見出し画像

133. 居眠りがやめられなかった時の話

 10代後半から20代前半にかけて、とにかく眠った。いつでもどこでも。
 電車の中や授業中はもとい、毎月複数回あった模試でもまるまる起きていたことが本当にないくらい眠り、自動車学校でもしょっちゅう起こされた。アルバイト中にもうつらうつらし、1万円近く自腹を切って受ける資格試験中にも幾度も眠った。展覧会を見て回りながら立ったまま眠り、友人との海外旅行中には博物館で寝落ちた。勉強を教えに来てくれた人の目の前で船を漕いでは平謝りした。ゼミでは当然教授に呆れられ、カフェイン飲料を流し込んだ数分後には眠りこけているので友人にはゲラゲラ笑われたりした。図書館にいても家にいても、勉強ができなかった。第一志望企業のインターンシップ面接直前の、ごく短い説明時間にすら、眠っていた。テレカン中に傾き始め、画面外にはみ出して呆れられた。朝から晩まで、眠っては起きて、また眠った。

 とにかく起きていられなかった。夜は十分すぎるほど睡眠をとっており、食事なども特段変わったものはなかった。情動脱力などもなかったので、ナルコレプシーの類いでもないようだった。ペン先を手に深く突き刺して跡を残しながら、自分の意思とは関係なく、ただひたすら眠っていた。明らかに睡眠障害だった。5体満足でなんとかここまでやってこれたのは、ひとえに周囲の優しさと運の良さのおかげだった。

 そんな悪癖が急にぱったりと治った。今は5時間睡眠が続いても仕事中に居眠りをすることはほとんどない。吐瀉物の味のする、あの凶悪なエナジードリンクを飲まなくてもなんとかやっていけている。社会人としては当たり前だが、ナマケモノのごとく眠っていた当時を振り返れば驚くべき変化だった。

 一つだけ思い当たることがあるとすると、起きていても良いことがなかった、とまでは言わないが、あの当時は起きていても寝ていても大差がなかったように思う。自分が何をしてもどうにもならないことが重なり、漫然と続き、完全に不貞腐れてしまっていた。これ、誰の人生ですか?落としましたよ。
 やりたいことも楽しみなことも見つけられず、決められたフローの通りに動く。結果を認識する。食べて、排泄して、眠る。目は開けていても閉じていてもいい。たまに怒られたり呆れられたり笑われたりする。また眠ってやりすごす。終わるのを待つ。人生と睡眠障害の双方をナメているのか、と言われてもしょうがなかった。畜生のように瞬間瞬間の反射で動き、言葉を持たないかのようにほとんどを忘れていった。実際、当時のことはあまり思い出せず、本当にもったいないことをした。
 そのくらい全てにゲンナリして、とにかく視界から追い出したかったのに、その自覚もなく、毎日睡魔と闘っては疲弊しきってまた眠りについた。

 こんな風に動いたらどうなるんだろう、これを変えたらおもしろいかもしれない、あの人の話すことを理解したい、そう思えるようになって初めて居眠りをやめられた。目を開けて、このしっちゃかめっちゃかな話の顛末を見届けたくなった。目の前のこれは画面上の光ではないらしいということを認識するまで、四半世紀もかかってしまった。
 走馬灯までまた切れ切れになったら困る。困らないかもしれないが。目を開けているのも閉じているのも楽ではなかった。ただ、次の楽しい場面に入るまで、チャンネルはそのままでお待ちください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?