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田舎の価値循環

先日、牛を放牧させてもらっている土地の持ち主さんから、「今年最後」という花束くらいのいっぱいのセリを頂いた。

そこの放牧場では、探して歩けばセリがたくさん採れるけど、なかなか採りにいく時間が無かった。

それを探して採るのに、どれくらいの時間放牧場を歩き回っただろう。

その大変さを知ってるから、そのセリはプライスレスだと思う。

例えば、それがスーパーで1000円とかで売られていたら、高いと言って買わない人も多いだろうけど。

野草は山や草原でタダで手に入る。
でも、実は探してお腹が満たされるくらいの量を採るのに、ものすごい時間と労力がかかる。
畑で育ててる野菜を収穫するのとは、訳が違うのだ。

さらに、ワラビやタケノコならば、それを食べられるようにするためのアク抜きや下処理にすごく時間と手間がかかる。

新鮮な野草を食べると、ものすごくパワーをもらえる。

そのパワーは、スーパーで売られてる野菜とは全然違う。

だから、野草はプライスレスだと思う。

田舎の人たちは、その有り難さを知ってるから、お家にお呼ばれしたときに山菜が出てきたら、本当に嬉しがるし、
お裾分けでもらったら本当に有り難がる。

その価値がわかる人同士だからこそ、お互い様で価値が循環していく。

田舎では、お金以外の価値がものすごくたくさん巡っている。

値段をつけろと言われたら、一万円じゃ足りないと思うような、美味しいおむすび。
手作りのお茶やハーブチンキ。

自然からもらう恵みに、人が手を加え、利用する。

そんな田舎の知恵こそ、本当の生きる力であり、子どもたちに教え引き継いでいくべきものだと思う。

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