度触れてしまえば、我々の頭の中にはもうカギカッコ付きの虎がのそりと起き上がるのである。
 ところで、もしあの浜辺でリチャード・パーカーが一度でも振り返り、たとえばパイに頭を下げでもしたら、この「物語」はもう台無しである。
 決して馴れ合わず、勝つことも負けることもなく、そして許すこともないまま、私たちは共存できるのかもしれない。恐怖と不信を飼い慣らし、ひたすら知恵をしぼる。誰もがパイのように(もちろんリチャード・パーカーのようにも)なれるわけではないが、誰の中にも「虎」はいるのだろう。ミーアキャットのように何も知らないままでいればただ食われるが、私たちは魚を捌き、真水をつくり、「虎」と距離をとることができる。
 「虎」の中身が何であれ、きっと主旨は変わらないのではないか。私もあの場にいれば、きっとオカモトとチバのように、美しい方を選んだだろう。
 誰もあの生き延びた青年の知性と善性に敬意を払わずにはいられない。小さな救難ボートの上で、見知らぬ私たちはひしめき合い、それぞれが青年となり、「虎」となる。
 知性を信じて。太平洋を旅した私の脳は、小さな1Kでハエトリグモと共存することを選んだ。

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